酒呑童子の変(1/6)
都から北へ向かう山道。
そこを移動する集団がいる。
朱天鬼の長・元実の誘いにより交渉場所に向かっている、夜光・百之助達だ。
百之助の前方を歩く、クセのある黒髪の少年鬼・夜光。
普段は気怠そうな表情の彼だが、今は違った。
背筋を伸ばし、しっかりと顔を上げて前だけを見据えて進む。
人らしい魂や情熱が宿った、情のある人の顔をしてると言うべきだろうか。
彼は先程、大切な恩師であり、数少ない友とも呼べる存在を失った。それも同じ鬼だ。
青鬼の風神・冠羽。
それがこの表情の所以だ。
夜光は口を開く。
「……百之助。酒呑童子が……、俺の親父が冠羽をあんな目に合わせたなら、奴と戦わないといけない……。」
百之助の隣の馬に乗っている夜光の妹・珠が顔を上げる。
父と兄が戦うと聞いて不安そうな表情になる。
夜光の隣の貞光隊員・三ツ葉も彼を横目で見る。無表情だが長い前髪の隙間から鋭い眼光が僅かに見える。
「都の五暁院にいた時、射貫に酒呑童子について聞いたら『酒呑童子の変』っていうのを教えてくれた。でも内容は木次郎か百之助に聞けって。
だから今の内に教えてくれ。少しでも奴の戦い方を知っておきたい。」
百之助は少し沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「戦い……か。あれはそう呼べるんだろうか。」
百之助は冷たい氷のような兜の下で目を細める。
「いいよ。話してあげよう。
これが私から『隠岐様』への贖罪になるのであれば。あの時生き残ってしまった罪のね。」
***
時は今から17年前。
夜光が人間の母を介してこの世に生まれ出た、その数ヵ月後の事。
夕刻。都の南端にある羅城門。
その塀の屋根の上には具足で武装し長弓を構えた弓兵達が隙間無く並んでいる。
門内も家屋の屋根や路上にも武装した兵達が待ち構える。
兵達はその門から遥か北にある内裏までずらりと配置されている。
屋根に1000、地上に1000はいると思われる。
また所々篝火が一定間隔で設置されていた。
魔除けの為に、特別に譲り受けた神樹で作った炭を燃料にした篝火である。
彼らは任務である以上、真面目な態度を取ってはいるが、何かに疑いを持っているような様子であった。
(敵は1体だって?それにこんな大袈裟な数の兵がいるのか?)
(いくら鬼とは言え……。角狩衆だっているんだから……。)
(いくら酒呑童子と言えど、その名が付く鬼は昔から必ず倒されて来たんだ。人間の手によって……!
物語にもそう記されている!)
(((だから今度だって……!)))
そして所変わって東の門。
金属片付きの黒い装束・角狩衆の通常装備を持った若者が何やら騒いでいる。
真っ直ぐで芯のある髪を結い、長槍を持った青年だ。
「おいおい!何で俺をこんな所に配置しやがる!
どう見ても激戦地になるのは南だ!人手が必要なのはあっちだろうが!
俺も行かせろ!近衛兵で鬼一匹を五人がかりを、俺なら一人で何匹もやれる!」
17年前の射貫である。
この時はまだ角狩衆に正式に配属されたばかりの新人であった。
その射貫を、都の門兵が取り押さえる。
「落ち着けや、この若造!
こっち側はこっち側で鬼や妖怪に詳しい人間がお前しかいないんだ!万が一の為に居てもらわにゃ困るんだよ!
