破業の鬼・血の巻(7/11)
暴走する夜光の元に現れたのは、人間の背丈の3倍程の大きさの大鬼だった。
四肢は緋寒より太くて力強く、動くと収縮で筋肉がより大きく膨らんで躍動するのが分かる。
二本角だが片方は根元付近から折れて無いに等しい。
変化した天鬼に見られる皮膚や角の光沢もあり、額や頭部から生える龍の角のような突起は冠のように見え、朱色の鬣は龍の尾のように長く、燃え盛る炎のように踊っている。
同じ巨体でも岳鬼とは全く違い、神獣を思わせる荘厳さがあった。
しかし、憎しみや憤怒に満ちた黄金の瞳は血走っており、地獄の大悪鬼とも言う事も出来る。
大鬼は天に向かって首を振り上げ、金属を擦ったような高音と重音の混じった声で咆哮した。
一方、八重は百之助の方を気に掛ける。
「百之助様!!返事を!
駄目だわ、動いてない……!あの大鬼に握り潰されて……!」
「落ち着け八重!
頼光殿は浄化の力を用いて奴の力を弱めて握り潰されずにいる。それに剣をテコにして指をこじ開けようとなさっている!きっと単に力が足りずそれ以上動けないんだ。」
「じゃあ生きてるのね……!」
その時、百之助が八重の声で気が付き、顔を上げた。兜は脱げて、額から血を流している。
皆、生きてて良かったと言いたげに一瞬微笑むが、今言うべき台詞を叫ぶ。
「お前達……!
今すぐ夜光と姫を連れてここから離れろ……!浄化の効果時間がそろそろ切れる、お前達を守りながらは難しい……!」
「夜光は……その……。」
八重は視線を夜光に移す。
夜光は吠えながら岩を齧って砕いたり、木に殴りかかったりして、苦しそうに踠いていた。
「夜光……!なんて事だ……!」
その時、白嶺と共に馬で百之助を追ってきた木次郎が到着する。
「やっと追い付いたぜ!
お前達、百之助、無事か!?
この変化した元実は魔除け札でも浄化の力でも、力尽くで何でも押し通しちまう!」
「元実……?!こいつが?!」
八重は思わず大太刀の柄に手を掛けた。
元実は目の前の夜光に満月のような目を向ける。
「穢ラワシイ……、歪ノ黒鬼!!!」
荒い息が混じり、音もぶれているので聞き取りにくい。
夜光は元実の咆哮に一瞬足をすくめるが、爪の立つ両手を突き出して威嚇し、飛び掛かる。恐怖に支配されたまま行うそれは愚策でしかない。
「わ……、ワァアアアッ!!」
間髪入れず、平手で叩き伏せる元実。
夜光は岩を砕きながら地面に埋まる。
「蠅メ……!!!!」
元実にとっては軽い力でも、その体躯から繰り出される平手打ちは夜光には強烈だ。
「夜光、踏み潰されるぞ!逃げろ!」
百之助は助けに行こうと元実の手の指を懸命に押すが、やはりビクともしない。
元実は足を踏み下ろそうとする。が、急に動きを止める。
夜光の側に腕を組んで立ち、彼を見上げていたのは緋寒だった。
「その愛くるしい姿を見るのは何年ぶりだろな。兄上。」
視界に緋寒が入った時、元実は瞼を全開に開き、眉間の血管を硬い皮膚ごと押し上げて痙攣させた。
「ヒ、カ、ン……!
ゴロズ!!!!ゴロ…ズゴョオォォォォォオオオオッ!!!!!」
元実はその巨体からは想像できない速さで緋寒に顔を近寄せる。
彼の興味から外れて、手から放り出される百之助。
開かれた顎。緋寒の角程ある下顎の牙。
閉じた、と思った瞬間、吹き飛ぶ緋寒の腕。
獲物を捕らえる水辺の鰐のように、一瞬の出来事だった。
酒呑童子の腕が水飛沫を上げながら川の真ん中に刺さる。衝撃でブルンとしなり、まだ僅かに指が動いている。
それを見てカムナやいろはは青ざめた。
「わっわわわっ、もげもげもげもげたっ!!
