ワールド15 南海の事情を雪さんから色々聞く件(キニーネと原油)
「キリシタンが落ち延びた先は、イスパニア領が多いのですか?」
「南蛮人と一口に言うが、一枚岩ではないからの。ポルトガル王はイスパニア王の配下となったし、イスパニアとオランダは同じキリシタンでも宗旨が違うから、すこぶる仲が悪い。相争う事もしばしばじゃ。まあ宗旨による争いだけではのうて、銭の問題も絡んでおるし。エゲレスはイスパニアと不仲なのじゃが、かと言ってオランダと仲良うしとる訳でもない。エゲレスはオランダに追い出されて、南海からは姿を消してしもうた。」
うーむ……。するとマニラの日本人街と、台湾のオランダ東インド会社との両方同時に交易関係を結ぶのは難しいのだろうか?
僕が疑問を口にすると、雪さんは「建前上はそうなるが、実際にはそうとばかりも言っておれん。」と笑った。
「大戦を起こすには、双方とも頭数が足らんし、相手方しか持っておらん物品もある。国と国とが争いおうておると言うても、そこはそれ、商人が交易をせんでは成り立たぬであろ? 間に明国を入れるやら、こっそり闇で取引を行うやら抜け道は、ま、様々じゃ。」
けれども彼女は真面目な顔に戻ると
「台湾島に絞って話すと、あの島は三年ほど前までは、北をイスパニア、南をオランダが開拓しておったのだ。けれども先だって遂にイスパニアはオランダに追い出されてしもうた。……じゃから、イスパニアやイスパニア領の日本人にはオランダの事を面難う思うとる者が多い。鄭将軍は特に表には出される事はないがの。どちらも客じゃと、言うておられる。」
西洋人同士は、戦うなら勝手に戦っておればよい、というシビアな現実主義なのだろう。
それより急務は明朝復興で、利用できる物は何でも利用するという実務家の目。
雪さんの言っている『鄭将軍』は鄭芝龍で間違い無い。
息子の鄭成功の方は、南京攻略に失敗した後には、オランダの力を借りるのではなく、オランダ人の台湾からの追放すなわち台湾全土の占領を目指す。
「イスパニアとオランダとは、仲が悪い様に見えて、手を結ぶ処ではちゃっかり上手く手を結んでおるのよ。瘧に効くキニの木を知っておるか?」
キニーネの原材料になる植物だ。瘧とはマラリアの事。
「ほう。知っておったか。片山殿は妙な事にも詳しいのぅ。」
雪さんは感心した顔になった。
「イスパニアのガレオン船は、はるか東の陸地から一年かけて、銀やら交易品を運んで来る。明から絹を買い付けるのが目的じゃ。その時に瘧の良薬としてキニも持ってくるのじゃ。なんでも東の大陸には、キニの木が勝手に生えておるらしくての。イスパニアは呂宋や台湾にキニの木を細々と植えておったが、オランダはジャワなんぞに奪ったり買うたりしたキニの木を大層植え付けていると聞く。育てて皮を持ち帰れば大金に化けるという事での。キニの苗を手に入れるためには、オランダはイスパニアに金を積んでも惜しくなかったようじゃぞ? 勿論、本国の雲の上の方は与り知らぬ事という建前で、商人同士が勝手に行った事になっているがの。」
貿易商人は、何時の世でも逞しい。
「雪さんはブルネイの『燃える水』の話を聞いた事は有りますか?」
彼女は少し考え込むようにして
「渤泥国か。回教の国じゃな。以前は隆盛を誇った貿易国じゃが、胡椒を求めるイスパニアやオランダと争うて次々領分を削られ、今やかつての勢いは無いな。時折、名前を聞くばかり。」
「そうでしたか……。」
僕が酷くガッカリした様に見えたのか、雪さんは「片山殿は回教の徒か?」と不思議そうな顔をした。
「そうではなくて、ですねぇ。」僕は頭を振って「興味が有るのは『燃える水』の方なんです。」
「なんじゃ。それならば、そうと初めに言えば良いのに!」
彼女は弾ける様な笑い声を上げた。急な嬌声に、寛いだ様子だった周囲の兵が、驚いたようにこちらを見る。
「我はてっきり……修一殿が回教の徒かと思うたわ!」
僕は頭を掻いて「ええ違います。時々神社仏閣に行く事はありますが、神仏には不調法なもので……。」
「神仏には頼らぬ、という事かの。頼るは己が腕一本とは、野武士のような御仁じゃな!」
そういうのとは違うんだが……。
「そうそう、燃える水の話であったな。それならば安う商うておる者がおったわ。燃える水は石油と呼ぶのじゃが、臭いからの。木の実・草の実を絞った油よりも、たいそう安い。料理にも使えんし、明かりに使うにも煤が多てな。明ではむしろ、煤で墨を作るのに使おうと掘っておった事もあるくらいでの。……鯨魚の油や魚の油と比べても、はるかに安いわ。遠くペルシャの国々では、他に燃えるものが無うて仕方なく灯火に使うと聞いた事もあるが。」
えっ? えっ? 手に入るの?!
