戦場清掃
戦闘が勝利に終わっても、後片付けに手を抜くと、思わぬ災いか降り注ぐ事が有る。
疫病の発生だ。
野晒しの遺体は、病原菌の温床となる。
古来、伝染病は戦争時に於いて、直接の戦闘に勝る死者数を発生させてきた。
だから遺体は、火葬するなり埋葬するなりして、ちゃんと葬られなければならない。
葬られる事の無かった遺体が害を及ぼすというのは、怪談噺の中での出来事だけではないのだ。
塚を築き墓標を建てる。
これは、死者に対する敬意と弔意の表明だけれど、『危険物注意』の立て看板であるとも言える。
陣の浜の戦闘は、一方的なワンサイド・ゲームに終始したが、浜には多数の死体が転がったままになっている。
戦場清掃は嫌な仕事だが、誰かがやらなければならない。
普通その仕事には、捕虜や営倉入りの懲罰兵が充てられる。
頭数が足りなければ、現地の住民が徴用されて作業に従事させられる事もあるし、戦闘中でない部隊の兵が行う事もある。
彼らが嫌々ながらも(或いは時に、自ら進んで)その作業を行うのは、いざ伝染病が発生した場合に如何に恐ろしい結果をもたらすかを、充分承知しているからに他ならない。
今回の陣の浜の戦場清掃には、強制では無く、志願者を募る事に寄って参加者が集められた。
陸軍兵は、日本兵は水上交通遮断作戦、アメリカ兵とオーストラリア兵は山狩り作戦に投入されているから、志願を募る対象は、新港地区からの避難者、軍属の工員・船員、消防・警察など新港地区の公務員からである。
80人からいる基地居住区内の捕虜が対象とされなかったのは、表向きには「近代生活に習熟中の為」と説明されていたが、裏では「落ちている武器を見付けた時に、不穏な気持ちを起こさせない為である。」とコッソリ説明されていた。
けれどもこれには、もう一枚裏が有って、昨日の捕虜を尋問した結果、御蔵島沖海戦で獲得した捕虜と、陣の浜迎撃戦で獲得した捕虜との間には、緊張関係が有る事が分かって来たからだった。
どちらも同じく清朝水軍の構成員で、全員が大頭目であった「王直」の後継を名乗る「王允」の手下と言う事には成っているが、元々は独自の勢力を保っていた海賊同士であり、互いに獲物の交易船や勢力圏を巡って、襲撃や小戦闘を繰り返してきた歴史の有る仲なのだ。
等しく捕虜になったからと言って、一朝一夕の内に打ち解けられるものではない。
しかしながら、こう言った「状況を共有する者の中で起きる対立構造」は、明治維新期の水戸藩や長州藩の藩内戦争や、上野戦争で彰義隊内部で深刻な闘争事件が起きた時のように、珍しい出来事ではない。
むしろ、緊迫した状況の中では対立意見は過激化するから、沸点の低い溶剤の様に簡単に発火する。
その様な懸念が有る為に、冷却期間が終わり状況が落ち着くまでの間は「捕虜同士は分散させて相互監視させる」目的で、戦場清掃での使役の様に、まとまって行う作業はへの参加は見送られたのだった。
その代わり捕虜の中で料理経験者は、新港地区や工場地区のコックと共に炊事班に編入され、御蔵島全体の配給食を用意する役目が与えられた。
漁業経験者は、タコ糸を提供されて漁網を編んでいる。
編み上がった漁網は、水切りを良くするために柿渋か血渋に浸す必要が有るが、御蔵島ではニスをガソリンで割ったものがコーティングに使用される予定だ。
農業経験者は、兵舎群の奥に新たに拓かれた空き地を、農地に仕上げる仕事に従事する事となった。
空き地は、基地と外部の山の間のバッファーだった只の荒れ地を、ブルドーザーで整地しトラクタで耕しただけだから、畑として使用するためには、石を除いたり畝を作ったり灰を混ぜたりと、手を加える必要がある。
また、御蔵空港建設のために潰された蜜柑山も、場所を新たに再生する予定だ。
この様に、捕虜は少人のグループで、御蔵島の民間人と共に各種作業に充てられている。
