酒呑童子の変(6/6)
冷気や粉雪のような白銀の輝きに包まれた霧の中。
無調整の浄化の力は動くもの全てを無差別に分解する。こうなっては誰も入れない。
緋寒の体は霜のような物で覆われる。
薄くなる朱色。
波綱に一太刀浴びせられる度、硬化した皮膚が削れ、砂金のように流れる。
鬼や妖、人間が不浄と呼ぶ存在はこの中では1分足らずで粒子と変わる。
緋寒はその中でさえも、痛みや息苦しさを愛しみ、拳を振るい、角を振りかざす。
この世を去る前の老い人のように、穏やかに笑っていた。
「酒呑童子、お前は何故ここに来た……?」
「お前のような人間と殺し合う為だ……!」
「憐れな鬼よ……。
長い抗争の果て、鬼の中でもお前のような突き詰めた存在を作り出したのは、我々だろうか?」
波綱は鋭い斬撃を続けたまま、遣る瀬無い表情をする。
目は殆ど見えてない。だが、一時たりとも緋寒の瞳から視線を外さなかった。
緋寒は一瞬だけ驚いたように目を見開く。
「そんな事言うのはお前が初めてだ。
だが、因果だとか、一族の恨みだとか、そんなものはどうでもいい。
『頼光』ならば、強き鬼を、俺を泣かしてくれ……!」
「そうか。
ならば私は、先に逝った仲間達の為に、守るべき若い命の為に、お前を倒して散るのみだ……!」
巨大な氷柱のようになりかけた緋寒。
しかし、軋む身体を無理矢理動かし、その太刀のような角を炉の色に変える。浄化の粒子が熱と合わさって角を冷やしてしまうが、その冷えを上回る勢いで高音に上げる。
余りの熱さに、角の生え際や額の皮膚の隙間から煙が上がる。緋寒自身の肉まで焼いているのだった。
「アアアアアアアッ!!!!!!ヨリミツッ!!!コイッッッ!!!!!」
それを見据え、波綱は刺突の体勢、霞の構えを取った。
スサノオの剣の刀身に埋め込まれた芯から刃に向かって雷のような光が拡散する。相手を分解して切り裂く力だ。
激突する両者。
拮抗する剣と角。
世界を白く変える程の閃光。
吹雪の中のような視界と、朦朧とする意識の中。
目に光が無くなりつつある緋寒。
波綱の小手を抑えて腕を脇で固めてるが、体の感覚が無くなり始める。
段々と力が入らなくなる。波綱が彼を力で押し返せそうだった。
しかし緋寒は満ち足りていた。
(全部を使い果たした人間に、全部を使い果たして終わる……。
それも悪く無い。
だが、何か満足しない。)
緋寒の脳裏にとある子鬼の姿が浮かぶ。
クセのある黒髪と、片目だけの鬼の目、小さな角。
彼の人間の妻・しきみを守ろうと、闇夜の空に跳び、緋寒に向かって鬼火を放つ。
生まれたばかりの息子・夜光。
(そうか……。我が子……。
俺は、まだ、……戦いたい!!!!!!)
緋寒の瞳にスサノオの剣先が迫る。
切先に抗う鋭さで彼の瞳孔が細くなる。
***
後宮から外に向かう百之助達。
「さあ、義正様。こちらに馬が……。」
(っ?!)
その時、百之助は妙な悪寒を感じた。
「みんな伏せて!」
そう言って義正に覆い被さろうとした矢先、塀が崩れて義正は下敷きになる。
義正は腹に風穴を空け、白目向いて絶命した。
「そういえば兄上から言われてたな……。
その二人の首を持ち帰れって。
一人はそいつ、もう一人は……?」
緋寒が塀の上でフラりと立ち上がるのが見えた。
凍り付く百之助。
一方、丁度百之助の目の前に転がっている波綱。
甲冑のあちこちが割れて血が流れても尚、震える手足を立たせ、まだ戦おうとする。
(くそう!また鬼に全員殺されるのか?!父上や家族を殺されたみたいに!波綱様も帝も!)
「波綱様!帝とお逃げください!
