十六夜の八重桜
本編4話『双鏡の鬼』の合間に起きていたおまけ話。
ーこれまでの物語。
半鬼の少年・夜光は相棒のムクロカムリ・カムナは、鬼と戦いの日々を過ごしていた。
ある時、夜霧峠という場所で、おたまと言う女用心棒と家族のように寄り添って暮らす子供達と出会う。そして、彼女らとの出会いと、人鬼と呼ばれる強力な鬼との戦いをきっかけに、血を飲んで鬼の姿に変化する事が出来るように覚醒する。
その後、また放浪の旅に戻り、鬼や強力な妖怪の討伐を行う『角狩衆』という組織に所属する少女・八重と出会う。
夜光はそのまま八重や他の角狩衆と共に、枯皮砦や天津城で人間の血から様々な力を獲得しながら更なる強力な赤鬼達と戦い、それに打ち勝って行った。
そして、角狩衆の長である吉備百之助に招かれ、遂に角狩衆の本拠地がある京の都に辿り着いたのだった。
これは五暁院での夜光と八重との話。
まだ花の趣を知らぬ無垢な夜光と、夜の残り香のような八重の、表では取るに足らない、ほんの一時の話。
*
五暁院、夕刻。
夜光が百之助と会う数刻前。
夜光、カムナ、八重、いろは、夕食を終え、一息をついている所だった。
「げふっ。あーあ、食った。
しかし、角狩の本拠地にしちゃ粗末なもんだな。」
夜光の首からぶら下がったカムナが、ぷっとげっぷをする。
「たらふく食ってから文句言うな!性悪腐れ骸骨が!」
いろはが嫌そうに口と鼻を覆って顔を背け、カムナが吐いた汚い気体が来ないように毛皮で扇いた。
「ここも色々大変なのよ。各地の戦とか、鬼の動きがずっと活発なせいで財源が不足してるらしくてね。
それでも、誠意一杯のお持て成しをしてるつもりよ。」
八重が困ったような顔でカムナに言う。
「いくら普段あんまり食わねえ夜光でも、こんなんじゃ次の戦いで黒い鬼になって戦えないぜ。」
「俺、結構腹いっぱいになった。美味いものばかりだったから。
白くて四角くてプルプルしてて、柔らかいやつ、もう一回食べたい。いい匂いのする汁も。」
夜光は腹に手をやって満足したように微笑んでいる。仏頂面が多い彼も、美味な物には自然と笑みを浮かべるようだ。
「お豆腐とお味噌汁ね。明日の献立にも入れて貰えるように頼んでみるわ。」
八重は夜光の満足そうな顔が珍しかったのか、クスクスと笑った。
「……。」
夜光は八重をじっと見る。たまに側面から見ようと、首や上半身を傾ける。
「な、何?」
八重が怪訝そうな顔で聞く。
「おい、何ジロジロ見てやがる?」
いろはが片膝を立てて、夜光を睨む。
八重達が夜光と出会ってから暫く経つが、八重は夜光達と打ち解けていくのに対し、いろはの方は不機嫌になる事が多くなっていた。
「八重、いつもより、なんかヒダヒダしたのが多くて、モサっとしてる。」
「え、え?」
八重は夜光に指さされ、何の事かと混乱している。
「あと、髪が射貫といっしょ。」
「もしかして、私のこの格好の事?」
普段の八重は袖が無く、裾が腿の部分まで短い狩衣のような装束を着ている。
しかし、長旅を終えて五暁院に到着してからは、肌の露出の少ない正式な形の狩衣を身に纏っている。白と青紫の品のある配色が、八重の凛とした顔立ちをより美しく引き立てていた。
また、長い髪は頭の上で束ねおり、動く度に名馬の尾のようにしなやかに流れる。
「ああ、着替えたのよ。任務以外ならこっちの方が楽だから。」
「もう少しヒダヒダを無くせばこっちの格好の方がいい。いつもの格好は肌が剥き出しの所が多くて、すぐ敵に傷付けられる。」
夜光は真面目な顔で指摘する。
「……ま、まあ動き易いし、その……色々と意味があるのよ。」
八重は目を泳がせながらはぐらかす。少し顔が赤くなっている。
カムナは八重の様子を見、つまらなそうに鼻で笑う。
