破業の鬼・血の巻(3/11)
緋寒は地面に顔と腹を押し付けられていた。
夜光に全部の四肢を後ろに引っ張られ、固められている。
肩や股関節からミシミシと嫌な音がする。
しかし、変化した状態より劣る人間形態であっても、緋寒の鍛え上げられた肉体は頑丈である。普通の人間相手ならば夜光が力を入れれば四肢を全部引っこ抜けるが、彼相手ならば破壊するには骨が折れる。
緋寒は楽しそうに笑っていた。痛みの中、泥の中、歯を見せ、大声を漏らさないように必死で口を閉じながら。
瞬きをしない、瞳孔の細くなった黄金の瞳。時々夜光の方を振り返る。
「んくくっ、あっ、あははっ、ぃひっ……!
ひっ!ひっ!」
夜光はそんな彼の不気味な笑い声に身の毛がよだち、思わず力を弱めそうになるが、折角捕まえた強敵だと思って集中し直す。
(焼き殺すにも、潰すにも時間がかかる……。どっちも変化する時間を与えるって事だ。
だからまず、先に首……!)
夜光はグワッと口を開ける。
鋭い牙を首の肉に突き刺し、肉にかぶり付いて骨を折ろうとする。
その時、夜光の口内に何かが刺さった。
彼の下顎の歯茎や舌に、尖がったものが刺さる。
緋寒が思い切り首を後ろに振って、額の角の内一本を突き刺したのである。
口から血を吐きながら声を上げ、顔を緋寒から遠ざける夜光。
「ぁあっっっ?!はっふはっ!!」
その僅かな隙は緋寒が脱出するには十分だった。
固められた四肢を広げて外す。
(しまった!逃げられる!)
逃さぬ、と組みつこうとした夜光。しかし、その焦りが仇となる。
「兄上、駄目!
父上に正面から組み合っちゃ……!」
緋寒は夜光の腕を掴んで素早く背後に回り、今度は逆に夜光の四肢を自分の四肢で固めて動けなくした。
四肢を後ろに引っ張られ、均衡を崩して地面に突っ伏す夜光。
「夜光!!
チクショウ……!!あと一息だったのにやり返された!」
悔しがるカムナ。
変化した夜光の力でも振りほどけない程、ガッチリと組み付く緋寒。
「っぁああああっ!」
関節が軋み、悲鳴を上げる夜光。
腕は自然ではない方向に拗られて肘が曲げられず、腿は緋寒の足が両足それぞれに絡んでいるせいで立ち姿勢になれなかった。
緋寒は諭すように低く囁く。
「お前が一番恐れたのは俺が変化する事。
我々は変化する時、息を吐くと共に火種とも言える気を放って炎を纏わす仕組み。それ故にまず吐くために息を吸わねばならない。
だから先に気道のある首を潰そうと狙った。だろう?」
「夜光、火だ!鬼火で焼いちまえ!」
カムナが提案するが、いろはが首を振る。
「無駄だ!奴も鬼火を身体に纏わせて相殺出来る……!余計な体力を使うだけだ!」
八重も見兼ねて叫ぶ。
「夜光、落ち着いて考えるのよ!今まで使った力の中で何か利用出来るものがあるはずよ!」
夜光は痛みの中、必死に頭を働かせる。
(この状況で使えるもの……!
腕は変な方に捻れて力が入らなくて、斧が出せない……。
手足を使わなくていいものなんて……!
っ!!
……ある!)
「おい。こんなものじゃないだろう、我が子?
