破業の鬼・血の巻(1/11)
森を抜けた先にある二瀬渓谷の上流。
高い崖から豪快に水を落として轟く大滝のある、開けた岩場。
その岩場から離れた場所にある茂みに潜む赤鐘。
潜むと言っても、手を袖に入れて腕を組んで突っ立っているので本気で隠れている訳ではない。
側には負傷して人間形態に戻った赭もいる。
その背後に、音を立てずに走り寄って止まる東雲。
「赭、まだ生きていたか。」
無感情に血塗れの赭を見下ろす。
赭は少し誇らしげに微笑んでいる。
「こう見えて、囮の任は果たした……。生き恥ではない。」
「相手は角狩とはいえ、珍しくてこずりましたねぇ。東雲。」
赤鐘は顔を前方に向けたまま、にこやかに言う。
「後で罰は受ける。
それより、童子の方は始まってるようだな?」
「ええ。
双方なかなか動きません。
童子の事なので、こっちが勝手に邪魔すると機嫌悪くなるでしょうし、仕方ないので待機です。」
一方、赤鐘の遥か向かい側にある森の入り口には九尾がいる。
いろはと、それに乗った八重と珠、抱き抱えられているカムナだ。
いろはは追っ手に警戒しながら、その場を小さくウロウロと回る。
「頼光殿から夜光を回収と命じられたが……、クソっ……。」
いろはの首を撫でて落ち着かせる八重。
「妖気で近寄れないのね……?」
「……ああ。暫く様子を見るしかない……。」
(あれが、夜光のお父さん……!
百之助様の指令書の説明から考えれば、これが初めての親子の再会になるのね。
でも、それがこんな戦場で、敵同士だなんて……。)
「兄上……、父上……。」
珠は不安そうに兄と父を見守り、カムナは不機嫌そうに緋寒を睨んで小さく唸るばかりだった。
(どんな化け物かと思ったが……、アホっぽい顔が夜光に似てやがる。
だがあのヘラヘラした顔が隠してる、薄気味悪さとじわじわと来る底知れない覇気だけは、天鬼との戦いが子供の遊びだった思える程に不味い……。)
赤鐘といろは達の遥か前方ー。
開けた岩場の中央付近に変化前の鬼が二人。
朱色の髪をなびかせた、背の高い天鬼。
そして、クセのある黒髪に、角の小さな少年鬼。
「どうした、我が子よ……。震える程、嬉しいか?」
緋寒は不敵な笑みを浮かべたまま、一歩一歩近寄る。
普段冷ややかな色を感じさせる黄金の瞳が、夜光に焦がれているようにも感じられた。
夜光は戸惑ったまま、一歩一歩下がって警戒する。
伝えたい事が自ずと口から溢れる。
「行った先、俺がいる事で色んな人間が傷付いた。
それで俺のせいだと石を投げる奴もいた。
反対に俺に居ていいと言ってくれた人間もいた……。
でも、どっちも酷い目にあって、死ぬ事もあった……。
俺自身もそれが、悲しかった……。
こんな事ばかりだから人間とは居られないんだって薄々思っていた。
昔は俺が半分鬼だって知らなかったから……。
でも、鬼は鬼で戦いばかりだった……。
毎日、殺されそうになってどうにか生きてきた……!
仲良く出来る鬼と会っても、すぐに会えなくなった……!」
緋寒は少し興奮気味に目を見開く。
「鬼達が毎日お前が死にそうになるまで襲い、殺そうした……?
だがお前はそこから生き残り、富路や白妙などの強い天鬼を殺せるまでに成長した。
良いではないか。
俺はとても誇らしい……。」
「良い……?!」
信じられないと言うように身体を震わせて、自分の父親を凝視する。
夜光は父と目を合わせ、叫ぶ。
「俺があんたの子で……俺が嫌いじゃないなら、何故、……側にいてくれなかった!!」
「ふむ……?
何故、側にいなければならない?」
「彷徨ってた途中、よく人間の親子を見かけた!母親が子供の世話をして、抱きしめて……、父親は大きな背中におぶってくれて、子供を危険から守ってた……!
親は笑って子供の側にいてくれるものじゃ無いのか⁉」
夜光は放浪していた幼少の頃に見た人間の親子や、名付け親の僧侶、冠羽の村の人間の親子や、祭りで遊びに来た青鬼の親子を思い浮かべた。
緋寒は不思議そうに首を傾げる。
「育てるのはそんなに重要な事か?
獣や魚や虫を観察した事がないのか?親などいなくとも己の力で生き延びて成熟する者もいる。
子を育てる種が全てとは思わん。
それに、人間も育てずに子を投げ捨てるし、極限の飢餓となれば本能のまま自分の子を食おうとする。
もっともお前には俺の血が流れている、俺が側にいてぬるま湯の環境を作ってしまったのではその優れた血は宝の持ち腐れとなり、その潜在能力は開花しなかっただろう。
俺はお前に強くなって欲しかったのだ。俺を含む赤鬼の一族を殺す為に……。」
「何故そんなに戦いたい?!戦って誰かが死ぬと悲しみしかない!」
「そうか?俺は最高に楽しい……。
自分を殺そうとする強い獲物を倒した時は、とても嬉しく晴々するはず。お前は、そうじゃないのか?」
「!!」
夜光は富路や紫檀を殺した時に一瞬だけ感じた高揚感を思い出してしまった。
自分を弱いと見下した者の体を破壊し、勝った時の嬉しさ。その己の姿を想像してゾッとした。
「それじゃ何故、俺を人間の女に産ませた……。」
「一人で満足に戦えぬ弱い個体ばかりになった同族が嫌いだったのでな。
滅ぼしたくなったのだ。
同じ鬼ならば、利用されたり、同じぬるま湯に入れられる可能性があったので、別の種の血が欲しかった。
そこにお前の母が現れたと言う訳だ。」
「あんたが分からない……!何故そんな考えになるのか、全部意味が分からない!
