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中編


 教会は、勇者の力を恐れた。

 召喚から数ヶ月、二人の勇者が開発したマヨネーズとケチャップは、貴族はもとより、平民の食生活さえ一変させた。ささやかな食卓の色添えに、赤色と黄色が加わるようになったのだ。


 二度目だが、教会は勇者の力を恐れた。

 勇者と呼ばれる者は、武勇に優れていると、伝承・おとぎ話によって当たり前のように知られている。実際教会は、勇者が戦闘訓練をする様子を見て、伝承に書かれた戦功は決して誇張されたものではないと確信した。しかし、だからこそ無視をしていた。

 武勇に優れている? 世の中には、力だけで解決できないような、狡猾さが物を言う世界があるのだ。教会は、今までのスタンスを保とうとした。王国を下に、教会を上に。そうあろうとした。


 しかしここで、教会側に誤算が生じた。召喚された勇者両名が、特殊な趣味を持っていたのだ。それも病的なほどの。マヨネーズとケチャップである。

 驚異的な速度で開発された二種類の調味料に、教会は対応が遅れた。それは、下手すれば致命傷足り得るほどに、教会にとっては痛い一撃であった。


 教会が、王国相手に優位性を保てていたのは、三つの要因のためである。

 一つ、都市における交通網の支配。

 二つ、戦線は、教会側の貴族が維持していること。

 三つ、王国に影響されない、独自の軍を所持していること。


 勇者の到来により、三つ目の要因が潰れたのは言うまでもないだろう。しかし、これについては、あくまで保険という意味合いが強いため、教会は王国の勇者召喚を見逃していた。だがしかし、マヨネーズとケチャップの登場により、王国と教会を取り巻く状況は一変する。


 マヨラー・ケチャラー勇者、ともに調味料のレシピを限定的に公開したのだ。


 この判断は、王国の助言によるものが大きかった。勇者は最初、この決定に反対したのだが、平民にも十分な量を供給することで合意を得た。そして、教会を贔屓している、教会が贔屓にしている商会には、マヨネーズとケチャップのレシピを公開しなかった。

 当然のことだが、世の中の大抵のことは金で解決できる。管理されていた交通網など、金で取り返せばいいのだ。教会には、調味料のレシピを知る由もないので、金策に困窮することもあるだろう。ますます、交通網の管理が至難になること請け合いだ。


 そして、教会が状況の変化に気づく頃には、すでに手遅れであった。


 マヨネーズとケチャップは市場に出回り、王国の求心力はウナギ登り。逆に教会は、贔屓にしていた商会から顰蹙を買うことになった。苦し紛れの策として、マヨネーズとケチャップを『悪魔の調味料』と、使用を禁止したが効果はなし。できたこととしては、二国間での調味料の貿易を阻止できたことくらいであろう。

 しかし、貿易を阻止できたのは不幸中の幸いであった。貿易品の関税撤廃を理由に、停戦に至る道筋が見えてしまうためだ。


 三度目だが、教会は勇者の力を恐れた。

 武力もさることながら、商売の才も十分に脅威であると判断したのだ。

 よって、教会は勇者を排除することにした。






=====






 マヨラー勇者は、大人数に囲まれながら、最前線へと歩を進めていた。

 彼は思うのだ。 

 その地面には血が染み込んでいる。生きた人間に剣を全力で叩きつけ、相手を殺すのだ。そこには崇高な思想などあるはずもない。前口上でいくら士気を高揚させようとも、正当性を力説しようとも、死はまったくもって気まぐれだ。誰よりも生きたいと願う者は死に絶え、帰る場所を失くした者が生き残る。そんなことだって、あり得る。

 背中がちりちりと焼けるような感覚が、怖い。初めて殺人を意識したからだと思いたかった。一人を殺すのは犯罪だが、千人を殺すと英雄だ、という言葉が思い浮かぶ。だが、状況が悪い。残念ながら、殺すことになるであろう対象に、味方が含まれているのだ。


