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ワールド16 ライターの着火方式には二種類ある件

 「おおい! 片山君!」

 早良中尉の声だ。

 煉瓦塀の入り口の処から、こちらに手を振っている。


 「行かなきゃいけないみたいだ。」

 僕は腰を上げると雪さんに手を振った。「じゃあ。」


 雪さんは来た道を下って港近くの村に戻るかと思っていたが、素早い身のこなしで立ち上がるとスイっと僕の横に並んだ。

 「ええっと、ここから先は……」

 「片山殿を呼ばれた御仁の横に立っておるのが、我の父じゃ。」

 おやおや……。それでは雪さんと同道した方が、都合が良いのかな?

 けれども、いきなり「ウチの娘と、どう言った関係だ!」とか切れられたらどうしよう。考え過ぎかも知れないけど。


 「さ、急ぐぞ。」雪さんは先に立って、すたすた歩き始める。

 僕はパソコンを雑嚢に押し込むと、駆け足で彼女を追い抜いた。

 「あっ! 待ちやれぃ。無言で追い抜くとは卑怯な。」

 雪さんがぐじゃぐじゃ抗議する声が聞こえるけれど、気にしない、気にしない。


 僕は中尉の前に立つと「参りました!」と敬礼した。

 参りました、と言っても別に困っているわけではない。到着しましたとか、参上しましたとか、セリフを色々考えていたけど、決定打が浮かばなかったのだ。

 窮余のアドリブである。


 中尉の横に立っていた日に焼けた偉丈夫が、困ったような顔をして

「娘が何ぞ迷惑をかけたか! あい済まぬ。」と頭を下げる。

 僕は慌てて雪さんの父君にペコペコ頭を下げ

「とんでもありません。雪姫様にいろいろ教えを乞うていた処です。」と弁解する。


 早良中尉は例によって眼鏡を押し上げながら、特に動ずる事も無く

「彼は御蔵島電算室長の片山修一です。以後、お見知りおきを。こちらは、ルソン島援明派遣日本人部隊の小倉・トマス・藤左ヱ門様。小倉隊を率いておられる。」と簡潔に互いを紹介してくれる。


 小倉・トマス・藤左ヱ門隊長は「藤左と呼んでくれ。宜しくな。」と気さくにゴツイ右手を突き出すと「このジャジャ馬めが! 直ぐにふらふら出歩きおって!」と雪さんに怒鳴った。


 僕は藤左さんの割れ鐘の様な声にビビリつつ、慣れない握手をする。「宜しくお願いします。」

 藤左さんは優しく加減して握ってくれているのかも知れないけれど、娘に怒鳴っている間はどうしても手に力が籠るから、かなり痛いよ……。


 けれども叱り付けられた雪さんは、僕の横で腕組みすると父親に向かって胸を反らし

「何様の心算じゃ? ここにおわす修一殿は、見分広く天地に通じ、胆力強く知略に富む豪勇無双の英傑であれせられるぞ! 膝を屈して教えを請わぬか!」

と無茶苦茶な過剰修辞の追加紹介を披露する。


 ……これは、まあ、思春期の娘を持つ父と、父を信頼しつつも若干反抗期気味の娘との、他愛も無い遣り取りの一幕なのだろうけれど、ほのぼの感よりピリピリ感の方が強いから、間に挟まった僕としては少々困った事態になって来つつある。

 僕の顔を見た中尉は、吹き出しそうになるのを必死にこらえつつ「片山室長、雪姫様と大分お話が弾んだようですな。」と口を挿み、藤左さんに向かっては「確かに彼は、当世一流の知識人である事は疑いありません。御蔵軍の知恵袋の一人です。」と太鼓判を押した。

 ……なんて事を言い出すんだ……この人は!


 「どうだろう片山君。小倉殿に、一服振る舞って差し上げては?」

 中尉が煙草を吸うジェスチャーを見せる。

 クリスチャンは酒・煙草は禁じられてはなかった筈だけど……。

 「おお、それはかたじけない。我は大の煙草飲みでな。」

 藤左さんは懐から使い込まれたキセルを取り出し、ニカっと笑う。

 煙草好きというだけの理由ではなくて、僕と仲良くして見せる事が、いきり立っている娘との関係改善に役立つだろうという読みもあるのだろう。


 「それでは、粗葉ですが……。」僕は雑嚢のポケットから、ビニール袋に入れた煙草の箱とライターを探り出す。

 粗葉という用語が正しいのかどうかは判らないけれど、お茶を薦める時には粗茶と言うから、あながち間違ってはいないと思うんだが。

 「むむっ。それはまた洒落た煙草入れですな! ……それに何やら不思議な火打石が。先ほど御披露頂いたマッチという物とも違うておる。」


 「マッチと?」不思議そうな声を上げたのは雪さんだ。

 「たちどころに火を起こす道具よ。」娘に最新知識を披露して、ちょっと得意気な藤左さん。「雛竜すうりゅう先生も驚いておられたわ。明かりを灯すのにも、倭銃隊の火種の確保にも、今後マッチさえあれば困る事がないという優れ物ぞ。」

 雛竜? 鳳雛と伏竜とを足して2で割ったような名前だな……誰だろう?