それに、これは頼光・隠岐様の命令だ!」
所変わって、帝のいる内裏の正面口。
こちらも念入りに魔除けの篝火が設置されている。
殿の隅。人気のない場所に男女二人組がいる。
一人は黒い装束を纏った壮年の優男。顔立ちが整っており、女子が好みそうな男だ。
彼は先代の貞光隊の長だ。
名は『漁火 日吉丸』と言う。
日吉丸は女の顎を優しく摘んで自分の顔に向けさせる。
「本当は今日の戦いにお前を参加させたくなかった。
お前も愛弟子として長く私といるが、器量と美しさでお前に敵う者は他にいないと確信している。
だから、この戦いを最後にしてどうか正式な妻となって欲しい。
宮比。」
女は巻き毛を横で纏めた妖艶な若い女だった。
これから戦いの時だというのに薄い着物を纏い、胸元を緩く着崩している。
17年前の宮比である。
この頃はまだ両目があったようだ。
「勿体無きお言葉。しかし、それは難しいですわ。
私は、鬼を惑わし、その身を委ねる役を任されている穢れた身。
日吉丸様の高貴な体には見合いませぬ。」
宮比は微笑みながら日吉丸の手を両手で艶かしく握り、優しく突き放した。
そして色香を放ちながら、彼の脇を通り抜けて持ち場に移動し始める。
「戦う身ならいつどうなってもおかしくないのだ!今回は真面目に聞きたまえ、宮比!」
日吉丸は焦ったように彼女を追い掛ける。
そして、そのやり取りを内裏の門から見ている二人組がいた。
こちらは大柄な壮年の男と、大柄で筋骨隆々の女だった。
大柄な男は黒い装束の片方の袖だけを抜いて着物をはだけさせている。その剥き出しの腕はがっしりとしている。もう片方の手に持っている弓を扱うには十分すぎる筋肉量だ。
彼は先代の綱隊の隊長・『大賀 三成』である。
「全く!大事な戦の前だというに、けしからん!」
三成は怪訝そうに言い放つ。声が大きく、ハキハキしている。
「だよな。戦前に求婚たあ、藁みてえにヒョロヒョロした日吉丸らしい。」
相槌を打つ大柄な女。
背は標準な成人男性よりも高い三成と、ほぼ同じである。
顔中にボロボロの包帯を巻き、畳のような大きな鉞を軽々と担いでおり、裸の上半身のサラシを巻いた乳房が無ければ大男と勘違いするだろう。
彼女は先代の金時隊の隊長・『熊切 金平』だ。
「それに伴侶なんてよ、まず自分の得物がいるじゃねえか。
なあ、緑青。アタシの旦那はお前だけだ。」
金平は自分の鉞に深く接吻した。口吸いの音までたてている。
それを見て、またそれか、と引き気味の三成。
「い、いや……!
毎度の事だがその理屈はやっぱりおかしい……!」
その三成と金平のいる場所から遥か地下。
そこには帝や限られた者しか入れない晶洞がある。五暁院の中庭にある八角形の墳墓の地下から行ける場所だ。
その中階層には岩を削って作ったと思われる水槽があった。
その前では床几に座った壮年の男がいる。
束ねた髪と肌は雪のように白く、遠目から見ると初老の老婆にも見える。
切れ長の目はやや白く濁り、病人のような気怠さがあるが、その険しい表情と目付きは魔を寄せ付けぬ鋭さがあった。
彼は追儺面で顔を隠した作業員の手を借りて甲冑を着ている最中だった。
その氷のような優美な甲冑は角狩の長だけが着用を許されている『クシナダの鎧』だった。
彼が先代の源頼光・隠岐 波綱である。
近くでは同じ角狩の青年が控えている。
仏のように柔らかな顔付きでありながら、目に力強さのある青年。
17年前の百之助である。
「百之助、怖いか?」
静かに語りかける波綱。
はっと我に返る百之助。緊張しているのか、少し手が震えている。
「少し……。
ですが、正式に配属されて大分経ちます。
隠岐様のお供を命ぜられた時から、帝と貴方の盾になる覚悟は出来ております。」
主の前だと気持ちを切り替え、ハキハキと答える。
「盾……か。」
波綱は何か思う所があったのか、少し沈黙する。
「時に、百之助。
豊心丹をくれないか?」
「はい!いつもの気付薬ですね。」
百之助は側に用意してあった薬入りの包紙を手渡す。
波綱は目が悪いのか百之助の手に顔を近付け、よく確認しながら受け取る。
百之助は波綱が飲んだ頃合を見計らって、盃に水を注いで手渡す。
波綱は水を飲み干すと、盃を百之助に渡す。
「もう一杯頼む。」
百之助はまた水を注ぎ、それを渡そうとする。