 その感覚とは、集団から向けられる殺意によるものだった。

 数千規模の軍隊が、一人の青年に殺意を向けていた。


 間宵(まよい)祢津(ねづ)、ピキュー王国に召喚された勇者、教会の邪魔者。

 教会は、戦場のどさくさに紛れて勇者を殺害するつもりだ。


「しかし、本当に後ろで構えているだけでいいのですか?」


 問うたのは間宵祢津。鉄製の鎧を身にまとっているが、兜は着用していない様子だった。その格好に、間宵は特に疑問は持っていない。用意してあったものを装備しただけである。


「勇者様には早いところ、戦場の雰囲気に慣れてもらう必要があります。そのためにも、後方で戦争の動き方を理解してもらわなければならないのです。……というのは建前で、勇者同士を睨み合いで終始させるのが目的ですね」


 勇者同士の戦闘など、想像したくもありません。と言わんばかりに、苦笑しながらかぶりを振る。太陽光を反射した金髪がさらさらと揺れ、その美貌をぞんざいに左右へと振りまく。王国から派遣された間宵の護衛兼侍女たちのため息が聞こえた。

 間宵の質問に返答したのは、親子二代にわたって戦線の維持に貢献してきたウォルト辺境伯だ。彼も間宵と同じような格好をしているのだが、間宵と決定的に違うのが、鎧の年季である。彼の鎧は新品同様に輝いているのだが、よくよく見つめてみると、いくつもの擦れた跡や小さなへこみが見て取れる。


「といいますと、兜を着用しないのは勇者の存在をアピールするためですか?」

「その通りです。それと、勇者様が後ろに控えていると、兵を安心させるためでもあります」


 なるほどと間宵は頷く。確かに筋は通っている。だが、とも彼は思う。

 嘘が下手すぎるだろう、周囲の視線を意識しながら悪態をつく。もちろん誰にも悟られぬようにだ。マヨネーズの開発を手伝ってもらったメイを連れてこなくてよかったと、つくづく思う。


「っと、ここでお別れのようですね」


 すわ奇襲かと身構え、腰の剣に手を伸ばしそうになるが、すんでのところで踏みとどまる。奇襲ならば声をかけるはずがないと一人勝手に納得したからだ。行き場を失った右手を誤魔化すため、腰をひねりストレッチを装う。


「あそこに丘があります。そこなら戦場が見渡せますので、待機をお願いします」


 間宵の内心の動揺など気にかけていないかのように、ウォルト辺境伯は言葉を続けた。彼が指し示した方向へと間宵は視線を移す。

 草すら生えていない荒野の地平線が見えるなか、大きく隆起している部分があった。おそらくそこが、辺境伯の言う丘であろう。


「御武運を祈ります」


 最前線へと赴くウォルト辺境伯の背中を見送る。この戦争が勇者である自分を殺すために仕組まれたものであったとしても、顔見知りが戦死するのは心苦しい。それに彼らが裏切ると決まっているわけではない。そう考えた間宵は、『祈り』の言葉を口にした。

 ウォルト辺境伯は進めていた歩みを止め、振り返らずにこう返す。


「――祈らずとも、私たちは勝ちます」


 間宵には、ウォルト辺境伯の表情が見えた気がした。






=====






「やっぱりウォルト辺境伯はカッコいいよねー」

「しかもあれで未婚なんでしょ。私にもチャンスが……あればよかったのになあ」

「仕方ないよ。王国と教会の関係は最悪なんだから」

「でもさでもさ、許されない立場だからこそ恋って燃えるじゃん?」


 かしまし四人組の雑談を聞き流しながら、間宵は丘の上から、ウォルト辺境伯率いる軍勢を見つめていた。護衛のため派遣されたのだから……と思うところはあるのだが、いざという時には真剣になってくれると、彼女たちを信じることにしていた。