「成る程、人間ってのは単純だよな。まあ、つまりだな……。」
そこへ、酒の甕と盃を持った背の高い男が現れる。
「おーい、お前ら。モモがどっか行って暇だから、遊びに来てやったぞ。」
角狩衆綱隊・隊長の柴本射貫だった。
昼間から夕刻まで何杯もやっていたようだが、未だ素面である。
「射貫、戦う時の八重の格好は意味があるって聞いた。
どう言う事だ。」
夜光が無表情で問いかける。
「い、いきなりだな。おい。」
面食らう射貫。
「ちょっ!」
八重が気まずそうに立ち上がる。
「そ、そりゃ。八重は一応、貞光隊で密偵の仕事をするからな。
聞き込みやら、敵を欺くのに、若い娘がこう体にピチッとした格好で、肌を見せる方が任務がやり易いし……。」
射貫は真剣な渋い顔をしたり、時々鼻の下を伸ばしたりしながら、しどろもどろで説明する。
「体の凸凹が見えて、肌が見えてるのが、何で任務がやり易いんだ?」
夜光は仏頂面のまま、更に切り込む。本人は大真面目であった。
「ち、ちょっと!」
八重は顔を赤らめ、声を荒げた。
「いやほら、何かこう、行くべき場所に目がいって冷静な判断が出来なくなるだろ?鬼だけどお前も男なんだからよ、そんな意地悪い事聞くなよ?ふへへ。」
射貫は肘で夜光の胸をちょんと突く。
「つまり、どう言う事だ?」
夜光には少しも分かっていなかった。
「無駄無駄。このアホはそう言うのをどっかに忘れてやがんだよ。
まあ、夜光は鬼で、八重は人間だしな。」
カムナは興味無さそうに、歯と歯を擦り合わせ、食後の余韻に浸っている。この時のカムナは夜光が半鬼である事をまだ知らない。
八重は夜光と射貫の間に割って入り、二人の顔に爪を立てる。射貫の方は盃ごと顔に押し付けている。
「下らない話ばっかり!いい加減にしなさい!
射貫様も!」
「あはひ。ふみまへんへしは……。(あはい。すみませんでした。)」
射貫は盃を顔に被ったまま謝罪する。
そこへ、いろはが八重の肩を軽く掴んで制し、余裕そうに射貫に笑いかける。
「綱殿、彼女はまだ子供故、それ位にしてやってくれませぬか?」
そう言い終わると、一瞬だけ振り返って八重歯を見せながら夜光を鋭く睨み、八重の肩を引き寄せて後ろに下がった。
「……何で怒る?」
夜光は納得いかなそうな顔をしている。やはり、乙女心はよく分からないようだ。
「それじゃ、髪も同じ理由か?
そうじゃないなら切れ。その方が戦いやすい。」
八重ははっとした表情を浮かべ、その場にいる者全てから目を背ける。
「この髪は……、このままでいいの……。」
潤んだ目を細め、艶やかな黒髪にそっと触れる。
頬がほんのりと紅潮しているように見えた。
後ろからは、いろはが真剣な眼差しを向けている。
「……。」
夜光は少し目を丸くする。八重の表情や長い髪や色白の首元を見つめるうちに、ほんの一瞬だけ胸の奥がざわつくのを感じたが、それが何なのか彼には分からないままその感情は消えた。
その夜。
来客用の寝所に当てられた区画で夜光達は床に就いていた。
八重といろはも見張りとして同室にいる。
夜光は目を開く。
いつもと違う匂いがしたからだ。
目の前には八重の顔があった。
そして、夜光の首には彼女の解かれた黒髪が襟巻のように巻かれていた。
いつも、首に巻いてるはずのカムナは、何故か部屋の奥に転がされていた。カムナは上下逆さまのまま、顎を開いて大きないびきをかいている。
(あれ……、また寝ボケてカムナと間違えた。
また、八重に怒られる。)
夜光はそう考えながら、そのままぼんやりと八重を見た。
長いまつ毛と、色白の柔らかな頬、潤いのある唇が見える。
静かな寝息が半開きの口元から漏れている。
(ここに来るまでの旅の間も、俺は何度も八重の髪とカムナの髪を間違えた。何でだ?
