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ワールド11 ぎぶ・みぃ・ちょこれーと な件

 「せいれーつ!」

 和田軍曹の号令が響く。

 僕はポケットから取り出した『報道』と書かれた腕章を、左腕に装着しようと不器用に悪戦苦闘していたが、慌てて日本兵分隊の最後尾に並んだ。

 蓬莱兵分隊も袁副隊長の元に整列している。

 オーストラリア兵分隊とアメリカ兵分隊も同様に、それぞれの分隊指揮官が点呼を取っている。


 一応。この協同部隊の指揮官は加山少佐なのだけれど、加山少佐・早良中尉・鮑隊長・大内警部補・スミス准尉たちは、趙さんや島の要人たちと先行してしまったから、この場の士官はオキモト少尉だけなので、点呼の報告は彼が受けている。

 オキモト少尉は肩から吊るしたト式機関短銃をブラブラさせて、報告を受けるたびに締まらない敬礼を返し

「少尉殿、もっとシャキッとして下さいよ! 他所様もいる場なんだから。」

とゴンドウ曹長から剣突を喰わされている様子だ。


 ちなみに各員の装備は、下士官がト式で兵はM1小銃。銃に着剣はされていない。

 外交交渉の随員だから、儀礼として銃剣を着けておくべきかどうか議論になったのだけれど、友好的な演出のためには出来るだけ刺激的な扮装は避けた方が良いだろうと、特大発の中で急遽決まったのだ。

 上陸後の当初予定では、武装ジープを連ねて進発する予定だったから、えらい違いである。


 蓬莱兵だけは多少異色で、日本兵と同じ服装を選んだ者もいれば、動き易いという理由で元から着ていた作務衣みたいな服を着ている者もいるから、ちょっと雑多な印象を受ける。

 尤もジュネーブ条約なんか無い時代なので、軍服が統一されていなくとも問題にはならない。

 武装もM1の射撃訓練は「さわり」しか終えていないから、手にしているのはこの二週間の島嶼戦で使用した38式だ。さすがにそれ以前に慣れ親しんでいたとしても、今さら火縄銃を選んだ者はいない。


 彼らは初めて手にしたボルトアクションの銃である38式小銃に惚れ込んでいて、M1の速射性よりも一発必中の優位性を重く見ているようだ。

 鮑隊長が初めに使ったのが38式だったし、中国語で蓬莱兵に銃の使用説明を詳細に行えるのが彼だけだったから、蓬莱兵の間では「なし崩し」的にM1でなく38式が広まったのだ。


 火縄銃から比べれば、ボルトアクションライフルでも格段に射撃速度は上がっているわけだから、同数程度の兵で敵と撃ち合うのであれば弾幕で負ける事は無く、この世界だと、その選択もアリなのかも知れず、作戦参加部隊の銃と弾薬を共通化するという原則には外れるが、習熟度の面で使いやすさを重視したのだ。

 しかも、敵には無い戦車や機関銃・擲弾筒の支援を受けられるのだから、舟山群島制圧戦では、今までほとんど被害らしい被害を受けずに連戦連勝したという実績もある訳だし。


 ゴンドウ曹長が僕を手招きしながら

「オーイ! 片山君。写真、写真! 報道班、前へ!」

と叫ぶ。

 僕は慌てて、駆け足で前に出る。

 スマホを構えて、まず斜め前から全景を収める。

 その後、横に後ろにと駆け回りながら、数ショットずつシャッターを切る。

 浜が小砂利だから、砂地よりは走り易い。

 写真を撮られている間、皆、真面目な顔を保とうと頑張っているけれど、今にもニヤけてしまいそうな空気が漂っている。


 「じゃあ、そろそろ良いかい?」

 オキモト少尉が、曹長と僕の顔を交互に眺めた後、急に精悍な表情を作る。

 ゴンドウ曹長も真面目な顔で頷くと

「全隊、二列縦隊で前進!」と号令をかける。

 僕は行進する部隊の写真を撮りながら、最後尾に回って隊列に合流する。

 最後尾には尾形伍長殿が待っていてくれた。


 船着き場とそれに付随する砂利浜から伸びた道は、北門島のメインストリートであるらしく、当然未舗装だけれども長年踏み固められて固く締まっている。

 けれどもテケの履帯の跡が残らないほどまでは硬くないから、先行した少佐たちの行方を追うのは簡単だ。


 道の両脇には松と照葉樹が植わっていて、その奥に木造の建物が見えている。

 「防風・防砂林でしょうか?」

 僕の問いかけに伍長殿は「そうだろうね。潮風を受けるだろうから。この島だと、台風の時には風も波も酷いだろうし。」と、さり気無く後方を警戒しながらも律儀に答えてくれる。


