破業の鬼・血の巻(6/11)
黒い鬼となった夜光は、歯を剥き出しにして酷く興奮したように笑い狂っている。いつもは閉じ気味の瞼を眼球が飛び出しそうな程開いているので別人に見える。
対する緋寒は無表情で黙って様子を伺っているのみである。
自分の顎をボリボリと掻く。
「何だぁよぉー、さっきみたいに余裕ブッこいて笑えよー?
それとも笑う余裕が無くなっちまったのか……よっっっ!!!!!」
夜光は急に走り出した。と、思った時には緋寒の間合いに入っていた。
土煙と地面が砕ける音は後から聞こえた。
急に嵐のように拳や脚で打ち合い、爪や角の刺突を弾き合い、火花を散らす。硬い皮膚同士がぶつかって鍔迫り合いのような高い衝撃音が間髪入れず連続で響く。
よく見ると、合間に夜光が攻撃や防御の引っ掛け(フェイント)として手足に関節技をかける手前までいくが、緋寒がそれを辛うじて外していた。
緋寒はここに来てようやく皮膚を抉られ、あちこちを出血させられる。出血した部分は熱で水分を失ってかさぶたのようになっていた。
二人の爪や角は鬼術を使わなくとも炉のように赤くなっていた。短時間に起きた摩擦熱によるものであった。
二人は一度離れて熱を冷ます。角の付け根の肉が焼け焦げて煙が出てきたからだ。
「成る程、俺の技なら……楽しいはずだ……。」
緋寒の性格なら夜光が逆転する事は嬉しくて笑うはずだが、少し微笑んでるだけであった。余裕が無くなったのではなく、何か思う所がある様子だ。
夜光の逆転とも言える猛攻は、カムナ達をも驚かせた。
彼らは珠を横抱きにして逃げる赤鐘を追っている。
夜光達の発した熱で皆汗ばんでいる。
「は、速え!見えねえ!
しかもあの童子と互角に組み合ってるぞ!
これも童子の血を飲んだからなのか!」
喜ぶカムナだが、いろはは不安そうに異論を唱える。
「だがよ。夜光の奴、涎垂らして目の焦点が明後日の方向を向いてねえか……!?」
熱冷ましが終わり、まず始めに動いたのは緋寒。
一秒たりとも遅れず並走する夜光。
緋寒は背中こそ見せなかったが、夜光と距離を取ろうと最小限の動きで後ろ跳びを繰り返す。
流石に夜光の鋭い飛び掛かりや、カマキリの鎌より速い突きには対処せざるを得なかった。
「クソオヤジ、今更殺されるのが怖くなったかぁ〜?」
夜光はゲラゲラと笑う。普段の彼に似つかわしくない態度だった。
爪や蹴りによる鎌鼬を起こしながら、周りの崖や木の上、渓流などをに右往左往に跳び回る両者。
緋寒がある場所へ跳ぶ。そこは森の入り口だった。
そこには珠を抱きかかえ、八重といろはを振り切って逃げて来た赤鐘がいた。丁度、木に跳ぶ所であった。
赤鐘は背中に嫌な気配を感じて振り返るより先に、東雲に念を送る。
元実と言う同じ主人を持った人鬼故に二人は意思疎通が可能である。
(東雲!)
(既にいる!)
東雲はいろはの尻尾による叩きつけを蹴り返して振り切り、鬼に変化して跳ぶ。
「童子、姫を援護する。貴様の遊びには興味ない。」
念の為そう警告し、緋寒の後ろにいる赤鐘及び珠の盾になろうと、向き合う緋寒と夜光の横を俊足ですり抜ける。
しかし通り抜けたと思った時、東雲は口から血を吐いた。
夜光が背中に膝蹴りを喰らわしたのだ。
緋寒を両腕で牽制しながら、更に殺気を殺して足を伸ばしたのである。
「っぁ!!」
「東雲!」
夜光は上手くいったと、嬉しそうに笑っていた。
「おっと!赤いのが見えたからつい当てちまったぜ〜!
