烈風の鬼・前編(3/7)
いろはが九尾の狐の姿になった事件の翌日。
八重は夜明けと共に目を覚ます。
顔を洗い、いつもより丁寧に髪を梳かし、身だしなみに気を使う。
服は迷った末、いつもの任務の時に着ている装束に袖を通し、その上に旅用の長い外套を羽織って露出を抑えた。
愛刀である大太刀を専用の紐に掛けて背負う。
大人の武芸者が背負っても長いその太刀は、八重が背負うともっと長く感じる。
八重は、同室のいろはをチラッと見る。
いろはは手触りの良さそうな毛皮を膨らませながら、丸くなって寝息を立てている。まだ九尾の狐の姿のままである。
「……行って来ます。」
八重は起こさないように小声でそう言うと、どこかへ出掛けて行った。
五暁院専用の馬屋から借りた馬を駆り、都の郊外から山沿いに向かう。
街道や谷川で休憩を何回か挟んで数刻後。昼より少し前くらいに目的地に到着する。
都から遠くに見ることの出来る山。その奥に開けた土地があった。
壊れかけの廃屋や、背の高い雑草だらけですっかり荒れてしまっている田畑など、人の住んでいた形跡がある。小さな農村があった事が伺える。
八重は馬に礼を言いながら降る。
「ちょっと待ってて。直ぐに戻って来るから。」
八重は近くに咲いている花を探して摘みながら、更にその奥へと進む。
摘んだのは女郎花、萩、撫子、藤袴、ススキ、桔梗、葛など控えめで美しい秋の草花だった。
やがて、古く大きな桜の木のある場所に辿り着く。
大人が手を回しても足りないくらいの太さで、幹には苔が生えている。
八重は作ったばかりの花束を抱え、その木を見上げる。
安心したように息を漏らし、懐かしい物を見るかのように優しく微笑む。その瞳は僅かに震えている。
複雑にうねって絡んだ桜の根。その根元には丸い石が置かれている。石は何処かから持って来て置いた物らしく、あまり風化していない。
八重はしゃがみ込み、花束を丸い石の側に供える。
「ちょっと早咲きだけど……。」
微笑みながら語りかける。
淀みのように深く、潤いのある瞳で石にまだ何か言いたげに見下ろす。
そして重そうに瞼を閉じ、両手を合わせた。
少なくとも5分はそうしていただろうか。
途中で風が吹き、長い髪が大きくなびいて乱れたが、彼女はただ静かにそうしていた。
それからまた暫くしてー。
虚ろであり、穏やかでもある表情で、目を開く。
今度は背中の大太刀を下ろして両手で石の前に差し出して置き、桜の木の根に座った。
「静か……。いろはやあの子、角狩の人達、みんなと居ないとこんなに静かだったんだ……。」
そうぽつりと呟くと、木の幹に頬と肩を預け目を閉じる。
その表情は、太い幹から温かさや愛おしさを感じているかのようだった。
ーその八重の脳裏に映るもの。
風に揺れる自分の髪と横に回り続ける視界。一緒に動く桜吹雪。
そして、一回転する毎に見える人物。その人物の楽しそうな表情。紙の上を滑る筆先。墨で描かれた髪の長い少女。その上にはらはらと落ちる薄紅の花弁。
その光景を何度も頭の中で繰り返し、やがて目の端から涙を一筋頬に伝わせる。
その刺激に感化され、温もりを求めるように木の幹に頬をすり寄せ、手を添えた。
だが、その彼女だけの空間を乱すものがあった。
「やぁだぁー!いーやーじゃあああー!!
