何もできない
朝起きた時、外が暗かった。重たい雲が広がった曇天の月曜日、せっかく新しい一週間が始まると思ったのに嫌なスタートだ。
朝のルーチンであるベランダのミニバラに水やりをし、トーストとコーヒーのいつもと同じ朝食を取った。テレビでは朝のニュースがつらつらと流れている。特に代わり映えのしない内容をぼんやりと眺めてみたがやはり気分は上がらない。
いつもと同じシャツ、スーツ、鞄、パンプスを身につけて会社に向かう。晴れていたら良かったのに。雲一つない晴れた日が好きな私は曇り空が嫌いだ。いつもと同じ通勤ルートも曇りの日はなんだかいつも以上につまらなく感じる。
駅に向かう途中の横断歩道で信号を待っていると、突然私の横から猫が車道に飛び出した。びっくりして見ていると、猫はタイミング悪く通りがかったトラックにぶつかってしまった。
トラックはまるで何もなかったかのように走り去り、猫の亡骸だけが道路に残された。私はそれをただ呆然と眺めることしかできなかった。
駅に着くと電車が遅れていた。どうやら人身事故があったらしい。いつも乗る電車が15分遅れている。私は全て天気が曇っていることのせいにして空に向かって舌打ちをしてみた。舌打ちが下手な私は、なんとも微妙な音を少し響かせることしかできなかった。
いつも乗る女性専用車両は電車が遅延したせいか人が多かった。本当にいいことがない。人口密度の高い車内は蒸し暑く居心地が悪かった。私はドアのそばに立ち灰色を帯びた車窓を眺めた。
私が降りる駅の一つ手前の駅に着いた。ドアが開いた時に流れ込む外気が心地いい。あともう少しの我慢だと思っていると、私の横を通り過ぎた制服を着た女の子が車内に携帯電話を落とすのが見えた。状況を理解し私がどうすべきか考え始めた瞬間、電車のドアがバタンと閉まった。
会社に着いた。特に大きなトラブルもなくいつも通り事務処理を行う。働き始めて5年、仕事には随分前に慣れた。この仕事を楽しいと思ったことはないが辞めたいと思ったこともない。
淡々と仕事をしているうちに一日の仕事が終わった。なんとも味気のない一日だった。帰る準備をしながら携帯電話を見るとメッセージが届いていた。中身を見ると幼なじみからだった。
メッセージの内容以下の通りだ。
彼氏に逃げられた。
今まで事業に失敗したとか、親の借金がって言われて金を貸してきたのに連絡がつかなくなった。
結婚も考えていたのにお金を貸しているうちに私の貯金は底を尽きた。もう何を信じればいいかわからない。5年も尽くしてきたのに。許せない。
さようなら。
私は急いで電話をしたが繋がらなかった。メッセージが届いた時間を見ると朝の11時だった。帰宅しながら何度か電話をかけてみたが繋がることはなかった。なんとなく嫌な予感がした。そして予感は的中し、私が家に帰った時、母から電話があり幼なじみの訃報を知らされた。
やっぱり今日はすごく嫌な日だった。ベッドで横になりながら私は暗い気持ちになった。私に行動の選択肢がないまま時が流れる。なんて辛いことだろう。全部今日の天気のせいだ。せっかくの月曜日だったというのに。私は最後まで天気のせいにして眠りについた。
朝、目覚めると部屋の中はカーテンの隙間から光が差し込みとても明るかった。時計を見るとなんと月曜日だった。どうやら私は夢を見ていたようだ。私は天気の良い月曜日に心浮かれた。
私は朝のルーチンを行い、夢で見たのと同じようにいつも通りの戦闘服を身につけて会社に向かった。
駅に向かう途中の横断歩道に着くと信号がちょうど赤になった。夢で見た事を思い出し、注意深く周りを見ると車道を凝視して今にも飛び出しそうな猫がいた。
最寄駅に着くと電車は遅れておらず、女性専用車両は空いていた。快晴の景色をドアのそばにたって眺める。とても気分がいい。私が降りる駅の一つ手前の駅に着く直前、口が開いたままのリュックサックを背負った制服の女の子が近くにやってきた。
午前11時、携帯電話を見ていると幼なじみからメッセージが届いた。
夢で見た通りだった。どうやら私は正夢を見ていたらしい。夢と違い、私は今日は行動の選択肢を得たのだ。
夜、私は満たされた気持ちでベッドに横たわった。
今日、私の目の前で一匹の猫がトラックに轢かれて死んだ。女の子が電車で携帯電話を落とした。幼なじみが彼氏に逃げられた事に絶望し自殺した。
私はこれらの事象に対して行動の選択権を持つことができた。そして何もしなかった。夢と違い私は、何もできなかったのではなく、何もしなかったのである。
自分で行動を選択しその結果を見る。なんて素晴らしいことだろう。誰が困ろうが誰が死のうが私にとっては些末な事だ。夢の中の私はずっと「何もできなかった」事を後悔していた。でも、今日は違う。私は自らこの顛末を望んだ。何を後悔することがあるだろう。
私は今日という一日に満足して眠りについた。今週も素敵な一週間になりそうだ。