1 最初の切っ掛け
もし仮に、
『これまでのあなたの人生で、特別な情熱を傾けて挑んだ事柄について述べなさ い』
……という設問に記入を求められる機会が訪れたとしよう。その場合、僕――成田昂介という人間は、一瞬の迷いも逡巡もなく、心の中で「ええっと……」等の言葉を思い浮かべる暇もなく、こう書き記すだろう。
『特になし』
……と。
例えば去年の秋、中学最後の文化祭の話。僕の通っていた中学では、全校生徒が体育館に集まって並んで座り、プログラムに従ってステージ上で披露される演劇やら歌唱やらを眺める、といった形式だった。
そこで、中学最後の思い出作りのために仲の良い女子達で結成したバンドチームが、演奏を行った。終了後、感極まったメンバーが泣き崩れるのを、体育館中の生徒、教師、保護者達が万雷の拍手で讃えていた。
僕の周りからもやんやとはやし立てる声が上がる中、僕は周りに習い拍手を送りながら、ただ静かにこう思った。
いや、何も泣かんでも。
別に彼女らを馬鹿にするつもりはない。「なーにカッコつけてんだよ、ケッ」などと、拗けた感想を胸中で吐き捨てるような性格もしていない。実際、演奏も中々上手かったとは思うし、まあ、拍手を送るのもやぶさかではなかった。ただし、ごくフラットな調子で。
要するに彼女等に対し、特別何も感じ入る事はなかった。彼女らは文化祭に対し主体的に関わり、積極的に挑んだ結果、情熱的な帰結を得た一方、僕は平熱のまま義務的に、文化祭という行事を流した。そう言う差だった。
僕は面倒な事が嫌いな性格だ。
生まれてこの方、流されるまま過ごして来た。楽だから。
主役になりたいとは思わない。興味ないから。
何かに熱くなりたいとも願わない。ゴロゴロする時間が減るから。
夢をこの手に掴みたいとも考えない。夢が思い付かないから。
「――いいや」
そう言う。そんな僕が。
「僕らが勝つ」
何でロボットのコクピットの中で、こんなセリフを吐いてるんだ?
『ゲームの中』とは言え。
――春。少し前まで一介の平凡な中学生だった僕が、芽吹く草木に見送られ、風に舞う桜に迎えられ、この度めでたく一介の平凡な高校生となった季節。入学から二週間が過ぎて、それなりに馴染んだ大鶴高校一年B組の教室。
四月のうららかな陽気がガラス窓を透かし、机に突っ伏す僕へとろけるようなまどろみをもたらしている。昼食の弁当を食べ終え、ご満悦な胃袋を抱えているのだから、尚更である。
教室内には、他の生徒の雑談を主とした喧騒に溢れているが、うたた寝の障害になりはしない。僕の中の怠惰へと向かう強い意志は、その程度で止まる事はないのだ。
「よう、昂介」
「んがっ!?」
物理的に止められた。頭をいきなり掴まれ、ぐいっと押さえ付けられた。
しかめた顔を上げる。目の前に、大柄な男が立っていた。僕と同じく上下黒の学ランを身に纏い、白い歯をニッ、と豪快に見せる、顔馴染みの男。
「何だよ、大地……」
後藤大地、クラスメイトだ。ついでを言えば、僕の幼なじみだ。恵まれた長身と体格、スポーツ刈りの頭髪を見れば、どこかの運動部に所属しているのだろうと言う感想が容易に浮かんで来るだろう。
現実は僕と同じく、帰宅部である。
「いや、朝に言っただろ。漫画の最新刊、貸すって」
そう言って左手に持っていた漫画本を突き出してくる。僕から見れば上下逆さの文字で『TETU−RO 第9巻』と書かれていた。
「あー、それね。サンキュー」
礼と共に漫画を受け取って、僕の鞄に入れる。一方的に借りているようだけど、僕もしばしば別の本やら映像ソフトやらを貸している。むしろ大地としては、話題を共有したい、と言う欲求を満たす事が重要らしく、一方的だとしても頓着はしない。
ちなみに、今回借りた漫画はそれぞれに敵対する二人の主人公が、人型兵器『鉄狼』を駆り戦場に身を投じる……と言った内容の、ハードなSFロボットアクションだ。結構な人気作で、アニメ化もされている。前巻のラストは、片側の主人公セイが敵の大軍に囲まれて絶体絶命……と言う緊迫した場面で終わりだった。
