ワールド24 「技術と技術者が支配せる国」な件
そうだった。そうだったよ。
御蔵島と南明軍との間で友好通商条約を結んだと言っても、それは全体のコンセンサスを得た話ではない。
加山少佐は司令部と電信で遣り取りしているのかも知れないけれど、南明朝側にとってみれば前線指揮官の独断専行に過ぎないんだ。
雛竜先生にどれだけの権限が有るのか分からないけれど、総司令官が「最前線部隊同士の一時休戦に過ぎない。」と卓袱台返しをする可能性だって、ゼロではないんだ。
「御説、ごもっともです。先生にご尽力頂かないと、万が一にでも拗れた場合、損失は計り知れない。」
僕の発言に、先生は軽く片目を瞑って見せて「我が方にとっては、そうでありましょう。けれど御蔵にとっては、どうなのでしょうか? 御蔵の力を以てすれば、清・明両方を一度に相手しても、容易く負ける事はありますまい。……もっとも、御蔵の方々は、あまり戦を好まぬように見受けられますが。」
そうだろうか? 生存圏の確立のために、舟山群島全域を占領下に置いてしまっているけれど。
けれど、僕の頭に浮かんだ疑念は、藤左ヱ門さんの発言で即座に打ち消された。
「左様でございますな。支配地を広げ各地を切り取り、呉の国を打ち立る勢いを示していても不思議はありませぬ。……その時には、我々も簡単に捻り潰されておったに違いありませぬ。」
これは、なかなか言えない言葉だ。
藤左ヱ門さんは雛竜先生の腹心と言った感じだし、これまでの発言や行動を見ても知勇兼備の良将であることは間違い無い。
それでいて、自分達の力と御蔵島の科学力とを比較して「自分たちが負ける」と、さらりと言ってのける凄み。
この胆力は相当の物だ。
だが、藤左ヱ門さんは誤解している。もしかしたら雛竜先生もそうなのかも知れない。
僕たちは――御蔵島の面々は、この時代の「国土や国家」を支配する事には興味が無い。
敵に脅かされる事無く、普通にお風呂に入って夕飯を食べ、電灯の下で寛ぐというような「文化的な生活」を失いたくないだけ、という動機からの行動だ。そして出来る事ならば、元いた世界に帰りたい。
言い換えると『御蔵島的生活水準での現状維持』が望みなのだ。
まあ、僕や岸峰さん以外には、強力な武装を持つソ連軍やドイツ軍と対峙するより、今のこの状態の方がまだ安全と、平行世界転移を好んで(あるいは喜んで)いる人物がいないとは言い切れないけど、それでも明末の生活水準にまで文明レベルを下げた生活に我慢が出来る、という訳ではないだろう。
南明と友好通商条約を交わすのも、別に南明朝の正統性を支持しているのとは違い、支配欲が強くて面倒臭そうな清朝の支配下で生活するよりマシという理由からに過ぎない。
「それでは正直に申し上げます。……けれども、この場限りという事で、他には内密に願いたい事なのですが。」
「お約束いたします。他へは漏らしませぬ。」と先生は居住まいを正し「藤左様、花、雪、宜しいですか? 秘密を守る自信が無ければ、外に出ていても良いですよ?」と室内の皆に念を押した。
「決して外へは漏らしませぬ。」と三人が口々に約束する。
四人の目から強い視線を浴びて、僕は「戦争なんか、しているヒマが無いのです。」と言い切った。
四人の表情が驚きに変わる。
動乱の時代に生きている人々だ。無理も無い。けれど……
「先ほど申しました通り、この世界には産業基盤と言えるモノが欠落しています。……いや、未発達なのです。予防薬や治療薬は本より、エンジンや機械、またそのエンジンや機械を作るための機械。材料や素材。何もかもが足りておりません。今、それが有るのは御蔵島ただ一ヶ所だけです。何とかして他でも作れるようにしなくてはなりません。それに、機械を作る知識と技を持った職人、素材を作り出す技とその知識を有している職人、労咳を治す事が可能な医者、正しい治療知識を身に付けた看護婦、これらの職人を戦争で失ってしまったら、再び手に入るのは今から300年も先になってしまいます。職人一人育てるのに、一人前に育つには10年はかかるでしょう。戦争をして技術者を失うのは、この世界の損失となるのです。ですから、降りかかる火の粉は振り払い、時には火そのものを滅ぼしに行くのは厭わないし、産業基盤確立に必要な土地を押さえに出向く事はあるでしょうが、国土の支配や権力の維持には興味が無い、と言ったら良いのかも知れません。」
