ワールド14 島原の乱における秘話の件
「もしや、お爺様は豊臣方で?」
雪さんの目が、急に鋭くなる。
「そなた、徳川方か?」
豊臣方ではないと答えて、激昂した彼女に腰の刀を抜かれるのは困るし、さりとて豊臣方ですよとウソの申告をするのは後々拙い事態を引き起こしそうな気がする。
僕は(アタリマエだが)豊臣方でも徳川方でもないけれど、大坂方(気分)であるらしい彼女に何と説明したものか……。
「ええっと、ですねぇ……強いて言えば、天朝様の臣という事になります。御蔵島の司令部で、ご飯を食べさせてもらっている身ですから。」
まあ、これならば嘘を吐いた訳ではないよな……。
豊臣も徳川も、天皇から官位を頂戴している家臣である。
この時代、天皇家は武力らしい武力を持っていないが、名目上は彼らの上司に当たるわけだから立場上どちらにも与しない、あるいは出来ないという理屈も成り立つ……かな? こんな説明で納得してもらえるかどうか判らないけれど。
彼女は奇妙なモノを見る様な目付きに替わって「公家衆か、青侍という事なのか?」
「青侍って、何です?」
「知らんのか?」今度は困り顔に替わった彼女が「我もよくは知らん。大名でなしに公家や寺社に仕える侍じゃと聞いた事が、有る様な……無い様な……。」
なるほど。「そんな処なのかも知れません。」
「よいのか? そんな曖昧な事で。」
「観測者の立ち位置によって状況の認識には差異が生じますが、Fact自体に変化は有りません。」
ここはもう韜晦し倒してウヤムヤにしよう! 我ながら姑息だとは思うが、時に有効な手段である事は否めない、よね?
「使用する語彙の捻じれによる誤解は、僅少な物であれば大意を掴む事で平準化可能だと仮定出来ます。」
「片山殿が、そう申されるのであれば、その通りなのであろうな。……我には、ちと難しいが。」
雪さんは、大きく頷く。
有り難や! 多分彼女、内容は分かっていないのだろうが、自信満々に見せかけた僕の口調と場の流れで何となく同意してくれたみたい。時には勢いで押すというのも必要で、重要なのだな。
……岸峰さん相手だったらば、おそらく10倍返しのツッコミが来襲する処だけど。
「それで話は元に戻りますが、雪殿の祖父君は……もしかすると大阪方の猛将『小倉行春』様であられるのでしょうか?」
『雪さん』が『雪殿』に替わっちゃっているし、『小倉行春』が猛将なのかどうかも、実は知らない。
軍曹殿と伍長殿とからの伝聞情報を基にした「当てずっぽう」の鎌掛けである。
祖父君なんて代名詞も、使って良いのかどうか分からないし、諱使用の可否とか、官位付き呼称で呼ぶべきなんていう、禁忌事項に抵触しそうな発言でもある。
彼女の機嫌を損ねて怒られれば謝るしかないのだけれど、戦国時代末期の生活者でも歴史研究家でもない僕にしてみれば、この様にしか質問出来ない。
けれども前もって「大意が掴めればよい」発言をしていたせいか、雪さんは平静なままだった。
「爺様は行春様の縁者ではあったのだが、小倉姓の濃い縁籍という訳ではなかったのだ。大坂方に参じる際に、一族衆として姓を賜ったらしいがの。」
「よろしければ、元の姓を。」
「小田姓だったように聞いておるが、腕自慢の兵法者だったという事しか語られなかったからの。まあそんなに由緒正しき家柄だったのではなかろう。だから雪殿などと畏まらず、雪と呼び捨てで結構。」
いや、呼び捨てになんて出来ませんって。
彼女の保護者やら守役の人から「姫を呼び捨てにするとは、よい度胸だな!」なんて因縁を付けられるかも知れないし、第一、岸峰さんの前で「雪。」「なんじゃ?」なんて遣り取りを行ったら、頭突き一発では済まない可能性が高い。
それは不味いですって。私は何を隠そう学校生活でも小市民を貫いてきたのだ! (「小市民=プチ・ブル」という単語の本来の意味とは違うけど。)
「それでは小倉様か雪さんで、行かせて下さい。」
「よかろう。我にはどうでもよい事だからの。」
「ありがとうございます。……で、どういった経緯で、この島に?」
「小倉隊と明石隊は、鄭将軍から招かれて、明朝へ合力に参ったのだ。鄭将軍はキリシタンであられるからの。まあ、明石殿の意向が強かったのだが、両家とも大阪以来の付き合いでもあるし。」
「雪さんもキリシタンなのですか?」
「明石様一門とは違うて、そう熱心な信者ではないがの。呂宋を治めるイスパニアはキリシタン国じゃから自然と。」
「渡航にはイスパニアが手を貸してくれたのですか?」
誇り高そうな雪さんに、『落ち延びるのに』とか亡命なんて言ったら絶対に怒られるだろうから、ここは渡航としておく。
「まあ……日ノ本を出てからは、そうじゃ。宣教師様のお力添えが有ったればこそじゃの。それまでは堺から船仕立てで筑前の黒田様やら平戸の松浦様、福江の五島様など、キリシタンをこっそり匿うておられるお方の所を転々とな。徳川に含むところのある薩摩様の手を借りて、琉球伝いにやって来た者もおるし、いろいろじゃの。」
全員一丸として逃避行が出来たわけではないらしい。当たり前、か。
「落ちる際に」あらあら、雪さん自分で落ちるという単語を使っちゃったよ。「外海を渡る船を用立ててくれたのが、鄭将軍配下の貿易商人での。鄭将軍から合力を頼まれれば、嫌も応も無い。恩義に報いるまで。」
「それではルソンで合流された小倉家と明石家の方々が、援明勢の日本人の全てですか?」
この質問には、雪さんは「否。」と首を振った。
「元より南海に根を張っておった日本人街の者もおれば、我らより後に呂宋にやって来た者もおる。」
後発組は、どういった手段で海を渡ったのだろうか?