緊急性が低い作業にまで、人手が割り振られているのは、技術の伝承云々というよりも、グループの細分化が隠された目的だからだ。
さて、肝心の戦場清掃である。
全体の指揮を執る(或いは責任者に祭り上げられる)事になったのは、加山少佐だ。
昨日、新港地区からの避難民を兵舎に誘導したり、炊事班を組織したりしていた御蔭で、彼は何となく島の世話役と言うか顔役の様なポジションに位置してしまった。
特に揉め事も起きずに、全体がどうにか収まる所に収まったのは、切迫した状況だった事に加え、彼がリーダーシップを発揮する「上に立つ者」として有能であったからに他ならない。
だから、志願者を募って清掃隊を組織し、その指揮を執るのは、彼にとっては不本意な事ながら、お鉢が回って来るのは当然の事であった。
加山は密かに、志願者が現れるかどうを危惧していたのだが、彼の心配は杞憂に終わった。
清掃隊の募集には、予想を上回る応募者があったからだ。
志願の動機は、主に侠気と危機感だが、それに加えて「何かコミュニティーにとっての有益な仕事をせずにはいられない」という、勤勉な人間に特有のワーカーホリックな、焦燥感も無視できない。
遺体を埋葬する穴を掘る作業には、ジョーンズ少佐がブルドーザーやホイールローダー、バックホウ等の重機数台を、陣の浜まで先行派遣してくれているため、清掃隊の役割は、金属類の回収と遺体の穴までの移送となる。
この作業のために用意された輸送手段は自動貨車12両だったため、清掃隊への参加者は200名に限られ、選に漏れた者は、感謝の言葉を掛けられて通常業務に復帰した。
各トラックには運転手の他、助手席に看護兵か防疫給水部の隊員が乗り込む。
荷台には20名ずつ清掃隊員が分乗し、後尾の2両には人間ではなく消毒薬や石灰が積まれた。
後尾の2両は、帰りには回収した金属製品等を積み込む予定だ。布等も再使用可能であれば回収対象となる。
使用した軍手は、漏れなく消毒薬入りのバケツに浸けるよう注意が言い渡され、その他、靴や服が酷く汚れた場合にも消毒薬で殺菌するように勧告が為される。
当然、着替えの作業衣袴も準備済みだ。
「それでは諸君、死者の埋葬に出掛けよう。」
出発の号令を掛けながら、加山は全体の士気を上げるためには、もっと別のセリフの方が良かったのだろうか、と自問した。
けれど、覚悟を持って嫌な仕事に志願してくれた連中だ。
美辞麗句は必要無かろう、と考える事にした。
先頭から4両目の自動貨車の荷台には、ミルクホール『滋養亭』の女性オーナーである新田茂子と、『新町湯』の釜焚き源爺こと大内源蔵が、並んで腰を下ろしている。
茂子は何時もは、和装にエプロンという「いで立ち」で滋養亭を切り盛りしているのだが、この日は支給された作業衣袴姿になっている。
尻を絡げた単衣に股引姿が定番の源爺も、同じく作業衣袴だ。
源爺は釜焚きだけでなく、番台にも座れば三助仕事もこなす。
新町湯は正式名称では『御蔵新港入浴場』という、長ったらしい名前なのだが、誰からも「新町湯」としか呼ばれない。
経営者は広島県内の大手温泉旅館らしいのだが、その経営者が御蔵島に姿を見せる事は無く、新町湯の経営は一切合切が源爺に丸投げされているようだ。
源爺は、気の利かない若い男と、今一つ愛想に乏しい若い娘を雇っていて、こま鼠の様に働いて新町湯を盛り立てている。
御蔵島に在る銭湯は新町湯一軒きりだから、経営が苦しくないようなのが、何よりだ。
茂子と源爺の二人が並んでいるのは、偶然ではない。
清掃隊の志願者を選抜する際に、茂子は女性であるという理由から、選に漏れそうになっていたのだ。
「現場が余りにも凄惨な状況であるから、隊に志願する献身的な心情は貴いと心得るものであるが、今回の参加は婦女子に於いては見送られたい。」
ザックリ言えば、「見るだけで気分が悪くなるような状況だから、女の人は遠慮してね。」という説明だった。
