暁の天鬼(2/6)
「お前も一族を受け継ぐ心構えが出来ている歳になったと思い込んでいたが、やはり『あれ』を見せる必要があるようだ。」
元実は赤鐘と陽光を引き連れ、ある場所に向かう。
天鬼の居住空間より更に下層にあり、そこに行くには鉄製の昇降機を使う。
獄鬼達が鎖のついた滑車を引き、数分後。昇降機は目的地に辿り着いた。
そこは薄暗く、埃のような霧のような不思議なもやが漂っていた。
よく見ると周りは鏡のように光を反射する大きな壁があった。
「陽光。その壁の前に立ってみよ。
……赤鐘、席を外せ。」
元実が促す。
赤鐘は会釈して入り口の方へ姿を消す。
陽光は恐る恐る壁の前に立つ。
壁は鏡でなく厚い氷だった。氷の中には何か黒い影が見えた。
陽光は黄金の瞳を凝らす。
暗闇を見通すことの出来る鬼の目に、物体の輪郭が映し出される。
「…!!
これは、天鬼!?」
氷の中にいたのは天鬼の亡骸だった。
数百もの天鬼の干からびた亡骸がそこで凍っている。中には子供と思わしき小さな亡骸もあった。
息を飲んでいる陽光に対し、元実は淡々と語り出す。
「それは朱天鬼の祖先が妖術で凍ったままにさせて、ここへ持って来させたものだ。戒めの為にな。
約千年前に凍え飢え死んだ我々の祖先達の一部だ。
何故こうなったか?
それは人間達に負けたからだ。
太古の昔、この地で先に栄えていたのは我ら。ネズミのように逃げ回っていたのは人間だった。
しかし、ある時人間達は『呪い』を生み出し、我らはそれに負けた。
そう、今『妖避け』と呼ばれている魔除け札とやらに使われている、鬼や妖を縛る『呪いの言葉』の事だ。
その後、人間達は我が物顔で天が照らす大地に堂々とのさばり、反面我らは人間の近寄れぬ奥山や大地の影に隠れて生きるしかなくなった。
その結果、生きるのが厳しいその地で、雪山の寒さに震え、多くが飢え、苦しみ、その氷で閉ざされた者達のように無様に死んでいった。
汚泥の中でもがき続けるような敗北。
そこから我ら朱天鬼は鬼のどの一族よりいち早く、今現在のような繁栄と威厳を取り戻した。
そこに至るまでの苦労をお前は知っているか?
人間の退魔の力を避ける方法を考え、人間を鬼に変えて仲間を増やす呪いの力を生み出し、鬼は繁殖しにくいという種族全体の弱点を背負いながら強い子孫を残し、気性の荒い赤鬼全ての部族を統一する……。
それらを成功させ、ここまで至るのにどれ程の犠牲があったか分かるか?
この朱天鬼の一族の血と血を重ね作られたこの針山の上の栄華が。」
元実の黄金の瞳に重く暗い影が落ちる。その目には、見つめ続けると底なしの泥沼に引きずり込まれるかのような怨念がこもっている。
元実が重い鎧の靴音を鳴らしながら陽光に一歩一歩近寄る。
獣のような姿に変化をしてない人型の状態であっても、その威圧感からは化け物の重苦しい気配が感じられた。
陽光は奥歯を鳴らし、膝を震わせる。
「ち、ちうえ……。お、お許しくだ……。」
元実は片手で陽光の首を掴んで釣り上げた。
陽光は喉をヒューヒューと鳴らしながら、目に涙を溜め、許しを乞う子供の表情で元実を見ている。
「怯えるな……!
私の父も、私も、お前も、体と魂は朱天鬼の祖先の億万もの血の針で磔にされ、捧げられ、生かされているのだ……。
朱天鬼が強者として天が照らす大地全てを掌握する未来ー、その為だけに。」
元実はそう囁き、自分の首にもう片方の手で触れた。
元実の首の辺りにはよく見ると縄で縛られたような痣がある。
「暁の天鬼に生まれたお前にも『出来ない』と言う選択肢は無い。それを忘れるな……。」
元実はその言葉を最後に陽光から手を離した。
陽光は震えたまま、起き上がれなかった。
氷に閉ざされた先祖の亡骸が彼を見下ろす。
(私は……、朱天鬼の長の子。
失敗は許されない……。己の自由な欲求を持つ事も、許されていない……。)
***
陽光の部屋。
陽光は石の寝台の上で横になっていた。
いつもの穏やかで優しげなその目には、泥沼のように深い影が落ちていた。
「……赭、虫籠の虫たちをみんな外に帰してやってくれないか?
きっとこれからもっと忙しくなって世話をしてやれなくなる。」
「私がお世話をしましょうか?」
「……いや、駄目なんだ。」
陽光は力無く言う。
赭は棚の虫籠の一つに触れる。
中には真っ白でふわふわとした毛に覆われた蛾が入っていた。
「赭、待ってくれ……。
その蚕の蛾だけはそのままにしてあげてくれ。
あまり上手に飛べないし、成虫はどの道餌を食べる事が出来ない。」
「仰せのままに。」
赭は黙ったまま片付けを終えた。
そして、寝台の上で陽光に背を向けたまま静かに喋り始めた。
「陽光様。
私はあなた様の人鬼に過ぎず、長になる運命を背負ったあなたの苦しみを少しでも背負う事さえ許されぬ卑しい存在です。
しかし、私は幼少の貴方のその優しさに助けられ、血を与えられて人鬼になりました。
その貴方の為なら、私は幾らでも血を流す肉壁となり、この笛を奏で続けます。それを、どうか忘れないで。」
赭は篠笛を取り出し、悲しい音色を奏で始める。
「ありがとう、赭。」
陽光は泣き声を堪え、小さく呟く。
そして、赭に背を向けたまま、涙で髪と枕を濡らした。