はーなーせえぇ!」
「……子供の声?」
側の森の奥から聞こえる。
八重は直ぐに大太刀を手に取って、身を低くしながら静かに走り出した。
***
声がした場所では、体格が良く人相の悪い男が、童女を無理矢理抱き上げて大人しくさせようとしていた。
男は黒い麻の小袖と股引の軽装に面頬という、忍のような格好をしていた。また、額には一本の角がある。恐らく人鬼だ。
「さあぁ、追いかけっこは終わりですよ。
早く城へ帰りましょう。」
人鬼は低くしゃがれた声で言う。笑っているが、目の色は冷ややかで笑ってなどいなかった。
「わらわには、やるべき事がある!まだ帰らぬー!」
童女は手足をバタつかせて暴れるが、人鬼はビクともしない。
童女は6歳位で、頭から膝下を覆う白い外套に身を包んでいる。
外套の下には煌びやかな錦模様の着物が見える。同じく隠れた髪は、雪のような白銀の髪に一部淡い朱色を滲ませたような不思議な色合いだった。
彼女は朱天鬼の姫・珠だ。父親は酒呑童子である。
ある目的で家臣の目を盗んで大江曽城から抜け出し、ここまで来たのだった。
「流石。妖術に秀でた『薄紅天鬼』の血を半分引いてるお方だけある。
見たどの生き物にも化けられるとは。
それに頭も悪くない。真っ先に『鷹』に化けて行方をくらましたと言うのは悪くない判断でしたな。
鬼は五感が鋭く、足も速い。並の獣に化けては直ぐに追い付かれてしまうし、隠れても匂いや気配で見つかってしまう。
しかし、我々の索敵能力を超える範囲である遥か上空ならば、簡単に足がつかない。仮に居場所が分かったとしても、その飛ぶ速さでは直ぐに追い付けないでしょう。
そう、『俺』以外の鬼ならばね。」
人鬼は自慢げな顔を、目の前に寄せる。
「うむむ、よりにもよって紅鳶に捕まるなど……!」
珠は悔しそうに唇を嚙み、めげずに抵抗する。
この紅鳶は、人鬼の身でありながら赤鬼の中で名の知れた追跡者であった。
単純な駆ける速度は一族で2番目の速さだが、索敵能力が高い。優れた五感の他に、人間時代からの忍の経験・知識がその源となっている。
「ふふ……。貴女様の側近にして、我が主人『鹿和津』様がお待ちです。あまり困らせてはいけませぬ。」
「わらわは外に出たいと伝えた!理由も……!
でも、皆自分の考えを述べて押さえようとするばかりで、わらわの気持ちなど分かってくれない……。
だから、自分の手で切り開くのじゃ!」
珠は紅鳶に噛み付こうと首を伸ばすが、避けられる。
「ハッハッハ!その様に自立心が強いのは誠に酒呑童子にそっくりだぁ!」
紅鳶は背中を仰け反らせて豪快に笑う。
そして、冷ややかな眼差しのまま、珠の頬や顎を鷲掴みにする。
「……ですが、その様な身勝手が一族をどれだけ危険にさらすかご存知ですか?
その幼い思い付きが、角狩を刺激し、一族間に亀裂をもたらし、貴女様と関わった哀れな者にしくじった代償を払わせる……。」
「やーだ!や、やめろぉー!」
命令で姫である珠を傷付ける事は出来ない為、嫌がらせで鬱憤を晴らそうと言う魂胆があるのか、紅鳶は珠の頬を何度もつねったり滅茶滅茶に弄る。
そのしつこさに、珠は威勢を無くしていき、次第に泣きそうな顔になっていった。
紅鳶は勝ち誇ったように、興奮気味に叫ぶ。
「高みを行く一族に『個人の想い・願い』などは不要!貴女らしさも不要!貴女様は高貴な雌鬼の姫としての役割を演じる、それが正しき道!!この卑しき私めの言葉を理解して頂けたようで嬉しゅうございますっ!!!」
八重は声の聞こえた方に向かっている。
走りながら手甲に括り付けられた携帯用の風車を見る。
風車は静かに回っている。
(鬼か妖怪が近くにいる……。任務じゃないから装備は心許ないけど、人が襲われているなら見過ごせない!)
八重は開けた場所に辿り着く。
彼女の目に、大きな鬼の男が嫌がる童女を抱えているのが目に入った。
(この外的特徴は人鬼……!)
「その子を放しなさい……!」
八重は大太刀を両手で横一文字に持ち、朱色の刀身を輝かせながら抜刀する。
その輝きは闘志を込めて敵を睨む瞳と同じく、不浄な物を寄せ付けない鋭さがあった。




