メンヘラ製造機
彼女の受験が始まった。
朝イチの新幹線で彼女は受験に向かう。
僕の家は田舎だから、電車では始発の新幹線に間に合わない。
いや、諦めるな。彼女のために全力を尽くせ!
僕は朝の4時半に家を出た。
自転車で20キロ以上先にある新幹線の駅へと向かう。
冬の風が心地よい。
午前六時。間に合った。
彼女を探す。見つけた。
彼女はとても驚いていた。そうだ、見送りするって言うのを忘れていた。
「頑張って!」
一言そう告げると、彼女はうなずいて、新幹線に乗り込んでいった。
よし、今日も少しは愛情が伝わっただろうか。
卒業式。
彼女はクラスの人たちと別れを惜しむらしい。彼女の家族と一緒にする卒業祝パーティーは翌日だ。
合格発表。
彼女は受からなかった。後期も同じところを受ける。
後期試験が終わった。
土曜日。昼過ぎに彼女に呼び出された。珍しいな。普段ならお昼も一緒に食べるのに。
「少し歩かない?」
向かったのは県立の図書館に併設された公園だ。
春めいた日差しが、暖かく芝生を照らしている。
ベンチに座ると、彼女は言った。
「ごめんなさい」
何を謝られたのかわからず、話を聞くことにする。
「あのね、落ち着いて聞いてほしいんだけど、もうあなたとは付き合う資格がないかもしれない。
同じクラスの原田君、知ってるでしょ?」
彼女のクラスの人の話はよく聞いていた。原田君は頭がよくて何でもできる、まさにイケメンって感じの男だという話をされた記憶がある。
「卒業式でいろいろ話してさ、けど全然話したりなくて、彼が東京に行っちゃう前にもう一回話そうってことになったの。さっきも会ってきたんだ」
別にそれ自体は構わないと思う。
「それでね、会うのも最後かもしれなかったからさ、ついつい気持ちが盛り上がって、キスしちゃったんだ」
「えっ、どこに?」
相変わらずバカな質問をしてしまう。そこは問題じゃないだろうに。
「……ほっぺた、かな」
そっか、ほっぺたか。なら別にいいんじゃないかな。一時的に気持ちが盛り上がっただけなんだったら、そういう事もあるのかもしれない。
「そっか、仕方ないね」
彼女は泣きそうな顔で、こう続けた。
「……別れましょうか。私、悪いことをしたって思ってる」
「どうしてさ。僕は今の話を聞いても、これまでと変わらず貴女と生きていこうと思ってる。誰だってそういう事はあるのかもしれない。僕はやらないけどさ」
僕はそう答え、さらに続けた。
「やっと決意ができたんだ。貴女と生きていこうって。だから、貴女が僕の事を嫌いになったとか、その彼と付き合うから、っていうのでなければ、これからも一緒に居ようと思ってるよ。貴女が何をしたって、貴女は僕が好きになった貴女なんだから。ダメかな?」
彼女は大粒の涙を流しながら答える。
「うん、わかった」
しばらく沈黙が続き、再び彼女が口を開く。
「あなたと一緒に居ることにするよ。好きになってくれてありがとう」
ーーー
こうして、彼女のすべてを許す男と、何をしても彼に許される女ができあがった。
彼女は浪人し、翌年彼と共に上京した。
彼は彼女の望みであれば何でもしたが、彼自身の望みが分からなくなっていた。
だから、彼女との共に夢見たもの、「世界の理」に向けた学習を続けるのみであった。
彼女は、自分が何をしても彼は許してしまうことに罪悪感を大きくするばかりだった。
更に、彼がひたむきに学習を続けているさまは、自分がどれだけ至らない存在なのかを見せつけられているようで、息が詰まった。
彼女のプライドは緩やかに削り取られていき、気付いた時にはもはや自分では自分を肯定できず、彼に肯定してもらうことでしか立っていられなくなってしまった。
年下の初心な彼氏を積極的にリードしていた当時の面影は消え失せ、ひたすら恋人に依存するしかできない彼女の出来上がりだ。
僕はあまりにも無知だった。
もっと彼女の言葉の真意を探れていれば。
彼女の望みと世の中の一般常識、もっとバランスを取れていれば。
追いつめられていた彼女の苦しみを理解できていれば。
彼女が壊れることはなかったのに。
次は、悩まない人にしないと。
愛した人が壊れる様は、もう見たくない。