夜光誕生編2/子鬼がゆく(2/2)
それから子鬼は当てもなく野山を彷徨った。
寒さに震え、木や浸食された岩の下で集めた枯葉に埋まって雨を凌ぐ。最初は土の竪穴を見つけたが、それは獣の巣穴で、中の獣に追い出されたりもした。
空腹は木の実やキノコ、虫など、食べられそうなものは何でも食べて凌いだ。匂いで毒の判別が出来、菌や寄生虫は鬼の強い胃液で何とかなったが、虫の胆など味の悪さに吐いてしまうものもあった。
獣を狩ろうとも思ったが、空腹と栄養不足のせいで鬼火が使えない今の彼には難しかった。
また、人間の死体を目にする事もあったので、いっそ野良鬼のように人間を食べてみてみようと思ったが、人間の血の匂いを嗅ぐとどうした事か胸が苦しくなった。そしてその時は必ず、自分を庇ってくれた母親の顔やホオコの死顔が脳裏に浮かんだ。
何より、自分が捕食される危険もあった。
狼などの肉食獣や野良鬼に追われる事もあった。特に野良鬼は群れでいる事もあり、尚更勝てる相手では無かった。
子鬼は捕食者の遭遇に怯え、常に近付く音や匂いに注意する癖がついた。危ないと感じたら、直ぐに音や匂いで気付かれないうちに遠くへ逃げてじっと隠れた。
そして運の悪い時は襲われて、満身創痍になる事もあった。その度、自分の無力さを嫌と言う程理解して夜を明かした。
そうして生きるか死ぬかを長い事繰り返しても、彼は不思議と生き延び続けた。
そうして数ヶ月後ーー。
このまま獣のように生きるかと思われた子鬼に、転機が訪れた。
子鬼はとある滅んだ村に辿り着いた。
相変わらず泥だらけの素肌に、あちこちが破れてボロボロになった蜜柑色の着物を羽織っている。
また、感情表現は生存戦略に不必要なので、瞼が垂れて表情が固くなり、狼のような鋭い目付きになっていた。
村には潰されたように倒壊した木造の家屋や壊れた農具・家財道具や枯れた井戸などがあった。
それに混じって白い物があちこちに転がっている。
白骨化した人間の骨。肋骨、大腿骨、背骨、寛骨などの様々な部位の骨があちこち無造作に転がされている。
その中には頭蓋骨もあった。
白くて長い髪が付いたまま白骨化した不思議な頭蓋骨。
大きさから言って、女の頭蓋骨であった。
子鬼は長い髪に惹かれ、それに近寄る。
頭蓋骨は顎骨をガタガタと鳴らしながら震えた後、眼窩に青くぼんやりと明るい火を灯す。
子鬼は頭蓋骨を抱き上げる。
「むきょっ?!」
頭蓋骨は喋った。骸骨に寄生する妖怪・『ムクロカムリ』が寄生してたのだ。
「な、何だ!これは俺のだ、離せ!」
ムクロカムリは顎骨を鳴らして暴れるが、子鬼は気にせず頭蓋骨を高く掲げ、くりくりとした目でじっと見つめた。
「くしゅっ。」
子鬼はくしゃみをし、そして思い付いたように骸骨の長い髪を襟巻のように首に巻く。
「な、な、なんだやめろ!新居がっ!バッチイ!汚れる!」
子鬼は髪を巻き終えて、頭蓋骨を両手で胸に抱えると、目をトロンとさせた。久しぶりに温もりを感じ、安心したのだ。
そう、このムクロカムリとは『カムナ』である。
この後、子鬼はカムナを認めさせ共に旅をする事になる。
更にその旅の中でとある寺の僧侶と出会い『夜光』と名付けられるのだが、それはまた今度の話。
子鬼・夜光はカムナから戦いや生き残り方を教わり、少しずつ成長していった。
カムナは首からぶら下がり、夜光に檄を飛ばす。
「野良鬼に喧嘩売るのはまだだ。そんなチビで体重の無い体じゃ限界がある。
血肉になるもん沢山食って力付けろ!食われないように食え!
