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ワールド27 岸峰さんの髪の香りは良いなぁとしみじみ思う件

 趙さんは僕の困り切った顔を見て大笑いすると、たもとから取り出したシガレットを咥えてオイルライターで火を点けた。

 彼は紫煙をくゆらすと、パチンと音を立ててライターの蓋を閉じ

「今朝ほど、高速艇の中にて大内殿から拝領した品よ。この様に便利な火付け道具が、またと在ろうか。雪よ、御蔵の技、我らのものとは比べる事が出来ぬほど進んでおる。……のう、藤左殿。雪を御蔵に行かせてはどうか?」


 「それは儂も考えておった。……それに、この子は頻りに『見たい。』と、せがんでおる。」

 「別に遠くへ旅する訳でもない。御蔵島は、この壁の直ぐ向こうよ。」

 「本当に、この壁の先なのじゃな。初めに聞いた時は、信じられぬ思いであったが。」

 趙大人は藤左ヱ門さんに頷くと「我も自分の身に起こった事でなければ、頭から疑って懸かるであろうな。秘密の抜け穴があるでなし。」


 「なぜ趙大人は、ここで何かが起きる、と感付かれたのですか? 御蔵島がここに繋がるなど、僕たちにも予想出来なかったのに。」僕は趙さんに疑問をぶつけた。

 雛竜先生が、不思議な秘密の儀式でも執り行ったのかも知れないと、とっさに思ったからだ。

 現実離れした想像だけど、先生ならそんな変な魔法が使えそうな気がする。失礼かな?


 「気よ。」趙大人の返答は、意味が分からないくらいシンプルだった。

 「気?」僕はオウム返しに訊き返す。

 気の力で、ワーム・ホールを作ったってこと?


 「大気に奇妙な気を感じたのだ。まるで雷雲が近づいて来る時の様な。」趙大人が説明を補足する。

 静電気みたいなものの流れを感じたという事だろうか。

 確かに夕立前にカーボン製の釣り竿を握っている時には、空気中が帯電して手にピリピリ電気が伝わってくる事があるけれど。

 そう言った感触を、趙大人は素で掴んだということなのか。

 ちょっと常人離れした、感覚の鋭さだ。


 「気の出所を探って行くと、この場に辿り着いた。……けれども、不審な物は何一つ無い。無論、建物の中も探ってみたぞ。交易品の紙や漆器、それに綿布なんぞが、山と積まれているばかりよ。島にはありふれた物ばかりで、神気を発しそうな宝剣や霊力を持ちそうな玉なども見当たらぬ。その時は……儂の気の迷いかと思うたぞ。」

 建物の中は販売品の物品倉庫なんだ。紙や綿布が手に入ると知ったら、中佐殿は喜ばれるだろうけど。

 まさか『紙が欲しい!』っていう中佐殿の念力が、ここに穴を開けたって事は無いよね。


 「それでも如何にも気掛かりで、儂はずっと見張っておったのだ。」趙大人は腕を組んで僕の顔を見据える。「そこに出て来たのが、おぬしよ。」

 「はあ、どうもすいません。」ここでスイマセンは変だけど、他に言い様が無い。「その節は、なにぶんビックリしておりまして。」

 趙大人は苦笑して「確かに室長殿は驚愕しておられたな。……でも、儂も同じ位、驚いたぞ。ものには慣れた心算でおったが。」


 「いや本当、有り得ないですよね。……でも趙大人は、ソダの車上では『男の顔など覚えておらん。』って言われてましたよね?」

 「あの場では、そう言うしかあるまい? まさか自分から『ええじぇんと?』だと言い立てる訳にもいかず。」

 まあ、そうだよね。余りに衝撃的な遭遇だったから、僕の目には趙さんの顔は焼き付いていたわけだけど、それは趙さんだって同様だろうし。忘れていたという証言は、不自然に過ぎたんだな。本当なら、あの時に趙大人の『描こうとした』人物像を疑ってかかるべきだったんだ。


 「一本取られました。」僕は胸ポケットから煙草を一本取り出して、趙大人に進呈する。「本当は、囲碁もお強いんでしょう?」

 趙大人はニヤッと笑って煙草を受け取ると

「一つ覚えておくと良い。弓が上手いからと言って、剣も達人であるとは限らん。囲碁は子供の頃からずっと苦手よ。雛竜先生からも、何時まで経っても上達せぬ、と呆れられている。」


