ワールド28 我が家へようこそ! な件
「え~っと、どういう事なんでしょう?」
確かに雪さんは僕の事を師匠って呼んでいたけれど、師弟の契りを結んだわけでもないし、第一、彼女が御蔵島に来るのは雛竜先生が入院する時のハズだったと記憶している様な気がするんですけど?
雪さんはズイと一歩進み出て「雛竜先生と早良様のお口添えもあり、父が薦めてくれ申した。『進んだ世の中を見て参れ。』と。早良様は、弟子入りするなら早い方が良い、と申されまして。師匠の下なら純子姫様もいらっしゃる事であるし、貞操の危機も無く宜しかろうという御意見でございます。」と希望に満ちた眼差し。
ハッハッハ! そう来たかね早良君! ……もしかしたら今日くらいは、岸峰さんとチョットくらいならイチャイチャ出来るかも知れないと、淡い期待を抱いたりしてたのだけど。
「水汲み・洗濯・雑巾がけ、何でもお命じ下され! 身命を惜しまず励みまする。」
雪さんの決意表明に岸峰さんは「自分の事は自分でやる、がウチのルールだから、そう言った事はしなくていいんだけど……。」とタメ息。
「姫様、『るうる』とは、何でございましょう?」雪さんは空気を読まず、無邪気に質問する。あるいは、空気を読んで無邪気な調子で質問したのか。
「ルールというのは、取り決めの事よ。……それから、『姫様』はナシね。実態にそぐわないから。岸峰さんか純子さんで良いからね。で、彼の事は『片山クン』で充分よ。年齢も二つ三つしか離れていないでしょう?」
自分には『さん』付け推奨で、僕の事は『クン』付けかい。……ま、いいけどさ。
でもこれで、岸峰さん的には事態の追認をした、という事っぽい。
……んん? でも、これって、雪さんも電算室に同居するって事??
「そういう事だから、片山クンはベッドを雪ちゃんに譲って、また長椅子で眠ってね。その内に、もう一台簡易寝台を入れるまでは。」
「僕は別に良いけど、小倉さんは大丈夫かな? ……だって、キミは……ほら。」
就寝中に色々ウルサイという事は、敢えてボカす。親しき仲にもエチケットというヤツだ。
「知らない場所で、右も左も分からないんじゃ心細いでしょ。生活に慣れるまでは、歯を食いしばってでも耐えてもらわなきゃ。電気・水道・トイレにシャワーなんかを自在に扱えるようになったら、女子寮でも新町地区の旅館でも好きな所に。」
古賀さんが「片山さん、お弟子さんを採るって、スゴイデスネ!」と奇妙な笑みを漏らす。
邪悪な座敷童は見た感じ、雪さんとお神酒徳利みたいな年恰好に見えるから面白くて仕方が無い感じだ。当然、座敷童の方が年上なんだけど、古賀さんは童顔だし雪さんは彫りが深めだから年の差を感じさせない外見なんだ。
一方、石田さんは「小倉さん、お姉さんの部屋に来る?」と、優しく雪さんに訊ねている。
彼女は岸峰さんのイビキや歯ぎしりが強烈なのを、転移後の数日間で「経験して」いるから、学級委員長的使命感から身元引受人を買って出てくれているのだ。
けれど「師匠のお傍に控えておりまする。」というのが、雪さんの出した答えだった。
誰も、僕に弟子を採る意思が有るのかどうかを確認してくれない。
立花少尉が入室して「中尉殿は政庁社に戻ったよ。医療チームは島民の健康診断もするから、戻りは明日だって。ホウ酸とかサルファ剤みたいな医薬品が必要になったら、無線で指示するから明日来る時に持ってきてって。少佐殿や警部補殿も泊まりだね。今日は鍵閉めて帰って良いそうよ。」と事務的に告げる。
僕が報告書を書いている間に、雪さんを連れて中尉が来ていたのか。一言、断わりくらい入れてくれればよいのに。……いや、僕に話をしたら無駄に抵抗するだろうと思って、自分が場を離れるまで口止めしていたのか。
「中尉殿は僕にも一言あって然るべき、でしょう?」たまらず立花さん相手に愚痴を漏らすと、立花少尉は「臨時滑走路が完成したから、それどころじゃあないみたい。大津丸の偵察機を着陸させて明朝一番に『アジ・ビラ作戦』決行するんだそうよ。偵察席には趙さんが乗り込むらしいわ。94式は二座しか無いから三座の水偵を使うかどうか議論になったみたいだけどね。……取りあえず今、陽のある内に趙さんを乗せて試験飛行をしてみて、空中勤務に耐えられるのかどうか、確認するみたい。」
そんなにバタバタしている最中ならば、致し方ない。……状況を受け入れよう。
一方、雪さんはと言うと、僕と少尉とが話をしている間に岸峰さんや石田さんから準備室内の装置や機材について説明を受けていた。
やはり一番の驚きはLED照明とエアコンみたいで「竜宮の様でございますね。」なんて呆気に取られている。
「雪ちゃんはツベルクリン済ませたの?」岸峰さんがお姉さんっぽく質問する。
「労咳調べの針治療でございますか? 出立前にお受けいたしておりまする。」
「怖くなかった?」と訊いたのは座敷童。
「少しは怖おうございましたが、労咳病みの『りすく』がたちどころに分かるとか。受けない訳には参りませぬ。」
「雪さんは偉いね。でも、ツベルクリン試験だったら、はっきり反応円が出るのは数日先になるの。」石田さんの声も優しい。「基地に着いたら、何日かの内に種痘も済ませておくと良いよ。」
立花少尉が、パンと一つ手を鳴らすと「さ、鍵を閉めて戻りましょう。小倉さんは馬に乗っても平気?」と声を掛けた。
僕はパソコンなんかを片付けながら、自動車みたいな高速移動するモノに乗っても平気かどうかの確認だな、と気が付いた。
でも、無理とか言われたらどうしよう? 歩いて帰れなくもないけど、帰り着く頃には日が暮れてしまう。目隠しをさせて、救急車に乗っけてしまうんだろうか。
「子供の頃より、父に仕込まれておりまする。」元気に返事をする雪さん。
子供の頃からって……キミ、まだ子供だろう?