いや、そもそも俺は何でいつも首に髪を巻くんだっけ。
あったかいから?
巻かないと寒くて寝れないから?
カムナの髪を巻いてる時と、八重の髪を巻いている時、何か少し違う。
カムナのよりあったかくて、甘ったるい変な匂いがして、体の力が全部抜けて、何だか物凄く眠くなる。
そして、俺はそれに似た感覚を、八重と会う前から知っている気がする。いや、カムナと出会うもっと前から……。
そうだ、俺の母親だと教えられたあの女の時から……。)
再びまどろむ夜光の脳裏に白くて丸みを帯びた何かが映った。
女の胴だった。
胴から伸びる両腕は夜光の首や胴に優しく巻き付いている。
目の前の胸には黒くて長い髪がかかり、赤い血が幾重にも流れる。
そして上の方にあるはずの顔に視線を移す。
女の顔はカムナ、おたま、夜光の母親、そして八重の顔に変わった。
夜光は再び目を開く。そこにはやはり八重の寝顔があった。
(そう言えば射貫の血を飲んだ時、射貫とおたまが裸で体をくっつけ合って蛇みたいに絡んでいるのも見えた。
昔、あれと似たような人間のやり取りを見てカムナに聞いたら『交尾』だって言ってた。
子供を残す為の行いだって。でも、人間はそれ以外でも何故かそうする。
それは、俺が八重の髪を巻いてしまう事と同じ理由なのか?それとももっと違う何かなのか?
……俺が射貫みたいに、八重の体に自分の体をくっつけたらどうなる?
髪の毛よりももっと、凄くあったかくて、もっと体が楽になって、眠くなるのか?)
夜光はボンヤリとそう考えながら八重の髪をそっと握った。
そして、はっとする。
(……待て。
何で俺はその相手を『八重』にしようって思ったんだ?
日仁や兼十や射貫、それから昔優しくしてくれた『あいつ』。あいつらの事は好きだ。でも、体をくっ付けたいとは違う。
女なら、すずねやおたま、天津城で戦ったあの女の天鬼、他にも旅の途中で出会って、同じ位側にいてもいいって思った奴らがいたはず。
その中で、俺は何故『八重』を?)
「……ん。」
目の前の八重がゆっくり目を開いた。
栗色の瞳が見え、甘くて怠そうな声が夜光の耳をくすぐる。
夜光は驚いて、すぐに立ち上がろうとする。
しかし、首の髪の毛を解くのを忘れていた為、八重の上半身も引っ張られる。
「何?!ちょっ、痛い!」
「!!」
夜光は痛がる八重を見て、直ぐにまたしゃがむ。
その時、再び顔と顔が近付き、向き合った。
夜光は、驚いて引っ叩こうと手を挙げる八重を見る。一方八重は、目と口を大きく開けて驚いている夜光を見た。
八重は今まで見たことがない夜光の驚愕の表情に、一瞬動きを止める。
夜光はその隙に、八重の髪の毛を解き、カムナを拾い、直ぐに部屋の隅に跳んで、上着を体に掛けて寝たフリをした。それは僅か数秒。実に速かった。
八重は手を下げて、拍子抜けしてる。
「あ、あの子があんなに目を開くの初めて見た……。」
事態に気が付いたいろはが、八重の大太刀を天井高く振り上げる。
「おいテメエ!また寝ボケて八重に近付いたのか?!
今度という今度は噛み殺してやる!」
それを八重が制する。
「いろは、大丈夫よ!
二人で寝ボケて、その……、頭をぶつけただけだから……。」
夜光は二人に背を向け、カムナを抱き抱えて胎児のように丸まり、ずっと寝たフリをしている。
「ッチ!八重、やっぱり俺の後ろで寝ろ。それか別の場所で寝ろ!」
「何も無いから!大丈夫だから落ち着いて!」
八重がようやくいろはをなだめる。
そして、眠る夜光の背中を暫く見つめ、胡坐をかくいろはの後ろで再び床に就いた。その時の八重の眼差しは、何処か悲しげで、瞳に重い影があった。
その後4人は、木次郎が百之助との謁見の為に夜光を迎えに来るまで静かに眠った。
(十六夜の八重桜・完)
<おまけ>