 「ご歓談が盛り上がっている中、まことに恐縮ですが。」中尉殿がパーティーの司会者みたいに、真面目くさった声を上げる。「ヒト・ゴ・マルマルまで、あと二分です。」

 そろそろ話を切り上げろ、という意思表示だ。


 僕は上着のボタンを外して、内ポケットのチャックを開き『鍵』を取り出す。

 趙大人が煉瓦塀から離れ、「ここじゃ。」と寄りかかっていた場所を指差す。

 何も無い只の壁だけど、『鍵』を近付けると『鍵穴』が現れた。

 「……むう。こうなった今では、儂にも感ずる。」藤左ヱ門さんが呟く。気の流れの事だろうか。

 僕には、鍵穴が現れた事以外、特に変化を感じる事は出来ない。


 「10秒前。」中尉殿のカウントダウンに合わせて、鍵穴に鍵を差し込む。

 「5、4、3、2、1、」

 今、という合図と共に、鍵を回した。


 扉は向こう側から開けられ、岸峰さんの顔が現れた。

 二日ぶり? いや……三日。

 たった三日間しか離れ離れになっていなかったのだけど、とても彼女を懐かしく感じる。

 今日は礼服着用という事なのか、セーラー服姿だ。

 そう言えば、彼女が髪を短くしてからは、初めてのセーラー服なんだ。


 岸峰さんは泣き笑いみたいな顔をして、こちらに飛び出して来ると、僕の上着の襟首を掴んで顔面に頭突きをカマシて来た。

 飛び出してきた勢いがあるから、そっと優しくという訳にはいかなかったが、鼻血が出るほどの衝撃は無かった。

 僕は彼女の髪の匂いを嗅ぎながら「正解。」と呟く。

 彼女は僕の上半身を押しやってパーソナル・スペースを作り「キミも私も、今まで通り。……よく似た別人じゃなくて、良かった。」と言ってから「ちょっとだけ……ほんのチョットだけは、心配だったんだからね!」と鳩尾みぞおちにグー・パンチを決めてきた。

 頭突きと違って、パンチの方は本気度高めだ。不意打ちだから……息が詰まるって!


