双鏡の鬼(2/3)
夜光は階段を降りて、石を敷き詰めて作った狭い一本道を進む。
中は天井の何処からか外部の光が筋となって何本か差し込んできており、意外にも明るかった。
通路は奥に行くにつれ、肌寒さを感じるようになっていった。
夜光はカムナの髪の毛を首にきつく巻き、白い息を吐く。
段々と滝のような水が流れる音も聞こえてくるようになる。
通路を抜けて、ようやく開けた場所に出る。
見た所洞窟ではあるが、群集した水晶の尖った結晶があちこちに見られ、奥には天井から下に突き出た巨大な木の根が見えた。
まるで、巨大な生き物が静かに鎮座しているかのようなその根は、大人数十人が手を回しても足りない程の太さがあり、飛ぶ雄々しい龍のように複雑うねり、幾重にも枝分かれして洞窟の隅々まで張り巡らされている。
奥の一番太い根のある後ろには岩肌の何処からか何本もの糸のような滝が流れ出ている。
耳を澄ませると、辺りは細い滝が澄んだ滝壺に落ちる音や、根に繁茂した苔が雫を吸う音、天井から雫が落ちて潤った岩に染み込む音など、水が生み出すあらゆる音が響いていた。
またこの洞窟は少し明るかった。
岩が合わさって出来た天井に同じく水晶と思われる透明な石がまばらに埋め込まれており、そこから光を通して洞窟内を照らしていると思われる。
この美しい水晶は床にもあった。足元の水晶の埋まってる部分からは更に下層に伸びる根や流れる水が見えた。
「こんなの見た事ない。何だ……ここ。」
夜光は思わず声を上げる。
「カムナ、知って。
っ……!」
しかし、カムナの異変に気が付く。
「っあ!ぁあ、はっ……!」
カムナは荒い呼吸をし、時々上手く息を吸えなくなって時々痙攣していた。
「カムナ!」
夜光はカムナの顎を開けてやるが良くならなかった。
「本当に凄いよね。ここ。
殆どが自然にある物だけでこうなってるのだから。」
巨大な木の根の裏から、何かが現れる。
距離が遠いのと、滝から発生する霧と光の反射のせいで細かい部分ははっきりと見えない。
頭を含む全身に氷のような鎧を纏った人物。
極限まで鍛え上げた刃を思わせる、鋭利さもしなやかさも感じられる造形。澄んだ水の清らかさと水面の輝きを思わせる、無色透明とも白銀とも言える色の光沢。
夜光は構えようとするが、膝を突いてしまう。
「力が入らない……。目の前が白く歪んで相手がよく見えない。」
「おや、すまない。ムクロカムリを連れてるとは報告書にはなかったものでね。
免罪符を貼ってるのかな?でなければ危なかったね。
そして上位の魔除け札である鳳凰札さえも効かない君も『これ』は効くんだね?」
謎の人物は穏やかな口調でそう言い、夜光に向けて片手を差し出す。
周りにはキラキラとした粉雪のような粒子が漂っている。
「はあはあ、ぐうっ!」
夜光は冷や汗を垂らし、震える体を無理矢理立たそうとする。
しかし、見えない圧力が彼を押し潰す。
(大吹雪の向かい風……?いや違う。それよりもっと細かい空気の壁……!)
「この場所はとても清浄でね。鬼から剥ぎ取った素材や邪なものに触れた人間をここに入れて『浄化』するのに使ってるんだ。
そして私の『これ』もそれ以上の『浄化』の力を持っている。
やはりこれだけ離れていても君達には少し毒だったかな。」
謎の人物は両手の平を見せながら一歩後ろに下がる。
「大丈夫。私は武器を持ってないし、これ以上近寄らない。
だから君もそれ以上前に出ない方がいい。ムクロカムリ君の為にもね。」
カムナは無理矢理自力で息を吹き返し、謎の人物に向かって吐き捨てる。
「っぐはああああ、クソッタレ!
やっぱり罠かよ!こいつらは俺らを始末するつもりだったんだ!」
「困ったな。そう言う捉え方になってしまったか……。」
謎の人物は少し申し訳なさそうに言う。
「じゃあお詫びにこうしよう。
君は君自身をよく知らないみたいだしね。
だから教えてあげるよ。夜光、君が何者か。」
***
ーあれは17年くらい前だったかな。
とある村で鬼の襲撃があった。
私は当時調査員だった浅葱木次郎殿と共に、村を調査する為にその村を訪れた。
当時新種扱いとされていた獄鬼の襲撃によって、村は酷く壊され何人もの村人が喰われて亡くなっていた。
私達はそんな痛みと悲しみで満ちた村で、ある姉弟と出会った。
お姉さんは襲撃から奇跡的に生き残った若い女性。名前は『しきみ』さんだったかな?
