降りる鬼(3/4)
村を囲む雑木林よりもっと奥ー、人通りから離れた森の獣道を10分程歩いた場所に木次郎と百之助、密彦、しきみの姿があった。
木次郎は近くの均等な間隔で円状に生えている5本の木に、様々な種類の魔除け札や特殊な護符を何か念じながら貼ってる。
百之助は金属の鱗が縫い付けられた身軽そうな黒い装束に身を包み、葛籠から箱をいくつか慎重に取り出している。
しきみは魔除け札を貼っている5本の木の輪の中心に敷かれたゴザの上で眠っている。
密彦は心配そうに周りを見回しながら、しきみの手を握って側に座っていた。
「木次郎様、朱矢と朱刀、それから予備の札と目くらましの鏡も準備できています。結界の外で火を炊いてますが、中はどうします?」
「外だけでいい。結界の中だと腹の鬼が警戒して出て来なくなるかもしれん。
……それより、鳳凰札も出しておけや。」
「あれを?まさか中の子鬼は上級の……。」
「下等な鬼なら人間の女で遊び喰いすることはあっても、孕ませて生かしておくことはまずねえ……。
人や獣を餌としか思わんはずの鬼の中で、こんな奇妙なことをやろうとするのは知能がある上級の鬼位だろう。」
声を潜める木次郎の言葉に、百之助は一瞬目を丸くして生唾を吞み込んだ。
「それは『天鬼』の可能性もあるということですか?
木次郎様、子供とはいえ『天鬼』ならば、やはり応援を待つべきでは。」
「まあ腹の鬼の判定結果が今一ぱっとしなかったにしても、それくらいの用心が一番だな。
でもな、あの娘の腹の大きさは人間で言う所の臨月くらいだ。
そんないつ出て来てもおかしくない奴が、もし生まれてすぐに暴れるようなやつだったらどうする?
せめて、村から離れさせて置かなければならんだろう。
……まあ一応ここで応援は待つが、腹から出て来ちまったら戦うしかないな。」
百之助は小さな箱を開けて五色の美しい紙札を取り出し、不安そうに見つめた。
「母親の腹部に魔除け札を貼って中の鬼を弱らせてから堕ろさせることは出来ないんですか?」
「可能かもしれないが、母親の方は胎児の動きと痛みに引っ張られて酷く苦しむと思うぞ。
最悪の場合、腹の鬼が痛みで堪らず、あの娘の腹を無理矢理破って出てしまう事だって考えられる。」
百之助はしきみを心配している密彦の顔に視線を向け、諦めたように溜め息をついた。
「分かりました……。間に合わなかったら、どうにかして私たちで仕留めましょう。」
「無茶苦茶に思えるかもしれんが、鬼狩って人も救うとなれば自分を追い込むしかないこともあるさ。
それでも、出来るだけ援護はしてやる。落ち着きながら必死こいて行け。」
「……無茶苦茶な指示ですね。」
百之助は再び溜め息をつき、踵を返して武器の確認に取りかかった。
「あの……。腹から鬼を出した後、姉は助かるんですか?」
二人の会話に不安になったらしく、密彦が百之助に恐る恐る声をかけた。百之助は心配させまいと暗い顔をやめて笑顔を作る。
「角狩衆として少数ながら力を尽くすと約束します……。ただ、鬼が人間に子供を産ませようとするという事例はあまりない為、正直どうなるか予想が出来ないこともあります。」
密彦は俯き、薬湯で眠っているしきみの手を一層強く握った。
「密彦さん。ここは後に鬼退治で戦いになるかもしれません。あなたを守りながら戦う余裕は私たちにはないかもしれない。それでもここに残るんですね?」
密彦のしきみへの想いを汲みつつ、村を出る前にした問いをもう一度問いかけた。
「邪魔になるようなことはしません。どうか姉さんと一緒にいさせてください……。」
密彦は重々しい表情のまま、しかしはっきりとした声で答え、百之助達の方に向き直った。
***
「鼻の効きを下げる為の香と朱矢の匂い……、この先に角狩衆が二人か。
もう少しで『我が妻』が産気づくというに……。」
頭から全身をボロ布を纏った背の高い男が、木の上でゆったりと背をもたれさせて寛いでいる。
あの鬼の男だ。
「おや、新しい御子の顔を見たいのに、角狩達が邪魔どころか何やら母親に手を加えようとしていますね。
お困りですね?緋寒様。」
隣の木から、礼儀正しそうな若い男の声が聞こえる。
植物模様が描かれた黒い麻の着物を着、真っ直ぐで短い髪を綺麗にまとめていた。見た目は人間の好青年であったが、その額の中心には皮膚と同じ色の角が一本生え、瞳は黄金色をしていた。
鬼の男・緋寒はうっとおしそうに溜息をつく。
「赤鐘か。よく俺が見つけられたな。」
「人間に化けていらっしゃったので時間はかかりましたが、微量な鬼の気配が同じ場所に居座っていたので気付けました。
貴方らしくない珍しい間違いです。身籠ったあの『人間』の奥方様の為ですか?
