降りる鬼(4/4)
ふと、辺りが静かになった。
周りにいた妖達が全てがどよめいて何処かへ逃げたり、後ろに引き下がって一つの道を空ける。
「あ……!ああっ……!」
しきみがある方向に目を留めて声を上げた。
森の奥の暗闇から二つの黄金の円が迫って来る。
それは人間の男の姿をしており、その瞳からは虎目石のような輝きが発せられていた。
密彦たちの目に、二本の立派な角が目に入る。
緋寒は呆れたように笑う。
「赤鐘の奴め。『獄鬼』なんてやっぱり役に立たなかったじゃないか。」
眉間に皺を寄せて鋭い眼光を走らせ、降ろした手を広げる。
「ぉお……!グアアアアッ!!」
獣の様な唸り声を出した後、緋寒は青い炎に包まれた。
四人は眩しさに目を閉じる。
再び目を開けると、目の前にいたのは朱色に輝く立派な鬼だった。
先程は人に近い姿をしていたのに対し、今度は禍々しく妖美な化け物の姿になっていた。
体は熊の様に大きく、幹の様な硬い皮膚に覆われた筋肉は人間の武芸者よりも力強く、銅より鮮やかで、そして強い光沢がある。朱色の髪は獅子の鬣のように猛々しく、瞳は虎目石のような幻想的な輝きを放ち、二本の立派な角は太刀のように長く、太さがあった。
「百之助……。今すぐに娘さん達を連れて逃げろ……!
鳳凰札なんて効かねえ……。
奴は上級の『天鬼』の中でも更に最悪な鬼……。」
百之助は木次郎の力無き声と戦慄した表情を見て頭が真っ白になった。
「『酒吞童子』だ!!」
酒吞童子・緋寒は結界の木に手を掛けた。
魔除け札の力が彼の腕に電流を走らせたが、本人は何も感じてないらしく高笑いをしている。
木は今にも砕けそうであった。
「全ての鬼を平伏させるであろう歪な我が子!
早く見たいものだなあ?我が妻よ。」
酒呑童子はしきみの方を見て語りかける。
「待て……、まさか姉さんに身篭らせたのは……!」
目を血走らせた密彦が酒吞童子に向かって叫び立ち上がる。
子供の頃に自分を世話してくれた姉の笑顔や温もりが彼の脳裏を駆け巡り、その姉の体が化け物に抱擁されている光景が見えたのを最後に、彼の中で赤く激しい何かが一気に噴き出した。
「お前がっ……化け物おおおおお!」
しきみは密彦を止めようと手を伸ばすが、産みの苦しみが絶頂まで達して彼女もまた叫んだ。
「ああ……ああああああっ!!」
アギャー!
密彦や周りにいる全ての者の耳をつんざくような赤子の声が聞こえた。
密彦が振り返ると、しきみの足元に1歳位の身体つきの赤子が転がっていた。
クセのある髪は黒く、肌は雪のように白く、人間の子供となんら変わらぬ可愛らしい顔であった。
しかし額には角らしき二つの小さな突起があった。
赤子は直ぐに泣き叫ぶ事を止め、しきみの顔の方まで這うと、驚いた事に震える二本の足で立ち上がった。
しきみは息を整えながら、ようやく産まれた我が子に微笑む。
寒くないように自分の着物でその身を包んでやり、その身を優しく抱きしめた。
赤子は生まれたての獣の子がそうする様に、母親から乳を飲み始めた。
その時その場にいた者は、妖、酒吞童子さえも、一時その光景を見て静まり返った。
酒吞童子は高く空を仰ぎ雄叫びを上げた。
近くの木の陰に控えていた獄鬼も新しい鬼の子の誕生を祝うかのように遠吠えした。
「あーあ……。元実様に早く連絡しないと。」
木の上から様子を見ていた赤鐘も不服そうにしながら一礼している。
「姉さん……?」
密彦は呆然とその異様な光景を見てるしかなかった。
姉が遠い存在になったように感じられた。
ふと自分の足元を見ると、折れてわずかに刃が残った刀の柄が転がっていた。
先程、百之助が獄鬼との戦闘で折った朱刀だった。
密彦は鬼の子を抱くしきみの前で片膝をつく。
片手には折れた朱刀が握られていた。
しきみは鬼の子に微笑みかけていて気が付かない。
(姉さん。鬼がどんな存在だったか、何をしたか忘れたの?