加山少佐にしてみれば、気を遣った上での配慮の心算である。
けれども、決意を持って志願した女性諸姉には不評だった。
曰く
「関東大震災を体験した自分は、数多くの死体を見ている。今更、怯む事などない。」
「日露の大戦やシベリア出兵の、傷痍軍人のお世話をした事がある。」
「そもそも、男性よりも女性の方が、出血を見慣れている。」
「ウチのオタンコナスは、怖がって志願もよう出来ひん。ここはウチが頑張ってみせんとアカン。」
などなど。
窮地に陥った少佐を救ったのが源爺だった。
「ま、まあまあ、皆さん落ち着いて。今日の役目は、重い物を運ぶ仕事でございます。昔っから棺桶担ぎは男手と、決まっているもんでございましょう?」
葬式の棺桶担ぎの例を出されて、女性陣の騒ぎは、少しばかり収まった。
「けれども弔いを出すのに、野郎ばかりじゃ、仏さんも寂しかろう。ここは一つ、どなたか一人が代表になって、仏さんに教でもあげてやるってのが、良くはないですかね? ……代表だからね、儂ら年配のシワクチャ婆さんよりも、小股の切れ上がった粋な年増が良いと思うんだがね。」
ある意味分かり易い、筋の通った提案である。
こんな事を言ったのが、青壮年男性であれば、集まった女性たちは蜂の巣を突いたように騒ぎ出したかも知れないが、『新町湯の源爺』の発言だから、表立って反論する者は居なかった。
古来、年寄りの発言というものは、筋さえ通っていれば多少の修辞の不適切さは、大目に見られるものなのだ。
源爺は、実はそれほど年寄りという訳ではなく、せいぜい初老年配でしかないのだが、日頃から新港地区界隈では「源さん」「源爺」と呼ばれて親しまれているので、彼の発言に不自然さを覚える者はいない。
けれど言葉の裏を注意深く考えてみれば、彼の発言は「女性代表」の人物像を相当狭く絞り込んで、発せられたものと成っている。
即ち、「年配女性は排除」「若年女性は排除」「世慣れた人物」「女権主義者は却下」など。
一見、自然ではあるけれど、これだけの意識付けが含まれている誘導なのだ。
しかも集まった女性陣に対して、集団の中の一人としてではなく、個としての女性代表の立場である事を強いている。
こう成ってしまうと、自分から「ならば、自分が。」と立候補する事は難しい。
仮に立候補すれば、自分で「私は、皆より粋で鯔背な良い女です。」と主張するのと同義だからだ。
案の定、志願女性たちは、お互いに顔を見合わせながら、立候補も推薦も出来ない状況に陥った。
膠着状態に成った処で、源爺は頃合い良しと、一人の女性を推薦した。
「滋養軒の茂子姐さんは如何ですかね? 姐さんなら、野郎どもも、安心して彼の世とやらに、旅立てましょう。……いやぁ、それとも美人過ぎて、未練が残っちまいますかね?」
女性陣からも、不承不承という感じではあったけれど、新田茂子であれば仕方が無いと言う様な同意の声が上がった。
彼女は源爺の言う通り、竹久夢二の絵から抜け出た様な美人であるし、新港地区では「出来る女性」で通っていたからだ。
「それでは、ご推薦頂きました以上、皆様の分まで精一杯務めて参ります。」
茂子の決意表明に、拍手が沸いた。
自動貨車の荷台で、茂子は源爺の耳元に唇を寄せると、囁き声で呟いた。
「源さん。どうして私を推薦なすって下さったんです?」
源爺は喉の奥で、対象者以外には聞こえない、呟き声で返事をする。
「姐さんとは、一度、腹を割った話が、したかったんですよ。」
「こんな事に成っちまったからですか?」
「こんな事に、成っちまった、からですよ。お務めが、終わったら、茶でも飲んで、ゆっくり、話しやしょう。」
「何時から気が付いてられました? 警部殿。」
源爺は、警部殿という呼びかけに小さく笑うと
「そんな、偉いモンじゃ、ありません。この歳に、なっても、警部補の、まんまです。」