鬼は特に食べた物が、妖術や腕力とか強さに直結するらしいぞ。」
カムナはそう言って、夜光に自分より小さな動物を狩らせる。
夜光は血や肉があまり好きでは無く、可哀想だと泣きながら狩ったリスやムササビを前に、吐き戻しそうになりながら生肉を食べる。
獣肉の他は、カムナに教わって魚を獲った。
好き嫌いしてる暇はなく、自分の体一つでひたすら狩って、ひたすら喰らう。
「音や匂いも大事だが、風向きにも注意だ。
相手の匂いがお前の方に流れるか、お前の匂いが相手に流れるかで戦況が変わるぞ。
相手の位置や数、地形ーー。情報を早く手に入れて全体を素早く把握してから正しく行動できるかで生存率も勝率もグンと上がる。」
夜光は食べて、小さな妖怪や鬼と戦って経験を積み、大きくなっていった。
7歳頃には爪も長く硬くなり、それで鬼の硬い皮膚も裂けるようになった。
そして12歳になると、大きな野良鬼にさえ倒せるようになった。
夜光は森のど真ん中にある岩の上に堂々と寝っ転がる。
こんなに無防備なのは、襲われても負ける事がなくなったからである。
小柄ながら筋肉質になった体。
獣の腰巻きや金の腕輪や首輪、数珠で身を飾っている。全て、倒した野良鬼から奪った戦利品だ。
そこに蜜柑色の着物を羽織っている。長い事持ち歩いていたので、褐色に色褪せ、袖や裾が破けていた。短いので背中や腹が見えている。
「おいおい、いい加減そのボロ切れ捨てちまえよ。」
カムナが言うが、夜光は着物を頭から被って包まった。
「……やだ。ずっと一緒だったから、ずっと持ってる。」
鬼には慣れた夜光だが、人間の方は相変わらずだった。
狩場を求めて放浪した先で色んな人間と出会ったが、野良鬼と夜光を一緒の獣として考え、罵って追い返そうとするのが殆どだった。
唯一、昔と違い恨言を言われても開き直る事を覚えた。「鬼を恐れるのが普通の反応。それでいい。」と、淡々とする。
それでも一部の人間は彼が好戦的ではないと分かると、親切にしたり、感謝しようとして来た。
そんな時は、夜光はそれを拒否した。
過去の自分と関わった人間達のように傷付いて欲しくないと思っての事だった。
そして15歳くらいの頃。
ある日、夜光は食料を探している時ある人間達を発見した。
旅装束の商人と思わしき男と女、その子供である少女。親子だった。
彼らは野良鬼達に襲われそうになっていた。
崖の上の茂みから様子を見る夜光。
「山で迷って、魔除け札のない場所まで来たって所か?
馬鹿な奴らだぜ。」
高みの見物のカムナ。
「敵の数……、10か。」
夜光が怠そうに話す。
「ああ。
無理にこんな団体さんと戦う事はねえ。ほっとこうぜ。」
夜光は角を隠す為に頭から蜜柑色の着物を被る。
そして、着物を片手で押さえながら駆け出した。
「はーーっ?!
ほっとけっつうのに、何で突っ込むんだよ!お前の耳は飾りかっ?!」
首元で歯をガタガタ鳴らして怒るカムナ。
夜光はカムナと首に巻いた白い髪の端を、背中の方に投げて邪魔にならないようにする。
細く引き締まった足で斜面を力強く蹴り、砂の波飛沫を起こしながら激流のような速さで下る。
「何だコイツ?!」
野良鬼達と親子は一斉に彼を見た。
夜光は早速近くにいた一匹の横腹に風穴を開ける。
彼が拳を抜くと、野良鬼の口と腹から血飛沫を噴き上げる。
「腹がバアアアアアアアアアアアアアアンッ?!!」
「どっから湧きやがった!?」
「細っこい猿みたいなもんだ!囲んで叩いちまうぞ!」
残りの野良鬼達は同時に動いて夜光を捕まえようとする。
しかし、夜光は彼らの腕を掻い潜り、頭の上を跳び移って移動した。
跳ぶ際、野良鬼達の手首や首筋を足や手の爪で切り裂く。
血の雨が降り注ぎ、辺りは生温くむせ返るような匂いに包まれた。
夜光の白い体も赤く染まる。
被っていた着物がハラリと落ち、隠していた角が露わになる。
「……鬼!」
親子は息を呑んだ。
