鉄籠の鬼(4)
4.
大江曽山・北ーー。
雨上がりの野原。すすきや露草から大粒の雫が溢れて輝く。
雲間が大きくなり、くすんだ秋空から光が差す。
連山を見渡せる岩場に陽光がいる。
鬼火で赭を埋葬し、家路に就いている所だった。
今は一休みし、篠笛を吹いている。
虫の声と風の音。辿々しい笛の音色。
陽光は疲れた顔にふっと笑みを浮かべる。
「……何て下手なのだろう。」
背後から草の擦れる音がし、無意識に後ろを振り返るが、そこに彼はいない。赭は口数の少ない男ではあったが、振り返ればいつも側に控えていた。
陽光が勉学や技芸に励む時も、戦いの鍛錬に励む時も、就寝前も、ただ静かに見守っていてくれた。話しかければ、簡潔ながら心が温かくなる言葉を返してくれた。
髪や衣服を通り抜ける風が冷たく感じ、涙が出そうになったが、それを堪える。
「私は……お前がいないと何もできないな……、赭。」
陽光は城に戻った。
家老の大志摩に説教された後、赤鐘に呼ばれる。
二人は地下居住区に向かう。
「黒鬼をいい所まで追い詰めたそうですねえ。
心配する大志摩様には悪いですが、飛び出した事で何だか一皮剥けたように感じられますよ。」
「……色々すまなかった。」
「いいえ。褒めているんですよお。陽光様にはもう少しご自分の意志で行動をして欲しいと密かに思っておりましたので。」
陽光は俯きながら赤鐘に尋ねた。
「赤鐘……。二瀬渓谷の戦いで赭が負傷した後、何故彼を放って置いた?」
「赭の死体から血を飲んで記憶を回収なさったんですね?
あれは青鬼から撤退するのになかなか必死でしたので、赭の事は彼自身に任せるしかなかったんです。」
淡々と返す赤鐘。
「せめて私に早く教えてくれれば、角狩に手を掛けられず、まだ助けられたかもしれない……!」
「駄目ですよ。その時、陽光様は城の守りを任されていましたでしょ?
それよりも角狩に関する記憶を見たなら後で詳しく教えて頂けませんか?」
「っ!!」
特に何も感じていない赤鐘の態度に、苛立つ陽光。
そうこうしている内に、元実の部屋の前にたどり着く。
赤鐘の声掛けの後、部屋の中から元実が話しかける。
「陽光か?話がある。」
陽光は苛立ちを抑えられないまま乱暴に扉を開く。
普段優しい彼らしくない程、赭の死は彼の心を乱していた。
元実の部屋に入って早々、何かに躓く。
変化した天鬼の死体だった。十数体程転がっている。
翡翠の石畳があちこち血で汚れていた。
「それか?朱天鬼の身内から一人、後は他の赤鬼の一族。
珠姫は辛うじて奪い返したものの、私自身は決闘で頼光を倒せず、おまけに最後に乱入した青鬼を倒せずに撤退という醜態を晒したからな。それを口実に、族長の座を明け渡せとやって来た連中だ。」
胸がはだけた寝間着を着直しながら、うんざりしたような顔で言う元実。
腹や腕には包帯と、浄化の毒素を抜く為の特殊な湿布を貼っている。
「侵入者なら赤鐘をお呼びになれば……。」
「怪我で寝込んでいると申せば益々つけ上がる故、気が済むまで相手をしてやるしかない。……赤鐘にはワザと通すように頼んだ。
……ンッ!」
やはり傷の痛みを我慢していたのか、横腹を抑えて寝台に仰向けになる。
「……。」
怒る勢いが弱まってしまい、黙り込んでしまう陽光。
「敗北すれば従えていた者が取って代わろうと反旗を翻す。
これが赤鬼における、負けた指導者の末路……。お前も覚えておいて損はない……。
信用できるのは自分の血で繋がった人鬼ぐらいだ。」
力無く鼻で笑う。
「思えば憔悴して死んだあの哀れな女、母上の言う通りかも知れん。
鬼が天下を統一するなど夢物語だと……。
元々鬼は個が強過ぎる存在故に、親類以上の大きな群れを作るのに向いてない種族。人間と同じように国を作ろうものなら、上に立つ者が統治に苦しみ、それどころか強い者の下で怠ける者が増え種族自体が衰退すると……。
故に、小さな部族をいくつも形成したまま自然のままに己を鍛え続けながら生きるべきだと。
だが、もう止まれぬ……。
何代もこれを続けて来た。血反吐を吐いて続けさせてきた。
ここで止めようものなら、それこそ人間達に隙を突かれて一族崩壊の悪夢が繰り返される。」
「父上……!お尋ねしたい事が。」
元実の言葉を遮る陽光。いつもなら緊張し過ぎて出来ない事だ。
元実は珍しく陽光に顔を向けた。
「赭の事であろう?
