3 ゲーム開始
「……母さん、これ……」
「どう!? どう!? どう!? 凄いでしょ!?」
VR機を前に半ば呆然とする僕とは対照的に、母さんは大興奮である。
そう言えば確かに、二月の終わり位にYAMANA電気のキャンペーンに応募した、と言っていた記憶がある。
その時は『これ絶対当たる気がするわ』と言う母さんの言葉を、僕はいつも通り『はいはい』と適当に受け流していたけど……。
「……いや、本当驚いた。凄いよ母さん」
「うふふ、褒めなさい。讃えなさい。母の運に拍手なさい」
ここぞとばかりにふんぞり返る母さんだけど、抽選率の高い高額商品の当選させたのだから、決して大袈裟な事ではない。今日ばかりは、素直な褒め言葉が出て来た。拍手は送らないけど。
「それでね、昂」
「うん」
母さんは反り返ったまま、
「……これ、どうしよう?」
しばしの沈黙。母さんは懸賞に『応募する』事が好きなのである。肝心の品物が何であるかはあまり頓着しない。家族が『それ当たっても使う人居ないだろ』と警鐘を鳴らしても、母さんの耳には鈴虫が鳴いている程度にしか聞こえないらしい。
「家でVR遊ぶ人なんて居ないし……。蓮華はもう持ってるし……」
ごく当然の様に、母さんは僕を対象から外している。まあ、僕の面倒臭がりな性格故に、ディスプレイ形式――古式ゆかしい、TVモニター等に画像を映し出す形式だ――のゲームしか遊ばない事を知っているからだろう。
VRゲームは煩雑、とまでは行かないものの、若干の手間が掛かる。使用中は動けないから、事前に空調等周囲の環境を整える必要があるし、予定にも気を配っておかなければならない。
時間も取られる。もちろん全てがそうだと言う訳でもないが、VRは基本的にじっくり時間を掛けて攻略するのが主流だ。現実でのAI技術の発達と普及のおかげで人間の労働時間が減少し、その分の収入不足を補うための給付金制度が導入された結果、現代社会では娯楽の価値が高くなっている。人々の『働く時間』が減って『遊ぶ時間』が増えたため、時間の掛かる娯楽が歓迎される様になったからだ。
つまり、見事に僕の好みから外れている。手軽でさっくり遊べるゲームこそが僕の望みなのだ。
僕がVRをしない理由は、持ち合わせている興味以上に気力、時間、財産の消耗と、一身の平穏を手放す事の問題が大きいから。
だけど。
その内、財産消耗問題を解消する手立てが、実機という形でテーブルの上に鎮座している。後は精々、ソフト代と接続料。これらは手元に残っている入学祝い金で十分対処可能だ。
時間問題も、ゴロゴロする時間を減らす事で、まあ何とかなるだろう。
そして。
『望郷のムーンラビットオンラインって知ってる?』
二階堂さんの言葉が、僕の平穏に一石を投じる。
『自分変える努力してみたって良いんじゃないか?』
大地の言葉が、気力をちろちろと炙り立てる。
僕だって、自分の性格について考えを巡らせて来なかった訳じゃない。『これで良いんだ』と言う納得と、『これじゃ駄目だ』と言う焦燥がマーブル状に入り交じった葛藤。もやもやとしつつも、結局怠惰に流されるままに見送っていた結論が
今、外的要因と結合し、化学反応を起こす。
「一応聞くだけ聞いてみるけど。あんた、これ使う?」
儀礼的、と言った口調な母さんの問いに、
「うん」
僕は、自分を変えるためのささやかな一歩を踏み出していた。
「でしょうね。やっぱ使わない……」
言い掛けて、母さんは言葉を切る。あからさまに意外、と言いたげな目で僕をしげしげと見つめ、
「……え? 本当に? てっきりあんた、興味ないと思ってたんだけど」
「あー、いやまあ。実は今日、友達から誘われたんだよ」
僕の素直な心境を親に語って聞かせるのもはばかられ、適当にぼやかした理由を言う。実際、嘘ではないし。
「そうなの。……ま、だったらちょうど良かったわね。大事に使いなさいな」
「ありがとう」
「言っとくけど、接続料なんかはあんたが出しなさいよ。あと、遊び過ぎ注意。その辺踏まえてれば、うるさく言わないわ」
「うん、分かったよ」
そう言って僕は、テーブルの上の最新式VRーHMDを持ち上げた。
まずはCosmosの取り扱い説明書に一通り目を通し、次に万札を握りしめ、コンビニへと電子マネーを買いに出掛けた。
帰宅後、部屋に戻ってPCを起動。ネットでCosmosの公式ソフトウェア購入画面へと接続する。お目当てはもちろん、件の『望郷のムーンラビットオンライン(略称"MRO")』だ。
画面の手続きに従って入金後、購入。余った分は接続料に使えば良い。続けてゲームのアカウントも作成しておく。スムーズに完了。
Cosmosの電源コードをコンセントに差し込み、説明書の指示に従ってPCと無線接続、初期設定画面を呼び出す。Cosmosを直接使用して設定する事も可能だけど、先に済ませておくに越した事はない。
ついでに、無線電波の通信速度を確認。VR機でのオンラインプレイは、一定以上の通信速度が出なければプレイ不可な仕組みになっている。通信ラグが、ディスプレイ機以上に問題になるためだ。こちらも問題なし。
一通りの設定を終えたところで、一旦中断。夕食を取って入浴する。上がった後は学校の宿題。大した量でもなかったので、手早く済ませた。明日の準備も早めに終わらせて、これで今日するべき事は残っていない。
