破業の鬼・血の巻(9/11)
黄金の火の粉が舞い、太陽を失ったままの赤い空に陽炎が踊る。
業火に囲まれ、群青の髪の少女と荒れ狂う黒鬼が向き合う。
飢えた獣のように爪を立てた手を右往左往に振り回す夜光。
大太刀を盾にして防御する八重。合間に蹴りや顎への突きを食らわして、夜光の頭を揺さぶる。
「八重!この馬鹿が正気に戻るまで殴ってくれ!
おら、八重の怪力パンチはおっかねえぞ!早い所、正気に戻れよ!なあ?!」
カムナが冗談交じりに夜光に呼び掛ける。しかし、夜光が殴られる度、彼の眼窩の炎が悲しげに揺れた。
八重も苦痛で顔を歪めている。拳は夜光の硬い皮膚を殴ったせいで皮が抉れ、自分の血で真っ赤になっていく。
夜光の視界は再び暗闇に包まれていた。
鬼や亡者に体を触られ貪られるのを感じながら、ぼんやりとしている。してはならない事をした。その現実を心が無意識に抹消しようとしてるのだ。
しかし、そんな彼の耳に八重やカムナの声が遠くに聞こえた。
暗闇に亀裂が生じて光が差し込み、そこから八重の姿が見えた。
(八重……。
俺を殺しに来たのか……。
それでいい。親父にも勝てず、頭の中にいる鬼達の暴走を止められず、おまけに百之助を殺そうとして、それを庇った木次郎を……傷付けてしまったから……。
もう俺は……、生きてちゃいけないんだ……。)
夜光は最後の力を振り絞ってその場にしゃがみ、懺悔するように八重に向かって頭を垂れた。
それを見て八重は大太刀を地面に突き刺した。
「今だ八重!その血だかを飲ませてやれ!」
カムナの声に頷き、夜光の膝に乗って首に腕を回す八重。
その時、夜光の目から涙が溢れているのに気が付いた。脳内の鬼達に抵抗しようと力を込める為に息を止め、苦しそうでもあった。
「きっと元に戻してあげるから……、夜光!」
しかし、夜光の中でまた死んだ鬼達が耳元で囁く。
(おいお前、この女を好いておったな?しかも拒絶されたようだの。
死んだ男の事を忘れられず、お前の気持ちを踏みにじったアバズレの女ぞ。憎かろう?
なら、いっそ喰らって永遠に自分のものにしてやると良い。)
夜光は八重に頬をぶたれた事や、彼女が墓参りで自分以外に見せた穏やかな表情を思い出して、胸が苦しくなった。
(止めろっ!思い出させるな……!)
心が悲しみで満ちた時、また体の自由が利かなくなる夜光。彼女の肩に噛み付く。
八重は痛みで仰け反った。
「あぁっ!!」
夜光は八重が身動ぎして声を上げる度に心が高揚し、興奮したように血を激しく啜る。背中に腕を回し、彼女の背中に爪を立て、服ごと皮膚を引っ掻いて裂く。人間の女を拐かし愛なく襲う、悪鬼の所業のようだった。
「や、こう、それ以上は……吸っちゃ、駄目……!」
胸を圧迫され声が出にくい八重。
「八重、無理に引き剥がすな!肩ごと持ってかれるぞ!」
カムナが言うが、八重は止めず、夜光の腹を膝で何度も強く蹴って脱出しようとする。
カムナはハッとする。
「お前……!
夜光がお前の血を飲み過ぎて死なないように、自分の肩を犠牲にしてでも離れる気か!」
やがて夜光が手を離し、八重の肩の肉が千切れ、鮮血が飛び散る。八重は金切り声に近い声で叫びながら体を仰け反らせる。
「ァッ、アアアアアッッッー!!!」
その悲鳴と、苦痛の表情と涙は更に夜光の心を苦しめた。
(八重ぇっ!!!
止めてくれぇ……、お前まで死んだら、俺は……!)
「八重っ!!!お前だけで何が出来る!許すから早く俺の呪縛を解け!!」
救出した百之助の近くで、いろはが悲痛な声で叫ぶ。
駆け出そうとするが、八重に近付こうとすると体が重くなって、その場にへたり込んでしまう。
側には百之助に布で縛って止血をして貰っている木次郎がいる。
八重の悲鳴で目を仁王のようにカッと開く。
「八重の、所に連れて行け……!」
木次郎は懐から小さな朱色の紙札を取り出した。色の濃さで鬼の妖力の強さなどを測定する検査紙・朱紙である。
「駄目です!木次郎様っ……!」
「百之助……、死にかけの、ジジイがやるべき事は……助かる事じゃねえ……っっ!」
木次郎は力の入らない震えた手で百之助の胸を叩く。
八重は地面に仰向けで倒れ、肩を押さえて痛みに耐える。
「っぅ、カムナっ……!夜光の様子は!?」
「駄目だまだ正気じゃねえ!量がまだまだ足りないんだ……!」
「だったらもう一度……!」
八重は立ち上がろうとするが、夜光が上からしゃがみ込み、彼女の腰を掴む。
彼女の首に伸びる夜光の歯牙。
八重は覚悟を決めたように目を閉じた。
しかし、何も起こらない。
見ると、夜光の口の中に頭蓋骨が入っていた。
カムナだった。
「……美味えかこのアホ!!