「上等。じゃあ小倉さんは師匠と一緒にジープの後席に座りなさい。運転は石田さんで、助手席に岸峰さん。」
座敷童が「救急車は私が運転ですね?」と言うと、立花少尉は「運転は私がやります。古賀さんは、助手席。」と、それぞれの持ち場を割り振った。
御蔵島側の扉から外に出ると、ジープと救急車を見た雪さんは
「荷車があるだけで、馬がおりませぬ。」と大慌て。馬が逃げたと思っているようだ。
「馬は要らないのよ。」と岸峰さん。「この荷車は自力で動くから。」
僕は雪さんが大発やテケを見ていたのを思い出して「エンジンが付いているんだよ。今から石田のお姉さんが、このエンジン付き荷車を動かしてくれるから、僕たちは乗っているだけで良いんだ。」と、彼女を後席にエスコートする。「ここに深く座って。手は手すりを握っておくこと。いいね?」
「じゃあエンジンを掛けるからね。音がして少し揺れるけれど、大丈夫だから落ち着いて座っててね。」
石田さんが運転席から後席に身を乗り出して、雪さんに言って聞かせる。「片山さんは、雪ちゃんに危険が無いよう注意してて下さい。」
「了解。……雪さん、絶対に立っちゃダメだよ。態勢を崩したり、慣性の法則で前や後ろに飛び出したりするから。」
同じく助手席からこちらに顔を向けている岸峰さんが変な顔をしているのは、座席に座った雪さんが腿を開いたままだから、短い着物の裾から下着が露わになってしまっているのを見たからだろう。
岸峰さんは僕の顔を見ると何か言いたそうだったが、結局、何事も口にしなかった。
石田さんは極めてゆっくりと発車をし、雪さんがパニックを起こさない事を確認しながら徐々にスピードを上げてゆく。
雪さんは、ほうこれはまた快適でございまする、と上機嫌で初のドライブに特に動揺する事も無い。
御蔵港に輸送船や貨物船が整然と停泊しているのが見えて来た時も、「正に驚くべき眺め!」と感激した声を上げたが、ちゃんと座ったままで危険行動を取る様子は無かった。
それどころか「良く手入れの行き届いた街道でございますな。路面が滑らかで荷車の車輪が跳ねませぬ。」と簡易舗装道路の砂利道に対する優秀性も見て取っている。
けれど、山に遮られていた眺めから、カーブを過ぎて石油タンクや工場群・倉庫群・兵舎群が姿を現した時……
雪さんは声にならない叫びを上げて、座席から立ち上がった!