夜光でも傷付けるのに苦労したのに、童子の腕を肩ごと……!?」
一方、木の上からその様子を見ていた赤鐘。
向き合って東雲の手の小指の付け根を齧り、彼より傷の浅い彼女から血を分けて貰っている。血の主が同じ元実であるからこそ出来る輸血方法であった。
赤鐘は畏怖で胸の奥を震わせながら、それを神々しそうに眺めて微笑んでいる。
「素面で狂ってる童子も恐ろしいですが、薬で理性を忘れて破壊に勤しむ元実様はそれよりもっと素晴らしく恐ろしいです……。
赭、くれぐれも……。」
「ええ……。無事に陽光様のお顔を見る為にも、決して近寄りません。」
緋寒は痛みを感じる代わりに嬉しそうに、愛おしそうに笑った。
「ぅっ……、ふんっ……!……カッカッカッカッ!
兄上が俺を殺す気になってくれたのは大変嬉しいが、出来ればもう少し早くにして欲しかったぞ……!
よりにもよって、この日に重なるとは……。」
虎に襲われるように元実に押し倒される緋寒。
牙で喉元を守って、狙って、地を這い蹲りながら肉食獣のように殺し合いを始める。
緋寒達が争っている隙に、木次郎は百之助を白嶺に乗せて八重達のいる川の側に退避する。
「八重、状況は?!」
百之助は額の血を木次郎に拭いて貰いながら、情報交換を促す。
八重は夜光の暴走、緋寒、人鬼達の動向、三ツ葉が戻らず生死不明である事を報告した。
緋寒達に怯えて更に錯乱している夜光を、先程の話と照らし合わせながら観察する木次郎。
「緋寒の体に宿る怨念・霊魂及び鬼特有の精神力、それらをひっくるめた物−−、つまり強い妖力を取り込み過ぎて気を当てられてるみたいだな。
普通の鬼なら呪いでも何でも、元々備わっている精神力で気にならない所、夜光は半分人間で強い思念や呪いを無視する力が弱い。そこに持ってきて、呪いの塊みたいな童子の濃い血を入れたせいで、酷く取り憑かれちまってんだ。」
「呪いならば祓えますよね?」
百之助が聞く。
「……ああ。でも治すなら体中から浄化をしてやるしかない。
……しかし、夜光もそれでどんな影響を受けるかは分からん……。」
「とすると、私の……血を。」
察したように呟く八重。
横目でそれを見るいろは。
「なんだよ、血って?」
「私の血は邪なもの全てを無にかえる。クシナダの鎧の浄化の力と似たものかもね。」
八重がカムナに説明する。
「ふむ……、猛毒のようにしか聞こえんが、毒で毒を制すると言うのもあるしな。本当は心配だが俺様もいい手が思い付かん。それに八重がやるんなら信用してやるしかない。」
「木次郎殿、その濃さと量は?」
いろはが聞く。
「普通の鬼を殺すなら薄めず数滴で十分だが、童子の悪い血を中和する為となると見当もつかん……。
あの酒呑童子の変で、全開のクシナダの鎧の浄化を耐えた奴の血だ。薄めた八重の血じゃ効かない可能性もあるから、色々試していくしかない。
チビチビと、赤子のように大人しく飲んでくれりゃいんだが……。」
いろはは急に百之助の方を向く。
「頼光殿。見ての通り、もうこの隊には撤退しか道は残されておりませぬ。姫を奪還しに来る筈の人鬼が負傷してる今が機会です。
元実と酒呑童子の妖気を恐れて魑魅魍魎も動けず、木次郎殿の知恵があればこの空間の脱出も可能。
そんな中、この中の誰かを危険に晒してまで、負けたに等しい夜光を治療して連れ帰るのは得策じゃありませぬ。」
「いろは、なんて事を……!」
いろはは八重を無視して続ける。
「ここまで見てきた酒呑童子の思考を推測するに、奴は夜光との戦いを邪魔されるのを極端に嫌う。
止めを刺す前に、夜光を連れ去ろうものなら一瞬で殺されるでしょう。」
