下味は甘く
彼女の家はとてもアットホームだった。
父親は単身赴任、弟が小学生の我が家は、早くても21時過ぎにしか帰ってこない自分のご飯はいつも冷たかったし、帰ったらみんな寝ている、なんてのもざらにある事だった。
彼女の母親は、才女という表現がぴったりの、ゆっくりだけど説得力のある話し方をする人だった。何より料理が上手で、手間をかけたものばかりで美味しかった。
彼女の父親は、少し古さが残った、けれども高圧的でない感じで、家庭の中心にいる感じだ。娘が謎の男を連れて来ているのだから、朗らかというわけにはいかなかったのかもしれないけど、ペットの犬に猛烈に甘かった。
弟が学生服を着ているせいで、犬は学ランが好きらしく、初対面の僕にもよくなついた。これまでペットを飼う意義について全然興味を持てないでいたが、確かにこれはかわいい。
何より1番驚いたのは、食事の最中、みんなよく喋るという事だ。食事時にはテレビを見てはいけない、というルールがあるらしく、それが家族のコミュニケーションを活発にしていた。団欒の時間はこうやって作らないといけないのか、と思い、少し眩しかった。
「ごめんね、うちの家族うるさくて」
謝りながらも、どこか自慢げにそう話す彼女。お風呂を頂いたあと、私は布団が敷いてある客間に連れて行ってもらった。今日はここで寝ていいらしい。
「いえ、とても楽しかったです。こちらこそあまり話せずにすいません」
そう、僕は家族のコミュニケーションに圧倒されて、「はい」と「そうですね」を繰り返すだけの機械になってしまっていた。
「あはは、気にしないでいいよ。少なくともお母さんはあなたの事すごく気に入ってたよ」
そうなのかな。ごはんはすごく美味しく頂いてたけど、それが良かったのかな?
「とにかく、いよいよ明日だね。頑張ろう!」
そう言って彼女は両手を広げる。何をしていいのかピンとこないでいると、彼女はこう続けた。
「ハグだよ。もう恋人なんだし、少しくらいいいでしょ」
ハグってなんだ? と思ってると、表情を読まれたらしい。
「ギューってして! 今日はもう会えないんだから。寂しいじゃん」
あぁ、抱きしめるってことか。そういうのも普通なのかな、と思ってギューっとする。心臓はバクバクだ。この音が伝わってたら慣れてないのがバレて恥ずかしい。
すると彼女は、頬を寄せて、スリスリしてきた。僕の頭は真っ白だ。もう無理だ、と思って力を緩めてゆっくりと離れようとする。頬を寄せていた彼女と、唇の端が触れる。
「ちょっと当たっちゃったね。ねえ、どうせならちゃんとしてほしい……」
彼女は小声でそう呟く。とっくに脳がオーバーヒートしている僕は、言われるがまま唇を寄せる。
ガッ!
歯が当たる音で我にかえって、唇を離す。
「ふふふ、おやすみなさい!」
彼女は満足そうに部屋を出て行く。僕は何も考えることができないまま、眠れない夜を過ごしたのだった。
翌日は快晴。彼女の親に高校まで送ってもらう。僕は第二チェックポイントの担当だから、そこに持って行くべき荷物をチェックする。チェックポイント担当は通過者をチェックして、最後尾が来た時に全員通過しているのを確認するだけの簡単な仕事だ。
第二チェックポイントの担当は僕と、同学年の女子、それに無線部の男子だ。アマチュア無線は免許がいるので、遠隔で連絡を行うのに無線部の協力は必須だ。いずれ携帯が普及してくれれば、もっと楽に運営できるんだろうけど、精々ポケベルしか持てない現状では中々厳しいだろう。
昼ピクは順調に進み、問題なく最後尾が第二チェックポイントに到着した。ここで昼食休憩を取り、後半戦に臨む。僕は彼女から預かっていた二人分の弁当の片方を渡す。彼女のお母さんが作ってくれたのだ。感謝!
ピクニックらしく広場にシートを広げてみんなでお弁当タイム。それが終わるとピクニックを再開する。さすがにみんながいる場所で二人きりでどうこうということはなく、これまで通りの距離感だった。ほっとした半面、何を期待しているんだ、と昨日のことを思い出して顔が赤くなる。今日はとにかく意識しないようにしよう。
そういった僕の決意とは裏腹に、帰りの道中、彼女は疲れたーとか言いながら、僕の肩に腕を回してくる。振り払うのも申し訳なく思い、そのまま歩いたものの、相当目立っていたようだ。学校に到着した後、クラスメイト達に相当からかわれた。
こうして、告白から僅か2日で、僕らは自分たちのコミュニティで公認のカップルになったのだった。