「徳川の世と成り、キリシタン詮議が厳しゅうなってから渡って来た者は多いぞ。自らはキリシタンから転んだとはいえ、領民を無闇に手に掛けるのを嫌った大名もおったからの。こっそり船を仕立てて沖合で明船に託すわけじゃ。」
ふむふむ。抜け荷や密貿易で時代劇に出て来るパターンの逆か。……あるいは密貿易の「ついで」なのかも。キリシタン保護派として幕府に目を着けられたくない大名だったら、人道目的(あるいは名目)で領内不穏分子を穏やかに排除したとも言える。
「島原の戦から抜けて来た者もおったからな。」
原城の戦いなんか、完全な包囲殲滅戦じゃないですか? それは無理でしょう。
「信じておらん顔をしておるの。一揆方が島原城を囲んで、落としきれんで退いた時ならば、逃散は出来ない話ではあるまい。一揆勢に怯えて隠れておったと申し開きをすれば、無闇に殺される事はない。幕府方にしても、荷運びやら陣を築くのに人手はいくら有っても足らんのだぞ? 松倉と一揆勢との争いの内には出て行きにくいじゃろうが、他藩の人数がぞろぞろ入って来る時期になれば、嫌でも徴用されようが。陣借りの浪人者も多いしの。」
『陣借りの浪人』というのは、戦で手柄を上げて士卒に取り立ててもらおうと、武将に参陣希望を行う浪人の事だ。場数を踏んだ経験豊富な人材もいれば、これを機会にというポッと出の腕自慢も混じっている。
既に「名のある」武人でなければ基本的には雑兵扱いであるけれど、幸運に恵まれれば結果次第で出世できる事もある。出世に繋がったわけではないけれど、関ヶ原の時の宮本武蔵なんかもそうだ。
死んだとしても、藩の士分や雇士、動員した自領の農民に損害が出たというわけではないので、戦場では最前線で便利使いの消耗品として参陣を許される事も多い。いわゆる「頭数を揃える」というヤツだ。
島原の乱では、幕府側には表に数として現れないそんな死傷者が、損害として残っている記録の何倍も出ている(らしい)。
「戦場で動き回っておるのは侍・足軽ばかりではないぞ。万を超す人数が詰めるのだ。長戦であれば、商人が食い物やら煮炊きの薪炭やらを運び込まねば、寄せ手が干上がろう。」
度胸と運とが有れば、その他大勢に紛れて離脱は可能という事か。
「どこの誰と名を出す事は出来んが、大名の中には自分の正面の敵勢に、『悪いようには、せん。』と密かに逃げて来る事を薦めておる者もおったのだ。真正面の敵が減れば、総掛かりの折に自軍の被害が減るであろ?」
「でもそれ、幕府の目付に見つかったら、大変な事になりませんか?」
「知恵伊豆(老中 松平信綱)が気付いておらんはずがあるまい。大方、早期鎮圧を図りたいアヤツが後ろで糸を引いておったのであろうよ。……これは爺様からの受け売りじゃ。『逃亡者を明船で呂宋まで逃がすのも、妙な具合に感ずるくらいに上手く進んだ。』そうだからの。結果として、知恵伊豆めは一揆鎮圧の功で老中筆頭にまで登りつめたという訳じゃ。」
「明船って事は、鄭将軍の船団も動いたって事ですか?」
「如何にも。……まあ、その際の水夫は、明人のふりをした日本人街の者が務めておったのだが。」




