2 VRゲーム
VRゲーム。『VRーHMD』と呼ばれる機器を使用したゲームの事を指す。五感を遮断した上で電子的に再現された疑似の身体感覚を脳に送り込む事で、仮想的に作り上げられた世界の中で『自由に動く』事が出来る。
ゲームのジャンルは様々で、定番のファンタジーRPGから銃を撃ち合うFP
S、レースゲームからスローライフもの、中にはテーブルと椅子だけが用意された仮想空間内でトランプ等を遊ぶ、なんて代物まである。
値段が高い・大きい・重いの三重苦を背負った登場初期――僕が小学校に通う前の話だ――でさえ、コアなゲーマーからの注目を集めたと聞いている。そこから世代を重ね、現行機である『Cosmos』は日本の得意芸、軽薄短小による小型化
と、ソフト代込みで十万円を下回る価格設定のおかげで、全世界で三千万台以上の売上げを誇るハードとなっている。今やVRゲームは、業界の主流の一つにまで成長を遂げている。
「『望郷のムーンラビットオンライン』? 結構有名なゲームだよね」
僕は答えた。
昨今、立て続けにロボットアニメが大ヒットした影響で、ロボットものは日本でブームとなっている。『望郷のムーンラビットオンライン』はその流れに乗って先月発売されたばかりの、VR系ロボットアクションゲームである。
地球上の全ての機械にAIが搭載された未来で、突如として細菌テロが発生。
『AIを乗っ取る』細菌が世界中に蔓延し、暴走した機械達との戦いに人類は敗
北。月面都市に逃げ延びた人類は、有人式人型機動兵器『ムーンラビット』を完成させ、月と地球を結ぶ転送装置の封印を解き、地球奪還のために戦う――ざっくりと言えば、こんなストーリーだ。
自分の手で作り上げたロボットを、自分が直接乗り込んで動かす事が出来る超本格ロボットアクションゲーム満を持して登場、臨場感溢れる戦場が君を待っている――と言った調子の宣伝が大々的に行われ、サービス開始前からかなりの注目を集めた作品だ。
「ああ、それなら俺遊んでるぞ」
大地が言うと、二階堂さんの顔がぱあっと明るくなった。
「だったら話は早いわ。後藤君、あたしの『クラン』に入る気はない?」
「クラン?」
「そう、あたしが作ったの。現在メンバー募集中なの」
クランとは、ムーンラビットオンライン《MRO》内で、プレイヤー同士が結成する団体の事だ。『ギルド』と言った方が分かりやすいだろうか? 同じクランのメンバー同士は、様々な面で協力関係となる。
「あー、悪いんだけど、俺もう既に所属しているクランあるんだわ」
「そーなんだ……。一応聞くけど後藤君、あたしのクランに鞍替えする気は」
「ない」
「よねー」
まずはしょぼんとする二階堂さん。次に期待に満ち溢れた笑顔で僕の方を見る二階堂さん。なんて勤勉な表情筋なんだろう。
「じゃあ成田君はどう? あたしのクラン入ってくれる?」
何の遠慮もなく真っ直ぐに僕をのぞき込む瞳が気恥ずかしくて、思わず目を逸らす。聞かれるまでもない。僕の答えは決まっている。
「……ごめん、二階堂さん。僕、そもそもCosmos持ってない」
解説しておいて何だけど、僕はVRゲーム機を所有していないのである。今までの説明は、全部雑誌やネットサイトの情報だ。逆に言えば、持っていない僕でも概要を知っている程の注目作である、と言う事なんだけど、何はともあれ持ってないんだから仕方ない。
「……一応聞くけど成田君、今日の帰りにでも買う予定が」
「ない」
「そっかー、あと一押しだったのに……」
僕はあと一押しで陥落させられるところだったそうです。
「あのさ、二階堂さん。メンバーの募集なら、ゲーム内でやったら? それかネットの掲示板」
「やったわよ。やったけど集まんないの。だから、最終 作戦『クラスのみんなに片っ端から頼み込む』を発動させたの」
僕らに声を掛けた理由が良く分かった。えらく安い最終作戦だとも思った。
「ちなみに、今現在のクランメンバーは何人だ?」
大地が尋ねる。
「……一人」
「……二階堂を除くと?」
「……〇人」
ぶすっとしながら、二階堂さんが答えた。