……死ね、ゴミ……。」
そう言って、急に薄目の無表情になって跳ぶ。
丁度、緋寒が防御の為に立てた両腕の拳を踏み台にしていた。
そのまま側転するように体を回転させて空を切る。
踵が赤鐘の背中を大きく、爪が緋寒の髪を小さく切り裂く。
赤鐘は咄嗟に背中だけ皮膚を硬化させていたのだが、パックリと切り傷が出来て血飛沫を上げた。
「あ、兄上……!どうしちゃったの?」
珠は夜光らしからぬ冷酷な振る舞いに震えた。
赤鐘は傷を庇うことなく、その端麗な顔を鬼の形相にして苦痛を耐え、珠を放り投げた。
それを丁度接近して来た八重が受け止める。
唖然として振り返りながら、そのままいろはに乗って走り去る。
「取り返すべき貴方が巻き込まれて死んでは元も子もない……。
癪ですが……一先ずそちらにお行きなさい……。
私達の側より安全です。今は……。」
赤鐘は意味あり気に微笑み、背後に迫る夜光の追撃を逃れる為に森の影に飛び込む。そして突然フッと消えた。
「赤鐘……!わらわを守って防御出来なかったせいで……!」
珠は赤鐘の身を案じて八重と一緒に彼がいた方を振り返った。
今自分が人間の側についている立場とはいえ、何度か世話を焼いて貰った馴染みのある者が傷付くのを平気でいられなかった。
八重は心配そうに、笑い狂って緋寒に喰らい付く夜光を見た。
「あの人鬼が皮膚を硬化させなかったら、夜光の爪が体を貫いて珠ちゃんにも当たってたかもしれない……!
いろはの言う通り、今の夜光は、注意力が鈍って敵味方も関係ないんじゃ……。」
その頃、夜光は背中から緋寒に組み付いていた。彼の肩に牙を突き刺して齧り付き、また血を啜る。
背後を取られたらそれなりの対応が出来る筈の緋寒だったが、彼は敢えて何もしなかった。
息子が飢えた獣のように唸って貪っているのを、少し困ったように微笑んで見守る。
「楽しいのは良いが、我が子よ……。」
「命乞いか?でも遅い。
今度はお前から奪ってやる、全部……!」
「構わんが、お前はこれ以上『耐えきれる』のか……?」
「……?」
夜光が再び緋寒の血を飲んだ時、始めの時にもあった目眩と耳鳴りが更に強くなった。
(クソッ……、またこの呻き声と叫び声だ!さっきより数が多くてうるさくて頭が割れそうだ……!!)
カムナや緋寒の声が聞こえなくなる程の雑音が夜光の頭にガンガンと響く。
無数の獣の何かを痛がる声。無数の人間と鬼の泣く声、怒声、狂乱じみた笑い声、ブツブツを繰り返される誰かへの呪詛。
(呪ッテヤル……!)
(魂トッテヤル……!)
(コロシテヤル!)
それらが混ざり合って混沌と化している。
夜光は耳を塞ぎ、地面に転げ落ちて踠き苦しむ。
耳元にはこんな声も聞こえた。
(赤鬼を滅ぼす魔物め……!お前と出会わなければ、一族はこんな事には!)
(ぐそうううううぅ!俺はお前に負けたんじゃ無い!
お前の父親、童子の力だ!
返せ!返せよぉ!!!!俺の命ぃ!!!!!)
(人間の味方をし、私の可愛い子供達を殺し続け、最愛である関緋様の子供 <元実>にまで手を出そうとする……。
あの時、もっと上手く……!もっと上手く……!
鬼の母という異名にかけてお前を殺しておけば!!!
歪の子っ!!!)
