ワールド5 源さんと姐さんの裏事情を考察してみたりする件
訓練を終えて電算室に戻ると、大内源蔵警部補と新田茂子女史が、加山少佐とお茶を飲んでいた。
古賀さん達の姿は無いから、彼女らは加山少佐の指示か、あるいは気を利かせたかで、別の部屋に座を移したのだろう。
「おかえんなさい。」大内警部補が人の良さそうな笑顔で迎えてくれる。「お邪魔してますよ。」
大内警部補 通称「源さんもしくは源爺」は、泣く子も黙る特高警察と覇を競っている外事課の警部補なのだけれど、いつも好々爺然とした様子を崩さない。
念の入ったカモフラージュという可能性も捨てきれないのだけれど、素がそうなのではないのかな、と思ってしまう。
或いはペルソナを被り続けたが故に、「好々爺」が二次的な自己として確立してしまったのか。
茂子姐さんは、椅子から立ち上がって岸峰さん横に並ぶと、彼女の項をツイっと嗅いで
「純子ちゃんは、シャワーを使っておいでなさい。乙女が汗っ臭いのは、殿方の受けが良くないからね。……もっとも、修一さんは全く気にしていないみたいだけどね。」
岸峰さんは真っ赤になって一瞬僕を睨み、着替えを引っ掴んで「行水してきます。」と急いで出て行った。
茂子姐さんは世話焼き体質で、しかも思った事をズケズケ口にするのを厭わない。
悪い人ではないのだけれど、僕の基準からすると、親しくするのがちょっとだけヤヤコシイ。
現に今も、岸峰さんから何故か「僕が」睨み付けられてしまったではないか!
茂子姐さんは、新港地区のフェリー乗り場の近くにあるミルクホール「滋養亭」の経営者で、遅番・早番各一人、合計2名の通いのウエイトレスを雇用していた気っ風の良い女性である。
御蔵島が平行世界転移をしてしまった時、遅番の子は、まだ島に到着していなかったとかで、今は転移に巻き込まれてしまった早番の子と一緒に女子寮暮らしをしている。
実家は名家らしいのだけれど、庶子という事で嫡子の兄弟姉妹とはなかなか折り合いが上手く付かず、早くに家を出ざるを得なかったらしい。
姐さん自身は『君、死に給うことなかれ』的な個人主義者ではあるのだが、アナーキズムやマルキシズムとは無縁な人物だったのだけれど、そういった「人材」をコミンテルンが放っておく訳はないから、勧誘=オルグを盛んにかけられて大変だったみたいだ。
特高には要注意人物として目を付けられるわ、姐さんをオルグしに来たコミンテルンの「細胞」が、帰りに警官に尾行されてアジトを急襲された挙句、姐さんを逆恨みして襲撃計画を練るわ、などなど本人の意思や意図とは違った所で小さな「台風の目」だったのだ、とか。
それで某財閥の偉いサンだった彼女の父親が、日米豪連合軍の駐屯地である御蔵島で店を持たせたのだと言う事らしい。
とは言うものの、それすら反政府主義者のカモフラージュの可能性が皆無ではない、という訳で源さんの監視下(或いは保護下)に置かれていたのだ。
初めてその話を聞いた時には、僕は気の利いた事は言えず「何だか大変ですね。」みたいな当たり障りの無い感想を述べるに止まったのだが、源さんも姐さんも微妙に微笑んで
「世の中はね、一皮剥いたら、そんなモンなんですよ。」
なんて風に返されたのだった。
けれども、源さんや姐さんが僕に真実を伝えているのかどうかと考えると、そこの処はクエスチョン・マーク付きで、特に伏せておいた方が良い情報は隠蔽されている可能性がある。
推理小説なんかだと、「地の文に虚偽情報を書いてはいけない」とか「登場人物は不必要な嘘の証言をしてはならない」みたいなルールが存在するわけだが、実生活においては有り得ない縛りだ。
人は不必要に、その場の気分で適当な事を言ったりするし、思い違いや考え違いでバイアスの掛かった発言をしたりする。
殊に、源さんや姐さんの発言には、思想信条が絡んでいる場合も有り得るから、ガッチガチの外事警察官とバリバリのコミュニストが、異常事態を前にして一時休戦の紳士協定を結び、前述の様なストーリーを構築しているとしても不思議は無いわけだ。
尤も、源さんと姐さんが「良き人として振る舞う」事に決めたのであれば、真実はどうであれ事実上は良い人として行動するわけだから、「良い人のプロ」として対応して間違いはないだろう。
だから、少佐・警部補・滋養亭主人の三者の間に、そこはかとなく緊張感が存在していたとしても、僕自身は無邪気な少年として振る舞わなければならない。
「あああ、なんだか岸峰さんに睨まれちゃったじゃないですか!」
僕が口を尖らせると、姐さんは艶な表情で笑って
「まあそんなカリカリするものじゃありませんよ。お茶は如何?」
と振ってきた。
「頂きます。……彼女が居ない方が良い話ですか?」
僕に紅茶を注いでくれている姐さんに、少佐がお代わりを所望しながら
「まあ、岸峰さんが座を外してくれないと話せない話って訳じゃないのだが、片山君に頼みたい事が有ってね。」
何だろうか? 僕は一口紅茶を口に含み、鼻に抜けてゆく香りを確かめる。
「どういった、御用件でしょう?」
少佐の頼み事というのは、ちょっと意外な用件で「理科室の、扉の先に行って欲しい。」というものだった。