「そこまでだ、この!」
前方の敵を片付けてる間に、最後の一匹に背後を取られる。
野良鬼は下から丸太のような拳を突き上げる。
顔色を変えない夜光。
避ける所か野良鬼の腕を脇と足で挟み込んでバランスを崩す。
そして野良鬼の腕を担いで自分の数倍ある巨体を背負おうとする。
「馬鹿め!チビに持ち上げられる訳……。」
野良鬼の腕が引っ張られ、足が浮く。
「えええーーっ!!??ダメダメダメっ、怖い怖い怖い怖いっ!!」
野良鬼の悲鳴が止み、若い木の葉が落ちる程の地響きと共に土煙が爆風のように広がる。
彼は野良鬼の巨体を背負い投げ出来る程、力が付いたのだ。
自重から来る衝撃で目を回す野良鬼。
夜光はその首に助走から蹴りを入れて首の肉を裂き、骨を折って遥か彼方に蹴飛ばした。
血が綺麗に放物線を描き、茂みに落ちる。
「おー、飛んだ飛んだ。」
夜光は無感情に呟く。
「いやいや、飛んだじゃねえよ!血モロにかぶってビッチョビチョになったじゃねえか!」
すっかり赤くなったカムナがぼやく。
襲われていた親子は3人で固まって、目と口を開けたままだった。ものの数分で出来上がった血の海を恐る恐る眺める。
「あ……着物。」
夜光は落とした蜜柑色の着物を探す。
「あ。そ、そこにあるよ。」
親が止める中、少女が着物を拾って彼に手渡す。
「……お。良かった。」
夜光は着物を大事そうに胸に抱いた。
「助けてくれた……のか分からないけど、ありがとう……。」
血塗れの夜光は恐いが、少女は微笑んでくれた。
夜光は目を見開いた後、肩をすくめ気まずそうに目を逸らす。
「……血の匂いで他の野良鬼が来ない内にどっか行け。邪魔だ。」
親子に背を向ける。
少女と親子は困ったように顔を合わせて、何か話し合う。
「鬼は鬼でも仏の道に入って、神と呼ばれた鬼もいると言う話を聞いた事がある。
命を救って頂いた事には変わりない。ちゃんとお礼をしよう。」
父親がそう提案し、母親と一緒に荷物から何か取り出す。
母親が血を拭く為の手拭いを渡し、父親が新品の着物を差し出した。
「せめてお礼にこれをどうぞ。お召し物が血で汚れてしまったでしょうから。」
一方、少女は楽しそうに針と糸を取り出す。
「最初、頭に着物被って角隠してたよね?
いつでも被って隠せるように、頭巾みたいなのを着物に縫い付けたらどう?」
「そりゃいい。同じ色の布を丁度仕入れたから今ここでやってあげよう。」
夜光がきょとんとしている間に、親子は手早く仕上げて彼に手渡した。また、色褪せた蜜柑色の着物は上手く切って着物の帯にしてくれた。
夜光は真新しい着物に袖を通す。
「あー!似合う似合う!
いーなー。おしゃれだし、私も真似してみようかなー。」
「丈も丁度で良かったわあ。」
夜光は3人に褒められ、少し照れ臭そうに手いじりした。
暫くして、親子と別れる。
「じゃあね!ありがとう!」
少女は友達であるかのように手を振った。
久しぶりの人の笑顔。
夜光は別れた後も暫く体が温かく、軽くなるような気分になった。頭巾付きの着物を指で摘んで撫でる。
(人間と一緒に居れないのは分かってる。俺も相手も悲しい目に遭うのも知っている。
なのに、それでも遠目からでもいいから、喜んだり楽しそうにしたりしてる姿が見たくて、側に寄ってしまうのは何故だろう。)
「やっぱり、俺は変な鬼なのかな……。」
俯いて歩く夜光に、カムナは欠伸をする。
「かもな。物好きには違いねえさ。
で、この辺はもう獲物がいなくなったし、次は北にでも行くか?」
「あの親子と反対の方向に行く。」
夜光はあの親子を思い浮かべ、僅かに微笑んだ。
幼く無力だった彼はもういない。
苦難を乗り越え、自分と他者を守れるようになった。
誰かと寄り添い続ける事が難しくとも、誰かを救う事で心を満たす道を見出したのだ。
しかし、本人はまだその変化に気が付いていない。
<子鬼が行く・完>