 だが、その様子に不安を覚えることもまた事実。慣れないながらも、周囲の音に注意しながら、開戦前の不穏な空気を感じ取っていた。


「やっぱり馬はいないのか……」


 ようやく見えた敵軍の姿を確認するや否や、ぼそりと独り言をつぶやく。


「――ウマとは何ですか?」


 突如、右耳が捉えた音から離れるように、地面を蹴る。そして声の主を確認してから、安堵のため息をついた。王国から派遣された五人の護衛の内の一人だった。

 顔を完全に覆うような兜を着用していたため、その表情はわからない。先程から姿が見えなかったが、辺りの見回りでもしていたのだろうか。


「すいません。失礼ですよね、女性の声を敵襲と間違えてしまうだなんて」


 間宵は頭を下げ、謝罪の意を示す。音もなく近づいてきた彼女には驚いたが、なにも咄嗟に距離を取ることはないだろうと、自らの行いを省みる。


「間宵さんは気を張りすぎているようですね。気が緩みすぎるのはよくないですが、適度に抜くことも大事ですよ」


 くぐもった彼女の声に、どこか違和感を覚える間宵だったが、その正体が何かまではわからなかった。彼女は続ける。


「彼女たちも気を抜いているようで、周囲の警戒は怠っていません。護衛対象の間宵さんが警戒する必要はありませんので、どうぞお気になさらずに」


 彼女は、「ですよね?」という視線を雑談に興じていた四人組に向ける。

 ……話し声は聞こえなくなった。どうやら警戒を続ける必要がありそうだ。


「……まったく。あ、ちなみに私はウォルト辺境伯は好きではありませんから」

「はあ、そうですか」


 文脈の飛んだ言葉に、間宵は生返事しかできなかった。なぜそこでウォルト辺境伯が出てくるのだろうと少し考えて、そんなことしている場合ではないと気づく。

 事の発端は馬の存在についてだった。敵軍を視認できたため、馬の存在を言及したのが発端だったのだ。間宵は慌てて戦況を確認する。


「――――――――!」

「――――!」


 ちょうどウォルト辺境伯と敵軍の指揮官らしき男、ランデル辺境伯と言ったか、が互いに前口上を述べているようだった。彼らの口上の内容までは聞こえなかったが、ビリビリとした空気が間宵にまで伝わってきて、軍の士気がみるみるうちに高揚していく。雄たけびを上げる兵士の中へ、それぞれの場所へと二人は戻っていき、戦争が始まろうとする。間宵は顔をしかめた。


「やはり慣れませんか?」

「慣れませんね。こればかりはどうしようもないのかもしれません」


 右斜め後ろにたたずむ、フルフェイスの兜を装備している彼女から声がかけられた。彼女の位置取りに既視感を覚える間宵であったが、逸れる思考を現実に引き戻す。

 戦いというものには、慣れない。元々争いの少ない環境で育ってきた身、慣れている方がおかしいのだ。しかし、今この状況で甘いことなど言ってられない。頭の中では、非情に徹しようとしている。だが悲しいかな、体は拒否反応を起こすのだ。

 そしてなにより


「ですが、殺したくない、でも殺されたくない。そんな甘っちょろい考えで、戦場に立ちたくないのも事実です。そんなバカに巻き込まれる人が大勢いますから」


 間宵は戦場を見つめる。

 自分の未来は、血塗れたものに変わってしまったのだろうか。マヨネーズを世界中に広めたいと、純粋に願うことすらできなくなるのであろうか。

 今、殺気立っている兵士にだって家族がいて、帰りを待っている人がいて、幸せな食卓を囲むときだってあったりして、それを彩るためのささやかなマヨネーズがあって。そう、彼は自身の手で、小さな世界を壊すことになるのかもしれないのだ。そして、それができてしまう自分が怖かった。

 『勇者』という役割は、争いしか生まない。戦争が終結したら、『勇者』はお払い箱だ。新たな戦争の火種になりかねないものを、王国が放置するはずがない。

 今回の会戦だって、勇者が召喚されたために仕組まれたものだ。

 勇者は争いの元凶たりうる。そう考えた途端に、目の奥が熱を持ち始めた。


 足が震えるのはなぜだろう。『勇者』に選ばれた自分では、重さに耐えられないから。肩にかかる見えない重圧に、精神が圧迫されているから。

 心臓が早鐘を打つが、体の末端はどこまでも限界がないかのように冷たくなる。頭がくらくらして、視野の端が黒に支配される。このまま失明してしまうのではないかと、それもいいかと自棄(やけ)になっていた。


