パラ9 洗濯板と落とし紙の件
僕が洗濯板を眺めて考え込んでいたら、石田さんが
「洗濯板を見るのは初めてですか?」
と訊ねてきた。
「はい。存在は知っていましたけれど、見るのは初めてですね。」
宮崎県の日南海岸には、「鬼の洗濯板、(いや洗濯岩だったかな?)」があるし、貧乳の胸を称して「洗濯板」と形容する事があるから、洗濯板という単語そのものが死語になっているわけではない。
「板の凹凸を使って、衣類をゴシゴシ擦るのだろうと言う事は分かります。けれど、この時代のアメリカ軍の輸送艦を舞台にした『ミスター・ロバーツ』という映画を観た事が有るのですが、その映画には自動洗濯機が出てきていました。自動洗濯機に粉石鹸を入れ過ぎて、艦内が泡だらけになるコメディシーンが秀逸たったので覚えています。」
石田さんは、少し首を傾けてから
「我が国にも電気式洗濯機は有りますよ。初めはアメリカからの輸入でしたが、今では国産化品も有ります。大型艦だと、艦内での発電量が多く乗員も多いですから、設置する意味があるのでしょうが、少量であれば洗濯板の方が便利です。水も少なくて済みますし、何より電気を必要としません。」
と、答えてくれた。
僕と石田さんが話をしている処に、「ここかぁ!」と叫びながら飛び込んで来たのは岸峰さんだ。
トイレから出て来たら、僕たちが居なかったために焦ったみたいだ。
彼女は「心細いんだから、置いていかないでよ。」と言いながら洗濯板を見付け、「ああ、洗濯板。」と僕たちが何をしていたのか納得したようだ。
僕が彼女に「使った事ある?」と訊くと、彼女は「ある、ある。キャンプ場で使ったよ。」と教えてくれた。
これは朗報。使う時には、岸峰さんに指南してもらえる。
三人で来客室に戻る途中、岸峰さんは「トイレのチリ紙が固い。」とボヤいていた。
僕が彼女を「贅沢言うなよ。トイレに紙が有るだけでも凄いんだから。」とたしなめると、石田さんが「馬鹿にしないで下さい。今はどこのトイレットにも落とし紙くらい置いています!」と憤慨した。
岸峰さんと僕の会話を聞いた石田さんに、未来人が過去を馬鹿にしている、と捉えられられたみたいだ。
「えーっと。トイレに紙が有るだけでも凄いと言ったのは、この時代を下に見ているわけでは無いのです。」
石田さんを怒らせたままにしておくのはマズそうなので、僕は必死に弁明を試みる。
「例えば江戸時代には、漉き返し紙と呼ばれる再生紙が厠で使われましたが、よく揉んでからでないと固くて使い難い紙だったようです。それでも漉き返し紙が使えるのは、金銭に余裕がある人々で、お金に余裕が無ければ竹の箆や縄切れで、お尻の始末をした様なのですね。更に時代を遡ると、貴族でも箆や木の棒で始末をしていた時代が有ったわけで、僕たちがタイムスリップした先が、トイレの後で木の棒を使う時代でなくて良かった、と言いたかったのです。」
話をしている内に、来客室に着いた。
石田さんは表情を少し和らげてくれたけれど
「片山さんの、おっしゃりたい事は分かりました。ただ、一つ確認をしておきたいのですが、『タイムスリップ』という単語は、時代がずれてしまうという理解で良いのでしょうか?」
と質問してきた。
僕が「時間、大丈夫ですか?」と訊ねると、彼女が頷いたので、椅子を勧める。
僕は、彼女とテーブルを挟んだ椅子に座り
「アインシュタインという物理学者がいるのですが、彼は大雑把に言うと、『光の速さに近い速度で移動するほど、時間の進みが遅くなる。』という理論を打ち立てました。空想科学小説では、その学説を取り入れ、光の速さで飛ぶ飛行機に乗った人物が飛ぶのを止めると、自分だけが年齢を重ねないまま未来の世界に着いてしまうという現象を仮定しました。」
ベッドに座った岸峰さんが、僕の言葉を引き取って
「浦島太郎の話みたいだから『ウラシマ効果』って名付けられています。」
と続ける。
そして、ついでに「亀レスで悪いけど、私がトイレに行ったのは、大の方ではありません。」と認識の訂正を促してきた。
この時、ドアを開けて金髪の女性が入ってきた。
石田さんと同じようなスーツを着ているが、石田さんが博多人形なら、金髪女性はマネキンの様に整った美人だ。
手には魔法瓶らしきポットを持ち、小脇に紙箱を抱えている。
彼女を見た石田さんは、慌てて立ち上がると「准尉殿!」と敬礼した。
金髪の中尉殿は、石田さんに「楽にしていて結構よ。」と言い、僕たちには「どうぞ、そのままで。何だか面白そうな話だから、私も混ぜて頂こうかしら。よろしくて?」と訊いてきた。
僕が立ち上がって「イエス、マァム!」と返答すると、准尉殿は
「日本語で結構ですよ。エミリー・スミスと言います。両手が塞がっていたので、ノックが出来なくてごめんなさい。」
と握手してきた。
落ち着け、俺。スミス准尉は、日本語しか話していないじゃないか!
スミス准尉が持って来てくれた紙箱の中身は、アメリカ軍のCレーションだった。
「今日は、島全体が特別警戒態勢中だから、食事は野戦食で勘弁して下さいね。」
彼女は、そう言いながら、紙箱から缶詰を取り出す。
彼女が開けてくれた缶の中には、ビスケットと粉末コーヒーが入っていた。
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登場人物
片山修一 大戸平高校2年 生物部 詰襟学生服の少年
岸峰純子 大戸平高校2年 生物部 ポニーテールの正統派美少女
石田フミ 帝国陸軍婦人部隊 キリリとした少女
エミリー・スミス アメリカ陸軍婦人部隊 金髪の准尉
登場機材
Cレーション 6個組の缶詰 6缶で一日分
主食3缶
・肉と豆の缶詰
・肉と野菜のシチュー
・ひき肉と野菜の缶詰
副食3缶
・ビスケット+コーヒーなど
ビスケットを主体にして固形スープ、チョコレート、キャンディ入りなどもある