レル12 平行世界の皇室に忠誠を誓うのは帝国軍人として忠義に当たるのかどうかが悩ましい件
地面に激突した愛機を前に、古賀さんが呆然としている。
離陸に成功したは良いが、彼女は操縦桿を若干戻して、左旋回で徐々に高度を稼いでいく過程で、方向舵を切り過ぎた。
彼女のセスナは、大きくバンクしながら操縦性を失い、錐揉みしながら墜落してしまったのだ。
「急ハンドルは事故の元、って言うからね。機体の癖を掴むまでは、そろそろと赤子をあやすみたいに操作した方が良いんだよ。」
岸峰さんが古賀さんの肩を、ポンポンと軽く叩く。
「落ち込む必要は無いよ。練習したら、直ぐに自由自在に飛べるから。」
その時、ドアが冷静な調子でノックされた。石田さんだろう。
僕が「どうぞ。」とドアを開けると、石田さんだけでなく、もう一人陸軍将校が立っている。
「船舶部隊の奥村、と言う。少々訊ねたい事が有って来た。」
石田さんが、冷静沈着の権化みたいな将校を
「奥村少佐殿です。今、御蔵島の水上交通遮断作戦の立案と指揮を遂行されています。」
と紹介してくれる。
奥村少佐は、僕が返礼しようとするのを制して
「君たちの事は承知している。単刀直入に聞くが、三種の神器と錦旗の写真資料を持っていないかどうか、教えて欲しい。」
この様な質問に対しては、返事はストレートでなくてはいけない。
「ありません。三種の神器については、一切秘密が守られています。見る事が出来るのは、歴代の陛下だけに限られていて、皇族にすら許されていない筈です。」
奥村少佐は顎に手を当てて「そうか。君たちの世界でも、資料が無いのか……。有難う。参考になった。」と頷くと、小さく敬礼をして足早に階下に向かった。
少佐から取り残されたカタチになってしまった石田さんが
「片山さんの参考書にだったら、写真か詳細な図番が載っているのでは、と思ったのですが……。」
「門外不出が守られているようなのです。お役に立てなくて申し訳ありません。」
石田さんは、微笑んで首を振ると
「考えてみれば、当たり前の事だったのかも知れません。私たちの世界とは違う世界だからと言って、同じような歴史を辿っていれば、門外不出の禁が無い訳ではないのでしょうから。……何とはなしに、今上陛下におかれましても、違う世界の陛下に対して、全く同じ畏れ多さを以て敬し奉る事が出来るか、と問われれば、どう返答するのが正しいのかという問題にも関わって来る事でもありますし。」
なるほど。
問題として提起されると、面倒と言うか、厄介な事案だ。
奥村少佐にしろ石田さんにしろ、帝国陸軍の将兵として、また臣民として、日本国や天皇陛下に対しては忠誠を誓っているけれども、それは飽く迄も『彼や彼女たちの世界の』日本国や天皇陛下に対する忠誠だ。
「ほぼ同一」だからと言って、他次元に平行存在する「ほぼ同一の存在」に対しても、同じく忠誠を誓うというのは、元の世界の方の存在に対しては『忠に当たるか不忠に当たるか』は、解釈の仕方によって、全く逆の結果となる。
これがもっと卑近な話題、例えば、僕の世界の岸峰さんと平行世界の見ず知らずの岸峰さんとが、一緒に水に溺れていて、さあどちらを助けるか? というようなシチュエーションだったら、答えを出すのは簡単なのだけれど。(いや当然、「良く知っている方の岸峰さん」を優先しますよ。決して「ちょっとだけ、より優しそうで胸も大きそうだから、もう一方を選ぶ」なんて事はしませんね。)
けれども、世界観みたいな抽象的な概念が被さって来ると、素朴に「親しい方だけを優先、残りは無視」で済ませられるのかは判断が難しくなってしまう。
ちょっと解り難いかな? う~ん……。
「帝国軍人としての石田さん」が、自世界の国家皇室について抱いている忠誠心を、平行世界の日本国並びに皇室、たぶんこの世界だと109代の明正天皇に対して発揮するのは是か非か、という問題だと言い換えたら、少しはニュアンスを掴んでもらえるのかな……。
ちなみに、109代の天皇が明正天皇だというのは、参考書で確認出来る僕たちの世界での事実であって、石田さんや古賀さんには確認していない。
明正天皇は女帝である。
父の後水尾天皇が、徳川幕府の朝廷圧迫に嫌気が差して、天皇の地位を放り出してしまったから、父の後継に7歳で即位するという経歴の持ち主だ。
だから後水尾天皇がもっと我慢強いか、江戸幕府の朝廷に対するアプローチの仕方が違っていたら、「明正天皇」は誕生していなかったのかも知れない訳だ。
