すべてを握る男
「さて、賽は投げられたわけだ」
でっぷりと太った脂ぎった顔の中央の巨大に見える唇から放たれた言葉は苦笑いを浮かべてとなりに寄り添うように立っている青年士官を包んだ。
「仕掛けにはかなり時間を使いましたが……」
青年士官、吉田俊平の言葉に太鼓腹の持ち主であるガルシア・ゴンザレス少将は満足気な笑みを浮かべていた。
「なあに、急ぐことは無かったからな。陛下はあまりに自分を過信されていたところがある。経済政策、外交政策、軍事政策もうまくいきすぎていた。まさか不満を抱いているところが身近にあるとは思ってもいなかっただろうに……」
「恐ろしいお方だ。あなたは。一兵卒から将軍に駆け上がっただけでは済まないとでもいうような……」
吉田はそう言うと葉巻に手を伸ばそうとするゴンザレス将軍に煙草を吸うなと言うように首を振ってみせた。
「ふむ。ワシの野心はこんなものではすまんよ。追い落とす相手はいくらだって居る……そう言えばブルゴーニュの息子はいくつになった?」
「南都軍閥のオーギュスト・ブルゴーニュ卿の息子アンリ公ですか。確か今年士官学校を卒業するはずです」
「おう、そうか。それなら彼にはワシの秘書官でも頼もうかのう……」
「人質ですか……」
呆れたような吉田のつぶやきにゴンザレス将軍はニンマリと微笑んで見せた。
「あとは東海の花山院だが……遼弁様の後見ということで話をつければホイホイ乗ってくるだろうな花山院直永……あまりオツムの回る方ではないからな」
「もうすでに帝位が霊殿下のモノになったようなおっしゃりようですね。……カグラーヌバ家が黙っているとは思えませんよ」
吉田が呟くがゴンザレス将軍は相変わらず笑顔だけを浮かべていた。
「貴公が兼州に帝暗殺の罠を張ることができたくらいだ。隙ならいくらでもあるだろう。それに兼州は背後に遼北人民国と北天の左派ゲリラの脅威に脅かされている。こちらへの備えはどうしても不十分になる……」
「確かに」
確かにこのでっぷりと太った男の考えることは理にかなっていると吉田は感心させられた。そしてこの男は野蛮なその面構えとは全く相いれないような我慢強さを併せ持っていることも吉田は知っていた。
「霊帝の即位。急ぐ必要はないようですね。それならしばらくは私は遼州を離れましょう」
「おう、そうする方がいい。ゆるりとカグラーヌバを骨抜きにして……最後の仕上げにはまた貴公に仕事を頼むかも知れないがな」
「皇帝と東宮を暗殺。私も随分と悪事を行ってきたがあなたより恐ろしい男には出会ったことがない」
「それは光栄だな……」
ゴンザレス将軍は舌なめずりをしながら満足げに吉田の顔を眺めていた。