……単純な力比べには劣っても、それを打破出来る力がお前にはあるはず。」
緋寒は夜光の背中に口を近づけ、骨に響かせるように囁く。
「余裕そうに気持ち悪い事してんじゃねえ……!」
夜光は振り向いて睨みつける。
その時、緋寒の首に何かが絡んだ。
背骨のような質感と形であり、鞭のような何か。
それは夜光の仙骨のあたりから尾のように生えていた。
血を流させながら緋寒の首に食い込む鞭。
緋寒は笑い顔のまま泡と涎を垂れ流し、力を緩める。
夜光はその隙を逃さず、腕の捻りを戻して束縛を外す。
そして緋寒の首を鞭で締めたまま彼を背負い、投げ倒す。
更に緋寒の両足を引っ掴んで、回転して振り回す。
巨体が周り、唸る風。
十数回の後、夜光は鞭を外し、遠心力が働く方向へ緋寒を離す。
崖の方へ吹っ飛ばされる緋寒。
「まだあるぞっ!!」
夜光はすかさず助走を付けて、踏み込み、腕を大きく振りかぶる。
青い炎の渦を描きながら、閃光の如く瞬く槍。
鞭を仙骨から外し、真っ直ぐな骨の槍に変えたものである。
「あれは、射貫の血を飲んで覚えた槍!」
カムナは叫んだ。
緋寒は自分に向けられた槍先よりも、夜光の姿を瞳に収める。
(良い……。
徹底的にやってやると言うその殺意……。その目だ……。)
体と交差する槍。
炎の渦に飲まれ、緋寒の姿は見えなくなった。
炎が遥か遠くまで通過した後、崖下から高く水飛沫が上がる。
その後、辺りには激流の音だけが響いた。
「……やったのか?」
気味の悪い呆気なさに、半信半疑なカムナ。
しかし、珠は冷や汗をかきながら、彼が消えた崖の方を見つめている。
「父上は兄上だけを見つめていた……。
目の前の槍なんかに危機感を感じてない……。つまり……!」
珠が言い切る前に、突然周りが日没時のように薄暗くなる。
茜色に染まった空にあったのは、黄金の輪。
通常、日食で太陽を隠すのは月だ。だが、この異様な空間で太陽を隠しているのは別の何かであった。
珠はそれを見上げ、不安そうにカムナを抱いて八重の腕にすがり付く。
「太陽が……闇に食われた。」
森や地上は緑を失って、大きな黒い影の領域となる。
そして影からは無数の亡者の手が伸び、ムカデや蜘蛛などの虫の妖怪が湧き、森の奥の闇から無数の魑魅魍魎達が現れる。
その魑魅魍魎達に道を塞がれた鬼が1匹。
紅鳶だった。虎のような姿のままである。
「追いついたと思ったら!おっぱじまってるぅぅ?!」
苛立って蹴飛ばして無理矢理押し通ろうとする紅鳶。魑魅魍魎達はその足に噛み付く。
「イテぇっ!噛むなこの貧弱低脳妖怪どもぉっ!
俺は人鬼から天鬼に大出世した紅鳶様だぞぉコラあぁ?!」
八重は近寄る妖怪達に警戒し、大太刀を抜く。
しかし、魑魅魍魎達は一定の距離まで近寄ると、その場で止まって静かになった。
「何が起こってるの……?まだ昼なのに急にこんなに!」
唸り声を上げて、追い払ういろは。
「分からん!ただ、日の光が異様に弱まって夜みたいになった事で、夜活動する妖怪が出てきたのは確かだ!
……急に濃くなった妖気が何らかの作用を起こして現世の均衡を歪め、太陽を覆い隠したって言うのか?!」
珠は角を抑えながら、具合が悪そうな顔をしている。
「こいつらは、屍を食おうと狙って来たのじゃ……!
多分、父上が倒した兄上の屍を……!」
いろはがゾッとしたように全身の毛を逆立てる。
「来るっ!!」
「何てやつ……!」
夜光は骨の槍で体力を使った為、息を整えてる最中だった。
青ざめた夜光の目の前ー。崖下の激流がボンヤリと赤く光った。
その瞬間、背景の景色が見えない程の、濃く、おびただしい量の水蒸気が上がる。
逆流して流れが乱れたかと思うと、一瞬で川が干上がった。
踊るようにうごめく水蒸気が、内側から朱色に染まる。中にこの微弱な日の光の中でもそれを強く反射する物があると言う事だ。
線から菱形に変化しながら浮かぶ黄金。生き物の片目ー。
晴れる水蒸気。
中にいたのは、朱色に輝く妖美で立派な鬼だった。
川の地面に刺さった骨の槍に、身体を艶めかしく絡ませて立っている。
体は熊より大きく、幹の様な硬い皮膚に覆われた筋肉は人間の武芸者よりも力強く、銅より鮮やかで、そして強い光沢がある。
炉のような輝きを放つ髪は獅子の鬣のように猛々しく、瞳は虎目石のような幻想的な輝きを放ち、二本の立派な角は太刀のように長く、太さがあった。
(変化した酒呑童子……。
俺は前から知っている……!この姿だけは……!)
幼少の頃の記憶が夜光の頭の中をよぎる。
母の腕から飛び出した時に見えた、無数の魑魅魍魎。それに混じって堂々と立つ妖美な化け物。
緋寒は槍を手に、ほのかに発光する髪をなびかせ跳ぶ。
そして岩場に着地し、そのまま仁王立ちとなる。
風と地面からの衝撃が夜光の胸の奥を震わせた。




