レル10 醤油は髪の毛からでも作れる件
ご飯の時間云々は別として、プロジェクタを食堂に設置するのは良いアイデアだと思う。
人が集まる場所だし、演題の奥はちょっと引っ込んでいるから、真上にあたる部分の照明さえ消せば情報を掲示したスクリーンも観易いだろう。
紺地に白抜きの文字で映せば、充分読めると思う。
大型モニタが複数有ったら、情報掲示にはもっと良いのだろうけれど、無い物ねだりをしてみても仕方が無い。
戦時中の標語に『足らぬ足らぬは、工夫が足らぬ』というのが有って、歴史の資料集の中に初めてその標語を見た時には、総力戦はつまるところ物量だろうに生産力の低い日本らしい嫌なコトバだなぁ、という印象を持った事があったのだけれど、実際にモノが無い時代に来てみれば、その標語の伝えたかった意味も違って見えてくる。
手元に有ろうが無かろうが、必要なモノは必要なのだ。モノが無ければ、工夫で何とかするしかない。
例えば源平合戦の時、源氏は全国一斉蜂起を試みようと思っても、全国に散らばった同志に呼びかけるためには、手書きの檄文を密使に託すしか無かった。
情報伝達には途方もない時間が掛かってしまうが、テレビ・ラジオどころか、新聞・電信も無いからだ。
武田信玄と上杉謙信が激突した第四次川中島合戦では、妻女山攻撃に向かった主力攻撃部隊を呼び戻す事が出来ずに、武田軍は大苦戦している。
ドローンでも飛ばして偵察すれば、回避出来た事態だ。
文永の役で元軍が壱岐を襲撃した時、博多までは手漕ぎの小舟を使って一晩で敵襲を知らせる事が出来たが、鎌倉にその報告が届いたのは一週間後だ。
およそ1000㎞の距離を一週間で伝達出来たのは、なかなかの速さであると考える事も出来るけれど、幕府勢が出発準備をしている内に、九州勢(一部四国勢を含む)と対戦した元軍は朝鮮半島に撤退(途中、爆弾低気圧で大被害)をしている。
今、手元には大型モニタは無いのだから、プロジェクタが有っただけでも良しとしなければならない。
運用は試行錯誤で、より良い方法を目指していけばいいだろう。
「岸峰さん、ナイス・アイデア。後で早良さんにでも相談してみよう。」
僕たちはアルミのトレイに、アルマイトの飯椀・汁椀・小皿を載せて給食班の列に並んだ。
僕たちの方の歴史では、アルミニウムは航空機製造の軍事物資として重要視されていたから、民生用には不足しがちだったはずだけど、軍隊用は別なのか、あるいはこちら側のアメリカと同盟している世界ではふんだんに供給されているのか、ちょっと判断が付かない。
お昼のメニューは、白飯・ジャガイモの味噌汁・漬物という献立だった。
漬物は、細かく刻んだ青菜の漬物で、煮干しと混ぜて醤油がかけてある。
ご飯をよそってくれたのは民間人のオジサンで
「もっと早く来れば、美味い野菜炒めも有ったんだがなあ。次は時間に遅れずに来いよ!」と大盛にしてくれた。
四人で茣蓙の上に丸くなって腰を下ろす。
「お味噌汁の出汁は、イリコ出汁かな?」
汁椀に口を付けた岸峰さんが、そう口にする。
味噌汁はアツアツと言うほど温度が高くはないけれど、容器がアルマイトだから、これ以上高温なら手に持っていられないだろうから、丁度良い。
「瀬戸内はカタクチイワシの資源が豊富ですからね。」
と答えたのは石田さんだ。「岸峰さんは、カツオ派ですか?」
「ううん。私も煮干し派。トビウオのアゴ出汁も好きだけれど。」
九州では、トビウオ・小鯵なども干物にして出汁を取るのによく使われる。
変わった処では、焼き干ししたハゼなどを使用する事も有る。
関東や琵琶湖周辺だと、ヌカエビ・ヌマエビといった、淡水産小型エビ類の乾物の域内流通が盛んで、市が建つほどだった。
冷蔵・冷凍技術が普及するまでは、魚介にせよ肉にせよ、干物にするか塩蔵にするかしないと流通が出来なかった訳だから当然の事だけれど。
逆に言うと、その技術と設備を持っている御蔵島は、食品流通に関して強大なアドバンテージを持っているとも言える。
中世近世日本の重要な輸出品に『俵物』と呼ばれる海産物の乾物がある。
昆布・フカヒレ・鮑・ナマコなんかが有名だけれど、それ以外の魚介類も輸出されている。
中でもナマコは特徴的で、日本で生食が好まれるのはマナマコという種類なのだけれど、輸出用の干しナマコにはクロナマコという生食するのにはイマイチなナマコが多く用いられた。