私が時間を稼ぎます!!」
百之助は帝を背に、決死で朱刀を手に叫ぶ。
緋寒の肩が僅かに動いた気がした。
心を見透かすような黄金の瞳がギョロッと動き、目が合う。
百之助は目の前が真っ白になった。
死を覚悟した瞬間、視界に血の花が咲く。
しかし、自分のものではない。
百之助の前にあったのは波綱の背中だった。
波綱の腹に鎧ごと貫通した緋寒の腕。
波綱はそれが深く刺さるのをためらう事なく、呻きながら身を近付ける。
ボタボタと落ちる鮮血。
「ぁあああああっ!!」
波綱は剣を振り上げ、血を吐きながら、吠えた。
惜しかった。
波綱は見えずとも、緋寒を腰から肩へ両断出来ただろう。
しかし緋寒の回避能力が一枚上手だったのだ。
身を後ろに反らす緋寒。
しかし、狙いを外したものの刃は緋寒の片目を引き裂く。
緋寒は片目から光が失われるのを感じ、悶える代わりに、大口を開けて笑い狂う。
将軍の死体を掴み、急いで後ろに下がる。
その場に倒れ込む波綱。
何が起こったか分からず立ちすくむ百之助。
「波綱……様?」
緋寒は屋根に上がり、月を背に手を艶めかしく差し伸べる。
「俺は兄上の約束を守れそうにない。よって、今回はお前の勝ちだ、頼光。
いつかまたいつか……。
息子が俺を殺すのが先か、貴様らが先か、楽しみにしてるぞ!」
その言葉を最後に、屋根の上を嵐のように駆けて瞬く間に去って行った。
緋寒が去った後、百之助は波綱に駆け寄る。息がしやすくなるように頭の位置を調節する。
血溜まりが出来る程の出血と止まりかけの弱い息。
「波綱様!何故!?」
百之助は震えながら叫ぶ。悔しさで、目から涙が落ちる。
「お前が私を庇い死に、私が生き延びる時では無いと悟ったのだ……。帝と若いお前達の為にこの老体を捨てるべきだと。
お前は並の戦士として死んで良い存在では無い……。
帝を支える武家に生まれた理由を知るのだ……。
そして他者を責めず、己を責めるその愛おしむべき甘さを持った訳も……。
全てはなるべくして定められている……。」
そして、肉を丸ごとえぐられた腹を抑えながら、険しい顔をほころばせて笑う。翁面のような穏やかな目。
「それに、浄化の力を限界まで使った私はどの道、ここで果てる運命だった。
だからもう泣くな百之助……。次代の……源頼光よ。
帝を……頼んだ。」
波綱は百之助の手に剣の柄を握らせ、ゆっくりと目を閉じた。
「何を、言ってるのですか!私が、私なんかが、貴方みたいになれる訳ないじゃないですかっ……!!!!」
百之助はスサノオの剣を抱えて、波綱に呼びかける。
しかし、波綱は目を開かない。
白い髪や肌が粒子となりサラサラと落ちて砂になる。その上に鎧の残骸と骨が落ちた。
身体の透けた貫頭衣の少女が舞い降り、悲しげにその骨を抱く。
クシナダの鎧に宿る、太古の巫女の魂・オミナだ。
(オミナ、今から彼が君の新しい夫だ……。今までありがとう。)
体の透けた波綱が、オミナの前に現れる。
『ううん。
頑張ったね、波綱。……お休み。』
オミナが波綱の頭を抱くと、波綱は彼女の頬を撫でて消えた。
「波綱様っ、波綱様ーっ!!」
託された剣を胸に泣き叫ぶ百之助。
そこへ宮比に介抱された木次郎がやって来る。
頭から酷く出血している。宮比も片目に血で真っ赤になった布を巻いていた。二人で門からどうにか這ってきたのだった。
「……遅かったか!」
木次郎はその場に正座して首を垂れた。
「波綱の大将っ!!」
南門の結界修復と、入って来た妖の処理で遅れて到着した射貫。
彼もその光景を見て絶句する。
苛立ちで長槍を投げ捨てる。
「くっそ、逆らってでも俺も行くべきだった……!」
そこへ冕冠(玉すだれの飾りがついた冠)を被り、裾の長い赤紫の直衣を纏った少年がやって来る。
帝と思われていた少年の横に立つ。二人は瓜二つだった。
「波綱……。
何故、心から全てを許せる者程、先に逝ってしまうのだろう。」
「帝……?」
百之助は涙に濡れた顔を向けた。
「君達が守っていたその子は私の替え玉だ……。
万が一に備え、本物の私が地下の晶洞に隠れているのを悟られぬようにする為の策だったのだ。波綱の案だ……。」
「……結局、酒呑童子は私を殺さずに帰ってしまいましたが。」
帝の替え玉は申し訳無さそうに俯く。
帝は百之助の隣でしゃがむ。
「君の抱えているスサノオの剣、そして君の背後に憑いた『晶洞の巫女・オミナ』、それを見て理解した。
君が、新たな『頼光』だと……。」
「駄目です!私に務めるまるわけ……。」
百之助は首を振る。
「生前、波綱は君の働きぶりをよく私に話してくれた。
人への気遣いが出来き、心が和む穏やかさで、とても真面目で誠実、逆境に立ち向かう勇気も備わっている。
そして息子のように思える存在だとも……。」