そういうIFを考えると、「石田さんの世界」や「この世界」での天皇は、1640年近辺の段階でも明正天皇ではない可能性も十分に有り得る。
さて、だからと言って今の僕に何かが出来るのかと問われれば、石田さんに情報を確認したり、さっきの奥村少佐に何らかの提言を行ってみるといった微細な行動を採る事は出来るかもしれないけれど、それが僕や岸峰さんが元の世界に戻れるとか、御蔵島の劇的な先進化に繋がるかといった、問題解決のための手掛かりには今の処で発展は望めないだろう。
解決出来ない問題が有る場合、問題を意識して長期的な展望に基づき手を打っておくことは必要だが、喫緊に取れる手段は「先送り」しか無い。
「先送り」「後伸ばし」は消極的で格好悪い「見てくれ」だけれど、緊急性が低ければ、積極策で大被害を出すよりは遥かにクレバーな方法なのだ。
僕は自分自身にそんな風に言いくるめ、厄介で面倒な問題を頭から追い払った。
「それで石田さん、三種の神器らしいモノが見つかったの?」
石田さんは小さく頷くと
「御蔵神社下の、通称『館跡』の土台、いや、石垣の下に石棺に収めて埋めてありました。御蔵島には元々、足利時代の南朝伝説が伝わってましたから、その伝説の根拠になる資料であるとは言えます。」
南北朝時代の三種の神器の行方に関わる伝説や言い伝えは、歴史上確認されている事案も含め、数多く散らばっている。
瀬戸内海の水軍にまつわる伝説にも、例外ではない。
歴史として教科書に載るレベルのトピックでも、足利尊氏と対立した後醍醐天皇側は、三種の神器を持ったまま吉野に逃れ(1336年)、後に足利義満が南朝側にペテンを働いて南北朝の合一を果たす(1392年)までは、北朝政権側は三種の神器を持っていない状態だった。
三種の神器は、朝廷の正統性を担保するチートアイテムだから、北朝側は足利幕府の武力を後ろ盾にしているとはいっても、正統性の主張では分が悪かった。
両朝の合一で一度は京の都に戻った神器だが、義満のペテンに激怒した南朝の残党が、再び剣と玉とを持って紀伊半島に逃亡し、後南朝を立てている(1443年)。
剣は逃亡中に北朝側に奪還されたのだけれど、玉は長らく後南朝側が保持していた。
玉が京都に奪還されたのは、後南朝が滅亡する1457年の事だ。
南朝及び後南朝は、紀伊半島を転々としていた政権だから、それっぽい伝説が近畿圏を始めとする西日本に、とっ散らかっている原因なのだ。
それに、考えてみてほしい。
三種の神器は、源平合戦の平家滅亡の時、壇ノ浦の海に一度沈んでしまっている。
鏡と玉は、箱に入っていたから水に浮いたとか、漁師が網で引き上げたという逸話も残ってはいるが、剣は沈んだままなのだ。
だから現存の三種の神器に関しては「予備を含めた複数存在説」や「レプリカ説」も唱えられている。
言い換えれば、誰も見る事が出来ないモノだから、偽物を偽物だと断定する根拠が無いという事に成ってしまう。
僕たちがタイムスリップなり平行世界転移した先が、大化の改新あたりの時代であれば、そこに現存する本物と比較する事が可能だろうが、源平合戦や南北朝の戦乱の後の時代という事であれば、『御蔵島産三種の神器』が、これぞ本物だと主張しても反論できる者は居ない。
いや、反論する者は必ずいるだろうけれど、例えば懐中電灯やレーザーポインターといった「未来機器」と併せて提示すれば、中世や近世の人間を言いくるめるなり、反論を封じる事は可能だろう。
僕は石田さんに、館跡から見つかったモノは、本物かどうかは判らないけれど、本物と同じように江戸幕府に対して行使出来る、と告げた。
「真の三種の神器を奉じて天朝様にお目通り仕る、みたいな調子で押し通せば、大阪湾から京都までは、無血行進出来そうな気がしますね。」
石田さんは複雑な表情になって
「おっしゃる事は分からなくも無いですが、幕府は黙って通行を許可するでしょうか?」
僕は笑って「前もって、告知しておけば良いんですよ。」
「告知するって、どんな方法で?」
その件に関してはアイデアが有った。
「幕末の『ええじゃないか』騒動は知っていますよね?」
空から伊勢神宮の御札が降ったとかで、民衆が大騒ぎを起こした事件だ。
「その『ええじゃないか』を起こすのです。大阪湾に舟艇母船を進出させたら、水上機でビラを撒きます。日本の場合、識字率が低くはないから、ビラを読んだ人たちは、意図を理解する事が出来ます。そうしておいて、テケとジープで押し通れば良い。M3だと橋を渡れない可能性が有りますが、テケなら柔い橋でも大丈夫です。」