俺様は高級食材だからなあ、ゆっくり味わえや!!」
夜光は顎を上手く閉じられず。涎を垂らした。
「クルルッ!カッ……!」
「ぼさっとすんな!!
俺様が口を開けさせてる内に早く!!」
八重は手の平を夜光の牙に突き刺して出血させ、その手を夜光の喉に突っ込んで血を飲ませる。
しかし、骨であるカムナの外殻など、元々鬼の顎の力なら砕いてしまえる。
そうこうしている内にカムナに亀裂が入る。
「……ぅぐぁっ!!
まだ飲むか!この欲しがりめっ!」
「カムナ!噛み砕かれてしまうわ!」
亀裂が深くなる。
八重は夜光の口をこじ開ける。力を込める度に、肩が酷く出血し、痛みに喘ぐ。
「……カムナ!逃げて!!」
「俺様の事はいい!血ぃやる事に集中しろ!!もう覚悟決めてんだよ……!」
その時、八重の顎を開ける手応えが軽くなる。
同じく夜光の顎を抉じ開ける手。百之助だった。
百之助は鞘に収まったままの小刀を取り出し、夜光の口内にそれを立てて、彼の顎が閉じないようにする。
「カムナ、私が押さえている!今の内に!!」
「百……!いや、すまねえ……頼光の大将!!」
ピョンっと跳ねて地面に降りるカムナ。
木次郎は側で百之助に掴まりながら、朱紙を夜光の息が出てる口元にかざす。紙は真っ黒に近い赤から薄くなっていく。
「朱紙の色が、落ちて来た……!妖気が、薄くなってきたぞ……!」
百之助がオミナの力も利用して夜光の動きを押さえ、八重が血を流し込み続ける。
「あと少しだ……!天鬼の妖気と同じ濃さに……!」
正気に戻り始めたのか、夜光の力が弱くなる。
「み、んな……に、げ、ろ……!
まだ体の自由が、利かないんだ!」
夜光は悲痛な声を出す。
そして口の小刀を噛んで折り、百之助達を払い退けて八重に馬乗りになる。
「八重!夜光!」
「坊主!大半の浄化は終わってる筈だ……!後は気をちゃんと保て……!」
助けに入ろうとする百之助達。しかし彼女は頷いて留まらせた。
夜光の口から彼女の顔や胸に血が何滴も垂れる。
八重は夜光の両頬に優しく触れた。まどろみの時のような穏やかな表情だった。
夜光は八重の首を咥える。抵抗して辛うじて甘噛みにとどまっている。
「夜光……、最後かもしれないから伝えておくね。
前に、冠羽のおじ様の村で夜光が私の髪の色を好きだって言ってくれた時、あの後叩いちゃってごめんね……。
本当は嬉しかったの……。私が半分鬼でも、そんなの別にいいって、言ってくれて……。
死んだ私の大切な人が言ってくれた言葉と同じ言葉だったから。
あの人の生まれ変わりのように感じたから……あの時、貴方を……、本当は愛しく感じた……。
でもね、私にはそれは許されない事だとも思ったの……。
私は私の血の力で愛するあの人を殺してしまった。だから、その罪を背負って幸せになってはいけないって思った。だから貴方を拒絶した……。
でも今は、せめて貴方を助けたいと思ってる……。この血を全部あげてでも……。」
八重は夜光の頭を両腕で優しく包んだ。
八重の温もりと髪の香りと共に、夜光の脳裏に何か別の光景が流れ込んで来る。
『本当に綺麗な群青だなぁ八重。
本当、この髪色を表現できる顔料が買えればいいのに……。いや、瑠璃石、藍銅鉱だけではこの透明感や艶っぽさは表せまい。』
楽しそうに八重の墨絵を描く束ね髪の男。
村の小さな社の前で手を合わせ、盃を交わし、婚約の儀をする八重と男。
火で包まれた村。餓鬼が走り回り、人々を襲う。
死にかけの束ね髪の男が、朱色の人鬼に血をかけられ、餓鬼になりかけている。
八重は白無垢姿のまま男を介抱する。
『八重お前の血で、俺を殺してくれ……!餓鬼になって君や他の誰かを傷付けてしまう前に!』
『出来ません!萩ノ助さん!