フン……。青鬼との戦いで、あろうことか奴に庇われた……。
自分の人鬼なら自分の手足で身を守るようなものだからそうするのは良い。
しかし陽光、お前の人鬼となると話は別だ。
渓谷の戦いが始まる直前、私は奴に『手違いとは言え朱天鬼の血で人鬼になった身なら、それに恥じぬ戦いをしろ』と言う意味で圧をかけたつもりだった。
だが、赭は『残りの命を捨て身に使え』と捉えたらしい……。人間だった頃の考え方の癖だろう……。」
陽光の震える拳。
「庇われておきながら、そのまま赭を見捨てたんですか?」
「そうなるな。……あの時、私は薬で変化をし、正気を失っていてな。その間の出来事はついさっき赤鐘から聞いたばかりだ。」
陽光の髪が水草のように広がる。殺気だった瞳。
だが、元実は穏やかな顔をしていた。
「それでいい陽光……。
私も子供の頃に、父・関緋をそうしてやりたかった。」
「……え?」
陽光の髪が元に戻る。
「父上(関緋)は戦では神の如く荒々しく、気性の荒い赤鬼の部族を一つにまとめ上げる程強かった。
だが、城に帰れば夫の自分を心から愛さない妻に一喜一憂し、反対にその妻から無償の愛を注がれる自分の子供達を見て嫉妬するような矮小な鬼でもあった。
その癖、学や戦など後継ぎとして私に完璧を求め、出来なければ暴力を振るった。そこには母上に拒絶された憂さ晴らしも込められていたに違いない。
本当に……緋寒に先を越されなければ、私が酒呑童子を継ぐ決闘を申し込みこの手で殺してやりたかった……。」
元実は自分の首にある、縄で絞めた跡のようなアザに触れる。細めた瞳に影がかかる。
「だが、所詮は親子。私も奴と同じだった。
表では虚勢を張って偉そうに振舞いながら、蓋を開けてみれば、このザマ……。
族長として強さと気高さを必死に装っていただけの醜い老鬼だ。
お前もこの憎き父を殺すなら今のうちだぞ……。」
陽光の瞳が緑色に光る。
心を読まれるので、その目で見られる事を元実は常に拒んでいたが、今は真っ直ぐに目を合わせている。
(父上が初めて私に向けて本音を……。
いつも、私に心を見透かされないように拒絶していたのに……。
陽光は徐に手を高く上げる。
彼の影が落ちても、元実は動じなかった。
陽光は元実の体にそっと毛布を掛けてやる。
「……父上の辛さと弱さ、子供の頃から何となく感じ取って知っていました。
だから心から憎いと思った事はありません。
それよりもその苦しみを知りながら、私も自分の弱さと向き合わず、痛みから逃げて受け身になっていました。
それが私の罪だったと今更気が付いた自分が情けないのです……。」
陽光は部屋を後にしようと踵を返す。
躊躇った末、声を掛ける元実。
「陽光……。大分背が……伸びたようだな。
少し前まで女のようではないかと思っておったが、男の手と背中になっていて……何というか、安心した。
しかし、決して油断をするな。常に己を高め続けろ。
……それだけだ。行くが良い。」
陽光は振り返って軽く微笑む。
(赭の死と引き換えに、父上と面と向かって話せるようになるなんて……。皮肉だ……。)