 だが、間宵の右手にそっと何かが触れる。

 それは彼女の手であった。手甲の冷たさでひんやりとしているが、暖かさを感じられる不思議な手であった。

 しばらくの間二人は、そのままで過ごした。

 彼らが見下ろす戦場では、血生臭い狂騒が一帯を支配している。吼える者、泣き叫ぶ者、嘆く者、怒りに震える者。戦いだけが存在しているような世界で、二人はそのままでいた。


 ようやく、間宵は気づく。

 彼女の存在が、自分にとってどれだけ大きいものであったかを。

 彼女のためを思って戦場に連れてこなかったというのに、結局これだ。先に弱音を吐いてしまって、悲観的になってしまって、彼女に助けられた。情けないなあ、とひたすらに思う。


「私は、ついていきます」


 彼女の声が、とても心地よかった。


「何があっても、どんな困難が待ち受けていても、私はあなたについていきます。重たい荷物は、はんぶんこです」


 「ですから」、彼女は一拍置いてから、思いの丈を伝える。


 ――もっと頼ってもらってもいいんですよ


 間宵はたまらず上を向いた。左手は目がしらを抑え、右手はそのままで。

 自分が泣いているのか笑っているのか、よく分からなくなったけども、空は青かった。吸い込まれてしまいそうなほど、空は青かったのだと気づけた。


 もう少し、未来に向かってあがいてみようと思う。そうだ、自分は簡単に未来を諦めるわけにはいかない。彼女と約束したのだ。自分が思い描く未来を見せなければならない。『マヨラーの伝道師』が大事な約束ひとつ守れなくてどうするのだ。


「ありがとう、決心がついたよ。いや、そもそも決心するのはおかしいな、約束したんだから。ただそれに向かってがむしゃらに進めばよかったんだ」


 間宵の心は決まった。


「ありがとう、メイ」


 風が、二人の体を涼ませる。






=====






 一方その頃、かしまし四人組は


「二人の恋路は邪魔させない!」

「あなたたちは無粋に過ぎます!」

「蹴散らせー!」

「これもまた許されない立場なのかも?」


 間宵たちが位置する、丘の頂上から少し離れた場所で敵襲を退けていた。四人のコンビネーションは完璧だった。

 これでも勇者護衛の任に就いた端くれ。早々の相手には負けないはずであった。

 だが、『イレギュラー』は発生する。


「っ!」


 四人組の目前で、不可思議が起こる。

 襲い来る敵たちが一瞬のうちに、気を失ったかのように倒れ伏したのだ。


「何が……?」


 そして、不可思議は彼女たちの身にも起こる。


 風切り音が四人の耳朶を叩き、一人の意識が刈り取られた。

 何が起こったのか理解できずに、残された三人は混乱する。どこから攻撃されたのか、どうやって攻撃されたのか、それすらわからないまま、また一人、また一人と地に倒れる。

 最後の一人となった少女はようやく、状況が理解できた。理解させられた、と言うべきか。足元の地面がめくれ上がったのだ。


 小さなクレーターが地に穿たれ、土煙が巻きあがる。果たしてその中心には――


「石……?」


 そのつぶやきを合図に、彼女の意識が薄れていく。鈍い痛みが頭部に走り、苦痛の表情を浮かべる。それでもなんとか、意識を保たせ続けた。この惨状を引き起こした元凶が現れたのだ。


 茶色の短髪を揺らし、無表情を顔に張り付けた青年が歩いてくる。

 鎧といった頑丈なものは着ておらず、革を原料とした防具を着用している。特筆すべきは、収納スペースの多さだろう。胸、腰、肩、ふくらはぎ、至る所が不自然に膨らんでいた。おそらくそこに石を保管しているのだろう。


 そこまで確認してから、意識の限界が訪れた。

 最後の気力を振り絞って、青年に問いかける。


「あ、なたは、誰で、すか」


 青年は答える。


「あまり好きな言葉ではないのだが……『勇者』とでも名乗っておこう。

 少し、そちらの『勇者』に話があってな」


 ケチャラー勇者、来たる。


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