薫る鬼(3/6)
赤鬼軍の本拠地があると考えられている横広の山・大江曽山。
その遥か南に位置する、山と山で挟まれた峠に枯皮砦がある。
それは鬼と戦う組織である角狩衆が、大江曽山の遥か南にある都を防衛する為に構えた重要拠点の一つであった。
元々使われなくなっていた古い関所を対・鬼兵の要塞として改造した、まだ新しい砦である。
砦といっても人間と人間の戦で使われるものと比べると、小規模で防衛の構造がやや違う。
堀や石垣や柵などの共通点はあるが、貼られた結界を破られないようにする為の支柱、体格のある鬼達の侵入を遅らせる為の狭く入り組んだ通路などが見られる。また、砦の全貌は強い魔除けの意味を持つ五芒星の加護を得る為に、五角形の形状となっている。
その他に、邪気を感知する五色の羽の風車が多数、大型弩砲などの大型兵器も極少数見られる。
ただ残念なことに砦全体は十分に修繕が行き届いていないのか、石垣や門は即席で補強したと思われる箇所があり、やや荒んでいるように感じられる。
八重といろはは南門から砦内に入った。
中は20人に満たない人数しかいなかったが、武器の補充や魔除け用の術具などの点検作業で慌ただしい雰囲気だった。
「八重ちゃん!来るのが早くて助かったよ。」
体格の良い女が大きな木箱を両脇に抱えながら駆け寄る。
歳は20代くらい。髪は頸の辺りでひと束にまとめ、着物は作業の邪魔にならないように腰巻のようにしている。露出した肌は少し焼けており、さらしを巻いた豊かな胸や、引き締まっていて力強い二の腕や太ももをより健康的に見せていた。
「月輪さん!
たまたま近かったのは私といろはくらいで……。他の皆んなもすぐに駆け付けられたら良かったんですけど。」
「いや。今は一人来てくれるだけでもありがたい。」
「兼十さん……、いや金時隊長は?」
「うちの旦那達はもう出ちまったよ。
赤鬼の奴ら急に攻めて来てね……。しかも100も満たない人数で。」
月輪は顔をしかめて物見台の方を見る。
少ねえな、といろはが漏らす。
「まさか囮でまだ本隊が?……いや、今すぐデカイ戦をやりそうって言う動きはなかったはずだぜ。」
「南門に鬼が出たぞ!」
南門の見張りが叫んだ。
「そんな馬鹿な?!回り込まれたって言うの?」
八重といろは達は直ぐに先程くぐって来た南の門前まで走った。
数人の門兵達が弩を構えているその先にいたのは、なんと夜光だった。
息を整えている。
「おい、ついた……。」
「さっきの屋敷に眠らせて置いてきた鬼じゃないの!?」
八重は信じられないと言うように指を差して叫んだ。
「ちょっとあんた達、何連れてきてんの?!あたし達を根元から全滅させる気?!」
月輪は弩に矢を装填する。
カムナが皮肉たっぷりに叫ぶ。
「おう。目が覚めた後、その怪力女と犬臭え狐野郎の匂いを追って必死に追いかけたぜ。礼をする為にな!」
「ほう……。毎日この砦を鬼の血と肉で染める俺達に、どう礼をするって?」
砦の角狩衆達は夜光達を鋭く睨む。
重々しい殺気に、カムナは段々と萎縮していった。
「……ってのは冗談で、ちょこっとだけ用が済んだら直ぐに帰りますんで。はい……。」
妖怪を苦しめ殺す技術を持った彼らは、カムナなどの弱い妖怪にとっても恐怖の対象でしかなかった。
「対・人鬼用の魔除け札の『丹頂札』を捩じ込んだ特殊な縄で縛っておいたのに!何で脱出できたの?」
「そんな小さな角と妖気じゃ、天鬼のはずはねえが……。」
八重もいろはも納得がいかない様子だった。
「こいつは鬼の癖に半端者らしくてな、札がこいつを識別できねえんだよ。
天鬼でも、人鬼、獄鬼、餓鬼のどれでも無いが、柔じゃない。そう言う鬼なのさ。」
カムナが喋り終わった後、それはどうでもいいと夜光が遮る。
夜光は苛立ったように、手の平を出す。
「簪を返せ。赤くて丸いのが付いたの……。」
「簪?」
八重は暫く考えた後、何か思い出したのか いろは を上目づかいでじっとりと睨む。更に両手を組みながら爪先立ちになってその威圧の表情を眼前で見せ付ける。
「いろは、出しなさい!」
いろはは脂汗を流しながら、観念したように柔らかい毛皮の中から何か取り出す。
赤メノウの玉が付いた玉簪だった。
「ちぇっ。敵から物資調達は大将も目をつぶってるだろうが……。
良いメノウが付いてるから術具にしようと思ったのに。」
「死体ならしょうがないけど、相手が生きてるなら唯の泥棒よ!」
「あー、クソ!大体、鬼が人間の物をちゃんと買える訳が無い。
どうせ、無理矢理に奪ったもんだろう。違うか?」
いろはは八重に犬の様に叱られたのに苛立ち、その憂さ晴らしに夜光に向かって悪態をつく。
夜光は俯く。無表情だが瞳には僅かに影が落ちている。
「貰ったんだ。
そこから死んだアイツが見守ってくれてるって……。」
夜光は嘆願するように八重達を見る。
「アイツの大事な物、どうしたら返してくれる?」
脳裏にはかつて自分を救ってくれた『おたま』の姿があった。
「さあ。今、北からやって来てる鬼を全滅させる、とか?」
いろは は意地悪そうに言う。
「鬼を殺る。……分かった。」
「まあそうだよな。同族殺しなんて断るよなあ。
って、え?」
「夜光ちょっと待て?!」
夜光はカムナが止めるのを聞かずに、砦の外周に沿って北に走り出した。
「え、おまっ!はあ!?」
嫌味のつもりで言った要求を、夜光が真に受けて承諾した事に呆然とする いろは。
八重も慌てて北門に向かって走り出す。
「いろはの馬鹿!これ何かの罠だったらどうするのよ!追いかけるわよ!」
「あっ、八重ちゃん!