同じ血が流れているのに!」
夜光は頭を抱えて首を振る。
彼が見てきた人間の考えでは通用せず、同族を殺すと言ってる所から鬼の考え方とも少し違う為、混乱するしかなかった。
一方、緋寒はそんな夜光の感情などまるで理解してないかのように、怠そうに腕を組んで首を傾げる。
「我が子よ、問答しに来たのではないぞ?俺を殺しに来て欲しいのだ。
だが我が子は人間の情に染まりすぎてしまったようだ。
人の情は時として脅威に化ける故にそれも悪くないのだが、それよりも闘志の無いお前と戦っても面白くない。
そうだな、どう言えば本気になるだろうか。」
緋寒は暫く考え、夜光に妖しく微笑みかける。
「少しお前の母について話してやろう……。
俺が人間の娘を妻にした本当の理由。それは、無い。
そこにたまたまいた。それだけだ。」
「……は?」
緋寒はつまらなそうに髪いじりをしながら、無感情に語る。
「弱そうな人間の女ならば正直誰でも良かった。
愛なく犯され、泣いていたなぁ。
罠にかかった水鳥のような醜い声を上げて踠いていた……。それが鬱陶しくてな、何度もそのか細い首を絞めてやった。
お前を産んだ後?
お前が何処かへ去って行くのを追おうとしていた。多分、お前を大事に育てようと考えたのだろう。……余計な事。」
緋寒は大層可笑しそうに笑いながら、果実を潰すように手を強張らせて素早く握る。
「だから、殺してやった。」
「……え?」
目の前が真っ白になる夜光。
緋寒の笑い顔と、冷ややかな眼光だけが焼き付く。
夜光にとって、己の母の記憶は少ない。
ただ一つ、幼い時に自分を何かから庇って血を流しながらも微笑みかけてくれた事-、その思い出だけが、彼に残された唯一の母の温もりだった。
ほんのひと時しか共にいられなかったとしても、彼女が一瞬でも彼に与えた慈しみの記憶は、微睡みの中で何度も彼が知らずの内に彼の心を温めて来た。
それがもう既に無いと聞いて、夜光は震えと共に溢れた涙を頬に流した。
「……ど、うして、……どうしてっ!!」
緋寒の話を聞いて、夜光だけでなく周りの者達も騒めく。
カムナは眼窩の炎を弱めて沈黙する。
(酒呑童子、やべえ化け物の言う事だ。人間じゃあるまいし、特別酷いだなんて騒がねえさ……。
だがよ、だがよ、半分人間の夜光は、人の情がある以上、そんな事でよぉ、一々傷付かにゃいけねえ……!憐れだよ……クソッ!)
一方、カムナを抱いてる珠は悲しみに暮れていなかった。
悲しみに染まらず、真剣に自分の中にある緋寒の記憶を掘り起こしていた。
(嘘だ。父上は嘘をついている……!
前に正妻は兄上の母上一人だって自分で言っていた……!
滅多に真剣な顔でそんな事言わない父上が、兄上とその母上だけにはあんな顔したんだ。間違いない……。
それに赤鐘が前に言ってた!兄上の母上が身籠った時、人間や赤鐘にバレないように精のつくもの獲って来たり、大切にしてたって。それに父上が後で殺したなんて聞いた事ない!
わざと悪口や作り話を言ってるんだ……!多分、兄上を怒らせる為だけに……!)
珠はいろはの上で立ち上がって叫ぶ。
「兄上!!違うよ!
父上は本当は……!」
しかしその時、緋寒がカッと目を見開き、珠を睨んだ。
黄金の瞳で射殺さんとする。笑みが完全に消えていた。
「俺と我が子の間に入るな……。」
いつもの妖しく怠そうな話し方ではない、はっきりとした口調。
いつでも鬼術を放って殺せると言う気迫に押し潰され、珠は舌が動かせなくなった。
そして、子供や女、それも自分の娘だろうと関係ない、自分の父が完全な殺意を向けた事ー、それを悟って涙を流す。
「ち、ち……ぅ、ぇ。兄上とっ、戦わないでっ……!」
緋寒は黙って目線を夜光に戻した。
夜光はその様子を見て、我に返る。
そして押し寄せた悲しみが一気に怒りへと変わり、拳を握りしめて叫んだ。
「なんだ……、それ……!
珠だってお前の子供なんだろ?!俺より近くにいたはずなのに、何故そんな言い方をする!」
夜光は涙を拭いた。
「少しでも……、本当は何か理由があって、本当は話せる奴かも知れないと思った俺が馬鹿だった……。
もう、親なんて思わない……!俺は、ここでお前を倒す……!
母親を苦しめてを生まれてしまった事を、お前が作った悲しみの償いをする……!」
夜光は遣る瀬無さを振り切って再び黒い鬼に変化する。
青い炎の火の粉がいつまでも残り、髪が熱風で揺らめいていた。
「その気になったか、わが子よ。
思う存分、やろうぞ……!」
緋寒は狂おしく、妖しく、愛おしそうに囁いた。
<おまけ・緋寒>