 「なあ。御蔵の姫は激しかろ?」趙大人が愉快そうな声を出す。

 「じゃあ、軍医殿を先生の所へ案内するから、片山君、後は宜しく。」と中尉殿。

 「師匠、鼻は大丈夫でありまするか?」と心配してくれているのは雪さんの声だ。鼻の方は大丈夫。……鼻の方はね。

 「まこと、不思議な扉よ。」と準備室への扉に興味深げなのは藤左ヱ門さん。藤左ヱ門さんは僕の惨状を見なかった事にして、気を遣ってくれているのかも知れない。

 「本当に。でも、こちらも良い所みたいですね。」と藤左ヱ門さんにお愛想を言っているのは病院の主任看護婦さんか。


 「それでは、皆さんにも問診とツベルクリン注射を受けて頂きますので、政庁社へ向かいます。」

 ツアー・コンダクターみたいな中尉殿の号令で、一同は賑やかに去って行き、扉の前には岸峰さんと僕の二人だけになった。


 岸峰さんは気持ちだけ済まなさそうな表情を作り「ゴメン。痛かった?」と訊ねてくる。

 取りあえず僕は「キサマの拳など、止まって見えるわ!」と返答した。

 そして「ほら、これ。」と、上皿天秤を雑嚢から取り出す。

 「あ、最初にキミが落っことしたヤツ!」岸峰さんは察しが早い。

 「そうなんだ。だから頭突きのサインを決めておかなくても、大丈夫だったみたいだね。」

 まあ、決めておいたのも無駄ではなかった。

 岸峰さんの髪の香りを味わう事が出来たんだから。


 「お二人さん、お取込み中の処に申し訳ないけどね。」

 チェシャ猫みたいな笑顔で扉から出て来たのは立花少尉だ。ト式機関短銃を構えている。「一旦、扉を閉めて頂戴。気圧に違いがあるんだか、吹き込んで来る風が強いのよ。」

 現時点で、御蔵島側より北門島側の方が気圧が高いって事か。


 僕は扉を閉じると鍵を掛けた。直ぐに扉は見えなくなる。

 「これじゃあ、次に開ける時、鍵穴の位置を探すのに迷いそうだね。」煉瓦壁をみながら少尉が呟く。「何か印を付けておこうか?」

 立花少尉は機関短銃を僕に預けると、腰の銃剣を抜いてしゃがみ込み、煉瓦壁の下の方に鳥居マークを刻む。

 何で鳥居なんだろう。

 「池永の馬鹿は、酔っぱらうと直ぐに立ち小便をするんだよ。……レディの前でもお構いなしに。」

 ああ……それで鳥居マークなんだ。池永さん・立花さんカップルの行く所、今後この世界では鳥居マークがジワジワ増殖して行く事になるのか。


 「何だか趙さん、何時もと感じが違ってたね。司令部棟や食堂で顔を合わせる時には、もっとオチャラケた感じの人だったけど。」岸峰さんの感想は無理も無い。

 「この島には南明朝サイドの、前線統括軍師レベルの重要人物が居るんだけれど、趙さんは実は、その人直属の諜報組織のリーダーみたいなんだよ。服部半蔵みたいな感じ?」

 エエエ! と驚きの声を上げたのは岸峰さんばかりではない。立花さんも一緒だ。

 「ホントなの、それ?」立花少尉は、まるっきり信じられない様子。「私、メチャクチャ失礼な対応取ってるし。」

 「趙大人――趙さんは、全然気にしてませんよ。……だって、情報収集任務のために自分から偽装している訳ですから。」

 「じゃあ、御蔵島の秘密は丸バレじゃん。それって、マズくないの?」と困惑気味なのは岸峰さん。

 「大内警部補は、即座に見抜いていたみたいなんだよ。……早良さんが、そう言ってた。」

 「警部補殿や中尉殿がそう言うお立場なら、高坂中佐殿が納得ずくで情報を公開された、という事でしょうね。」立花少尉が分析する「和・戦どちらの立場で今後交渉するにしろ、ある程度オープンなスタンスであった方が有益だろう、と計算されたんでしょう。」


 「で、前線統括軍師が、一緒にいたお侍さん? 日本人みたいだったけど、『ここ』では鄭芝龍の日本乞師にほんきっしが成立した世界なわけ?」岸峰さんが言っているのは、藤左ヱ門さんの事に違いない。

 「いや、あのお侍さんは、小倉藤左ヱ門さんと言ってフィリピンの日本人街から、明朝支援にやって来た義勇軍の人。水陸両用即時対応部隊の指揮官の一人だよ。『大坂夏の陣』の豊臣方武将の子孫で、雛竜先生の侍大将格。むっちゃ優秀な人。新規知見に動じないし、ちょっと信じられないくらい、吸収力が高い。」

 「室長が口にした『雛竜先生』という人物が、統括軍師ね。」立花さんが顎に手をやる。「趙さんや、その小倉氏を指揮している。……どんな人物だった? もう会っているんだと思うのだけど。」


 僕は少しだけ考えた末、あーだこーだと口で言うよりもと、スマホの画像を呼び出した。「こんな人物です。」

 現代っ子の岸峰さんや、彼氏持ちの立花さんは、雛竜先生のセミヌード程度では驚かない。

 ただ、先生の美形ぶりには感ずる処が有ったみたいで

「キレイな人だぁ! 歌舞伎の女形おやまが充分務まる。」(立花少尉殿 談)

「何でキミは、こんな写真を撮ったかなぁ? 片山君、そっちの趣味があるの?」(岸峰女史 談)

との感想だった。

 軍師というからには、白鬚の老人なんかを想像しているかと思っての措置だったのだが、年齢が若いという事には驚きが無いようだ。

 その点を指摘すると「だって、漢の張良や蜀の諸葛亮は若くて美形なイメージでしょう? ほら、呉の陸遜なんかも!」と岸峰さんに論破されてしまったけど。


 僕は雛竜先生の部屋で見聞きした事を二人にザッと話し、「南明情勢や紙や原油の入手の事もあるから、ちょっと急ぎでレポ纏めておくんで。」と、準備室に入った。鍵は岸峰さんに預けておく。

 室内には石田さんと古賀さんが待機していた。運転手として救急車と高機動車を持ってきたらしい。

 機関短銃装備の歩兵一個分隊は、特に問題は起き無さそうだという事で、自動貨車で先に兵舎地区に戻ったとの話だ。

 古賀さんは北門島の事を色々質問したそうだったけれど、石田さんが「質問は後。今は室長は報告書書きで忙しいから。」と彼女を制してくれたから、レポートの打ち込みははかどった。


 小一時間が過ぎて、報告書が大体出来上がった頃、北門島側の扉が開いた。

 妙に無表情な岸峰さんが、雪さんを連れて入って来る。

 「室長殿。お弟子の小倉雪様をお連れしました。」

 岸峰さんは僕に向かって『室長殿』なんて呼びかけることはナイ。


 これは、何と言うか、明らかに危険信号に違いない。



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