「……まあ、何だ。身内とかの少人数で結成する、規模の小さなクランなんてMROには珍しくないからな。かく言う俺の所属クランも、たった四人なんだぜ?」
大地のフォローが春風のように暖かく、木枯らしのように寒々しく、僕らの間を駆け抜けて行く。
「……参考までに聞くけど、規模の大きなクランだと何人くらい?」
こそっと大地に尋ねる。
「最大で八〇人。……ついでに言っとくと、俺んとこのクランマスター、蓮華さんだ」
「ああ、姉さんも遊んでたんだ?」
「あと、中根も居る。もう一人は蓮華さんの同期の人」
成田蓮華は僕の姉で、現在は実家から離れて暮らす大学生。中根は中学時代、僕らとつるんでいた同級生の女子(現在は僕らとは別の高校に通っている)。どちらもかなりのゲーム好きだ。
僕への説明も終わり、大地は二階堂さんを見て優しく微笑み、
「とにかく、そう言う事だ。ぼっちだからって、気にする必要はないんだぞ?」
その時、僕の耳は確かに地雷を踏み抜く音を聞いた。
「誰がぼっちよ誰がぁっ!!」
続けて、爆発音が耳朶を打った。
「あ、ああ、スマン。確かに、ぼっちの奴にぼっちって言うのは悪かったかも知れん……」
「大地。傷口は抉るものじゃないと思うんだ」
「だからぼっちじゃないわよっ!! リアルでは!!」
「そして二階堂さん。地雷は自分の足で踏み抜くものじゃないと思うんだ」
いやまあ、確かにリアルでは人気者の部類に入ると思うけどね。リアルでは。
「た、確かに今はクランメンバーあたし一人だけどね! だけど、いつかはMROで一番のクランになってやるんだから!」
「大地。ゲームで一番のクランって、具体的には?」
「知らん。そもそもクラン同士の競争要素がない」
「うっさい! 気持ちの問題よ! ……そう、今と言う不遇の時代を乗り越えて、あたしのクランの名声はMRO中に轟くのよ! あたしの――」
そう言って二階堂さんは空(※教室の天井)に向かって拳を突き上げる。そして誓いを立てるように、高らかにその名を口にした。
「――あたしの、『超最強絶対無敵団』は!」
………………。
その名前が原――
……いやいや、早とちりはいけない。まずは落ち着こう。落ち着いた上で、整理してみよう。
もしも自分が実際に言われたら。それを想定して、考えてみよう。
Q:あなたは『超最強絶対無敵団』に所属したいと思いますか?
A:お出口あちらです。お疲れ様でした。
………………。
その名前が原因だ。
「……あのー、二階堂さん。その……ユニークな名前はどう言った理由で付けた
の?」
強いて言葉をオブラート二枚重ねで包み込み、尋ねてみる。
「理由って……"最強"に"超"が付いたら超強そうだし、"絶対無敵"って凄い最強そうじゃない? だからよ」
なるほど、良く分かった。さっぱり分からん。
「その妙ちきりんな名前が、人集まらない原因じゃねえか?」
大地は大地でオブラートと言う概念を知らないしさ。
「黙りなさい! あたしは気に入ってるんだから良いじゃない!」
「まあまあ、落ち着いて……。とにかく、悪いけど僕らじゃ力になれないみたいだから」
「……そうね。二人共、ありがとう。気が変わったら、何時でも声を掛けてね。
……おーい、辻さーん」
そう言って二階堂さんは、僕らの前から立ち去って行った。
「……しっかし、MRO一のクランねぇ。気宇壮大なこった」
「だね」
放課後。僕と大地は、昼休みの出来事を話題にしながら帰路に就いていた。
「まあ、あの心意気は嫌いじゃないけどな。……なあ昂介、お前もMROやらないか。面白れーぞ?」
「うーん……」
大地からのお誘いに、僕は少し考え、
「悪いけどパス。興味はなくもないんだけどね……」
そう答えた。
姉がゲーマーだった影響で、ゲーム自体は好きではあるし、正直『VRゲームを体験してみたい』と言う欲求はある。が、実際に大枚はたいてCosmosを購入し、いざ挑戦……とは行かない。
「やっぱ面倒臭いか?」
「まあね」
新しい事への挑戦。気力、時間、財産を大いに消耗させた挙句、一身の平穏を手放す事になる……と考えると、どうしても億劫になる。
なけなしの興味が、予想される労力の前に覆い尽くされる。僕のいつもの、怠惰に流される理由だ。
