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ワールド12 雪(小倉姓)さんの写真を撮った件

 子供たちの一団とは一線を画して、一人の少女が警戒するように立っている。

 乾パンにむしゃぶりついている少年少女たちよりは年嵩だけど、僕よりは年下だろうか。

 丈の短い朱色の着物から、引き締まった脚を膝上まで剥き出しにして、胸には晒を巻いている。


 貧困でツンツルテンの着物を着ているのではないことは、彼女が腰の兵児帯に、高価そうな漆塗りの鞘に納めた短刀を差していることからして明白だ。

 船上なんかでの、動き易さ重視の服装なのだろう。


 刃物は中国式の剣や幅広刀ではなく、日本の脇差に似ている。倭寇が装備していたという倭刀の短いタイプなのだろうか。

 根拠の無い勝手な感想だと、彼女の顔立ちは、日本人や中国人たちのそれよりも、やや彫りが深い容貌の様に思える。


 彼女がキツイ目をして睨んで来るものだから、僕は困ったなと思いながら雑嚢を漁った。

 中には、作戦参加者向け特別配給のチョコレートなんかも、食べずに仕舞っている。

 チョコレートは岸峰さんに持って帰ってあげようと思っていたのだけれど、食べ物の恨みは深いと言うから、ここで少女にあげてしまう方が良いのかも知れない。


 そもそも中国語もスペイン語も話せないし、何と呼びかけて渡せば良いのか、とっさには思い浮かばないので「食べる?」と日本語で差し出す。

 「施しは、受けぬ。」毅然とした声で、彼女。

 ……日本語でも通じるみたいだ。けれど……


 「失礼しました。」僕は即座に頭を下げ、チョコレートをそそくさと仕舞いこむ。

 不機嫌そうな女性には逆らわないのが上策だというのは、この二週間で岸峰さんや古賀さんから存分に学習済みだし。(理性が勝ったタイプの石田さんには、彼女が怒っている最中にでも、論理的弁明が通用する事もある。)


 僕のあまりにも潔い謝罪に、彼女は少し慌てた様子で

「咎めだてした訳ではない。言葉が過ぎたやも知れぬ。……一つ頂戴しようか。」

と、多少歩み寄りの姿勢を見せた。


 『綻び』には『付け入り』が兵法の極意である。ここは押しの一手だ。

 「銀の紙を破って、中の焦げ茶色の板を食べてみて下さい。」

 板チョコを受け取った彼女は、慣れない手つきでアルミ箔を剥ぐと、神経質そうな表情で臭いを嗅いだ。

 「何やら、けったいな……。」

 「チョコレートというモノです。固形の品は、世界中でも御蔵島にしか有りません。液体の物ならイスパニアの貴族の中には食した人もいるかも、ですけど。」

 ここでスペインの名前を出したのは、彼女が海外在住の日本人もしくは日系人である場合には、カトッリク系宣教師の影響を受けている可能性があるからで、彼女をスペイン人とのハーフやクォーターだと考えた訳ではない。


 彼女は恐る恐る少しだけ端を齧って「甘いな!」と驚いた。「ほんのり苦みも有って……しかし蕩けるような。」

 「滋養もあるのです。戦の時に兵糧とすれば、疲れた兵にも再び力を呼び覚ます、貴重な品です。」

 「それは! 貴いものだな。甘露でもあるし。」

 「でしょ?!」


 子供たちの笑顔や僕たちの交流を眺めていた伍長殿が、肩から吊るしたサブマシンガンを担ぎ直して

「じゃ、そろそろ先を急ごうか。」と出立を促した。

 「はい、伍長殿。」と応じてから、少女に「それでは。」と挨拶する。

 少女は「我は雪。呂宋の小倉に連なる者。……そなたは?」


 おっとっと、女性に先に名乗らせちゃったよ。スミス准尉なら「紳士としての自覚が足りない!」とダメ出しを入れてくるところだ。

 「片山です。ええっと、片山修一と申します。」

 「日ノ本の武将か。」

 「日本人ですが、武将ではなく書生です。」

 僕はスマホで雪さんの写真を撮ると、画像を表示してみせて「記録係もやっています。」


 僕の掌の中に自分の絵姿を見た雪さんは、目を大きく見開き口をポカンと開けた。

 野性味の有る美少女が無警戒に驚いているのは、痛快であると同時に可愛らしい。

 驚き顔の彼女をもう一枚カメラに収めると、僕は伍長殿と一緒に先を急いだ。

 この際は駆け足というよりも全力疾走である。


 300mほど緩い坂道を走り抜くと、並木道の先に、焼き煉瓦の壁の前に停車するテケの砲塔が見えてきた。

 何名かの歩哨を除けば、部隊は大休止に入っているようだ。

 ライフルを叉銃にして、腰を下ろしている。


 伍長殿は和田軍曹を見付けて駆け寄ると、息も切らさず「戻りました!」と報告した。

 僕はゼイゼイ・ハアハアしながら、横で敬礼するのがやっとの状況。


 「何か掴めたか?」

 え?

 軍曹の言葉に驚いた。伍長殿の行動を咎めなかったのは、単なる子供好きゆえの好意から、だけではなかったと言う事か!

 「日本語を話す娘がおりました。小倉姓を名乗っております。」

 「小倉……小倉、な?」

 「まさか、とは思いますが、小倉行春の関係者と言う事は?」


 誰だろう? 小倉行春って。

 僕があまりにキョトンとした顔をしていたせいか、和田軍曹が解説してくれる。

 「蒲生氏郷の家臣だった武将だよ。浪人した後、豊臣方に参加して『大阪夏の陣』では明石掃部と一緒に、家康本陣に突撃した。」

 明石全登なら知っているけど……。

 「勉強が足らんな。岸峰さんが貸してくれた日本史教科書の資料集に、ちゃんと載っておったよ。」

 ……そうかぁ。教科書類は僕の分と彼女の分の二組有るから、一組分は高坂中佐に供出したんだった。


 軍曹はニヤリと笑って「まあ、偉そうな事を言ったが、外交使節団に参加する事になったから、加山少佐殿から、今の時分の部分だけは日本史・世界史両方を、頭に叩き込んどくよう、出発前に言われていたんだよ。そうでなければ、自分も伍長も小倉姓に引っ掛かったりしなかっただろうさ。本当に小倉行春の縁者かどうかなんて、分からんよ。何をしていたと訊かれた時に、ちゃんと情報収集の仕事をしていました、という口実は必要だろ?」


 「それで軍曹殿」伍長殿が話を元に戻す。「交渉の進捗は?」

 「偉いさんの会談が、どう進んでいるのかは、今の処こっちに情報は下りて来ていない。まだ継続中だ。全権を委任されていると言っても、少佐殿も判断に困る処があるだろうから。大津丸を介して司令部とは連絡が取れるけれど、電信の行き来の手間が要る。」


 僕は不思議に思って「扉を開けて、直接行き来したら、早いのではないでしょうか?」と訊ねて、慌てて「意見具申!」と付け加えた。

 軍曹は「そう、杓子定規にならなくても良いよ。君の世界じゃ、学生が意見具申なんて言葉は使わないだろ。」と吹き出すと、真面目な顔に戻って「切らなくても良い切り札は、伏せておくものだ。」と声を潜めた。「現状、戦闘の気配が無いにしても、もしやと言う事があるから。」


 ……なるほど。『扉』の向こう側には、岸峰さんばかりでなく、いざという時のために武装兵が詰めているのかも知れない。


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