破業の鬼・血の巻(8/11)
夜光は手に人間の体内の温もりとぬめりを感じた。心臓の鼓動が手に響く。
「坊主……、お前が産まれた時、俺は任務で偶然その現場にいた……。
あの人はな、お前のおっかさんはな、生まれたお前を自分の着物で優しく包んで温めていたんだ。お前の額に角があろうとも……。
その後お前が刺されそうになった時も、命張って庇ってくれたんだぜ?
その人の子ならば、悪いものに……、負けるなよ……絶対!」
夜光の目の前に立っていたのは百之助ではなく、木次郎だった。
彼が咄嗟に庇ったのだ。
「木次郎様!!!」
百之助が夜光から引き剥がし、介抱する。
夜光の手が抜けた瞬間、木次郎の服の肺臓のある辺りが真っ赤に染まっていく。
「騒ぐな、馬鹿……!擦り傷だ。
大将の癖に、この甘ちゃんめ……!」
口から溢れる血を袖で隠している。
「喋らないで!血が……!!」
「都で、斗貴次郎が待ってんだ……!可愛い孫の笑顔の為に、ジジイは簡単にはくたばんねえさ!」
木次郎は掠れた声で笑って、百之助の背中をバンバン叩く。
百之助には木次郎が百之助を取り乱させないようにしてるのが良くわかった。唇を血が出るまで噛んで、激情を堪える。
(違う!俺は……!俺は!
こうする気なんて!!!
俺のせいで、俺のせいで……また!)
心臓を掴まれたように胸が痛み、夜光の視界はまた暗闇に飲まれた。
夜光は脳内の鬼達にさせられるがまま立ち上がる。
一瞬の出来事に、八重は悲鳴さえ上げられずにいた。まず同じように木次郎に駆け寄ろうと考えたが、やめた。
大太刀の鞘を抜いて、いろはから降りる。
「いろは、珠ちゃんと百之助様達を安全な場所にお願い……。」
「八重ねえ……?」
何をするか察したカムナが止める。
「やめろとけ!お前の技量じゃ、血を飲ませるだけじゃすまねえぞ!」
「それでも……!」
覚悟の決まった返事を聞き、カムナは珠の手からぴょんと飛び、髪の毛を八重の首に巻き付けてぶら下がった。
「なら、俺様も連れて行け……!」
八重が歩き出そうとしたその時、いろはが八重の腕を噛んで引っ張った。
「八重、お前の事は何でも聞いてやった……。何でもしてやった……。
だが鬼の為に、死ぬなんてのだけは許さねえ……。
正直、お前が元実と心中しそうな状況になった場合もこうして止める気でいた。」
「お母さんが死んだ後も、いろはがまるで年の離れたお兄ちゃんみたいに側に居てくれたから寂しくなかった……。死なずに生きて、色んな人に出会えた……。
いろは、今までありがとう……。」
今生の別れと言うように微笑む八重。
いろはは唸りながら彼女の腕を血が滲むまで噛んで引っ張った。
しかし八重の髪が群青色に発光していった為、鬼の力を発揮する彼女を押さえ付けられなくなっていった。
「お前だって半分流れる鬼の血を嫌って、人間として生きてきただろ!それなのに何故、今更鬼に近寄る!」
(やっぱりそうか……。今までのを見てりゃ納得がいく。)
カムナと珠は八重が半分鬼である事を知るが、あまり驚かなかった。
「俺はお前が側にいればそれでいい……。与紫乃の形見であるお前が……!」
「……ごめんね、これは絶対しないって約束だったのに。」
八重は震えた声でそう言うと、いろはから無理矢理腕を外す。流れる血。
そして彼の首の巻き毛から紫色の小さな巾着・封印の呪具を取り出し、何か唱え始める。
「玉藻狐の一族、いろは。使い魔の契約を交わした我が母・『与紫乃』の代わりに命じる……。
珠ちゃんと百之助様を守って、ここから逃げて!」
いろははその場に伏せて動けなくなる。
「八重……、貴様ぁ!育て親とも言えるこの俺にぃ、呪縛をぉ!……よぐも、よぐもぉ!