貴方は鬼じゃないんだ!そんな角が生えた赤ん坊に優しくしないで!
戻って来て……!)
木次郎が我に返り、素早く袖下から護符を取り出す。
「百之助!二人を連れて今のうちに脱出だ!
退路は俺がなんとかする!」
「はっ!はい!
密彦さん!しきみさ……。」
ズッ
「ああっうぅ……!」
鬼の子を抱いたままうつ伏せに倒れるしきみ。
百之助が慌てて駆け寄る。
密彦は呆然として刀を落とす。
密彦が鬼の子を刺そうとし、しきみがそれを庇ったらしい。
酒吞童子も異変に気付き、結界の木を砕く。
その瞬間、結界内に妖や鬼が全てなだれ込む。
木次郎は驚く間も無く、百之助達を庇う。
そして何か唱えながら護符を放ってその結界の力で歯牙を防いだ。
百之助は自分の袖を切ってしきみの背中を止血する。
そして、しきみと一緒に脱出しようと密彦に声を掛けたが、密彦は抜け殻のようになっていた。
妖や鬼の爪や首が木次郎の結界をすり抜け始める。
簡易的な護符の結界だけではもうもたず、崩壊寸前だった。
しきみの背中から流れる血が乳や髪を伝って鬼の子の口や目に入る。
鬼の子は目を見開き、産まれて初めて見る『母親』という生き物の姿をその目に焼き付ける。
まだ幼いせいか、それとも鬼であるせいか、その女が血だらけになってまで自分を守り、安心したように微笑んでいる意味をまだ理解できなかった。
その悲しみの代わりか、頬には血が涙の様に流れる。
バリッ
木次郎の結界が完全に崩壊した時ー。
鬼の子はしきみの腕の中から出て、宙に跳んだ。
母親が包んでくれた着物の裾や袖をはためかせながら、そのまま月を背に静止した。
片目の黄金の瞳を輝かせて念じ、角と角の間から、鬼や妖怪全てに青い火を広範囲に放つ。
いくつもの火の玉が放物線を描きながら矢のように降り注ぐ。
すると、鬼や妖達は急に広がった火に一斉に断末魔を上げて悶え苦しんだ。
空を見上げる酒呑童子は、我が子が浴びせてきた炎に包まれながら嬉しそうに呟く。
「初めて人間の血を飲んだのか。
この鬼火は、悪くない……。」
そこへ今度は背後から数頭の九尾の狐が尻尾の炎を滾らせながら酒吞童子に向かって駆け降りてくる。
「赤鬼の新しい酒吞童子・緋寒!
その命ここで喰らい尽くし、積年の怨み晴らしてやる!」
「狐の大将か。仕方ない向こうで遊んでやる。
……我が子よ。生きて我が願いを遂げるか、負け死ぬか、後はお前次第だ。」
酒吞童子は穏やかな声で呟く。
そして、狐たちを引き付けながら騒ぎに乗じて人知れずその場を去った。
朱色に輝く鬼は嵐のように木々や地面を蹴って抉りながら猛進する。
「……もし生き残れたのなら、赤鬼の一族を、いや全ての鬼を殺しに来い。そして、この俺をも倒してみせろ……!
待っているぞ……、歪な我が子。」
化け物の高笑いが森中に響き渡った。
***
日の当たらぬ早朝。
全ての火を消すように土砂降りの雨が降っている。
辺りには焦げた妖の肉片や木の残骸が散乱していた。
その黒炭の世界の中に生きている者がいる。
木次郎や密彦達は、鬼の子が獄鬼や妖を焼いている間にその場を脱出し、どうにか逃げ延びたのだった。
密彦は気絶しているしきみを黙って抱いて、背に布を当てがって止血をしていた。
鬼の子が羽織った長い着物を引きずりながら、母親のしきみを求めてヨタヨタと歩いてくる。
密彦は疲れ切った顔を上げて、鬼の子を突き飛ばした。
「全部お前らのせいだ……!全部!
