暁の天鬼(1/6)
大江曽山の大江曽城。
その城の地下には位の高い天鬼が生活をする空間もある。
洞窟内は暗くじめじめしてると思いきや、意外にも明るく通気性が良かった。
洞窟内に飾られた何千個もの提灯や、洞窟のあちこちに天井から外の光を入れる箇所を設けているお陰だった。
この時代の人間にはこのような広範囲で複雑な洞窟を掘る技術はほぼ無いが、鬼達にはそれが出来た。
彼らは元々山岳地帯や洞穴の住居での生活が長く、その地質を知り尽くしているからだ。また、その有り余る腕力と発達した第6感は鉱山や洞窟を掘るには十分であった。
そんな洞窟内に設けられたある部屋から音が聞こえてくる。
篠笛の音だった。
その部屋の壁は様々な書物や岩石・鉱石、虫籠、美術品が飾られた棚で覆い尽くされ、床は上等な熊の毛皮の敷物が敷かれていた。
敷物の上では元実の息子・陽光が正座している。
いつもの赤黒い鎧は着ておらず、ゆったりとしていて動きやすい格好をしている。
首からは水晶の柱で作った首飾りを下げている。
また、手には白翡翠の首飾りが握られていた。
彼は悲しげに目を閉じ、先日天津城で戦死の知らせのあった白妙との会話を思い出していた。
『ふうむ。お主、元実の子にしては珍しく学問や芸術に詳しいそうだの。』
『ええ、お恥ずかしながら。父や母には程々にしろとよく叱られます。』
『その水晶の首飾りもお主が?』
『いいえ、自分で鉱山から拾って来て、宝飾職人に頼んで首飾りにして貰ったんです。小さい頃からの宝物です。』
『ふむ、お洒落だの!』
『本当ですか!宜しければ、白妙殿に合った石を選んで何か作ってもらいましょうか?』
『お願いしようかの。あ、そうだ岳鬼達の分もお願いできんか?小さい髪飾りで良い。』
『良いですとも!』
『あの子らも随分と私に懐いていての、直ぐに私の後を追って手放そうとしないのだ。……いや、そんな”自分では産めぬ赤子の代わり”をいつまでも手放せないのは私の方か。』
『白妙殿?』
『御子よ。もし好いた女子ができたら元気な子を作り、存分に可愛がってやるのだぞ。その子は自分と愛する者の血を分けた証であり、お主だけの子なのだから……。』
以上の会話は彼女が天津城に向かう前夜のものであった。
篠笛の悲しい音色を聞きながら、陽光は白妙の艶っぽく悲しげな表情を思い浮かべた。
約束の首飾りをそっと撫でる。
(夜光……。富路だけでなく、白妙殿までも。
本当に、お前が殺してしまったのか?あの、お前が……。)
篠笛の音が止む。
「今日もありがとう、赭。とても落ち着いたよ。」
陽光は篠笛の奏者に労いの笑みを見せる。
奏者である一本角の鬼・赭は静かに会釈した。
暗い赤茶色の短髪に、背が高く体格が良い。歳は人間ならば30半ばくらいに見える。
袖を切った直垂に籠手や脛当てを着けた軽装備姿であり、剥き出しの肩や腕からは力強さが感じられる。
またその屈強そうな見た目に対し、丁寧な口調や篠笛を両手で持つ所作からは礼儀正しさや繊細さが感じられた。
彼は陽光が血を分け与えた元人間、つまり彼の人鬼であった。
「昔、貧しく幼い兄弟に唯一してやれた拙い子供の遊びです。」
赭は跪いて頭を下げたまま言う。低い声だが、優しげで落ち着きのある口調だった。
「遊びなものか。お前の笛はどの鬼の楽師よりも素晴らしい。」
「勿体無過ぎるお言葉、感謝の極みにございます。
陽光様のお気が少しでも晴れたのなら、嬉しゅう御座います。」
「……うん。」
陽光は赭の優しい言葉を聞いて、安心したような笑みを浮かべる。
しかし、その陽光の首に何者かが抱き付く。
「よーこーう!何してるのー?」
6歳くらいの天鬼の童女であった。
煌びやかな錦の打掛姿に、長く真っ直ぐな尼削ぎの髪型で、髪色は
雪のような白銀の髪に一部淡い朱色を滲ませたような不思議な色だった。額にはやはり小さな角がある。
「た、珠姫様……!」
陽光は驚いて息を整えている。
「ねー、ねー、何か遊んでたも!」
珠は無邪気にそう言いながら、陽光の背に寄り掛かり足をぴょんぴょんさせる。
「良いですよ。楽器や鞠で遊びましょうか?それとも昔話でも……。」
陽光は嫌な顔一つせず、にこやかに接する。子供の世話には少し慣れてるようだ。
珠は不満そうに頬を膨らませる。
「むー、つまんない!