彼女は心が壊れて子供のようになってしまっていた。……余程、辛い目に遭ったのだろう。
弟さんの名は『密彦』。襲撃時に外出していた為、難を逃れていたらしい。とてもお姉さん想いな人だったよ。
私達が接触した時、しきみさんは身籠っていた。
そう、なんと『鬼の子』をね。
そのお腹の子の影響のせいか、肉親の弟さんからさえ血肉を喰らおうとしていた。
人間が鬼を身籠もるなどそう無い事だ。
そんな事をさせられる鬼がいるとすれば、一番知能が高く、人間に近い形態にも変化できる鬼、『天鬼』しかいなかった。
そうとなれば彼女のお腹から何が出てきて、どんな危険を及ぼすかわからない。
そこで、私達は しきみ さんのお腹から出てくる鬼の子を退治する事にした。
しきみさんを村の外れに移動させた、その日の夜。彼女は産気付いた。
私達は生まれてくる鬼に備えたが、事態は想像以上に悪化した。
余程特別だったのか、鬼の子の気配に惹かれて沢山の妖怪や鬼達が周りに集まって来たのだ。
私達は二人だけで彼女と弟さんを守りながら戦った。
だがもっと悪い事が起きた。
『酒呑童子』が現れたのだ。
鬼の中で最も強く、倒せないに等しい存在。
私達角狩衆が、祖である初代・源頼光の代から今日に至るまで長い時をかけて戦ってきた存在。
何の目的か傷心の彼女に人間と鬼の血が混じった子を産ませようと孕ませた外道。
奴が『父親』だったのさ。
そんな化け物の眼差しの元、私達も、この悲運な姉弟も、この状況でもう命は無いと思った。
その時、その子は産声を上げた。
***
「そう、夜光。それが君だ。」
夜光は目を見開き、瞳孔を小さくする。
カムナは顎を半開きにしたまま、息を飲んだ。
「不思議な事に赤子の君は私達には敵対せず、妖怪や鬼達を倒して、そのまま姿を消してしまった。
酒呑童子も君が産まれたのを見届けから、その場を去って行った。
それが何の巡り合わせか、時を経て今こうして私達は再会したという訳だ。」
「っ……。」
夜光は唇を震わせたまま、何も言えずにいる。
「証拠は君の記憶の中にある。
覚えてないかい?魑魅魍魎共に囲まれながら母親に抱かれて乳を飲み、その人を守るためにあの場所を火の海にして邪なものを全て焼き殺した事を。」
夜光の脳裏には色んな光景が断片的に駆け巡っていた。
魑魅魍魎で埋め尽くされた森の中ー。
赤子の自分を庇って、背中から血を流しながらも、安心したような笑みを浮かべる髪の長い女。
天鬼の白妙に聞かされ、自分の母親だと知ったあの人間の女。
そして女の乳を伝って口に流れ込んで来た温かい血。
自分が放った鬼火で生きたまま身を焼かれる鬼や妖怪共。その悲鳴。
そしてその焦熱地獄に抱かれながらも堂々としている大きく立派な鬼の影。その影から自分に向けられている黄金の眼差し。
その後、母親の元に再び帰ろうとした時、自分を突き飛ばし罵ってきた青年。その憎悪に満ちた目ー。
その暗く呪いの色に満ちた目から逃れるように、雨に打たれて森を彷徨い、やがて冷たくなってしまった小さな自分の体。
それぞれの場面が順序がバラバラのまま繰り返し夢にも出てきて、唯の夢なのかそれとも現実にあった事なのか曖昧になっていた記憶の断片達。
謎の人物の話を聞いた今の夜光には、その記憶達はその日にあった出来事の全てであると言う事も、その出来事の正しい順序も理解出来た。
(そうだ……。俺が人間の血を飲むと胸が一杯になって苦しくなるのは、あの時の胸に広がったあの感覚を思い出すからだったんだ。)
夜光の両目の端から顎に雫が流れて手の甲に落ちる。彼はその感触に驚いて砕け飛び散った雫を見つめていた。
彼は今の感覚が『悲しい』と言う事だと知らなかった。
「『酒呑童子』だと……?!
うっ、……それを知っててお前らは夜光をどうするつもりだ!」
苦しいのを堪え、カムナは謎の人物に吠えた。
「何も。今の所はね。
どうしようかは反応を見て考えようと思っていた。
行方をくらましていた君が今になって私達に近付き手を貸した事。それが唯の偶然なのか、それとも父親の酒呑童子の手の込んだ罠なのかを見極めたかったんだよ。
まあ今のその様子を見させて貰って、罠の方は完全に白だって確信したよ。……ふふ、良かった。」
謎の人物は穏やかな口調を崩さない。
「き、気に食わねえ!しらばっくれてるが結局それで終わりじゃ無いんだろ?夜光がそれ程の奴なら……。」
「ムクロカムリ君。君は本当に察しが良いね。」
楽しそうにそう言いながら、謎の人物は自分の頭に両手をかけた。
そして、その氷のような兜を脱ぐ。
長くうねる束ね髪と、礼儀正しく穏やかそうな顔が露わになる。
漂っていた霧や粒子が晴れる。
「今までの非礼を詫びると共に、7代目源頼光・吉備百之助が貴殿にお頼み申す。
貴殿の昨今の働きぶりは実に見事であった。どうか一緒に角狩衆として世の太平の為、赤鬼軍と戦ってはくれまいか?」
百之助は微笑み、はっきりとした口調でそう言い放つ。
普段の穏やかな印象を覆すような堂々とした立ち振る舞いだった。
「……俺を、……仲間に?」
圧力が消えてからも夜光は膝を突いたままだった。いや、何もかもが突然過ぎて思考が追いついていないのだった。
邪悪な鬼の子であると言う夜光。そして鬼を倒す者達の長がそんな彼を直々に勧誘している。
「な、何?!そんな馬鹿な……。」
カムナもまた混乱の中、唯情けない声を上げる事しか出来なかった。