日本の場合、旬の時期の正月あたりに、魚屋さんでやたらと安い値段でナマコが売られていたら、ほぼクロナマコだ。
中国宮廷料理で高い評価を得ているこれらの食材は、一度乾燥させる事によってより味わいが深くなるなんて勿体ぶった説明がなされるけれど、ぶっちゃけ「乾燥させないと内陸の北京なり長安なりまで持って行けなかったから」という理由の方が大きい。
「お漬物も美味しいね。野沢菜?」
ご飯と一緒に青菜の漬物を口に放り込んだ岸峰さんが、満足そうな顔をする。
「信州からじゃ、流通コストが嵩み過ぎるだろう。高菜じゃないの?」
高菜とはちょっと違う感じもするのだけれど、ピリッと感のある辛子菜や濃い旨味が特徴の鰹菜とも違うので、無難な名前を口にする。高菜だったら、西日本では広く栽培してるはずだし。
そもそも日本は全国に「ご当地菜」が分布存在しているので、一口食べて正解を出すのは料理研究家でも不可能だと思う。
けれど彼女と話をする時には、「さあ?」とか「わかんない!」みたいな単刀直入な返事をすると、往々にして「キミは、物事を真面目に考える事が有るのかね?」なんて具合に、頭ごなしに遣り込められる理不尽な事態を招く事があるから、慎重な返事をするようになってしまったのだ。
「広島菜、ですよ。」
古賀さんが自慢げに正解を口にする。「お握りに巻いても、抜群なのです!」
「古賀さんは広島の人?」
別にとりたてて知りたい訳でもないけれど、話の流れから何となく訊いてみる。
僕たちの方の世界であれば、広島は原爆が投下される可能性がある土地だが、日米が同盟関係にある御蔵島の方の世界の広島ならば、その心配が無いからだ。
「残念、ハズレです。生まれも育ちも、文明開化の地、横浜です。洋食から本格支那料理まで何でもゴザレの、帝都を凌ぐ美食の地ですね。広島菜は、御蔵に赴任して初めて知りました。」
美食の地で生まれ育った割には、育ってないよなぁ、と彼女の全身を眺めていたら
「やはり、浜っ子は垢抜けしているでしょう?」と妙なリアクションを貰ってしまった。
気を取り直して、石田さんにも「お生まれは?」と質問してみる。
ノーブルな感じのする彼女だが、気品が有って標準語を喋る人というのは、方言出しまくりの人よりも生まれや育ちが掴みにくい。
山の手や芦屋と言われても、そうかと思うし、択捉や南洋群島と言われても、そうなのかと納得してしまいそうだ。
石田さんは、にこ、と笑みを漏らすと
「千葉の銚子です。漁業の町で、醤油処でもあります。」
「このお醤油、美味しいけれど、どこの産地だか分かる?」岸峰さんが、広島菜を箸で挟んで質問する。
醤油処の石田さんは「竜野ですね。間違いない。」と断言する。
「すごいね。産地まで分かるんだ。」と僕が感心すると、彼女は噴き出して
「ごめんなさい。当てずっぽうです。中国地方の有名処なので、適当に言ってみました。」
…………。
「お味噌やお醤油は、大きなメーカーも有りますけど、小規模でも名品を作っている蔵も有りますし、自家用を個人で作っているご家庭も有りますから、余程特徴的な味でないと一口味わっただけでは判らないですね。」
石田さんが、ちょっとだけ弁解口調で僕の目を見る。「それに私は、千葉のお醤油以外は、あまり知りませんから。」
考えてみれば、そりゃあそうだ、と納得。彼女は別に醤油職人の修行をしに御蔵島に来た訳じゃないのだし。
「お味噌やお醤油って、家で作れるモノなの?」と、興味津々の声を出したのは岸峰さん。
『手前味噌』って言葉が有るくらいだから、味噌は自家製味噌を作っていたのは普通だし、戦国時代には蒸し大豆と麹と塩を混ぜた物を手拭いに縛った「味噌玉」というモノを作って戦地に出発、移動時間で簡易味噌に発酵させていたと言う事も知っている。
けれど、江戸時代でも醤油は味噌に比べて貴重品で、武士階級でも米と味噌は支給品(給与)だけど、醤油はお金を出して買うしか無かったから高級品扱いだったと、日本史の先生から聞いた事が有る。
自家製醤油が作れるのならば、高級品扱いしなくても良さそうな気がするけど。
「家庭でも、大豆と麹と塩水を混ぜて笊に入れ、桶に収めておけば醤油っぽいモノが出来るんですよ。醤油っぽい塩水と言ったら、想像が付きますか?」
