烈風の鬼・前編(2/7)
早朝。木漏れ日の柔らかな光に包まれた森。
そこに流れの緩やかな川が見える。
川底の岩や揺らめく水草が見える程澄んだ水だ。
その川の真ん中にある岩場にしゃがみ込んでいる少年がいる。
クセのある黒髪と額の小さな角、黄金と栗色の左右非対称な色の瞳。
夜光だ。
夜光は捕れたての鮎をかじっている。生である。
カムナと二人きりで放浪してた頃は、魚も、獣もいつもこの様に生で食べていた。人間なら腹を壊すが、彼は鬼故に胃酸が強く、平気であった。
「……。」
しかし、いつもより何処か不満そうに咀嚼している。
「ッズ、ゥフゴ。やっぱ、外で食う飯はいいよな?夜光。」
首からぶら下がっているカムナが、魚の肝を咀嚼しながら楽しそうに言う。
(こうして長く距離を置けば前の暮らしを思い出して、人間達への興味が薄れて行くはずだ……。
昔みたいに自分で不幸を呼んで人間と仲違いするのは期待できねえ。夜光は、強くなったからな。色んな人間や鬼の血を飲んでから。
それに、やっぱり百之助とか言う狸野郎が信用できねえ。
酒呑童子と言えば大昔から角狩と血で血を洗ってきた存在だ。どんな上部の綺麗事を並べても、そんな宿敵の子供を受け入れるなんざ、下心無しじゃあり得ねえ話だ……。
鬼の軍隊と童子の息子ー、憎い物同士をぶつけて使い古して用が済んだらきっと……。)
楽しげな様子とは裏腹に、カムナは夜光の行く末を案じていた。
夜光が角狩衆の統率者である吉備百之助に謁見してからその後。
自分の正体を教えてくれた上に、角狩衆に入れと言ってくれた百之助の誘いに、未だ返事を出来ずにいた。
五暁院から出ようとした時、百之助達はそれを拒まず承諾した。
微笑み、ただ一言だけ言い残して。
『君の力で多くの民の命が救われる事を、どうか忘れないでくれ。
帰りを待っているよ。』
(半分鬼の俺でも、俺を必要としてくれる人間がいる……。俺の親が悪い奴であっても。
俺がみんなを守って勝ち続ければ、安心出来る場所がやって来る……。それなら俺は……。)
「八重や射貫達と食べた、『とうふ』がもう一度食べたい……。
何だか、あいつらから離れたら食べ物が固く感じて、冷たく感じて、美味しくなくなった……。」
夜光は少し寂しげな表情で、食べかけの魚肉を見つめた。
カムナの誘いで都を出てもう数日経ったが、角狩衆への好意と「それは間違いだ」と諭そうとするカムナとの間で、夜光の心は何処にも落ち着かずただ揺れるのみだった。
* * *
五暁院の池のある中庭。
池の上で小舟を漕ぐ者がいる。
畝る細い髪を束ね髪にした、狩衣姿の優男・百之助だった。
黒く長い髪の華奢な少女・八重も同乗している。白装束姿だった。
「す、すみません……。百之助様にこんな事をさせてしまって。」
「気にするな。
『墓の下の洞窟』に飲まず食わず籠って身を清めた後だ。フラフラして池に落ちて泥だらけになったら意味が無い。
それに、私も丁度起きた所で、眠気覚ましに軽く体を動かしたかったしね。」
『墓の下の洞窟』とは夜光が百之助に謁見した場所のことである。
二人は岸に降り立つ。
早朝であるにも関わらず、院内は慌ただしかった。
角狩衆の者や鬼門省の役人が何かを叫びながら走り回っている。
「あの、何かあったのかい?」
百之助が近くの役人を捕まえて尋ねる。
役人は言いにくそうに、目を逸らしながら答える。
「ちょっとボヤと言いますか……、その……。いろは様の……。」
「いろは?