しかし、波綱は受け取らない。
「すまんが、それを酒だと思ってやってくれないか?」
「え?は、はい。」
百之助は戸惑いながら、杯の水を飲み干す。
「美味に御座います。」
百之助の言葉に、波綱は白く濁りかけた目を細めて微笑む。険しい表情が翁面のように柔らかくなる。
「……きっと、自分の息子と酒を酌み交わすのは、きっとこの様な感じなのだな。」
笑い混じりの穏やかな声。
しかし、きょとんとしている百之助を見て、申し訳無さそうに目を閉じた。
「……すまん。クシナダの浄化の力の影響で子を成せない体故、この様な戯れにお前を付き合わせてしまった。」
「隠岐様……。
恐れ多くも、大変嬉しゅう御座います……!」
百之助は10歳の頃に父親を亡くしている。
だからこそ、尊敬している波綱に息子のように感じて貰えた事を嬉しく感じた。
鎧の準備が整い、波綱は立ち上がる。
「そろそろ時間だ。
行こう。」
内裏の内部入り口から入って直ぐの場所。
帝の近衛兵達が戦いの備えて待機している。皆、直垂と袴、手甲・脛当てなどの基本的な軽装備の上に、金属片を縫い付けた変わった掛鎧を纏っていた。
具足が主流である今時には古風なこの掛鎧。普段儀式的な事にしか使われず、重さと光沢で目立つ点から、人間の戦には向かない代物である。
しかし、今回は必要とされている。相手が人間ではない故にだ。
近衛兵が入り口を塞ぐように横並びに配置に就いているその背後。
統率者らしき男と波綱が話をしている。
大将用の装飾の多い甲冑を纏った男。鎧と口髭は立派だが、やや小柄で正直あまり凄みは無い。
この後に始まる乱世前までこの天下を統治していた将軍・『葦賀 義正』である。
「たった数刻で近隣の関所を血の海にして突破……。
未だに信じられん……。
それも1匹の鬼に……。いや、鬼ですらないのでは?
酒呑童子の関緋は数年前にお前が退けたばかり……。
それにここまでの牙があるようにも思えなかったが……。」
将軍は床几に腰掛け、髭を触りながら溜息をつく。
「いいえ。鬼で、酒呑童子で間違いありません。
世代交代をしてる可能性はありますが。」
静かに答える、波綱。
入り口から見える宵の明星を見据えながら波綱は続ける。
「鬼も生き物です。
人と同じく突き進み、種の高みを目指して成長し続ける……。
違う点は、人間は集合体の成長、鬼は個の力の成長です。」
「自分は前線で戦っているから分かると?
兎に角、鬼なら倒せるのだな。それなら安心だ。
倒せず鎮めるしか出来なんだ将門公の怨霊なんかより遥かにましだ。
任せたぞ角狩の長。」
将軍は内裏前の門に向かう波綱を見送る。
波綱が向かった門には既に、四天王達が配置に就いていた。
その中から狩衣姿の初老の男が一歩前に出る。
当時の卜部隊の隊長であり、17年前の浅葱 木次郎である。
「結界は?」
「何とかありったけの魔除け札と坊主や禰宜、掻き集めたぜ。
設置も間に合わせた。
それと、クシナダ用の『冷神酒』だが今下から組み上げて運んでる最中だ。もう荷台がそこまで来ている。」
「流石だな。
短時間でご苦労だった、木次郎。」
「礼は終わったらでいいぜ。
出来れば……、そいつは使って欲しくないしな。」
クシナダの鎧は退魔の鎧だ。鬼や悪意のある妖が放つ強い気迫・妖気を細かく散らす浄化の力がある。
しかし、この浄化の力というのは人間ばかりに都合の良いものではない。生きとし生ける者ならば、邪な面は必ず存在し、この力はそれらを無差別に散らして全て祓ってしまう。
つまり着用者の体にも負担がかかるのだ。
現に、太古の巫女の霊の力添えによって軽減されてるものの、波綱は長年の着用により身体中が病に冒されていた。濁った目もその影響の一つである。
そして『冷神酒』はそんな浄化の力を倍増する水である。
木次郎が使って欲しくないと言った理由はそのせいだった。
「それはこれから来る、『奴』次第だ……。」
波綱は淡々と答える。
百之助は手が冷汗まみれになるのを感じた。
夜光の誕生の際に現れた、銅色に輝く妖美な化け物を思い浮かべて、心臓を握られた感覚に陥る。
(酒呑童子……。
数ヶ月前に見たあの、赤子の鬼の父親……!
あの化け物の前では、周りにいた魑魅魍魎や、四天王の木次郎様ですら震えて動けなかった……。そして私も……。
あんな奴を、倒せるのか……?)




