薫る鬼(2/6)
朧月の下、暗い竹林の奥から琴の音が聞こえてくる。
それは春の花木に囲まれた草庵の中からだった。
「お疲れでしょう。この竹林は道が入り組んでいて足場が悪いですから。
滅多に人の来ない荒屋ですが、遠慮なくお休み下さい、と我が女主人も言っております。」
草庵の中には遊女らしき女達が3人と男が1人いた。女達は楽器を奏でたり、男の酒の相手をしている。
男は破れやほつれのある旅装束を纏った旅人で、目にクマがあった。
「その女主人はどこに?」
「庭の離れ屋に居ります。」
「こんな夜更けに女人の寝所を訪ねるのは無礼だが、どうしても礼を言いたい。」
男は立ち上がり、外に出ようとする。
そして思い出したように呟いた。
「私の従者がそろそろ到着する頃だ。どうか彼らにも食事を用意してはくれまいか?」
男がそう言うと、その脇をすり抜けて二匹の獣のような鬼達・餓鬼が目を光らせ、飛び込んで来た。
そして叫ぶ女達の着物を引き裂き始めた。
餓鬼は人間の死体を鬼に変えて生き返らせたもので、人間の理性はほとんど失われている。
「あー、やっぱな。妖避けの札がなかったから鬼が寄って来たか。」
草庵の隅に、胡坐をかいて膳の上の料理を摘んでいる少年がいる。
彼は、クセのある黒髪から短い二本の角をのぞかせた、片方の瞳が黄金色の鬼だった。
その膝の上には白く長い髪を生やした頭蓋骨がおり、少年の鬼が指で摘んで食べさせてやった焼き魚の肝を咀嚼している。
「それで夜光、こう言う所では箸でお上品に食うんだぞ。育ちが知れるからな。」
「分かった。
カムナ、口から零してる……。」
夜光は慣れない手つきで箸を持ちながら、不思議そうに女と餓鬼達の方を見て首を傾げる。
「……花遊び?」
一方、離れ屋に向かった男は女主人が居ると思われる部屋に足を踏み入れた。
戸を開けると、香木の香りが鼻や口に流れ込み、肺に広がった。
部屋の隅に目をやると、打掛を頭から被って床に伏せている人物が見えた。
震えているその小柄な人物は声を押し殺しているようだが、恐怖のせいで、甘ったるい吐息を僅かに漏らしてしまっている。どうやら少女のようである。
男はニヤリと笑う。
そして懐から取り出した赤い結晶を飲み込んで、大柄で獣のような鬼・獄鬼に変化した。
「大丈夫だ。何も怖いことはしない。」
獄鬼は鉤爪のような鋭い爪で打掛の端を摘んでずらす。
少女は小さく悲鳴を上げ、怯える。
顔を露わにさせられた少女は、10代半ばの可憐な娘だった。艶やかで、真っ直ぐで、長い髪が美しい。
しかし、その髪が顔にかかっているせいで表情がよくわからない。
「ただ、私を満たしてくれればいい。」
獄鬼はそう言うと、虎のような口を開き、舌や長い八重歯から唾液の糸を引きながら、少女に覆いかぶさろうとする。
「そう。じゃあこれでも咥えてなさい……!」
少女は急に冷淡な口調になる。
そして打掛を獄鬼の顔に投げ付け、手に持っていた朱色の小刀を素早く口の中に突き刺した。
ジュッっと言う肉が焼ける音がし、獄鬼は口から血と紫の煙を吐き出す。
暫くもがき狂った後、やがて床に倒れ込んだ。
「バカナ、ムスメドモ!」
餓鬼は聞き取りにくい発声で何か騒ぎながら、虎のような口を開いて、女達の柔らかい肌に齧り付く。
「はん。馬鹿はてめえらだよ。」
天井からあざ笑う男の声が聞こえた。
「ナニ?!」
その瞬間、女達は桃の花びらの塊に変わり、辺りに散らばった。
天井の隙間から一本の針が飛んで、徳利からこぼれた油の上に刺さる。
それを皮切りに、大きな火の手が上がった。
「キュービニ、バカサレタ!」
二匹の餓鬼は熱さにもがきながら叫んだ。
カムナは草庵内に発生した火事に驚き、食べ物を喉に詰まらせる。
「ッゲホグッホッ!こりゃ九尾の術だ!