戻れ……!戻れぇ!!」
恨めしそうに牙を剥き、また泣いているように吠えるいろはを振り返らず、八重は夜光の元へ走る。彼女も涙を流していた。
周りにはいつの間にか山火事が起きていた。
煙のない黄金色の業火が木々を燃やす。
この炎は元実の長い鬣から広がっていた。
鬣が熱風に揺れて、激しくうねる炎が生み出される度、ギラギラとした雲母のような輝きが目に照り付けて来る。
緋寒は元実の巨体を残った片腕と首を使って腹で抱え上げ、背中を背後に向かって反らし、地面に叩き付けた。
頭部や頸部に自分の巨体による体重が乗った衝撃を受け、痙攣する元実。
岩肌の岩が砕け、大きな塊が溶岩となって周辺に散らばる。
変化した二人では、腕力も持久力も元実が優っている。
しかし、ここまで手数と噛み合わせる技や戦略で読みで勝ち、堅実に小さな傷や損傷を蓄積させて来たのは緋寒である。軍配は彼に上がりかけていた。
元実は薬で理性を失わなければ、策を読み勝って緋寒を捕まえ、一気に畳む事も出来たと言うのは皮肉な話である。
緋寒の赤銅色に輝く体は、硬い皮膚があちこち剥がされて生の肉が見えており、彼の血の色を吸ってより艶かしい赤を浮かび上がらせていた。
「……兄上。楽しいか?
我が子との戦いの嬉しさと比べられない程俺も楽しい。
だが、今は、我が子なのだ……!」
緋寒はいつもの不敵な笑みを止め、目を半分閉じ鋭利な眼差しを見せる。
戯れではない、殺意を向けていた。かと言って、元実への憎しみは一切無い。
己を真剣にさせてくれる困難・痛み。これが彼の喜びなのである。
一方、夜光は百之助達に迫っていた。
その間にカムナを連れた八重が立ち塞がる。
夜光は八重から発せられる鬼の匂いに反応し、彼女の方を向く。
「鬼だからじゃない……。
一緒に戦った仲間だから、助けるべき時だから、命を懸けるべき時だからそうする。
こっちよ、夜光!私の血を飲むのよ……!」
八重は夜光に喰われて死ぬ可能性があり、夜光は八重の血の飲み過ぎで呪いの中和に失敗して死ぬ可能性がある。
どちらかが死ぬかも知れない。
我が子を助ける慈母の顔か、男との心中を決めた女の顔か。いずれにせよ、しっかり前を見据える彼女の瞳には絶望でなく、揺るぎない覚悟が見られた。
群青の長い髪を熱風になびかせ、八重は大太刀を横一文字の両手持ちで構えた。
***
夜光達のいる渓谷から約3km程の場所・冠羽の村。
その街道には生き残った子供達がいた。百之助が手配した角狩衆の救助係を待っている所だった。
少し離れた場所には、横たわった冠羽と雛菊がいた。
雛菊は瞼の腫れた虚ろな目で、事切れた冠羽の体を手拭いで綺麗に拭いてやっていた。
「冠羽……、脇の下も拭くね。笑っちゃ、駄目だから、ね……。」
冠羽は死んだ。
しかしその空色の体には温もりが僅かに残っており、まだ呼べば返事するかも知れないと言う無意識の儚い期待が雛菊にそう言わせたのかも知れない。
いつも追いかけていた大好きな者の、突然過ぎる死。そして自分の家族や村を失った事。それはまだ、7歳の少女には残酷過ぎた。
急に後ろの子供達が騒めいた。
雛菊が振り返ろうとした時、大きな鬼の影が二人に落ちた。
雛菊は悲痛な顔で冠羽に被さる。やめて、と言う言葉がもう喉から出なかった。
しかし影の主はゆっくりしゃがみ込んで、首を振る。そうして敵意が無い事を主張してから、力強い腕で冠羽を横抱きにする。
「遅くなってすまなかった……。生涯に1人だけの、友よ。」
影の主は動かぬ風神に囁いた。
当然返事は返って来ないと思った。が、何かを感じ取り、影の主は自分の角を冠羽の角に交差させた。
残っていた魂の一部だろうか、角からはこんな言葉が響いてきた。嬉し涙の震えた声。
(ずっと、帰って来んの待ってたんだからな……。
久しぶりに手合わせしようぜ……雷神。今度こそ、絶対、儂がお前に勝つからな……。)
それからもう何も聞こえなくなった。影の主は震えながら冠羽の亡骸をただ強く抱き締めた。