由緒ある一族からの縁談を散々断っておきながら、誇り高い『天鬼』の精をよりにもよって人間ごときに注いでしまうとは……。
貴方の兄上であらせられる元実様がまた怒り狂ってしまわれます。」
赤鐘はにこやかな表情と優しそうな口調のまま、畳み掛けるように話す。
「何しに来たかは聞くまでもないな。
前々から言ってるが、兄上の下で人間相手の国取りはやらんぞ。」
緋寒は欠伸をした。
「そう仰ると思いましたので、いい話を持って来ました。
緋寒様、奥方様を角狩共から取り返す為に『獄鬼』を貸して差し上げましょうか?」
「あんなオモチャはいらん。」
「いいんですか?御子は奴らに殺されてしまうかもしれませんよ?」
「それで死んでしまうような鬼なら……。
待て……!」
緋寒は頭を覆うボロ布をめくって顔を空に向ける。
日が落ちて空は赤と紫の色が滲み合っていた。
「始まった……。」
緋寒は瞳を黄金に輝かせ、額に角を生やして鬼の姿になった。クセのある朱色の髪が炎のように揺らめいている。
***
辺りは薄暗くなり、魔除け札を貼った木の結界の外側にあるかがり火が明るく感じられる。
結界の中では百之助が五つの木を輪で囲むように縄を張り終わった所だった。縄には赤・緑・黄・白・紫の五色の紙を用いた風車が幾つも並んで取り付けられている。
カラ……
風車の一つが回る。やがてそれを皮切りに、縄についていた数十個もの風車が狂ったように一斉に回り始めた。
カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラー。
百之助が周りを見回しながら結界の中心の密彦達の元に戻る。
「……!」
仮眠を取っていた木次郎が目をカッと開き、刀を持って立ち上がる。
「木次郎様、風車が邪気を感知しました!」
「武器を構えておけ……!こいつは……。」
「うっ、あっ、あっ、はっ!」
「姉さん!しっかり!」
しきみが密彦の膝下にしがみ付きながら悶え始めた。
「くそっ、陣痛が始まったか!!」
木次郎は刃が朱色に染まった刀を抜く。
百之助も密彦たちを庇いながら、弩に朱色の矢じりが付いた矢を装填する。
結界の外側の、灯りが届かない木と木の間の暗闇の中で何かがうねる。
結界のすぐ近く、巨大なムカデが身をくねらせながら密彦達のいる所に目がけて急降下して来た。
「わあああっ!」
密彦は絶叫しながらしきみを庇う。
しかし、頭上3メートル程の所でムカデは雷に打たれたように痙攣し、頭を仰け反らせた。
「大丈夫です!妖避けより強力な結界がありますから大概の妖は中に入って来られません!」
百之助はそう言って、辺りを見回して息を呑む。
結界の外は巨大な蜘蛛や蛇や得体の知れない魑魅魍魎で埋め尽くされていた。
『滅多にお目にかかれぬ「鬼の子」よ。喰らえば猛き鬼の力が我らの血を強くする……!』
妖達は口々に『鬼の子』を欲しいと言い、結界に迫っては弾かれていった。
「木次郎様!こんな数の妖が!」
「俺が言っているのはこんな雑魚のことじゃねえ……!」
ガサッ!