PCでゲームの電子説明書に目を通している間に、Cosmos本体へのソフトダウンロードも完了していた。
準備万端である。
プレイ前に、部屋の環境をチェック。春とは言え夜はまだ冷えるので、タオルケットも用意。
床に付属品のプレートを立てる。ゲームプレイ中である事を外部に知らせるのと同時に、万が一の際の指示が書かれているものだ。姉の影響で両親はVR機の知識がそれなりにあるので、この辺りの問題はないだろう。
はやる気持ちを抑えつつ、Cosmos本体を頭部にセットして、アジャスターの調整をする。この時点では、目を覆っているバイザー部分はスモークガラスのような半透明であり、視界が失われる事はない。ベッドに仰向けに寝て、タオルケットを身体に掛けておく。
本体右側面上部――だいたいこめかみの辺りにある電源スイッチをスライドさせる。バイザーが遮光されて薄黒く映っていた天井が真っ黒になり、続けてCosmosのロゴマークが現れる。
『身体スキャン中……』の文字が表示され、十数秒後に『完了』となる。
本体右側面、スタートボタンを押し込む。
カウントダウンスタート。静かに目を閉じる。
少し緊張しながら待っていると、やがて視界の奥から白い光が現れる。しだいに意識がぼんやりとして、白い光が視界一杯に広がり――
意識がはっきりとする。視界の先の真っ暗闇に、『Cosmosへようこそ』の文字が見える。
と言う事は、接続成功である。事前に目を通していた簡易説明書きの通りだ。ゆっくりと起き上がる。どこまでも続く闇の中、僕が立っている床の部分だけスポットライトを浴びているみたいに白く浮かび上がっていた。
目の前の空間に『Touch 触れて下さい』の表示が浮かぶ。指示通り指で触れると、身体感覚の初期調整画面が現れる。指示に従って両腕を上げ下げしたり、まばたきをしたり。思考操作にも対応しているので、感度調整も。どの項目にも違和感は感じなかったので、特にいじらず『OK』だけを押していく。
設定も終わり、ようやくCosmosメインメニューが表示される。ずらずら並ぶアイコンの中に、ダウンロード済みのMROが表示されていた。
早速、アイコンをタッチする。すると、僕の前方数メートル位に、幕が左右へと開いて行くような感じで巨大スクリーンが現れる。
企業ロゴの表示が終わり、MROのオープニングが始まる。荒廃した都市が――
容赦なくカット。さっさとプレイしたい。僕はゲームのオープニングを初回から飛ばせる程に、時短意識の高い男なのである。
『GAME START』をタッチすると、目の前のゲーム画面中央が、片開きドアのように開く。上部には、光る矢印と共に『Come On In』の表示。入れ、と言う事だろう。
中で待っていたのは、ゲームの初期設定だった。プレイヤーネームやら、アバターやら、機体名やら。相変わらずの真っ暗闇の中だけど、これが終われば晴れてゲームスタートだ。ちゃっちゃと済ませよう。
まずはプレイヤーネーム。ここまで来るのにそこそこ時間を取られたせいで、ぶっちゃけ面倒臭い。『KOU』で良しとしよう……と思いきや、既に使用されていてNG。なので無理矢理『KOU001@』と入力。どうせ日本語での読み仮名設定がある。そこで『コウ』とすれば問題ない。
次にアバター。何でも初期のVRでは、リアルと違う体格で遊んでいた結果、プレイ後に身体感覚が一時的に狂って、歩行中に転倒……などの事故が発生していたらしい。それを踏まえて現在、全年齢向け(そもそもVR―HMDの対象年齢は十二歳以上だけど)のゲームでは、現実の容姿、体格を基準に、一定範囲内で手を加えて行くのが基本だ。性別もリアルと同じ。年齢制限付きのゲームだと、リアルより長身にしたり、ネカマプレイも可能だけど、少なくともMROには関係ない。
ゲーマーによっては『アバター作成こそが本番』とばかり、数時間費やす人もいるそうだけど、僕にとってはただただ面倒臭い。『おまかせ』で適当に済ます事にする。
目の前に、僕のアバターが現れる。僕と同じ、中肉中背。僕と違ってやる気がありそうな引き締まった顔付きと、逆立った黒髪。これで良しとする。ついでに、服装選択。グレーのジャケットタイプを選んでおく。
最後に機体名と基本色。やっぱり面倒臭い。適当に青色を選択、機体名も『ブルー』とする。どうせ後で変えられるし。
最後に確認画面が出る。『OK』をタッチ。
目の前の空間が両開き扉のように開く。興奮が四割、緊張が四割、『あー、やっとかよ』が二割の気持ちを胸に、僕は扉をくぐる。
色彩に溢れた世界が姿を現す。
足元の大理石の白とタイルのブラウン。
植え込みの緑とホログラムディスプレイの青。
行き交う人々の服装の赤、オレンジ、深緑、紫、黒――全てを挙げられない雑多な色。
そびえ立つビル群の白銀。
その先に映る、宇宙の黒と星々が灯す白。一際大きく映る、地球の青――
月面都市『セレーネ』中央広場。
人生初のVR―MMOの世界――『望郷のムーンラビットオンライン』ゲーム開始地点で見た風景は、思わず息を呑むような、鮮烈な感動を僕の胸に刻み込んでいた。