「前々から思ってたんだけどな。お前、少し位自分変える努力してみたって良いんじゃないか?」
「放っとけよ。僕はこう言う人間なんだよ」
肩をすくめながら、大地の方を見た。予想していたより、真面目な大地の表情があった。
「いや、何もチャレンジ精神旺盛な奴になれ、とは言わねえよ。自分の性格をすっかり変えちまうなんて、無理難題だ」
「……」
「でもよ、少しでも変化は変化だろ。一歩が無理なら半歩。半歩が無理なら足をずらすだけでも十分だ。出来る範囲で足掻いてみたって、良いんじゃねえか?」
普段は馬鹿話ばかりしている奴が、珍しく真面目な話を――それも、僕のためにわざわざそんな話をしてくれている。
鬱陶しい、とは思わなかった。友人の言葉だ。無下には出来なかった。
僕は少し間を置いて、
「……そう、かもね」
そう答えた。
「……あー、なんかCosmos買えって無理にせっついてる感じになってるな、こりゃ……。悪い、昂介」
「良いよ、分かってる。ありがとう大地」
「よせやい。じゃ、俺はこれで」
「ああ、また明日」
そう言って僕と大地は丁字路で別れ、それぞれに歩き始めた。
「ただいま」
一軒家の玄関をガラリと開けると、リビングから母さんの「お帰りー」と言う声が返って来た。
リビングへと向かう。ソファに腰掛け、テーブルに広げたパズル雑誌に向かう母さん――成田雪の姿があった。
「丁度良いところに。地図の図法の一種で、"メ"から始まるのって何?」
「メルカトル」
答えながらキッチンへと向かい、冷蔵庫から牛乳を取り出す。
「ああ、わたしにもお願い」
母さんの声に「はいはい」と言い、コップを二つ用意する。適量注ぎ、テーブルへと持って行く。
「ありがと」
そう言って母さんはコップをあおる。雑誌を見ると、半分位埋まったクロスワードパズルがあった。折り込み式の、大型のものだ。
「ふーん、結構解いてるね」
「ふっふっふ、見てなさい。マウンテンバイクはわたしのものよ」
母さんは根拠不明な自信を覗かせた。そもそも、サイクリングに興味ない癖に。
「毎回そう言ってるけどね。母さんが懸賞に当選した事って、ほとんどないじゃないか」
パズル雑誌に限らず、母さんは懸賞への応募が趣味だ。東にハンモックセット一式があれば毎日同じメーカーの缶コーヒーを飲み、西に霜降り和牛ステーキがあれば多少離れた大型スーパーへと通い続ける。しかし、当選した事なんて精々数千人規模に当たるQUOカード位だ。
そんな僕の指摘に、何故か母さんは「ふふん」と鼻で笑い、
「言ってなさい。その内あんたをギャフンと言わせてやるから」
何だそりゃ、と口を開こうと思った時、家の前にトラックが止まる気配を感じ
た。何だ、と思っていると、室内に呼び鈴の音が響き渡った。
「あら、宅急便かしら。昂、お願い」
「母さんが行けよ……」
「立っているものは子でも使う主義なのよ、わたしは」
ソファに座らなかった自分の迂闊さを嘆きつつも、それ以上反論の言葉も思い付かず、仕方なく僕は玄関に向かった。予想通り、宅急便だった。
サインをして宅配人から荷物を受け取る。四十センチ位の大きさの割に、意外と軽い。
何処からの荷物なんだろうと箱を眺めると、見慣れた家電量販店のロゴに気が付いた。
「……これ、YAMANA電気からだ」
「ホントに!?」
独り言のつもりがリビングにも聞こえていたらしく、母さんの叫び声が飛んで来た。
「昂、すぐこっちに持って来て! 早くハーリー!」
「叫ぶなよ……。察するに、懸賞に当選したって事なの?」
「間違いないわ。さあ昂、開けなさい。開けて、わたしの運の強さにひれ伏しなさい」
テーブルに置いた荷物を前に、母さんが興奮気味に促す。自分が開ければ良いと思うけど、言葉通り自分の運を見せ付けたいのだろう。
まあ、この軽さだ。そんな高額のものが当たった訳でもないのだろう。そう思って箱を開けた。
そして僕は、母さんの運の強さにひれ伏し――はしなかったけれど、決して少なくはない衝撃を受けた。
"Cosmos"。
いくつかの書類と共に、箱の中から最新鋭のVRーHMDのパッケージが姿を現した。