まさか……!」
八重は血相を変えて走り出す。
八重やいろはが寝泊まりする区画。
その入り口の廊下に人集りが見える。ある者は手桶を持ち、ある者は焼け焦げた布を持ち、何かを見て狼狽えている。
「水じゃ駄目だ!」
「早く妖火用の火消し布、持って来い!」
「ごめんなさい!通して下さい。」
八重は周りの者達に気を使いながら、人集りを搔き分ける。
手には水で満たされた手桶を持っていた。
八重は息を整える間を作らぬまま叫ぶ。
「い、いろは!」
八重の目線の先。
簾や几帳の仕切りで囲まれた16畳程の広さの部屋。
その中の床や燈台、几帳、天井など、部屋のあらゆる場所から紅蓮の火が上がり、生き物のようにゆらゆらと畝っていた。不思議なことに煙が一つも立っていない。
そして、その不思議な火事よりももっと重要なものが目に入る。
狼より3回りも大きな、4つ足の獣。
それが顔を上げたまま、床に寝そべっている。
綿雲のように量感のある体毛で覆われており、絹のように繊細で艶のある毛は、やや黄みがかった銀色だった。そこに瞳と三角耳の内側の、鮮やかな赤が映える。
そして何よりも目立つのは、その大きな体よりも長い、房のような9本の尾だった。
広げた扇のように上部に掲げた尾は、毛先から畝る火を次々と生み出す。
八重が対峙しているのは九尾の狐。
つまり、いろはである。
「八重……、すまねえ。少し妖気が溜まり過ぎてたみたいだ。」
いろはは喉の奥から済まなそうに声を出す。
舌を出して、荒い息をしている。半開きの口からは鋭い歯が見える。
八重は火を恐れる事なく足を踏み入れる。
気の張ったような表情で、そしてどこか申し訳なさそうに近寄り、いろはの前足の横に座る。
八重は親指の先を自ら齧り、その傷口から流れる血を一滴、持ってきた手桶の水に垂らす。
血は水の中で溶けて薄まった。
今度はその水を片手ですくって、いろはの口元に差し出す。
いろはは目を細め、それにゆっくりと舌を付けた。
八重はいろはの首や背を優しく撫でる。
「落ち着いて……。一気に飲んじゃ駄目よ。
唾液と絡めながら、ゆっくり……。」
いろはは八重の手の中の水を飲み終わると、八重の膝に首を怠そうに下ろす。尻尾も扇を畳んだように揃えて床に着けた。
同時に周りの火が風に巻かれて消える。
「いいわ……。そのまま休んで。」
八重は眠りを誘うような優しい声で囁き、目を閉じたいろはの頭を撫でる。
百之助は火を消しに集まった者達と一緒に、廊下から静かに見守った。
「おいモモ!いろはが!」
外から縁側に向かって、小袖から胸板をはだけさせた男がやって来る。射貫だ。
百之助は返事の代わりに、口に人差し指を当てて合図する。
「……おう、もう済んだか。」
「皆んな怪我しなかったし、建物もちょっと焦げただけで済んで良かった。」
二人は小声で話す。
そこへ射貫の後をついて来た彼の部下が恐る恐る中を覗き込む。
「え、あれって いろはさんなんすか?でっかい犬がいるかと思ったわ〜。」
「犬には見えねえだろ!おめえ、もう一回顔洗って来い!」
射貫は部下の脇を肘で小突く。
「いやでも、これどういう事なんすか?
八重さんの血は『何かスゲー!』ってのは知ってますけど、それを何でいろはさんに?」
混乱した様子の部下に対し、射貫が説明する。
「いろははな、いつもは人間に化けて力を温存してて、必要がある時にあの姿になるんだが……。心労とか負の感情が溜まり過ぎると、本人の意思とは関係無く本来の強い妖怪の九尾の姿になっちまうんだ。本当はそうなる前に、定期的にああやって八重の『浄化の力』とかで力を調節するんだが……。」
「へー、ワザと弱くなってくれてるんすか。
でも、いろはさんって九尾なのに何でそこまでしてウチに入ってくれてるんすか?九尾の種族って自尊心高くて『人間とかアリンコ過ぎるわー』とか思ってるんでしょ?」
射貫は説明しにくそうに頭を掻く。
「あー、2人共まあ……、色々と特殊でな。
『鬼』に因縁がある所だけは俺達と一緒だ。」
「まあ詳しくは個人的な話になるから、それ位で勘弁して欲しい。
今は暫くあのままにしてやろう。」
百之助は部外者を撤収させる。
「身を清め終わったばっかなのに、俺の妖気で汚しちまったな……。」
いろはは静かに呟く。容体が安定したようで、穏やかそうな声だった。
横を向いて寝そべり、腹の近くに八重を座らせてやっている。
「ううん、大丈夫。
私もごめんね……。前よりも色んな事があって、いろはの体の事、ちゃんと考えてあげてなかった。」
八重は心配そうに いろはを撫でる。いつもよりしおらしい。
肌や白装束は少し煤で汚れてしまっている。
「俺はもう大丈夫だ。
それより、明日は『あの場所』に出かけるんだろ?俺も付いて行く。」
「無茶よ……!まだ余分な妖力が抜けてなくて、上手く人型に化けれないんだから。」
「じゃあ、その残りの水をくれ。」
「一度に沢山飲んだら体に毒よ。日を置いて休みながらにしないと……。
近くだし一人で大丈夫よ。」
「だが……。」
八重は一呼吸置き、悲しげに笑う。
「お願い……。一人で『会いたい』の……。」
八重の目と、いろはの目が合う。
いろはは負けたと言うかのように目を逸らした。
「……分かった。行って帰って来るだけだぞ。
任務じゃないんだから無茶だけはするな。」
「ありがとう……。
いろは もゆっくり休んでね。」
<おまけ・いろは獣形態ラフ>




