烈風の鬼・前編(6/7)
燃える森。八重と紅鳶が始めに戦った場所。
火の粉が舞い、視界を奪う白煙が立ち込め、あっという間にその領域を広げていく。
為す術もなく森が燃え尽きる。かのように思われた。
急に灰色の雲が空を覆い、日が陰る。
雫が一滴と、雨の匂いが風に乗ってやって来る。
と、思った瞬間、激しい突風が森を吹き抜ける。
木の枝がしなり、弱い木の葉は全て吹き飛ぶ。それが止むと、今度は水をひっくり返したかのような土砂降りの雨になる。
しかし、その雨も数分で止み、何事も無かったかのように太陽が顔を出す。
その荒々しい天候の変化によって火は完全に消えていた。
「……ったく、こんな何もない場所で山火事起こしゃーがって。
鬼神様はこの通りお怒りだぜ?」
変声期を終えたばかりの少年の声。
その声の主は木の上にいる人型の何かだった。太い枝の上で足を広げて寝そべっている。
***
煙の立ち込める森の中を馬が全力疾走する。
そこには八重と珠が乗っている。
八重は珠を庇うように膝の間に座らせている。肩に峰を担ぐようにして大太刀を片手持ちし、険しい顔で後ろを振り返る。
後ろからは鬼形態に変化した紅鳶が追いかけて来る。
体長は人間の3倍近くあり、筋骨隆々な四肢と虎のような体毛があった。
丈夫な四肢が力強く地面を蹴り、森の木を薙ぎ倒しながら跳躍する。
「やっぱり駄目だよ!八重ねえ!
相手がアイツじゃ!」
珠が叫ぶ。
「大丈夫、絶対助ける……!」
八重は穏やかな声で囁く。
今度は怒りではなく、守りたいという闘志が彼女の瞳と髪を発光させる。
(都のいろは達の援助も直ぐには期待出来ない。鷹で文を送る間もない。)
そうこうしている間に、馬は深い谷に差し掛かる。
断崖絶壁に縄の吊り橋がかかっているのが見える。
「いい、珠ちゃん?
この先の山道を道なりに。後はこの子が都の五暁院まで連れて行ってくれるわ。」
八重はそう珠に手綱を握らせると、馬から跳び下りる。
「八重ねえ?!」
吊り橋の入り口で、八重は迫る紅鳶を見据えて構える。
そして、馬が吊り橋を渡り終わるのを横目で見届けると、縄を斬って橋を落とした。
珠は後ろを振り返る。
八重と紅鳶の姿は森の茂みに隠され、既に見えなくなっていた。
(八重ねえ、怪我してるのに……!
いくら強くても死んじゃうよお……!)
珠は手綱をギュッと握った。
しかし、嘆いたのも束の間。
耳に、鼻に、背筋に、角と角の間に、「何か」を感じ取る。
(この感じは……!)
珠は馬を別の経路に走らせる。
森を抜け、開けた場所に出る。
日に反射してキラキラと輝く水面。
その河原の岩場に佇む、クセ毛で黒髪の少年鬼。
二人の鬼に、他の余計な情報は入らない。
珠はその少年の栗色と黄金の左右非対称な瞳の色を、少年は珠の瞳だけを見つめた。
「お前、鬼か?」
夜光は閉じ気味の瞼を少しだけ開き、静かに構える。
「て、何だガキじゃねえか。とっとと穴にでも帰んな。ぺっ!」
カムナが舌を出して挑発する。
珠は夜光から視線を外さず馬から降りる。
「……微かだけど、父上の、酒呑童子の匂い!
お主が、わらわの『兄上』……?」
「酒呑童子……!おいガキ、何故それを?!
それに、あ、『兄』だあ?すると、おめえ……んぐもっ!」
夜光はカムナの口を塞ぎ、言葉を遮る。
「俺は、お前なんて知らない……。」
「今は、それでもいい!力を貸して欲しいのじゃ!
兄上は強いって父上が言ってた……!」
「……俺は人間しか助けない。」
ずっと睨み付ける夜光。珠は嘆願する。
「お願い、八重ねえを助けて!!怪我をしてて、人鬼と戦ってるの!」
夜光はその名前に反応し、態度を改める。
「……八重?
そいつ、髪が長くて、デカい刀を持っているか?」
「う、うん!知ってるの?!」
「何処にいる……?!」
「この川のずっと上流!」
夜光は直ぐに黒い鬼に変化した。
光沢のある黒い体が輝き、雲のような銀の髪が揺らめく。
カムナは白い髪を肩に巻いて携帯する。
(黒いし、他の変化した鬼より小さい。
でも、照りがあって綺麗……。)
珠はその姿に暫し見惚れていたが、我に返る。
「八重ねえが心配なの、わらわも連れてって!」
「おいおい、ガキのお守りなんて……、んもげっ!」
夜光はまたカムナの口を塞ぐ。
「じっとしてるならいい。捕まってろ……。」
夜光は珠を小脇に抱える。
そして、川の水面に出ている岩肌を蹴って、どんどん上流に登る。
(これが兄上……。父上と匂いが似ている。)
珠は夜光の顔を盗み見る。
夜光もまた、脇腹から伝わる珠の温もりに思いを巡らせた。
(兄だの妹だのよく分からないが……、こいつの言うことが本当なら、俺の親父の事を聞き出せるかもしれない。)
***
緑の草から赤黒い血の雫が落ちる。
辺りの草叢には血が撒き散らされ、鉄のような匂いを放っていた。
「お前の血は『死ねる程美味い』って実証済みだからなぁ。
先に手足を全部捥いで血抜きしてから楽しませて貰う。」
その血痕は近くの木に続いている。
その木に手を押し付けているのは紅鳶で、その手によって首を含む胴を握られているのは八重だった。
荒い息をしており、体中が傷だらけだった。
大太刀は手に握られたままであるが、腕や肩が上がらないようだ。出血の影響で体が思うように動かないらしい。
それでも、黄金に発光した瞳に宿る闘志は消えない。
しかし、その闘志がどれだけ大きな力になろうとも、時間稼ぎの為に人鬼を長期戦に持ち込むのは無謀過ぎた。
「その間に珠姫様を回収っと……。ついでに手も洗わないとなぁ。」
(大分離れたが追えない距離ではない。
それに、微かに嗅いだことの無い鬼の匂いもする。風下ならもっと良く分かるんだが……。
元実様がお嫌いな『アレ』の可能性も捨てきれん……。急がねば。)
「じゃ、サクッとぶっこ抜かせて貰うぞぉ。」
紅鳶は八重の両肩を持って抱き上げ、左右に引っ張り始めた。
「ぁああああっ……!」
八重は叫び、大太刀を落とす。
「おいおい、儂の山で女の子に悪戯とは頂けねえな?」
背後から声がした。変声期を終えたばかりの少年の声だった。
「!?」
紅鳶は八重をほっぽり出して構え直す。
(何故匂いがしなかった?!何故気配が無かった?!)
