私を思って
◇
「―――頑張ってくれたね。ずっと愛してる、統也」
それは遠い記憶なのか、それともすぐそこにある記憶なのか。
どこからともなく聞こえてくる、名を呼ぶ女性の声。透き通るような美しい響きで、まるで旋律のようだ。
「これは……誰かの記憶? いや、オレ自身の記憶なのか?」
奇妙な感覚に包まれながら、自問する。
周囲の情景はぼやけていてはっきりしない。ただ、夜空には星々が瞬き、オーロラのような光がゆらめいていた。
「覚えのない記憶、感覚……一体どうなっている? ……ん?」
気づくと、目の前に白く咲き誇るような女性が立っていた。
――絶世の美女。そう形容するのが最も適しているだろう。
だが、誰だ?
分からない。少なくとも知り合いではない。
しかし、知っているはずのない彼女に、どこか懐かしさを覚えた。
「君……誰だ?」
「わ…し………り…………」
「君は誰だ。凛に似てるが、凛じゃないだろ」
「私は……り……、あなたの恋人。そして、あなたは私の――最愛の人」
透明感のある声が返ってくる。先ほどの声の主だろう。しかし、肝心の名前だけがノイズのように掻き消えていた。
「オレが……君みたいな可愛い人と恋人? 馬鹿言うな。オレは君を知らない」
彼女は純白の花のように清らかで、白銀の長い髪を水流のごとくまっすぐに伸ばしていた。
艶やかでスラリとした体躯に、整った顔立ち。誰が見ても美人、そう感じるだろう。
だが、それだけだ。オレは彼女の顔をはっきりと認識することができない。
ただ――彼女の紅い瞳には、涙が滲んでいるような気がした。
「……どうして泣くんだ? オレ、何か悪いことしたか?」
彼女は静かに首を振る。そして、哀しげな笑みを浮かべた。
泣きながら、微笑んだ。
その理由を問いただす間もなく、オレの視界がだんだんと霞み、意識が遠のいていく。
もがこうとするが、まるで深い眠気に囚われたように抗えない。
音さえも遠ざかっていく。
さ中、微かに彼女の声が聞こえた。
「■■■■■、統也」
これが、遠のいていく意識の中、オレの聞く最後の音だと反射的に思った。
その言葉が合図だったかのように、
オレの感じるすべてが――――消えた。
◇
強烈な孤独感とともに、オレは教室の机で突っ伏していた状態から目を覚ます。
頬に冷たい感触を覚え、ゆっくりと目を開ける。
……水滴?
指でそっと拭う。
「涙……?」
ため息混じりに呟く。
またこの夢を見ていたのか。内容はすぐ忘れるが、最近はこればかりだ。
ただの夢。それだけのはずなのに、心が揺さぶられ、言い知れぬ喪失感が胸を締めつける。
オレは夢なんかに動揺するような性格じゃない。自覚している。
なのに、なぜ。
夢の中の時間は、とても長かったようにも、逆に一瞬だったようにも感じる。
今はもう、それすらも思い出せない。
ただ、最後に感じた孤独感だけが、やけに鮮明に残っていた。
この世界にたった一人取り残されたかのような、底知れぬ空虚さと、味わったことのない独特の孤独感だ。
だが、不思議と恐怖や絶望はなかった。
それどころか、ほんのわずかに幸福感すらあった。すべてを達成したような満足感も。
――きっと、彼女の最後の言葉のせいだ。
オレは確信していた。
彼女に会わなければならない。
何かを果たさなければならない。
そう思わせる、漠然とした使命感が胸に刻み込まれていた。
「――――統也?」
微睡の中にいたオレの耳に、馴染みのある声が響いた。
その一声で意識が覚醒する。
高校の教室。
ゆっくりと机から顔を上げると、目の前に制服姿の雷電凛がいた。
近い。
思わずキスしてしまいそうなほどの距離に、顔が。
彼女はオレを覗き込むように屈んでいた。
「何をしてる? 凛」
「へっ……! いや、そのっ……だから!」
しどろもどろになりながら顔を赤らめ、訳の分からない声を上げる。
慌てた彼女は、ぱっと顔を離す。
「朝から可愛いな」
「……本気にするから冗談言わないでくれる?」
赤面が続いている。どうやら照れているらしい。
彼女は雷電凛。最強の電気異能で名高い雷電一族の最後の生き残りにして、オレの幼なじみ。
身長165cmと長身で、黒髪ロングのストレートヘア。スタイルも良く、モデルのような体型に、小顔、すらりとした長い脚。
控えめに言って、相当な美人だ。
「別に冗談じゃないが? 凛がクールビューティーを気取ってるときは毎回言ってるだろ」
「いやだから気取ってないわよ! いつの話をしてるの!」
「火曜と金曜と日曜だ」
「それ私、ピアノ、茶道、バイオリンのレッスン中じゃない!」
「そうか」
「……でも、あなたの口から“可愛い”なんて言葉が出てくるとは……。今思えば、私、生まれて初めて言われたかもしれないわ」
「嘘つけ。お前、ほぼ毎日に言われてるだろ」
彼女は“赤瞳”という影人と同じ特徴を持つが、それでもモテる。つまり、相当の容姿と性格を兼ね備えているということだ。
おまけに元お嬢様ときている。
「それは……他の人からは言われるけど……統也からは珍しいわよ?」
「そんなことないと思うけどな。まあいい。……で、用件は何だ?」
まさか、ただ会いに来ただけでもないだろう。
「今日、あなたの同調相手が決定したわよ。残りの日数でその人との同調調整を行うらしい」
そうか。それでオレに相手の名前を教えてくれると。
まあ別に同調相手なんかどうでもいい。
今のオレに必要なのは、適切な情報をくれる相手。いかなる時もオレを情報援助してくれる存在。ただそれだけ。それさえ守ってくれれば相手なんてどうでもいい。
この時はまだ、そうとしか考えていなかった。
「相手の名前は?」
聞くと怒ったような表情で質問してくる。
「統也、きちんと資料読んだの?」
資料とはこれからオレがする任務の内容資料。
「いや読んでない」
「はぁ……悪魔は細部に宿る。しっかり読まないと後々あなたが苦労するわよ。統也のようなアドバンサーにとってコンダクターの名前は任務開始の当日まで明かされないし、そもそもコードネームで呼ばなければいけないの」
常識よ、みたいな顔でオレを見てくるが、資料の紙面一ミリたりとも読んでいないので知るはずがないし、興味がない。
大体、そんな秘匿情報を何故凛が知っているんだか。
……旬の、いや、軍内では大佐と呼ぶべきか。あの男の仕業だろう。
「そうなのか」
「ええ。明後日でしょ? しっかりしてよ」
「ん、明後日だったか」
その割には明るいなコイツ。無理してそう振舞っているのか。
寂しいならそう言えばいいのに。とはいえ、仕方ないことでもある。
彼らの『前進』を引き留める行為はたとえ家族でも重罰が科せられる。
「それじゃあ行くわよ。大佐のところへ。……今日からデバイスでの同調訓練はあるらしいから」
「ああ、分かった」
オレはしぶしぶ腰を上げ、凛と並んで廊下を歩いた。
――あの記憶の影響を気にすることもなく。
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ですが、はっきり言って最初の方はつまんないです(笑)。後半は面白いんですがね……。