百之助はいろはを責めず、落ち着いて返す。
「……夜光を置いて行け、と言いたいんだな?」
カムナは怒りたかったが、堪えた。
(ムカつくが……、理に適ってない訳じゃねえ。コイツの事だし本音は八重を守りたいが為の理屈かも知れんが、俺様が同じ立場ならいろはと同じ風に考えなかったとは言い切れん。)
「後ろ!兄上が跳んだ!」
珠が指差す。
見ると百之助達の背後に、唸り声を上げる夜光がいた。
木次郎が百之助の前に出て抜刀する。
しかし、百之助は白嶺を操り、夜光の背後から首に組み付いた。
剣を前首に回して横一文字に両手持ちし、夜光の首をグッと絞める。
「百之助、そんな体で無茶すんな大将の癖に!」
木次郎は百之助が剣から手を離さない様、同じ風に組み付いて力を貸す。
「木次郎様、せめてこれだけは私が……!」
「馬鹿!分量を見る役も、血を出す八重も必要だろ!みんなでパーっとやれば早く終わるはずだ!」
百之助は唇を噛む。
「本当に……すまない。」
「くそっ!夜光の免罪符の契約がなければ魔除け札の類で動きを止められるのに……。かと言って免罪符の割符で夜光を一度封印したら、それを解く方が大掛かりになる……。」
「オミナ……!頼む!」
クシナダの鎧からキラキラとした粒子が漂い、夜光の体に霜のような物を張る。その場で足をすくめる夜光。
夜光の動きは遅くなったものの、腕力などの力は完全に抑えられない。
それでも百之助は、いつ飛んでくるかも分からない歯牙を恐れずに夜光に呼びかける。
「いろはの言う通り、私のすべき事は一度撤退して体勢を立て直す事なのかもしれない……。
だがやはり、私には君を切り捨てる資格はない。
私は元実をも仕留められず、このように無様を晒したまま。
角狩に入ると言ってくれた君に、都で戦っている皆に、その正義と忠義に、全て報いる事が出来ていない……。
だからせめて、君を元に戻して逃がし、酒呑童子を道連れにする……!
君に腕を食いちぎられてでも……!」
八重が手の平を小刀で切って竹筒に血を流し、川の水も少し入れて持って行く。
「百之助様!血です!」
「八重、後ろからだぞ!
少しでもマズそうな感じがしたら放り出して離れるんだ!」
木次郎が指示を出す。
夜光は頭の中に見える怨霊と息の苦しさで堪らなくなり、悲鳴のような咆哮をし、百之助達を背負い投げで地面に叩き付けた。
「離れろ!」
「夜光、駄目!」
八重を引き剥がすいろは。
竹筒が落ちて血入りの水が百之助の鎧にかかる。
百之助に牙を向ける夜光。
咄嗟に剣でなく、手の平を見せるように突き出す百之助。
その手を噛みちぎると思われた時、夜光は動きを止めた。
「……も、ものすけ?」
悪夢から覚めた後のような怯えた声。
「夜光……!私がわかるか?!」
「……暗闇で鬼達に絡まれてたら、百之助の手の匂いがして、急に、その手から血を貰った時の事を思い出したんだ……。
約束を守らないとって……。」
百之助は少し泣きそうな顔になって夜光の肩を抱き寄せる。
「覚えててくれたのか……。
お帰り……、夜光。」
夜光は幼子のように目を潤ませる。
「俺にお帰りって、言ってくれるのか?
ありが……ーー。」
その時、夜光は腕に何か突っ張る感覚を感じた。
腕は一人でに動いた。
何が起きてるか理解した時、もう遅かった。
夜光の視界に、百之助の首に向かう自分の爪と、百之助の笑顔が曇っていくのが見えた。
頭の中で鬼達の声が木霊する。
(憎き人間、頼光!!鬼の世を闇に堕とし続ける悪!
素っ首、ぶっこ抜いてヤルっっっ!!!)
粘着質の音。夜光は手に生暖かさと、肋骨を砕く感触を感じた。