 「建物、木造ですね。僕が見たのは煉瓦の壁だったのですが。」

 「この辺りは大陸北部とは違って緑が豊かだから、木造の方が簡単なんだろう。砂漠地帯なら日干し煉瓦でも行けるかもしれないけれど、雨が多ければ焼き煉瓦でないと無理だから。煉瓦造りの構造物は、贅沢品で要塞とか政庁とか主要な建築物に限られるんじゃないかな。」


 僕がナルホドと頷くと、伍長殿は周囲に目をやって

「島の人が、やっと安心して出て来たみたいだね。」と呟く。

 僕も気付いていたのだが、後ろに付いてくる子供たちの一団もいる。

 年端もいかない子供たちにしてみれば、恐る恐るではあるのだろうが、好奇心は抑えられないみたいだ。

 清に対する最前線の要塞島であることを考えると、子供たちまで住んでいるのは不思議な気かするが、清明戦争が起こる前は生活の場であったのだから、あたりまえなのか。


 永楽帝の時代には、鄭和に命じて南シナ海やインド洋に大艦隊を派遣して朝貢を促した(1405年~)明朝だが、実はその時代にも国是としての海禁(海外との自由貿易禁止)は存在というか継続していて、法的に許可されていたのは官制の朝貢貿易だけなのだ。

 「北虜南倭」に悩まされた明朝中後期は、島や海岸近くから漁民・商人だけでなく住民一切合切を、内陸に強制移住させたりもしている。

 けれども袖の下や鼻薬が物を言う国柄だけに、強制移住の無茶な命令も穴だらけで、結局は大規模貿易商人(海賊兼務)の勢力拡大を進行させる事になったわけではあるけれど。


 だから住民というか島民が居るのは不思議ではないのだが、女子供なんかは内陸に住まわせて、島嶼部には働き盛りの男ばかりが住んでいる様な印象を持っていたのだ。

 けれども考えてみれば、帰港してからも男だけ社会みたいな潤いの無い生活では、「船底一枚下は地獄」みたいな船乗り稼業なんかやってられないだろうから、女性が居るのは奇妙でもなんでもない。

 舟山群島にだって女性は居たし、海賊島にだって(自発的にやってきた人ばかりではないにしても)若い女性が大勢住んでいた。

 女性が居れば、子供だって生まれる訳で、現代とは違って手軽に本土との往来が出来ないのであれば、手元に妻と子供を連れているのは納得出来ない話ではない。


 伍長殿は腰の雑嚢を探ると、夕食にでたCレーションの残りのキャンディやチョコレートを取り出し、子供たちを手招きした。

 キャンディを一粒、自分の口に入れてから残りを差し出す。

 子供たちの手が、わっと群がった。

 行き渡らない子供もいるので、彼は携帯糧秣の乾パンとコンペイトウもプレゼントする。

 子供たちの一団は、お祭りの様な騒ぎになった。


 騒ぎに気付いた和田軍曹が「尾形、何か有ったか?」と列の前方から駆けてきた。

 余計な事をするなと、怒られるのかと思ったけれど

「住民を慰撫しております。」と伍長が敬礼すると、軍曹はチョコや乾パンに齧り付いている子供たちを見回し「おお、そうか。」と自分の雑嚢を探り出した。

 軍曹は自分の携帯糧秣を伍長殿に渡すと

「あまり、列から遅れんようにな。」とだけ言い残し、また駆け足で戻って行った。


 「軍曹殿は、内地にお子さんがいらっしゃるんだよ。」

 伍長殿は軍曹の乾パンも子供たちに振る舞いながら、ぽつんと呟く。「会いたいだろうなぁ。」

 もしかすると、伍長殿にも故郷にはお子さんがいらっしゃるのかも知れない。


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