『座れ!!』と叫んで、僕が雪さんの腰にしがみ付いたのと、石田さんが柔らかくも力強くブレーキを踏み込んだのとは、ほぼ同時だった。
僕は雪さんの身体が転げ落ちたりしないよう、引き倒して抑え込む。
後続の救急車は、予め危険を予知していたのか車間を大きく開けていたため、追突は免れた。
「立ち上がるな、と言っただろう!」
僕が声を荒げると、雪さんは「申し訳ありませぬ。申し訳……」と泣き出してしまった。
岸峰さんは車を降りると、横合いから雪さんをギュッと抱きしめ
「片山君が悪いんだよ。最初から雪ちゃんの着物を掴んでいないから。……まあ、掴み難そうな服装ではあるけど。」と僕を睨む。
石田さんは「この眺めはビックリするよね。お姉さん、それを予期してスピードを落としておくべきだった。」と雪さんを慰める。
救急車から降りてきた立花少尉も「悪いのは片山だな。後ろから見てたが、雪ちゃんはバランス崩してなかったぞ。乗馬で鍛えているからな。オマエの過剰反応だ。」と厳しいコメント。
何故か古賀さんは「片山室長の措置は、安全確保のための止むを得ない行為であったと推察致します。高機動車の乗車に慣れない小倉さんが、転倒・転落しなかったのは結果論かと。」と擁護してくれる。
古賀さんの意見具申を耳にした立花少尉は、即座に
「それもそうか。小倉を救急車の座席に入れておかなかった自分の采配が悪かったな。……片山、スマン。言葉が過ぎた。」と頭を下げる。
僕は、いえ、と一度頭を下げてから車を降り、再び皆に深く頭を下げて「自分が至らぬせいで、皆さんにご迷惑をお掛けしました。」と謝罪した。
それから雪さんに「本当に、ごめん。師匠失格だ。」と三度頭を下げる。「本当に馬鹿で、ごめん。」
僕の様子を見た岸峰さんが、雪さんの背中を優しく叩きながら
「片山クン、もうそのくらいにしておきなよ。雪ちゃんには充分通じているみたいだし、それ以上謝ったら、かえって雪ちゃんの立場が無くなる。」
雪さんは「師匠、頭をお上げ下され。失格など滅相も無い。雪は師匠以上の師を知らず。これからも導いて頂きとうございます。」と言ってくれてから「あ、雛竜先生は、師匠に匹敵する我が師でありますけれども。」と付け加える。
それを耳にした古賀さんが「雛竜先生って?」と疑問の声を上げると、岸峰さんが「超美形の軍師なヒト。才色兼備ってヤツ。」と答える。
立花少尉も「竹久夢二の美人画の様な御方だな。……男性だが。」
「どうしてお二人は、その雛竜先生? の外見を御存じなのです?」石田さんが、当然と言えば当然な質問。「北門島側の扉まで、雪ちゃんを送って来られたのですか?」
「片山室長が撮影したのを見せてもらったんだ。片山君、二人にも見せてやってよ。自分の発言が誇張で無い事を納得してもらいたいからさ。」
僕は謝罪していた件が、雪さんの発言以降にドンドン話題がズレていくなと思いながら、雪さんと岸峰さんの顔を見ると、二人とも微笑んで僕に頷く。
……ああ、そうか。みんな気を遣ってくれているんだ。
スマホを取り出して、写真を呼び出す。「物凄くクレバーな軍略家です。」
わあぉ! と歓声を上げたのが古賀さんで、瞬時に赤面したのが石田さん。
立花少尉は「脱いでいるのは、結核診断に利用出来るかと片山君が気を効かせてくれたからだ。……お前たち、淫らな目で鑑賞するんじゃないぞ。」
古賀さんと石田さんがスマホに魅入っている間に、雪さんは「師匠! それで『かんせいのほうそく』とは何でありましょうか? 先ほどは自動荷車の不可思議に我を忘れて、質問する事が出来ませなんだ。」と勉強家の顔に変わる。
「それはね、動いているモノは運動エネルギーというエネルギーを持っているんだ。ジープに乗って移動している雪さんは、道端で転がっている石なんかよりも運動エネルギーを沢山持っていることになる。その時にジープが急制動を掛けて運動エネルギーを無しにしても、雪さん自身は持っている運動エネルギーのままに前に進もうとし続ける。これが慣性の法則だよ。だから、手すりをシッカリ握って持っている運動エネルギーを相殺しないと、勢いのままにジープの前に飛んで行ってしまうんだ。」
「それでは、路傍の石と同じく、運動エネルギーとやらを持たないままに、停まった荷車の上に座っていて、急に荷車が動き出せば後ろに振り落とされると言うのも、等しく『かんせいのほうそく』なのでありましょうか?」
「雪ちゃん賢い!」岸峰さんが雪さんの背中を派手な音を立ててバンバンと叩く。「そうなの! 動いている物は動こうとし続ける。止まっている物は止まっていようとし続ける。――それが『慣性の法則』よ!」
「姫様。少々、痛とうござります。」
「姫様はナシよ。雪ちゃん!」
皆が和んだ処で、少尉が「だいぶ道草を食ったね。出発しようか。……席はこれまで通りでいいね?」と確認する。
雪さんが「慣性の法則を学びました故、無謀な試みは致しませぬ。」と確約。
そして憧れの目で「あの都に向かうのですね。」と御蔵の街を仰ぎ見る。
夕暮れが近づいた御蔵の街や港は、電灯が灯りだして、その存在感を増してゆく。
「私たちの街よ。」岸峰さんが歌うように雪さんに応じる。「そして、これからは雪ちゃんの街にもなるの。――我が家へ、ようこそ。」