「これは面白い。御蔵は『技術ト技術者ガ支配セル国』なのですね。」怒られるかと思っていたけど、先生はちょっと愉快そうだ。「鄭将軍と片山様とは、気が合うかも知れませんよ?」
「鄭将軍閣下は、どの様な御方なのでしょうか?」
雛竜先生は顎の下に手をやって小首を傾げると「一官先生は、物事を多面的に見ようとする御方です。朱子の学より老荘の徒に近しいでしょうか。それでいて、軍才も商才もお有りなのに南明を背負って立つ御決断をなされた。機を見るに敏な者は、こぞってドルゴンの下に馳せ参じたものですが。」
南明が大陸の一部に割拠することを認めるならば、清と講和しても良い、と考えているのかどうかを確かめてみたいけど、そこまで踏み込んだ質問をするのは避けた方が良さそうだ。
「それでは福松様はどの様な人物でいらっしゃいますか?」
鄭成功は明朝復興のために最期まで戦い抜いた人物だ。対清戦争では南明の意思決定に重大な影響を及ぼす事になるだろうから、その人物像を雛竜先生がどの様に評価しているのかは、非常に気になる。
「忠義の士であらせられます。 果断さにかけては父上にあたる鄭将軍を上回っておられましょう。……もっともこれは、鄭将軍が現実を見極めるのに秀でておいでであるのに対し、福松様は『で、あらねばならぬ』という理想を追い求める傾向がより強いという、志向の差によるものなのやも知れませんが。福松様は唐王様と親しく行動を共にされておりますので、あるいは唐王様の御意向が強く影響しておるのか、とも思います。」
唐王は、南明朝第二代皇帝「隆武帝」になるはずだった人物だ。
初代の弘光帝が生きているから、なることが出来ない訳で。
「唐王様は、確か……清や順が勢いを増しつつある時に、自ら部下を武装させて北京防衛へ赴こうとされた御方様でいらっしゃいますよね?」
「その通り。勇ある御方であれせられます。」僕の質問に藤左ヱ門さんが答えてくれる。「なれど、時の皇帝陛下が唐王様の行いを謀反の意ありと看做し、捕縛した上で死を賜らんとされ申した。なれど、李自成めが北京を陥とし帝を弑し奉ったため、命を永らえられたのです。南京で御即位なされた今の帝(弘光帝)は、特赦して唐王様を元の地位にお戻しなさったため、唐王様は帝に深く感謝なされております。」
遊び好きの弘光帝と、武断派の唐王(隆武帝ならず)との関係は、悪くないってコトか。
「南京が陥ちた時に、鄭将軍や黄尚書様が次の帝にと擁立せんとなされていたのが、唐王様でした。」雛竜先生が追加の説明をしてくれる。「弘光帝陛下の御無事が明らかとなったため、その企ては霧消しておりますけれど。それでも帝は福州に御動座された後、唐王様の忠を賞して監国に任じられましたため、お二方は互いに厚く結ばれております。」
「『監国』という言葉の定義が分からないのですが、ご説明願えますでしょうか?」
僕の質問に藤左ヱ門さんが「摂政でございますよ。」と答えてくれる。「藤原鎌足公や、秀吉様のような。」
「ありがとうございます。……それで、唐王様は摂政をお受け為されたのですね?」
何となく、政治より歌舞音曲が大好きという弘光帝が、面倒な政から逃げ出して、唐王に明朝復興を丸投げして押し付けたような感じがする。そっちは茨の道だからね……。
「唐王様は御辞退なされました。」先生は僕の発言をアッサリ否定。
「『非才の身には、余りにも畏れ多い。』との御説明でしたが、監国には、ちと厄介な事がありまして。」
「厄介? それは……どの様な?」
話を聞く限りでは、弘光帝よりも唐王の方が国を引っ張って行くのに適しているように思えるんだが?
南京落城前に南明政府内で派閥争いに明け暮れていた取り巻き連中は、弘光帝に同行出来た極少数以外は、清に捕まるか殺されるかしている訳で、面倒事は少なそうなのに。
「温州の魯王様が、既に監国を自任なさっておいでなのです。」




