レル7 怪しい男(趙さん)をウィンゲート少尉に引き渡す件
小屋から引き出されてきた捕虜は目隠しを外されていて、岸峰さんの顔を見るなり
「おお! あんたは……。」
と、驚愕の表情を見せた。
彼女、髪を切って服も違うから、随分印象が違うのに、良く気が付いたものだと思う。
窮すれば通ず、なんて言葉があるけれど、人間の脳ミソは偉大だ。
それでもって、縛られた両手を前に突き出して、彼女に向かって中国語でぺらぺらと何やら主張している。
「ゴメンなさい。中国語、分からないアル。」
いきなり話し掛けられて慌てた岸峰さんが、妙な返事をしている。
中国出身の人で、本当に『~アル』みたいな日本語を使う人には遭った事が無い。
子音とか語尾の発音がクッキリしている印象はあるけれど。第一、この時代の人に向かって話すのならば『中国語』という単語が通用しないだろう。
明国言葉とか、せいぜい唐言葉とでも言わないとさぁ。
中華民国が成立するのは数百年後の話だ。
けれども捕虜の男には、ニュアンスは伝わったみたいで
「酷い訛りだったが、アンタは明の言葉を話していたじゃないか!」
あー……。昨日、初対面だった時の「にいはお」と「つぁいつぇん」のせいに違いない。
けれども訛りを言うならば、中国でも離れた地域の人同士は言葉が通じなくて、毛沢東と林彪は通訳を介さないと会話が出来なかった、というのを何かで読んだ記憶が有る。
僕は「挨拶くらいです、知ってるのは。後は……『謝々』とか『九連宝燈』?」
尾形伍長が吹き出して「そんなんで良いんだったら、自分だって『清一色』『一盃口』が得意だな。」
負けず嫌いの岸峰さんが、再び参戦して「青椒肉絲、酢豚。」
そして三人で、捕虜に向かって声を揃えて『でも、しゃべれませんよ?』
黙ってしまった男に、僕は取りあえず話の接ぎ穂程度に
「最初に会った時には僕も居たんだけれど、覚えてないですか?」と質問してみる。
放っておいてもいいんだけれど、気まずい沈黙は、ちょっとだけ苦手なので。
けれど男は「あー、すまない。あの時にはアンタも居たのか。……でも、男をしげしげ観る事も、覚える気も無いもんだから、気が付かなかった。あちらの娘さんは美人だから、髪や服を換えても直ぐに分かったがね。」
とても納得のいく答えである。もしかしたら、この男は正直者認定しても良いのかも知れない。
「じゃあ、そろそろ戻りましょう。」立花さんが出発を促す。「趙さん、アナタが怪しい人物ではないという事は分かりましたが、念のためもう一度目隠しをしてもらいます。」
捕虜の男は趙という姓のようだ。
「怪しくない、と言うのなら、目隠しは要らないだろう? それに、この縄も解いてくれ!」
「アナタが真っ当な人間でもね」笑顔で口を挿んできたのはスミス准尉だ。「私たちの方が、怪しい人間なのよ。この時代にとっては、ね?」
准尉の二イっと口角を吊り上げた笑顔は、趙さんを即座に黙らせた。
そんな時、「静かに!」と鋭く声を上たのは池永さんだ。「エンジン音がする。」
僕には、まだ何も聞こえない。
けれど一同にそれほど緊張が無いのは、池永さんの言葉を疑っているのではなく、エンジン音を出す装備は味方しか持っていないからだ。
しばらくすると、確かにジープ2台が山道を登ってきた。
ジープを見た趙さんは、眼球が零れ落ちそうなほど目を大きく見開き、中国語で何かを喚いている。
多分「馬が牽いていないのに、荷車が走っている!」とか、タイムスリップ物の現地人にありがちな感想を述べているに違いない。
体験としてのこのシチュエーションは、初見だけれど、既視感がぷんぷん。
だから、特に面白味も驚きも無い。まあ、じっくりと予行練習済みの事態を再確認している様なものだ。
実の処は、彼は既にソダの荷台には乗っているのだが、その時は目隠しをされていたから、動いている自動車を視るのはこれが初めてで、ビックリするのは無理も無いと、この件については好意的に捉える事としよう。
彼の目の前には、本当ならジープ以上に衝撃的であるはずのチハが停まっているのだけれど、動いていないチハについては、単なる見張り台くらいに思っているんだろうか? これが自分で動くとなると、腰を抜かしてしまうかも知れないけど。
或いは攻城戦用の衝車みたいに、中に人や牛が入ってエッチラ・オッチラ動かすと考えているとか。
趙さんのあまりの驚き様を見かねた准尉が、ジープを指差して「あれは妖術で動いているのよ。」とサラリとトンデモない嘘を教えたら、趙さんは一瞬で『理解』したようだ。
まあ、ガソリンエンジンがどうとか説明するより、納得を得られやすい説明ではあるだろう。
それに、余計な手間も掛からない。
やはり准尉には、クールとかクレバーという形容詞が良く似合う。
(さっきは、居丈高が良く似合うと思ったんだけどね。)
先頭車両に乗っていたのはウィンゲート少尉で、彼は僕と岸峰さんを見るなり