そう解説してくれたのは石田さんだ。
醤油が出来る、ではなくて、醤油っぽい塩水、と形容したところに醤油自慢のお国柄が出ている。
古賀さんが大きく頷いて「液体部分を醤油として利用するよりも、固形部分をゴハンに載せて食べると、凄く美味しいのです!」と力説する。
石田さんが、そうそうと苦笑しながら
「実を途中で食べてしまうから、醤油にならなくて醤油っぽいナニカになってしまうのですね。」
ああ、これが『醤油の実』の原型なんだ。
地方の道の駅なんかで、『醤油の実』とか『食べる醤油』みたいな名前で、醤油もろみみたいな瓶詰品を売っているのを見かけた事があるけれど、昔から作られていたものなのか。
「島に備蓄してある醤油を使い切っちゃったら、自家製醤油を作らないといけなくなりますね。」
古賀さんが、少しだけ心配そうに漬物を噛む。
その様子を見た岸峰さんが僕に
「オリーゼもサッカロマイセスも、保菌用の冷蔵庫に入っているよね?」と確認してくる。
オリーゼというのは、アスペルギルス・オリーゼ株の事で、いわゆるコウジカビだ。サッカロマイセスは酵母菌。
「両方共、あるよ。」
僕は皆に安心してもらうため、即座に断言する。
けれどもその後で「だけど、どちらもアルコール発酵の実験用だから、甘酒を作ったりパンを膨らませたりするのには良いけれど、味噌や醤油を作るには耐塩生の高い細胞を釣り上げる必要があるね。培地に食塩を混ぜてスクリーニングすれば可能だけど。ちょっと時間は必要だね。」と注釈を加える。
岸峰さんは眉をひそめて「だったら、日本にまで、買いに行く方が早そうだね。」
古賀さんも同じく顰に倣って「この時代、売ってますかね?」
「鎖国前の欧州向け輸出品に、ボトル詰めした醤油があったはずだから、モノは有るんじゃないかなぁ?」と、記憶を辿りながら答える。来客室に戻ったら、歴史の参考書で確認しておいた方が良さそうだ。
僕らが喫緊の課題から外れた心配をしているのを見かねたのか、石田さんが「新港地区の人ならば、自家製味噌や醤油を作っている方もおられるでしょうから、種菌を分けてもらえば良いと思いますよ。」と提案してくれる。「加山少佐殿に頼んでみれば、何とかなると思います。」
「それが手に入れば楽ですね。」と僕は彼女の意見に同意し「最悪、代用醤油を作るという手も有りますけど。」
岸峰さんが『代用醤油』という単語に反応して「なに? その怪しげなシロモノは?」
「醤油って、詰まる処アミノ酸と食塩水の混合物だろ?」
僕の岸峰さんへの返答に、石田さんは「極論すれば、そうとも言えなくはないですが……。」と不満気だが「化学合成する、というのですか?」と質問を加えてくる。
僕は石田さんに頷いて
「タンパク質を塩酸で酸加水分解して、水酸化ナトリウムで中和します。そうすれば、アミノ酸と塩化ナトリウムの混合溶液になって、理論上は醤油っぽいモノが出来るはずですよね?」
「そんな研究があったの?」と岸峰さん。
「有ったんだよ。大豆カスとか、生糸を採った後の蚕の蛹を原料にする計画が。」
僕は一旦説明を切り、ふう、と一息吐いてから続きを口にする。
「中でも、変わった原料として注目されていたのが『人間の髪の毛』なんだ。髪の毛なんて、伸びて切っても後は捨てるだけだろ? 『毛髪醤油』とかいう名前で、代用醤油にする研究がなされたらしいんだけどね。」
「ちょっとそれは気味が悪いですね。何だか食欲が失せる気がします。」
古賀さんの反応に、石田さんと岸峰さんも頷いた。
三人のリアクションは尤もだと思うけれど
「まあ、毛髪醤油みたいな極端なモノは別にして、大豆油の搾りかすなんかの原料からだったら、代用醤油を作っも抵抗感が少ないだろうから、それを塩水の代わりの仕込み水として自家製醤油を作れば、結構食べられるモノが作れるような気がするんだ。交易で醤油が手に入らない場合の策としてね。」
「それならば話は分かるけど、出来れば代用じゃなくて純正品が欲しいよね。」と岸峰さんが二人に同意を促す。
古賀さんが「金銀が出たのなら、早く貿易を始めたいですねぇ。」と溜息をつき、石田さんは「この時代に、美味しくない醤油しか無かったら、醤油蔵から作りたいですねぇ。」と、ささやかな野望を口にした。