しかし、誰もいない。
紅鳶は頭に違和感を感じた。
頭に何者かが乗っている。
その瞬間、紅鳶はある事を悟った。
「当ててやろうか。何で匂いがしなかったのか知りてえんだろ?」
声の主は足を揃えて腕を組み、堂々と立っている。自分の身体より大きな紅鳶の上に。
「簡単さ。風を操って匂いが流れないようにしたんだ。空から急いで来たから気配もしなかったろ?」
紅鳶は動こうとしたが、出来なかった。
(厚い空気の壁が頭を圧迫してくる!?体が動かん!いやそれより息が……!)
紅鳶の体は何か重い物に潰されて行くかのように地面に埋まってゆく。紅鳶には自分の首や背や足の骨が軋む音が聞こえ、濃度が高い空気の毒で意識が遠退いていくのを感じ、戦慄した。
(クソッ!クソッ!!出世しても物足りなかった人間の生活を辞めて鬼になってみたら、面白い位に俺の思い通りに仕事が進んでよぉ!
天鬼の駄目主を手懐けながら出世街道の真っ最中だったのによぉ!
いきなりこんな死に方して終わりかよぉ!)
「悪ぃな。赤鬼は基本皆殺しなんだわ。
あばよ。」
少年の声の人物は剽軽な口調を少し強張らせ、真面目そうな声で最後の言葉を贈る。
(ハハ……最後の残業だ!
モツやクソの混じった俺の血反吐で書いた主人への『謝罪文と報告書』!
あの鬼モドキのクソ雌女、童子が産ませた疫病神の雌ガキ、そして『こいつ』について!
俺の怨念と共に飛んで行きやがれ!チキショウ!ハハハハッ!ハハ……。)
紅鳶の意識はそこで途絶えた。
空気の壁で全身の骨が折れ、圧縮されて小さくなった鬼の屍があるのみだった。
「さてと……。」
少年の声の人物は、血だらけで倒れている八重に近寄る。
八重は途切れそうな意識をどうにか集中させ、目を開く。
そこに立っていたのは細身の鬼だった。
背丈は変化した夜光よりも少し高い。
鬼らしい光沢のある筋骨隆々の体に、禍々しい突起や鋭い爪・牙・角がありながら、顔は何処か子供のような愛嬌が感じられた。
肩からは風袋のような半透明の膜を垂らし、舞姫の衣のように揺らめかせている。
そして何よりも目立つのは、晴天の空のように青い体色だった。
「青……鬼?」
八重はやっとの思いで呟き、失神する。
「お、綺麗な子じゃーん?傷が治ったらお酌して貰っちゃおうかなーんっ!」
青い鬼は八重の顔に近付いてじっくり見る。
下心丸出しの、非常にワクワクした様子である。
「……!」
しかし、彼は急に黙り込んだ。
黄金の目がわずかに潤んでいる。
「兄上、あそこだよ!あの壊れた橋!」
「おいおい、気安く兄貴って呼ぶんじゃねえよ。まだ、お前を信用した訳じゃねえぞ。」
指差して叫ぶ珠。夜光の代わりにカムナが嫌そうに答える。
(なんだ……、天鬼と戦った時みたいに肌にピリピリ来る!)
夜光は跳ぶようにして川から崖を登って行く。
頂上。
先に珠を地面に下ろして立ち上がる。
「や、八重ねえ……!」
始めに珠が叫ぶ。
「離れてろ!」
夜光は珠を庇って構える。
夜光の視線の先。
青い鬼が血塗れの八重を横抱きで抱えていた。
「お前がやったのか……?!」
夜光はいつもより低い声を出す。
雲のような銀の髪が揺らめく。
「今日は客が多いな。
止めとけよ。儂は負けを知らねえんだ。特に鬼にはな。」
青鬼は不敵にそう言い放った。
『紅鳶べにとび』
・天鬼の鹿和津が従えている人鬼の一人。朱天鬼の中で一眼置かれている。
赤鬼の中で名の知れた追跡者であり、単純な駆ける速度は酒呑童子の見張り役である東雲にはやや劣るが、身体能力や経験の豊富さから索敵能力が高く、また追跡者の考えを読み取る洞察力もある。
出世欲が強い。身分が良くても現場が上手く動かせない鹿和津の人鬼になった理由は、出世の為に扱いやすいと思ったから。
人間時代は上忍の忍びだったが、仕事の汚さやスリルの面でまだ物足りないと感じ、鬼の道に手を染める。