盃を酌み交わした時の、父親のような温かい笑みを思い出す。
百之助は更に守れなかった悔しさが募り、床に伏せて嗚咽した。
射貫も百之助の横にしゃがみ込み、片腕で背中を抱いてやった。
「生き残ったのは俺達しかいない。
ここに来るまでに生きてる奴を探した……。同期の奴も分隊長も全員駄目だった……。
それでも鬼の脅威は無くならない。
それでも、ここにいる全員で、今日大将達を守れなかった罪を背負って戦う。
だから立て、モモ、いや百之助……!」
見下ろす帝達。
百之助は暫く黙った後、唇をキュっと噛んで立ち上がる。
そして、剣を両手で持ち、帝に向かって掲げる。
「頼光の、……いや、波綱様の責を、意志を、願いを、受け継ぎます……!」
帝は黙って頷く。
木次郎も一礼した。堅物の顔が崩れ、涙を流す。
「ありがとう……、百之助。
お前達の若い力が願いを果たした姿を向こうにいる隠岐に見せてやれるよう、俺も罪滅ぼしをやろう……。」
「木次郎様……。」
百之助は転がっていたクシナダの鎧の兜を拾った。
(波綱様。角狩衆をきっと立て直して見せます……。
その時にはお墓の前で本当のお酒で盃を酌み交わしましょう……。)
***
大江曽山。大江曽城。
丸石の地下牢。
浄化の力を抜き取る為の汚れた血と蛆だらけの死体の入った石の水槽がある。そこに浸からされているのは緋寒だ。人型に戻っている。
鉄鎖で体を巻かれている。片目は完全に白く濁り、失明していた。
その格子の外には実に愉快そうな表情の元実。
「で、将軍の首は持って帰れたが、帝の首は出来なかったと?」
皮肉交じりの言葉。
「帝はあの場所にいなかった。兄上が教えてくれた『匂い』がしなかった。」
緋寒は変わらず不敵な笑いをしてるが、肺を傷めてるのか、やや声が掠れている。
「まあ良い。
約束を守れなかった上に、その様で帰ってきたお前を存分に虐げて笑う楽しみが増えただけだ。償いに何をさせてやろうか、じっくり考えるとしよう。」
元実はそう言って、上機嫌で去って行く。
緋寒は一人呟く。
「我が子よ。お前が生まれてから、毎日が驚きと恥辱の連続だ。
だが、お前が生き残って強く成長するまでの暇つぶしとしては、……悪くない。」
彼の笑い顔は、真顔になった。
彼が本当に嬉しい時の表情であった。
酒呑童子の変・完
『隠岐 波綱』
・6代目の頼光。
武家貴族の出身であり、戦いも、指揮も、交渉も得意。
先代の酒呑童子を退けた実績や、魔物退治の実績があっても、意外と地位は低い。それどころか神仏の力を借りてる以上、人を殺す戦の役には立てず、公家達からは昼行灯呼ばわりされていた。
冷静沈着で厳しい顔や無表情が多いが本当は優しい。
病気と役柄で子供を持てないので従者である百之助を息子のように思う。
クシナダの鎧の浄化の力のせいで、年々身体が悪くなっていたが、仕事では心配させまいと気丈に振る舞っている。
白内障、甲状腺異常(橋本病に酷似)、体重減少、骨粗鬆症、虚血症、生殖器の不全などの病気をいくつも患っていた。
鬼退治が無い日は訓練と情報収集、投薬治療。
百之助と囲碁をするのが唯一の息抜きだった。
『大賀 三成』
6代目・渡辺綱
波綱の古い友人。
弦の硬い長弓を操れる剛腕の持ち主。長弓だけで鬼の硬い皮膚を撃ち抜く事が出来る。
性格は誠実で、真面目。
声が大きく、よく周りに注意されて凹む。
『漁火 日吉丸』
6代目・碓井貞光。
美女を放っておけない好色男。
紳士的で色男だが、諜報を得意とする隊の者だけあって食えない部分がある。
小太刀の二刀流使い。
愛弟子で20近く年が離れた宮比に「諜報の為の訓練」だと称して体の関係を持たせていたが、結局本気で惚れてしまい最後の最後で求婚する事になる。
『熊切 金平』
6代目・坂田金時。
戦闘狂で男勝りの大女。男顔負けの筋肉質な体の持ち主。
楽しくなると武器を捨てて素手で格闘してしまう悪い癖がある。
その割に鉞の事を「旦那の緑青」と言って可愛がっている。
緑青は死んだ幼馴染の鍛治師の名で、鉞はその男の作品だったという噂がある。
『葦賀 義正』
葦賀家8代目将軍。
将軍でありながら、文化人。能や物語が好きで、凝った比喩などを口にする。
頼光四天王の新しい物語を執筆して能の演目にする夢があった。
政治や戦の腕前は並。
人間同士の権力争いによる内乱を止めようとしていたが、人望が足りず鎮圧できないまま、酒呑童子の変で死亡。
『白嶺・6代目』
頼光の称号を持つ者だけが乗る事を許されている白馬。
浄化の影響を受けにくいと言われている。
元は寺社などに奉納されていた神馬。足腰や賢さが優れた個体を選び抜き、鬼退治の為の調教を受けさせる。
死んだ場合、再び探して育成するのにかなりのコストもかかる為、ここぞと言う所でしか乗る事が出来ない。




