鬼より怖い紅藤太(べにとうた)
「それでは甲武、遼の前途を祝して」
寡婦帝と呼ばれる女帝・遼武がグラスを上げた。彼女の横には片腕と呼ばれるカグラーヌバ・バラダが笑みを浮かべてグラスを上げていた。
その様子を見ながらゆっくりと胡州帝国宰相、西園寺重基はグラスを上げる。隣に笑顔を浮かべるカグラーヌバ・バラダの次女キラーナこと西園寺康子がグラスを上げて立ち上がる。
武の影、小さな東宮・遼献はオレンジジュースの入ったグラスを手にしていた。
「今後もこの関係は保ちたいものですからな……」
重基の訳有りげな笑に全てわかったというように笑った武はそのまま手にしたグラスを空ける。
「でも……献ちゃん」
突然の康子の言葉に献は飲みかけていたオレンジジュースの入ったグラスを置いた。
「康子様」
「様付けなんてやめて頂戴」
「ですが……康子様」
献は少しばかり戸惑いながら無邪気な笑みを浮かべている康子を見つめた。
「キラーナ。遼帝室には帝王の育て方というものがあります」
凛とした武の声に康子は気圧されるように黙り込む。娘の態度にただバラダは苦笑いを浮かべていた。
食事は続く。ただ会話というものをするには武のオーラのようなものが邪魔していた。
「陛下……そう言えば一度東宮殿下を甲武に招待したいのですが」
沈黙をどうにか破りたいというように重基の口にした言葉に武はしばらく考えていたような風を装っていた。
「それもいいかもしれませんわね。央都の濁った空気より宇宙の風に吹かれるのも為になるでしょう」
「それはありがたいことですな」
武の言葉にバラダが相槌を入れる。献はと言えばいつでも言葉をかけられてもいいようにゆっくりと食事を進めながら様子を伺っていた。
「献ちゃんはどう思うの?」
気安い康子に献は再び苦笑いを浮かべた。
「宇宙。一度は見てみたいものですね」
教科書に書いてあるような模範解答をして場をしらけさせた。重基は静かに頷き、バラダは笑みを浮かべる。
「宇宙は厳しいところと聞きますが……東宮にはいい経験かもしれませんね」
武はそう言うと静かに切り分けた肉を口にした。そこでまた会話が止まり、鬱屈とした空気が辺りを支配した。
「余も息子を溺愛して失敗しましたから。東宮には……良い経験を積ませたいのです」
「陛下ばかりではありませんよ。うちの長男も……」
鬱屈した気分を吐き出すように重基がつぶやく。
「紅藤太殿。実にできた息子ではないですか」
バラダの言葉に重基は苦笑いを浮かべた。
「紅籐太……語呂はいいが要するにならず者ですよ。傭兵は存在自体が違法ですから」
重基の言葉にバラダの表情が曇った。重基はそれを見やると口をつぐんだ。
「紅籐太……どんな方なのですか?」
思わず口を突いた言葉に献は驚きの表情を浮かべる。
「戦闘ポッドに紅色の百足を描いてあるところから紅色の騎士と呼ばれているんだ。また西園寺藤原氏の長男であるところから藤太と呼ばれている。合わせて紅藤太。鬼より怖い紅籐太と言えば地球圏までその名がしれている」
バラダの言葉に献は珍しく子供らしい表情を浮かべて聞き入っていた。
「しかし、嫡子には次子の義基殿に決めたのでしょ?」
「義基は懐が深い」
ラスバの言葉に重基はようやっと笑みを浮かべた。
「私なら紅籐太に跡を継がせますが」
「西園寺家は胡州公家ですから。軍籍を持ったものが当主となった前例がない」
「前例なら作ればいい」
未だ紅籐太孝基に未練のあるバラダの言葉につれない返事を重基は返した。
「でも、お兄様は西園寺家を継ぐつもりは無いでしょう」
康子が呟いた。娘の意外な言葉にバラダは不思議そうに彼女を見つめた。
「それは確認したのか?」
「『生きすぎたりや二十六』と言うのがお兄様の座右の銘ですから」
「今年で二十八ですがね」
少し寂しげな康子の言葉に重基が被せる。
大人達の会話を聞きながら献は紅藤太という人物に魅せられていた。二十代で伝説の傭兵となった胡州帝国四大公の嫡子。自分が父を差し置いて東宮とされ、そのまま皇帝になるべく帝王学を詰め込まれているのとはまるで逆の境遇にこれまでにない興味を感じていた。