夜光何やってる!唯の火じゃねえんだ、焼け死ぬぞ!」
「花と草だけの料理。あまり美味しくなかった……。」
「当たりめえだ!料理も女も全部術でそう見えてただけの幻だったんだよ!」
「最初から匂いで分かってた。でも綺麗な花の刺身、美味そうだったから。」
夜光は袖で口を覆いながら、カムナの髪を首に巻いて外に出た。
その時、入り口で何かとすれ違い、それが狐の尾のような物を揺らめかせ、炎上する室内に飛び込んで行くのを見た。
白い狐面を被り、全身に白い毛皮を纏った人物。面の覗き穴から見える紅い瞳は、夜光を睨んでいた。
白い狐面の人物は、毛皮から毛を数本抜いて指で縒って針に変え、焼け死にそうな餓鬼の喉に投げつけた。餓鬼は声も出せずその場に倒れた。
夜光は草庵が燃え広がる心配の無い、竹林の開けた場所に出た。
だが、安心したのもつかの間。その奥には人影があった。
「お前も鬼ね?止まれ!」
それは朱色の大太刀を構えた、長い髪の少女だった。
先程獄鬼を仕留めた少女である。
狩衣に似た、裾が短く動きやすそうな白と紫の装束を身に纏っている。
夜光にはその少女の黒髪が群青色に、また栗色の瞳が黄金に発光しているように見えた。
「……!」
夜光は目を見開き立ち止まった。止まるように言われたからでなく、自らそうしたのであった。
「げえっ、ありゃ朱刀じゃねえか……!夜光、奴は妖怪殺しの『角狩衆』だ!
何人もいたら厄介だ、あの朱色の刃を避けながら逃げろ!
鬼の硬い皮膚に突き刺して、肉を溶かしちまう代物だ!」
カムナは夜光の胸元でぶらぶら揺れながら叫ぶ。
夜光は逃げる隙を伺いながら、いつでも走り出せる体勢になった。
「諦めな。お前のケツには俺がいるぜ。」
背後から白い狐面の人物の声がする。
夜光は思い切って前に走り出した。
「止まれと言っただろう!」
少女は前に踏み込み、大太刀を両手で横薙ぎに振った。
「うわあぶねっ!この小娘、痩せっぽちの癖に大太刀を軽々と振ってやがる!」
カムナが叫ぶ。
夜光は大きく跳んで、少女の脇に着地する。
少女は大太刀を振った時の回転を利用して、夜光の腹に片足で蹴りを入れようとする。しかし、夜光はそれを受け流し、少女の軸足を払って転倒させる。
夜光はすかさず喉元に爪先を突き立てようと構えたが、急に腕を下ろしてしまった。
「……やっぱり、お前は何かがおかしい。お前は、何なんだ?」
無表情で問いかける夜光。
少女はそれをキッと睨みつけた。
トッ
隙を見せた夜光の背中に、投げ針が刺さる。
夜光はその場に崩れ落ちた。
「おい、夜光!」
呼びかけるカムナに少女がすかさず『妖避け』を貼り付ける。
「アババババビャビャビャ!」
カムナは激しく痙攣を起こして絶叫し、気絶した。
静かになった夜光とカムナを見て、ホッと息を吐く少女。その彼女に白い狐面が手を差し伸べる。
「ありがとう。いろは。
殺したの?」
少女が白い狐面の人物・いろはの手を借りながら立ち上がる。
「いや。眠らせただけだ。
この髪色は赤鬼ではなさそうだが、見た所人鬼か何かのようだし尋問すれば何か吐きそうだと思ってな。
この首に巻き付いてるムクロカムリの方は後で適当に転がしてやればいいか。死体を食ったり遺骨に寄生するだけの、弱くて無害な妖怪だしな。
それより八重。お前に任せたあの獄鬼はどうだった?」
「はずれよ。あんな似合わない演技までしたのに……。馬鹿みたい。」
少女・八重は尻に付いた土を払った。
二人の元に夜鷹が一匹降りて来る。
「あ、師匠からの鷹文だわ。」
八重は手紙を開く。
「枯皮峠の砦が応援を……?
あんなに頻繁に攻められたんじゃ、皆んな長くもたないわ。すぐに向かわないと。」
「こいつら、どうする?」
「あ……。どうしよう。」
『八重』
・貞光隊の若き密偵。
普通の少女に見えるが、力があり大太刀の朱刀を軽々と振り回すことができる。
任務のことでいつも気が貼っており、ぶっきらぼうで冷たい印象を受けることが多いが、人の命を一番大切に思うが故に感情に流されたり、世話焼きで、母性的な一面も見られる。
『いろは』
・八重とチームを組んで行動する九尾。普段は狐面に毛皮を着込んだ人型。
九尾の幻術を使った罠が得意。その他に体毛で作った仕込み針、獣らしい体術で戦う。
口が悪く皮肉屋で、敵には挑発的な態度を向ける。
*名前は「いろはもみじ」から
<新たに登場した敵>
・人鬼が人やその死体に一滴の血を与えて鬼にしたもの。
知能も落ち、人間性を失っている者もいる。鬼の中でも下等な存在と見なされ、ほぼ奴隷のような扱いをされている。
<おまけ>