それより鬼ごっこが良い!わらわが鬼じゃ!」
「良いですよ。私は逃げる役ですね?」
「違う!わらわが野良鬼の役で、陽光が野良鬼に喰われそうになる女子の役じゃ。」
「?!」
陽光は顔を赤くしてぎょっとする。
「ひ、姫様!それは『踊り食い』では?!
いけませぬ、下鬼がするはしたない行為の真似など!
一体どこで……。」
「強い鬼になるには『かんさつりょく』を養わなければならないとジイに教わった。だから外に行って色んなものを『かんさつ』しておるのじゃ。
陽光、何故赤くなっている?」
珠は指を咥えキョトンとしている。まだ幼く、野蛮で背徳的な行為だと深く理解してないようだ。
「い、いえ。」
「があああ!ぐおぐお、ごはああぁ、ガルルルルッ!」
珠は野良鬼になりきって叫びながら、陽光の襟をくしゃくしゃに引っ張って開いて肩に甘噛みする。
「あ、あーれー。」
陽光は仰向けに倒れ、棒読みのしかも情けない声で演技する。
「違う!もっと脇を締めて!もっとよなよなと!
ええい、いかん!代わりに赭がやってみせよ!」
「それは出来ませぬ。」
赭は跪いて頭を下げたまま、丁寧にきっぱりと断る。
「じゃあ陽光が野良鬼役で、赭が女子役……。」
「それはもっと出来ませぬ。」
(この破天荒すぎる女の子が私の許婚だなんて……。やっぱり無理があります、父上!)
陽光は次第に困った顔になりながら、心の中でそう叫んだ。
「そろそろお食事の刻です。今宵は元実様や奥方様もご一緒ですから遅れずに参りましょう。」
泣きそうな主人を見るに見かね、赭はそう助け船を出した。
***
夕食時の調理場。
獄鬼や包丁人(料理人)の天鬼が湯釜や調理台の周りを忙しなく動き回っている。
「肉の下処理は終わってるな?早く菊盛り用の皿を持って来るんだ。
あ、待て!その山鳩の血のお飲物は陽光様と奥方様のだ!絶対に間違えるんじゃないっ!」
下処理の終わった肉が並ぶ調理台。
まな板の上に桃色のツヤツヤとした物体ー、雉、山鳩、鹿、猪、そして人間の胴の生肉が横たわっていた。
天井を高く削った広い食堂。
無数の赤い提灯が天井を覆い尽くし暖色の光を浴びせる。
部屋の中央には巨大な翡翠の岩を切り出して作った長い卓が見える。
卓には黒曜石で出来たガラス質の大皿に、山で採れる木の実や山菜の蒸し物や、香辛料を塗って焼いた雉や鹿、薄切りにした何かの生肉を菊の花のように並べたものなどが並べられていた。
上座側には長の元実、赤鐘などの重臣が卓に着き、下座側には陽光、赭、陽光の母・雨樹が席に着いていた。
珠姫は他所から呼ばれている特別な身である為、別室に通されている。
元実が黒曜石で出来た杯の中の血を口にする。
食事の時でも威圧感は消えず、常に重臣と軍の動きについて話し合っていた。
「それで角狩の方は?」
「相変わらず自分から何か仕掛ける様子はありません。
ですが、密偵は厄介ですね。獄鬼と餓鬼の生成担当の人鬼が何度か妨害を受けて殺されています。」
赤鐘が隣で報告書を広げながら説明する。
「人鬼を出来る限り複数で組ませろ。密偵を徹底的に潰し、情報網も混乱させてやれ。」
「仰せのままに。」
「…それで、岳鬼の方は目処が付いたか?」
「一応は。
白妙殿と同じ育成能力がある鬼蜂を彼女の部屋から発見しました。生前にもしもの時の為に用意していたみたいですね。
白妙殿本人と比べたら質は落ちますが、岳鬼の成長速度を上げてくれるそうです。」
「では予定通り改良型岳鬼の育成を急げ。」
元実は淡々と命令を下す。
陽光は遠目から自分の父親が、戦死した『白妙』の名を言うのをじっと見ていた。元実の表情はあまり変わらなかった。
「陽光、食べないのですか?」
陽光の母・雨樹が声を掛ける。
