ツアーコンダクターのアマツカさん
ガタンゴトン…ガタンゴトン。落下するような感覚のその後、おれは電車のつり革に捕まっていた。目の前に広がっていたはずの大海原は消え、車窓からは茶畑が覗いている。
「どういうことだ…」
頭がボーッとする。周りには誰もおらず、電車の走る音だけが響いていた。混乱した頭を整理するために、おれは目の前の座席に腰を下ろした。窓から差し込む日差しが膝元に当たり、妙に心地よく感じた。さっきとは反対の車窓からの景色を眺めてから数秒後、自分がどこに向かっているのかが分かった。
徐々にスピードを落とし始めた電車に合わせて席を立ち、ドアの方へと向かった。
「やっぱりそうだ」
開いたドアの向こう側は、実家の最寄り駅だった。恐る恐る電車を降りると、さっきまで無人だったはずのホームには、僅かながら人の列が出来ていた。
「ぼさっとしてんなよ」
突如後ろに現れた割腹のいいサラリーマンが、苛立ちながらおれに言った。
「す…すみません」
おれは慌てて前へと進み、その勢いのまま目の前にあったベンチに腰掛けた。
発車ベルと共に走り去っていく電車と、疲れた表情の乗客たちを見送りながら、おれは為す術もなく立ち尽くした。いや、この場合座り尽くしたと言うべきだろうか。そもそもそんな言葉が存在するのだろうか。そんなつまらないことを考えていると、さっきまで明るかったはずの空が暗くなっていることに気付いた。
「あれ?電車に乗った時はお昼だったような…」
この状況に陥ってからまだ数分しか経っていないと思っていたので、更に頭が混乱した。
「ここの時間の流れは気まぐれですからね」
空席だったはずの右隣からその声は聞こえた。おれがギョッとして声の主の方を向くと、その男は軽く会釈をしてきた。服装からして車掌さんだろうか。歳はたぶん自分より少し上くらいだ。
「次に何をすべきか、お困りのようですね。仕方がないですよね。だっていきなりこんな所に招かれてるんですから」
おれが聞き返す間もなく続く言葉の連射。この男は全てを知っていそうだ。そんな気がした。
「あぁ、すみません。申し遅れました。私、今回の人生ツアーを担当させていただきます。ツアーコンダクターのアマツカと申します」
男が握手を求めながら、そう言った。
「え…何ですか…それ…。人生ツアー?」
そんなもの頼んだ覚えは無かった。
「そうです!そうです!西さんでお間違いない…ですよね?もし間違ってたら重大事故として、レポートを提出しなくてはいけなくてですね。現に私、この前違う人を連れてきちゃってるんですよね。」
アマツカは天を仰ぐような素振りを見せながら、苦笑混じりにそう言った。
「まぁ、こんな所で座っていても拉致があきません。とりあえず駅から出ましょうか」
構内の階段を登り、反対の改札口へと向かった。
「あの…電車賃ってどうすれば」
おれはこの状況に無一文でいる事に、ずいぶん前から気がついていた。
「この定期券をお使いください」
アマツカが差し出した定期券には見覚えがあった。おれが実家から会社へ通っていた頃の物だった。
「ありがとうございます」
何で持っているんだ。そんなことを知っても意味は無いと分かっていたので、何も聞かずに受け取った。少なからず独りだった時とは、気の持ちようが変わっていた。それどころか、この人生ツアーとやらを楽しんでみようと思っていた。久々に味わった感情だった。
改札口を出るとそこは、紛れもない故郷だった。でも少し違和感を感じた。改札口を出てすぐ左手には、自動販売機が並んでいるはずだった。その場所は売店に変わっており、シャッターが閉まっている。街の至る所が退化していたのだ。唯一綺麗になっていたのは、目の前に見える団子屋だった。
「えーまずは西暦1999年8月18日となっております」
アマツカが左手に持ったタブレットを見ながら言った。
「え?1999年!?」
おれは腰を抜かした。
「あれ?何かおかしいこと言ってますか?」
アマツカはキョトンとした。
「おかしいも何も!タイムスリップしちゃってるじゃないですか!」
本来ならば西暦2021年のはずだった。
「何を言ってるんですか西さんは」
アマツカは耐えきれずに笑いだした。
「いやぁ本当に何も分かっていないんですね」
右目に溜まった涙を拭いながら話を続けた。
「人生ツアーとは即ち。時間旅行をしながら、あなたの人生を振り返るツアーなんですよ」
そのまんまだった。言葉通りだった事に気づいて、おれは気恥ずかしくなった。でも普通の人なら驚くはずだ。ましてやタイムスリップなんて。
「ちなみになんですけど、あなたさっきまで自分が何をしていたか覚えていますか?」
アマツカが真剣な顔に戻って、おれに問いかけた。
「崖の上で…。」
と続けようとした時。寒気がした。おれは自殺をしようとしていた。いや寧ろ、したのだった。
「自殺を…しました」
おれは噛み締めるように答えた。つまりこのツアーは、走馬灯のようなものなんだと瞬時に理解した。
「そうですね…。この度はご愁傷さまです」
アマツカは深々と頭を下げた後に、微笑みながら話しを続けた。
「でも大丈夫ですよ。今ツアーが終わった後にあなたにまだ『生きたいという意思』があれば、さっきしたことを取り消すことが出来ますよ」
「ほ…本当ですか?」
雲間から光が差し込む様な気持ちになった。
「でもまぁ…ほとんどいないんですけどね。生きたいと思う人は」
アマツカは目を細めながら言うのだった。