「大層驚いておるようだが、石油は昔から湧き水の様に湧く場所があるのだぞ? 大げさに驚くような事ではないわい。石炭と呼ぶ燃える石だって、市に出る。こちらは煮炊きするのに火が強うて勝手が良いから、それなりの値が付くが。明では昔からの売り物じゃわ。」
成程、石油・石炭は既に流通ルートに乗っている訳だね。問題は量だが……。
「金に成るなら量もまとまるであろうよ。荷運びに船を雇えば高く付こうが。」
「買い付けに自前の船で行けば、高くはない?」
「どうだかのぅ……。商人は足元を見るからの。船を出すなら金銀で求めるよりも、先方が欲しがるモノを積んで行き、交換するのが安く購える策かの?」
重要な情報だが、僕の手には余る。
商取引には仲介者や案内人が必要だし、実際に取引を行うには、商売に長けた人でないと足元を見られてスッテンテンにされるかも知れない。
これは「上の人」に投げたほうが良い。
「急に恐い顔になられてしもうたが、我が何やら気に障る事でも言うてしもうたか?」
雪さんがオロオロした調子で訊ねてくる。「あい済まぬ。」
「全然そんな事無いです。」僕も慌てて取り繕う。
そして、お道化た調子で「銭の匂いがするなぁって!」
「なんじゃ! そういう事か。」雪さんも笑って「さすが野武士の片山殿じゃ。ヌシと我とで大いに儲けようぞ!」
「そういう訳にはいかないんですけどね。何しろ僕は下っ端ですから。上の者と相談です。」
「そうなのか? 父上に頼めば、船の一艘くらい、どうにかなると思うんじゃが。」
おおお! やっぱり雪さんは、それなりの『姫』であられるようだ。
「ただ、片山殿が乗っておられた船は、風も漕ぎ手も必要とせん不思議な船であったな。……あのような便利な船は、明にもイスパニアにも無い。如何なるカラクリであるのか、とんと見当も付かぬ。」
雪さんは腕組みして頭を捻った。「あんな不思議な船は、父上は勿論、鄭将軍でも用立てる事は出来ぬであろうよ。まるで妖術のようじゃ。」
「妖術ではありませんよ。出来始めの頃は、釜で湯を沸かし湯気の力を集めて櫂を回すというカラクリだったのです。段々と工夫を重ねて今ではあの様に立派に育ちましたが。」
「妖術ではなく、人の工夫の積み重ねか。面白い。」
雪さんは感じ入った様に、胡坐をかいた膝小僧をポンと叩いた。
「そう言えば、先ほど片山殿は瞬きする間に我の絵姿を写し取ったであろ? まるで手妻さながらであったが、あれも人の工夫の積み重ねか?」
「そうですね。写真という技術です。」
「しゃしん?」
「真の姿を写す、で『写真』です。絵に描くのとは違って、鏡に映った様に、それそのままを映し出すカラクリです。鏡に映る姿をそのまま保存するって言えばよいのかな?」
「もう一度、やってみせて給れ。」
「いいですよ。」
僕はスマホを取り出すと「じゃあ、笑って下さい。」
良い笑顔だ。
画像を雪さんに見せると、彼女は少し困った顔になって「なにやら馬鹿ヅラを晒して面映ゆいな……。我は、も少し自分が別嬪じゃと思うておったのだが。自惚れが過ぎておったか……。」
「そんな事はないです。アイドルグループのセンターが、充分務まります。」
「言葉の意味が、ちと分からんが、修一殿は褒めてくれている様ではあるか……。」
「ああ……ええっと……当世美人五人衆の筆頭でも不思議はない、っていうような意味です。」
「それは、また……過分な……。」雪さんは真っ赤になってしまった。