今度は妖達の間をかいくぐって何かが二足歩行で走ってくる。
人間だった。
「村人か?!何故ここに?」
弩を下ろす百之助。
木次郎は三人の人間を目に捉える。
彼らは粗末な腰巻のみの半裸姿だった。クマのある顔を引きつらせて笑い、結界めがけてやってくる。
「違う!百之助、そいつらを絶対入れるな!」
最初に結界に侵入した不気味な人間は、懐から赤い結晶を取り出す。
それを飲みこみ、掠れる声で何か唱え始める。
すると目が黄金に光り、額から突起が見え始める。
木次郎はそれを素早く斬り伏せる。
悶える人間の傷口から紫の煙が立ち、ジュウッと肉が焼ける音がする。
この朱刀と呼ばれる刀は、傷の治りが速い鬼の皮膚の出血を酷くする物質が塗られており、更に鬼の血と混ざると強酸になるのであった。
百之助も戸惑いながら一人を矢で仕留めるが、もう一人はその隙に中へ入り込む。
入り込んだ人間は、木次郎が斬った人間と同じように赤い結晶を飲み込んだ。
瞳が黄金に光る。
四肢の筋肉がパンパンに膨れ上がり、皮膚は硬い木の幹のようになる。
骨格は人間本来のものから離れ、顔は醜く、背丈が大人二人分の大きさになる。
最後に鋭く尖った長い角を額に生やすと、化け物は肉食獣のような雄叫びを上げた。
赤鐘達が話していた『獄鬼』とはこの鬼の事だった。
「鬼に変化した?!」
「成る程、人間なら妖避けの札は無害。そして札の影響を受けない内部に侵入してしまえば鬼になって好き放題出来るって訳か!
上級の鬼なら人間に擬態することもあるが、コイツらは違う!恐らく根っからの人間を従わせて、結界に侵入させた後に、何らかの術で鬼にさせているんだ!
百之助、二人を守れ!」
獄鬼は角を振り回しながら木次郎に突っ込む。
百之助は弩を腰に戻し、朱刀を抜いて駆け出す。
密彦は獄鬼を食い入るように見る。
「鬼だ……。村を襲って、鈴四郎さんの娘さんを喰って、姉さんを……!」
しきみの先程よりも苦しそうな喘ぎ声が、密彦の腹の底から噴き出すドス黒くて炉より熱い感情を刺激した。
木次郎は熊より俊敏で重い攻撃を身軽そうな足さばきでかわす。そして隙を見て獄鬼の脇から斬りかかる。
しかし、獄鬼は丸太のような腕を振り回し、彼を結界の外へ吹き飛ばす。
「うおおおお!」
獄鬼の注意が木次郎にいっている間に、百之助が背中側から心の腑辺りを朱刀で突き刺す。しかし、甲羅のように硬い背中は刃が奥まで通らない。
傷から紫の煙が立ち、獄鬼は呻いたが動きは止まらず、背中の筋肉を引き締めて朱刀をへし折ってしまった。
「百之助!動きを止めろ!」
木次郎の声が聞こえる。
百之助は素早く前転して、頭上の獄鬼の爪をかわす。
そして懐から小さな鏡を取り出して、かがり火の光を目に反射させる。
「ォオオオオオオ……。」
獄鬼の動きが一瞬止まる。
鬼の目は元々夜目が利くようにできており、直射日光や強い光の照射によって目が利かなくなるのだった。
その隙に朱刀が飛んできて、後ろから喉を貫いた。
柄の部分には妖避けが貼り付けられていた。
獄鬼はそのまま前のめりになり、痙攣してやがて動かなくなった。
刀が飛んできた方向から木次郎が歩いて来る。出血した肩を押さえている
結界の外の妖をかわして戻ってきたらしい。
「木次郎様!ご無事で!」
「やっぱり、札や結界を欺く為の浅知恵だったか。
鬼に変化した後は札や朱刀で充分対抗できる……。
上へのいい土産が出来たぜ。
にしても、高くて大事な商売道具折っちまって全く……。」
百之助はホッとした表情を浮かべ、獄鬼の首から朱刀を抜いて木次郎に渡した。
だが、木次郎は険しい顔のまま叱咤する。
「油断するな……!こんな奴らよりも……。」
ガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラガラ!
再び風車が回り始めた。今度は先程よりも激しく回り、羽が故障して地面に落ちる物もあった。
百之助、木次郎、密彦は冷や汗を流しながら辺りを見回す。
苦しんでいるはずのしきみも痛みに耐えて少し上体を起こす。