貴方だけが私を半分鬼でも良いって言ってくれたのに……!』
八重は男の胸の中で嗚咽した。
『ごめん……。でも君の腕の中で、俺の心のまま死ねるなら、悔いはない……。
頼む……。』
八重は自分の血を口に含んだ。そして男に口移しする。
『八重……、どうか自分をもっと愛して、幸せに生きてくれ……。俺が描いたどの君よりも、一番好きなのは、ありのままの君だから……。
それが俺の夢だ……。』
微笑んだまま硬くなって動かなくなる男の体。
八重は激情の中、村中の鬼達を皆殺しにした。
血まみれで『萩ノ助』の名を何度も呼び、己の血を憎むように自分の手を何度も刃で刺して泣き続けた。
八重の記憶の断片を辿った後、夜光の目から自然と涙が溢れていた。
(何だっけ、この気持ち……。胸の奥が苦しくなるあの感覚……。
勝ちたい、生き残りたい……。
けどそれだけの為じゃない……。本当は生きて笑う事をもっとしたかった筈の奴とか、誰かの色んな願いが、誰かが守ってきた大事な何かが、血の中に溶け込んで流れていて、それを絶やしちゃいけないって思わずにはいられなくて、もう立てないのに何故かまた立っている……、あの感覚。
血を貰って飲むってこういう事だったっけ……。)
夜光は喉を鳴らし、八重の肩の傷を癒すように舐め、彼女の横に俯せで倒れた。
八重が夜光に手を伸ばして揺するが、夜光は暫く動かなかった。
「胸の音が聞こえない……!
やっぱり私の血は……誰かを殺すだけ……!!」
震えた声で涙を流す。
カムナも夜光の指を強く齧って起こそうとする。
「起きろ夜光!!!
あのお前の馬鹿親父にいいようにブッ飛ばされて、喜ばせただけだなんてよ……!捨てられようがしつこく生き延びてやったのは、こんな終わりの為か!?お前が自分で決めた事でも、あんまりじゃねえか……!」
「失敗、だったのですか……?」
呆然としている百之助。だが木次郎は諦めず様子を見ていた。
「分からん……。だが……、八重の血で死んだ鬼と同じ症状じゃねえ……!」
***
夜光はまた暗闇の中にいた。
緋寒の血に含まれていた死者の姿は薄くなって消えたが、夜光が殺した鬼達の魂は消えず喚いていた。
そんな中、水の流れる音が鬼達の声を掻き消す。畝った小川だ。
夜光は温かい土の中に胎児のように丸まっているのを感じた。
手を伸ばし、そこから這い出る。
這い出ると、優しい日の光が彼を照らした。暗闇に浮かぶ太陽だ。
周りには槍のように真っ直ぐな松の木と、八重桜の木が生えている。
そして小川に大きな褐色の鯉が泳いでいた。尻尾が鉞の刃に見える。
夜光は頬に風を感じる。
香りを帯びた桜の花弁が彼の顔に当たる。
彼は今身の回りに見えるものが、酷く身近で親しい何かに思え、自然とこう思った。
(俺は親父の子だから、この戦いは俺が償いってやつの為に、負けられない……。
でも俺が積み重ねたのは罰だけじゃない……。少しの温かい何か……。笑っている時の、『喜び』って言うのか……。みんながくれたものが、俺に新しい世界を作ってくれて、生きていていても良いと許してくれてる気がする。
そしてそれが、落ち着いた気持ちで俺を今立たせてくれてくれているんだ……。
だから、もう一度戦う……。
罪はこれ以上要らない……。勝って喜びにして返すんだ……。)
『ば〜か、やっと冷静になったか。』
声が聞こえ、夜光の背後に何かが立つ。
風袋のようなものを揺らめかせた空色の鬼だった。
『儂が前に教えてやった事を忘れて熱くなりやがって。
言ったろ?恨みや憎しみで心が暴れそうになったら「風の舞」を、その時の穏やかな気持ちを思い出せって。そしたら悪い気持ちなんて何処かに流れてく。
殺した鬼達の呪いを抑える方法さ。』
「冠羽……!」
『すまねえな。最後に大事な相棒を待ってたんでな。お前の中に現れるのが遅くなった。』
夜光は手を伸ばすが、冠羽は悲しげに微笑んでヒラリと避ける。
『儂らがお前に話せるのは限られた時だけ……。でも、もう大丈夫だな。
そろそろ前向きな……。』
冠羽は何処か上を指差す。
夜光はその指先が示す方を振り返る。
星のような小さな光が、日の出のような大きな閃光となって辺りを包み込んだ。