旦那を……。いや、金時隊の皆んなをよろしく頼む。」
月輪が頭を下げた。
「絶対、必ず守ります……。」
八重は一度振り返る。大太刀の鞘を両手で握りしめながら、前を見据えてはっきりとした声で返した。
*
砦の北門から約1km程の場所。
崖と崖に挟まれた道に、何かの塊と大きな人影が見える。
巨大な鉞で餓鬼達の頭を叩き割る大男だった。
大男は金の鱗付きの法衣を腰巻にし、籠手と脛当てをし、虚無僧笠で頭部全体を覆っている。それ以外は全部肌が剥き出しである。
しかし、鎧の代わりとも言える傷跡だらけの筋肉が触れようとするもの全てを跳ね返すような力強さを見せていた。
そしてその得物である鉞は、体の半分の程の大きさの分厚い朱色の刃が付いており、持ち手には業火を纏った不動明王が彫られていた。
「雑魚供め!それでも鬼か!
これしきの数、ここで全部ねじ伏せてやる!」
吠える大男の周りは、地面が真っ赤で染まり、頭を割られた獄鬼や体を粉砕された餓鬼の死体が山積みになっていた。
この男こそ、角狩衆・金時隊の長『兼十』であった。
「連戦続きは堪えるが、兼十様一人いれば百人力だ!」
兼十の部下が崖の上から弩で援護射撃をしながら笑みを浮かべている。
部下達は金属の鱗が付いた黒い装束に朱刀や弩といった基本的な角狩衆の装備に加えて、斧や戦鎚などを装備し、武器や防具に神仏の彫り物を施している。
この様な風体の指揮官を持つ部下もまた、鬼から人々を救う侍と言うよりも鬼を痛めつける荒くれ者と表現した方が正しいかもしれない。
「はあん。面白そうな人間がいるじゃねえか。」
部下が何者かの声を聞く。
ガラガラッ!
「が、崖崩れだ!」
崖の隊員達は、急に起こった崖崩れに巻き込まれる。
その流れに乗って兼十の元へ跳ぶ大きな影があった。
大柄な天鬼・富路であった。
その鋭い目付きと鎧の隙間から見える重みのある筋肉は、完全な鬼に変化してない人に近い姿のままでも『並々ならぬ凶悪な鬼』の威圧感が感じられた。
富路は落下する勢いのまま、兼十に己の体重を乗せた重い掌底を食らわす。
兼十は鉞でそれを受け止めるが、10m程後ろまで押されてしまう。
体格や重さでは兼十の方が富路を僅かに上回っているはずだが、鬼である富路のがっしりとした腕は、片腕だけで兼十を押し切る力があった。
土煙が酷く舞い上がり、視界は悪くなる。
「人鬼……、いや違うな。
上級の鬼特有の金属鎧とこの馬鹿力は……天鬼か!」
「久しぶりの長持ちする人間だ。先にお前と遊んでやるぜ。」
富路は鉞を掴んだまま、崖に向かって兼十を叩きつけた。
崖から砕けた岩の破片が飛び散る。
「兼十様!」
「ここはもう使えん!残りの雑魚鬼供が来る前に、北門まで撤退して砦の守りを固めろ!
暫くは俺が時間を稼ぐ……!」
兼十は荒い息を整えながら、駆け寄ろうとする隊員を一喝する。
そして、追い打ちに重い蹴りを放ってきた富路をいなして足を掴み、その蹴りの勢いを受け流すように投げを放つ。
更に鉞を持ち直し、富路に叩き付けた。
その壁のような刃にぶつかった衝撃で、富路の巨体が吹っ飛ばされる。
「行け!」
兼十様の怒号を聞いて、部下達は涙を飲んで南に退いていった。
「いってえ。」
仰向けに倒れた富路は高笑いをしていた。わざと防御体勢を取らずに地面に叩きつけられ、その痛みを感じて楽しくなっているのであった。
無傷で立ち上がり、首の骨を鳴らした後、ギラつく黄金の瞳で兼十の姿を捉える。
そして八重歯を見せながら不敵な笑みを浮かべた。
兼十は流れる汗の感触を忘れ、重い鉞を構え直した。
『兼十』
・金時隊の隊長。朱塗りの鉞を操る巨漢。
百之助の命で枯皮峠の守りを任されている。
昔鬼との戦いで頭の皮が剥がされたので虚無僧のような笠で顔を隠してる。
元々君主を失って山賊に落ちた残党のリーダーだったが、百之助のオファーで角狩衆に仲間入り。
強面な見た目に対し、戦闘以外では温厚で繊細。愛妻家。
戦いの多い重要拠点を守っているので、忍耐力と臨機応変に対応する柔軟性もある。
<好みの神仏…不動明王>
『月輪』
・兼十の妻。熊のように強い。
看護・砦内部の防衛担当。隊と兼十の士気を上げる。
夫を厳しく叱咤激励する鬼嫁に見えるが、昔は夫が傷付く度泣いてばかりのか弱い女性で、その自分を変える為に今の強い女となる。