「うるせえっ……!すっこんでろっっっ!!!!!」
夜光は半ば泡を吹きながら叫ぶ。
激しい頭痛がして、周りの光の眩しさに目を閉じる。
その時、瞼の裏に血管の影がはっきりと見えた。
脈々と流れる血潮は、よく見ると幾億もの小さな粒々だった。
そして、更にその中にあったのは、全て生き物の顔だった。
その暗い眼は全て夜光を見ていた。
「わああああああああ!!!!!」
夜光は叫んで目を開けた。
しかし、目の前にあった景色は先程まで戦っていた渓谷ではなく、真っ暗闇だった。
暗闇に浮かぶのは赤黒く、ぬめっている何かと、獣・人間・鬼などの無数の死体。その怨念のこもった顔から発せられる、星の数ほどある眼光。
「お前達は、誰だ……!?」
夜光は動こうとするが、足や腕の異様な重みのせいで動けなかった。
(ヒヒヒヒ……忘れたとわぁ、言わせん……!)
夜光は声の聞こえた足元を見る。
しがみ付いていたのは三匹の鬼の死体。
一匹は炭のように焦げて骨だけ残った鬼。
もう一匹は皮膚が焼け爛れ、角の折れた巨体の鬼。
そして最後は体や内臓がバラバラになって散らばった、白髪の女の鬼。
よく見ると、それは紫檀、富路、白妙だった。
夜光が前に倒した鬼達だった。
一方、カムナ達は絶叫してのたうち回る夜光の様子に狼狽えていた。
「夜光!どうした!?
何をされた?!」
夜光が何を見て苦しんでいるのか、カムナ達にはさっぱり分からなかった。妖怪であるカムナにもいろはにも感じ取れなかった。
緋寒は夜光に聞かせるように、何も無いように見える場所を指差す。
「この辺にいるのは人間で馬鹿力の槍使い。そっちで自分の足を噛んで悔しがっているのは地震で断層を自由に操れる土鬼。そして今俺の足元に這ってきて羽入りの吐瀉物を吹っ掛けてきたのはええっと……、嵐でも速く飛べる空鬼だったかな?
奴らは奴らの血肉を貰った俺と、その俺の血を飲んだお前にしか見えない。
そして、お前が血肉を貰った奴らの魂はお前にしか見えない。」
緋寒は夜光を見下ろす。
「沢山の魂に絡まれて驚いているようだな。
だが、感情が複雑な生き物を殺して勝ち残り、糧にするとはそう言うことだ。
疲れた時には夜な夜な頭の中で喚いて鬱陶しい時もあるが、慣れれば少し下手な子守唄と変わらん。
その様子では知らなかったようだな。」
「……ガッグルルルッ!」
夜光は獣の声で咆哮し、急に地面や岩に頭を打ち付け始めた。
そしてあろう事か、自分の血糊が付いた岩をいろはに向かって投げつける。
いろはは辛うじて岩を避ける。
胴には当たらなかったが、尻尾に当たって苦痛で顔を歪めた。
「っっっ!
おい馬鹿!!八重が乗ってんだぞ、ふざけてるのか?!」
「夜光落ち着いて!珠ちゃんに当たってたかも知れない!」
「どうした!俺達がわからねえか?!」
夜光は八重とカムナの声にも耳を貸さず、角や爪を振り回して辺りの物を攻撃した。
亡者の声の圧力に耐えかね、正気を失ったのだ。
「我が子よ……。そう壊れてしまっては、もう殺してやる事しかできんではないか。
それは特に残念な……、ん?」
緋寒は急に言うのをやめて、素早く近くの崖の上に跳んだ。
「な、なんだ!?
急に逃げやがって……!」
「いや!何か、ヤバいもんが来る!!
それも童子並みに!」
いろはが耳を立てて、音の方角とは反対方向へ向かって走る。
地面が何度も揺れ、遠くに轟音が聞こえる。
それは間も無く近寄ってきた。
掻き分けられる草のように、一気に薙ぎ倒される森の木々。
濃い土煙を巻き上げながら、緋寒より重くて巨大な何かが着地する。
龍の尾のような朱色の長い鬣を持った大鬼の影。
そして、鬼の手に握られていたのは、氷の甲冑。
意識の無い百之助だった。