「誰かと思えば、君たちか。」と笑った。
岸峰さんが「少尉殿。日本語が話せないっていう、設定をお忘れですよ?」と真面目な顔で返事する。
ウィンゲート少尉はスミス准尉の顔を見て「キミ、ばらしてしまったんじゃ……なかったの?」なんて事をぼやいている。
それを受けたスミス准尉は、澄ました顔で「自分は普段から、余計な事など一言も口にしません。」とキッパリ否定する。
両者の間を取り持つ様に「それで、少尉殿。何故ここへ?」と質問をしたのは立花さんだ。
ウィンゲート少尉は憮然とした表情を元に戻すと、快活な調子を取り戻して
「逃げた海賊のほとんどは、陣の浜から遠くない海岸線で捕捉したんだ。精根尽き果てて、抜け殻みたいに動けなくなっていたよ。少しでも抵抗しようとした者は、制圧されてしまったけどね。……で、魔の島の奥に足を踏み入れる度胸の有った者は、極少数しか居なかった。」
池永さんが彼の発言を受けて「その連中が、この辺りまで逃げて来ていた訳ですね?」
「その通り。」ウィンゲート少尉は悪戯っぽく笑うと
「彼らが、やっと一休みしようとしていた処に、チャイニーズの悲鳴は聞こえてくるわ、訳の分からない呪文は聞こえてくるわ……。」
尾形伍長がしみじみと「ああ、それは怖かったでしょうなぁ。」と合の手を入れる。
少尉は伍長に頷くと
「島の精霊だか魔物だかが、不運な仲間を捕まえて食べていると思ったみたいだね。全身ボロボロになって下の道路まで死ぬ気で駆け下りて来たんだ。……10人足らずだよ。パトロールの姿を見るなり、跪いて泣き出した。まあ、その御蔭で撃たれずに済んだ訳だから、運が良かったとも言えるけれどね。」
「それで少尉殿は、どんな魔物が居るのか、ここまで調査に来られた、と。」立花さんが話を締める。
「そんな処だね。……で、そちらの中国紳士は何者だい? なぜか弁髪じゃない様だけど。」
少尉の顔はにこやかだけど、今の瞬間は目が笑っていない。
彼の質問に、スミス准尉が
「ミスタ・趙です。明国の鄭将軍に仕えているとか。」と答える。
続けて彼女は
「詳しい事は、戻りながら話をしましょう。少し込み入った話もありますが、ミスタ・趙は日本語がお分かりなので、Englishで。」
ウィンゲート少尉は、それは素晴らしいドライブになりそうですね、と頷いてから
「ミスター。あちらの車にご乗車お願いします。途中、妙な動きをされますと、命に危険が及ぶ事が無いとは言えませんが、じっとしていれば快適ですよ。……さあ、どうぞ! 最高の乗り心地をお約束します。」
と自動車販売店のCMみたいな事を語り掛けながら、項垂れている趙さんを助手席に座らせ、目隠しをした。
彼自身は准尉と並んで後部座席に座り、捕虜の頭に油断無く拳銃の銃口を突き付ける。
先頭車両の機銃手は2台目の後席に移り、準備完了のようだ。
スミス准尉が「池永少尉殿、ソダの車長をお願いします。それでは皆さん、お先に。」と手を振って、2台のジープは発進する。
趙さんの長い長い悲鳴を後に残して。
ジープが遠ざかって行くのを見送りながら、僕は立花さんに
「あの趙っていう人、信用しちゃって良いんでしょうか? かなり怪しい人物に思えますけど。」
と訊ねてみる。
立花さんも肯いて「信用出来ない事だけは確かね。」と同感のようだが、「けれど、情報源としては重要だわ。」と彼の価値を評価する。
池永さんも「あちらの扉の外の世界が、この世界の別の場所なのか、あるいは新たな平行世界かどうかを、確認しなきゃいけない。」と付け加える。
「一応、現在の年月日は、こちらの世界で得た捕虜の情報と一致しているけど、最終的な確認は、あの男が居た場所に進駐して、向こう側から扉を開いてみるしか無いんじゃないかな?」
趙さんが居た場所に行って、そこに鍵穴が無ければ、理科室側の扉の外はまた新しい平行世界という訳だ。
二つの扉の外の世界が、同一なのか異なっているのかも現時点では判断が付かないし、どっちのシチュエーションを期待するべきなのかも、僕には全く分からなかった。
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参考
林彪
中華人民共和国 副主席
毛沢東から後継者に指名される
その後、地位を脅かされる事を疎んだ毛沢東と対立
毛沢東暗殺を企てるが失敗
ソ連亡命中に飛行機が墜落して死亡する
張涛之の『中華人民共和国演義』では無能な野心家扱い
でもまあ「林彪事件」の真相は闇の中
衝車
木材・皮革で装甲された移動式の攻城塔
高さは3m~12m
最下層には車輪が付いていて人や牛を配置して塔を動かす
2階以上には兵を配置する
武装は槍や弩
城壁破壊用の撞木や城内突撃用の梯子を装備する事もある
横幅は6m程度のものから100mを超すバケモノ級まで
落とし穴には弱い