 昨夜の囲碁勝負の結果、箱の中には三種類の煙草が共存している。

 元から有った平成産と、少佐が景品に出した「敷島」、それに囲碁のルールをよく知らないのに面白がって参戦してきた米豪部隊から撒き上げた「洋モク」の三種だ。

 味も香りも分からないのだけれど、ここは取りあえず平成産を選ぶ。日本産タバコは外国でも評価が高いとされているから、大きく外しはしないだろう。

 「どうぞお試し下さい。」


 藤左さんは「先ほど頂戴した敷島と同じく、シガレットか。」と、キセルを懐に仕舞い、煙草を指でつまんで口に咥える。「煙管きせるいらずで、便利じゃの。」

 「なんと! シガレットとは直に口に咥えるのか。熱くはないのかの?」またビックリする雪さん。

 藤左さんは咥えた煙草を一旦指に持ち直し「顔も口も熱くはない。よう考えられておる。」と娘に知識を披露する。「しかも、このシガレットを用いて火縄に火を点す事も出来るのじゃぞ。」


 雪さんは生き生きと

「長き時をかけた、人の工夫の積み重ね、であるのだな! 人の力により物事を磨き続ければ、ついには妖術・方術をも凌駕する。」と感嘆した。

 愛娘の発言に驚きを隠せない藤左さん。「いつ学んだ?」

 「修一様が導いて下すったのじゃ。……かように人の努力とはたっといものと。」

 「なんと!」藤左さんの目が丸くなる。


 僕は一瞬、彼が「主の教えと異なる邪悪な考えを吹き込みおって!」とか激怒するのかと首をすくめたが、実際に彼の口から出たのは

「良き師に巡り合うたの。」という穏やかな言葉だった。


 「それでは僭越ながら、着火させて頂きます。」

 なんだかどんどん意外な方向へ話が転がって行くので、僕は「師がどうこう」とか「教え導く」などといった話を誤魔化すために、そそくさとライターに火を点す。

 小者感、丸出しだな……。


 けれど、その行為に

「おわっ!」と小さく悲鳴を上げたのが雪さんで、「おおぅ。」と仰け反りつつも慌てて煙草を咥えたのが藤左さん。

 藤左さんは既にマッチを見ているからビックリする事は無いだろうと思っていたのだけれど、マッチと違ってノー・アクションで火が出るライターは、予想の上を行ったのか。


 藤左さんは煙を深く吸い込んで「軽やかだのぅ。それでいて鮮やかな香りじゃ。」と評する。

 ちょっとだけグルメレポーターみたい。

 雪さんが「美味いのじゃろう。修一様の持つ煙草じゃもの。」と羨ましそうに言うけれど、未成年者は吸っちゃダメ。

 「けれど先ほどの、火熾おこし具の不可思議な事。」彼女、ライターに興味津々みたい。

 僕は「これですか?」と100円ライターを差し出す。


 雪さんは僕の掌の上のライターを、ちょいちょいとつついてみてから

「瞬時に火が出る道具であるのに、熱も持たぬ。」と首を捻る。「これも工夫の賜物か。」

 「中に汁が入っているでしょう。それは燃える気を液と化した物です。」

 「美しいのう……。この水が燃える気の変化へんげしたものとは。」

 「ライターの上部には小さな火打石が仕込んであって、それで火花を飛ばしつつ、ツマミを押して燃える気を少しずつ吹き出させれば、火が熾きるという仕組みです。言ってみれば、創意工夫を重ねた火打石なのです。」


 僕は着火を実演してみせて、雪さんにライターを渡した。

 「実際に試してみて下さい。」

 藤左さんも「やってみよ。片山殿が薦めておられるのだ。危ない物ではないはず。」

 雪さんは、恐る恐る受け取ったライターを撫でたり摩ったりしていたが、意を決すると「えいっ!」という気合と共に着火した。

 で、自分で着火しておきながら「おああ……」とビックリしている。


 藤左さんは、そんな愛娘に「ことわりは聞いていたであろうが! 火打石に工夫を重ねた物じゃ。火が熾きるのは、その証。天晴れ見事なカラクリぞ。狼狽うろたえるでない。」と教育的指導。

 これには、父にとってはジャジャ馬らしい雪さんも「父上の申すが道理。火打石で火が熾きるのに不思議を感じたは、我が不覚。父上と修一様のげんを疑うたは、我が不明。」と素直に反省した。

 「お……おう。」雪さんの態度は藤左さんの想定外だったらしく、妙に狼狽ろうばいしている。


 早良中尉が「近頃、給湯室に変わった着火具が置いてあるけれど、あれも片山君のでしょう? あっちは火打石方式ではないよね?」と、さり気なく口を挿む。

 今この場では関係無い世間話みたいな事だけれど、中尉の事だもの、計算された発言なのに違いない。

 「あっちは電子式ですね。」

 「でんししき?」すかさず小倉父娘が喰い付く。

 うーん。これが中尉の狙いか。


 「燃える気に火を点けるという部分は同じなのですが、火を点ける原理が違うのです。」

 雪さんが持っているライターを示して「それは先ほど申しました通り、火打石と鉄とを強く擦り合わせて火花を飛ばします。」

 藤左さんと雪さんがウンウン頷く。


 「電子式と言われるものは、極々小さい雷を起こして、火を点けるのです。」

 僕は親指と人差し指で3㎜くらいの細い隙間を作り「これくらいの、とっても小さい雷ですけどね。」


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