お前らがいなければみんな幸せでいられたんだ!姉さんも、姉さんでいられたんだ!
お前なんかここで殺されるか、勝手にどこかへ行って野垂れ死んじまえ……!」
密彦は憎悪を込めて唸った。
鬼の子は訳がわからず、泣くこともできず、立てないままそこに座り込んでいた。
密彦は歯をむき出しにして何度も泥を掴んで投げ付けた。
「鬼なんか死んじまえ!鬼め!鬼め!鬼めえ!」
泥だらけになった鬼の子は無表情のまま立ち上がり、雨に打たれながらとぼとぼと歩き出した。
やがて森の陰に入り、その姿は見えなくなった。
***
百之助の肩を借りながら、顔の一部に軽く火傷を追った木次郎がやって来る。
燃えずに済んだ薬品入りの箱と水筒を手に持っている。
「……とんでもない研修になっちまったな。
しかし、普通なら二人とも死んでいてもおかしくない状況でよく戦い抜いた……。良くやった。
帰ったら合格ハンコしてやらんと。」
百之助が不服そうな顔をする。
「子鬼を殺せなかったのにですか……?」
「あれは『酒吞童子』の子だ。ちょっとやそっとで方が付く問題じゃない。
俺が生きてる内にケリがつくかどうかもわからん程のものだ。
もしかしたら、お前達若い奴らに残してしまう問題かもしれん……。」
「分かっています。全てが終わるまで生涯を角狩衆や英雄・『源頼光』の魂に捧げる覚悟はもう出来てます。」
「ありがとよ。俺より先には死なせんから、これからも覚悟しとけよ。」
木次郎は険しかった顔を緩ませて、百之助の肩を叩いた。
「木次郎様、ありがとうございます……。」
百之助は安心したようにため息をついた。
「密彦さん、しきみさん、お待たせしました。薬草です。
朱刀の塗料で人間の皮膚は溶けませんが、念の為、中和液も塗っておきましょう。
しかし、刃が短くなっていて良かった。傷も深くありませんし治りも早いでしょう。」
百之助は密彦を気遣いながら、しきみに戦装束の上着の部分をかけてやった。
「あれからあの子鬼はこっちに戻って来たかい?」
「……いいえ。」
木次郎の問いに、密彦は膝を抱えて俯いたままボソっと答えた。
「そうか……。
幸い人間を無差別に襲う奴じゃ無くて良かったが、危険には変わりない。
この後、応援の奴らに搜索させて対策を練る。」
「待ってください……。」
しきみが目を開く。
「どうか……追わないで。
あの子だけは……何も悪くないんです……。」
か細いが、間違いなくしきみの声だった。物狂いでなく、正気に戻った彼女が話しているのだ。
「姉さん……今なんて?!」
しきみは森の奥を見つめる。
震える唇で更に何か言おうとして、再び気を失った。
(降りる鬼・完)
『緋寒』
・夜光の父。朱鬼の一族。『酒呑童子』の称号を持つ。
鬼の中では一番強いと言われ、自分の兄を差し置いて実父と決闘し、それを仕留めて『酒呑童子』の称号を捥ぎ取る。
純粋に鬼として自然や戦いの中で鍛えて強くなることに興味を持っている。その為、鬼の派閥争いや人間の支配を煩わしく思い、誰とも接触せず人間に擬態しながら単独で行動していることが多い。
性格は自由奔放で好奇心旺盛。鬼ゆえに弱肉朝食を重んじて無情な決断をすることもある。
*名前は「寒緋桜」という種類の桜が元
『赤鐘』
・元実が信頼を置く重臣の人鬼。
単独で重要な交渉や指揮を任されることが多い。