長く美しい赤色の髪を頭の上で結って豪華な髪飾りで飾り、紅い口紅を塗った妖艶な女の天鬼だった。
「は、はい母上。頂いてます。」
陽光は我に返って、とっさに笑顔を作る。
「次の長になる為の大事な体です。精がつくようにその『人間』の刺し身でも取って貰いましょうか?」
「い、いいえ!代わりに他の獣肉を頂きます。
私達の普段のこの姿も人間に近い。だから自分に近い生き物の肉は食べたくないんです……。
そもそも、起源を比べて見ても人間と鬼はとても近くて……。」
雨樹は陽光の話を遮り、きっと睨む。陽光は直ぐに黙って俯いた。
「また、そんな物にのめり込んで……。貴方は次の酒呑童子と全赤鬼の族長となるべき子なのですよ!元実様の機嫌を損ねる事は止めなさい!」
雨樹から小言を聞いてる間、元実の方から陽光が興味を引く話題が聞こえて来た。
「それから、緋寒の倅だが……。
近々『切り札』を使う事にする。場合によっては角狩の件も一気に片が付くやもしれん。」
顔を歪め、声をひそめる元実。持っている杯にヒビが入る。
(父上の怒りも限界に来ている……。夜光も無事では済まないやも知れん。)
「時に、陽光。」
「は、はい!父上。」
陽光は飛び上がりそうになる。元実が自ら陽光に話し掛ける事は滅多に無いのだ。
「戦の鍛錬について報告を受けたが、もっとやれる筈だ。
いつもやっている組み手に加えて、山籠りと、村攻めの予定を増やす。」
「はい!」
緊張した陽光の様子に、元実は少し苛立ったように言う。
「……その怯えた目付きはなんだ?私に対しても弱者のような隙を見せるなと言っておるであろう。」
「も、申し訳ありません!」
「それで、薄紅天鬼の一族からお預かりしている珠姫には情が付きそうか?」
「分かりません。珠姫様はまだ幼いので……。」
「幼くても由緒正しき生まれであり、希少な雌鬼だ。
姫が初潮を迎えて体ができたら直ぐに夫婦になれ。一族の繋がりを強固にする。必ず物にせよ。」
「は、はい。結婚に異論はありません。
ですが父上、珠姫様は私の叔父にあたる緋寒殿の娘でもあります。従兄弟同士で契りを結ぶと言うのはやはり少し妙な……。」
元実が小さく溜息を付く。
見かねた赤鐘が笑みを浮かべながら陽光に説明する。
「陽光様。
研究者達によりますと、天鬼は近親婚の方が血が濃くなり妖力の強い子が生まれる傾向にあると結果が出ております。人間はその逆みたいですが……。とにかくその辺の心配は要らないと言う事です。」
「……陽光、後で私の所へ来い。」
「はい……。父上。」
元実の失望の表情に、陽光の胸は締め付けられそうになった。
『珠』
・元実の政略で緋寒と地位のある天鬼の母との間に生まれた少女。
夜光の異母妹であり、陽光の従兄弟でもある。
最強の鬼である父・緋寒に憧れ、認めてもらおうと無茶な事をしてしまう。
好奇心旺盛で、お転婆の寂しがり屋。強くある事に意欲的だが、まだ倫理観が幼すぎる。元は素直なので相手がはっきりと気持ちを伝えれば言う事を聞く。
『赭』
・陽光の人鬼であり側近。
天鬼の高等種の血を授かっているので通常の人鬼より強い。
見た目とは裏腹に、芸術に対し繊細な感性がある。笛が得意で、陽光にそれを気に入られている。
真面目で忠義に厚い。面倒見も良く、陽光を弟や息子の様に大切に思う。
『雨樹』 *名前は桜の天城吉野から
・元実の正妻であり、陽光の母。優雅で妖艶な見た目の天鬼。
元実の息子である陽光とその母である地位を自慢に思い、それを見せびらかせすぎることがある。
権力にはとことん溺れ、目下の者を見下しがち。
陽光のことは自分の地位の一つとして愛し、自分に似て美しい容姿であることを愛しているが、陽光の人間性そのものには無関心。なので権力闘争から外れることをすると、それを信じられず取り乱す。