「んじゃ、お休み」
続きを楽しみにしつつ、再び僕は突っ伏す。少し顔を上げていた間に、机はひんやりとした感触を取り戻していた。
「ほんっとお前、昔っからグータラだよな」
大地が僕の頭をつんつん指で突っ付きながら言う。流石は友人、僕の事を良く分かってるじゃないか。分かってるなら、グータラするのを邪魔しないでくれ。
「放っとけよ」とぼやき、手を払う。ハエを追い払うのも、大地を追い払うのも、要領は同じである。
「へいへい」と言い、大地が立ち去ろうとする気配を感じる。僕も再びグータラ道へと邁進しようと決意も新たに――
「ねえ二人共、ちょっと良いかしら?」
――しようとした時、女子の声が飛んで来た。
「んあ?」
ぼんやりと首を動かし、視線を上げる。まず見えたのは、紺色のセーラー服。さらに頑張って視線を上へ。パチッと整った目鼻と、赤い髪留めで結わえられたポニーテールが見える。
「どうした? 二階堂」
大地が言った。
二階堂舞。僕のクラスメイトだ。
どんな人物かと言うと、騒がしい人物だ。以上。
……あんまりな紹介だと思わないで頂きたい。何しろ、彼女とは同じクラスと言う以外、接点はないのだ。記憶の上では話をした覚えもないし、実際は話をしていたのだとしても、忘れる程度の内容だったのだろう。
そんな僕でも騒がしい人物と評する事が出来るくらい、彼女は騒がしい。
クラスの男子による好意的な意見を紹介すれば、明るくて活発、誰とでもすぐに打ち解ける事が出来て、しかも超可愛い――との事だが、別に打ち解けた覚えのない僕からすれば、騒がしい以外の感想が出て来ない。
静と動の違い――と言えば大袈裟だけど、はっきり言って僕とは正反対の性格
だ。そんな彼女が、僕らに話し掛けて来た。大地に、ならともかく、僕らに。
「何の用、二階堂さん?」
訝しみながらも尋ねてみた。が、二階堂さんからは疑問に対する回答より先に、微妙な表情が返って来た。
「……成田君。もうちょっとこう、シャキッと出来ないの?」
「……って言われても」
そう言うセリフは、僕ではなくモヤシに対して言った方がよっぽど大勢の人を幸せにすると思う。
「だって成田君、いっつもぐだー、ってしてるじゃない。遠目から見るとあなた、海岸に打ち上げられたクラゲみたいよ?」
「余計なお世話だね」
「もっと海流に逆らおうって気概を持ちなさいよ。人間として」
「逆らえないから打ち上げられるんだろ。プランクトンとして」
僕が返すと、二階堂さんは露骨に呆れた表情を浮かべた。失礼な。
「……まあそれは置いといて。ちょっと二人に話があるんだけど」
「話?」
同じく呆れた表情を浮かべていた大地が、二階堂さんの方を向く。
「うん。二人共、ゲームって遊んでる?」
「ゲームってデジタル系の? うん、一応遊んでいるけど」
「俺も」
察するに『ゲームの話をしよう』……と言ったところか。でも、何で僕らなんだろう? 他にも候補はいくらでも居るのに。
僕が疑問を口にしようとすると、
「あー、デジタル系って言うか、VR系の」
二階堂さんが付け加えて来た。
そして彼女は――振り返ってみれば、僕の青春にささやかとも劇的とも言える転換を迎える事になった――本題を口にした。
「『望郷のムーンラビットオンライン』って知ってる?」
予め断っておいた方が良いだろう。
この話は、滅亡の危機に瀕した世界を救うために僕達が立ち上がる、と言った内容ではないと。
秘匿された世界の謎を追い掛け、やがて残酷な真実に直面する事もない。
ある日謎の美少女が僕の家に転がり込んで来て、嬉し恥ずかしの同居生活を送るような事も――多少遺憾ながら、ない。
二十一世紀も三分の一に差し掛かろうか、という時代に。細々とした問題こそあれど、平和と言って差し支えない日本の片隅で。
僕らがただゲームをする。
それだけの――たったそれだけの物語だ。