パラ31 なんだか江藤大尉の調子がおかしい件
砲声は半時間分ほど継続し、急に途絶えた。
「終わったみたい。音がしている間は落ち着かなかったけれど、止んでしまってもやっぱり気になるね。」
岸峰さんは、そう評すると「じゃあ、いいよって言うまで、外に出ていてくれるかな?」と僕を室外に追い出した。
婦人部隊の制服のまま、ベッドに横になるわけにはいかないから、ジャージに戻る心算なのだ。
入り口の外に立ち、廊下の電灯を眺める。
暖かい色調の明かりだけれど、LEDを見慣れた目には廊下全体が薄暗く感じられる。
それでも、この時代の他の場所に比べれば、ここは格段に明るいはずなのだ。
「おっ、どうした? 貴様、彼女に締め出されたのかな。」
大きな声で、陽気に姿を見せたのは江藤大尉だ。
この時代の「キサマ」という二人称代名詞は、親しい相手に対する呼びかけだから、別に大尉に怒鳴りつけられた訳ではない。
貴公と呼ばれていた時よりも、くだけた間柄と認めてもらえたのだ。
「大尉殿、人聞きの悪い事を言わないで下さい。彼女、着替え中です。」
「なんだ、そうか。」大尉は軽く頷くと、悪人の顔になって「覗かないのか?」と唆してくる。
「そんな事したら、目が潰れるらしいんですよ。」
「それは、とんだ『鶴の恩返し』だな。」大尉は妙な喩をすると、ドンドンと大きな音を立ててドアを叩く。「岸峰君、もう良いか?」
中からヒャアという悲鳴が聞こえて「あと、20秒!」
これを聞いた大尉は、カクレンボの鬼のように「19、18、17……」と大声でカウントダウンを始める。
「大尉殿、何か良い事が有ったのですか?」
江藤大尉の事を、優秀だけど陽気でユーモアのあるオッサンみたいだな、とは思っていたけれど、ちょっと度が過ぎている気がする。
良い事があったのは確かだけれど、あったのが「良い事ばかり」ではなさそうだ。
「うむ。有った。……つい今しがた、海賊が攻めて来たんだが、撃退、いや殲滅した。」
真顔に戻った大尉が、僕に向かって発した言葉は、静かなトーンだった。
「早良から聞いたんだが、貴様は敵の武器が多連装のロケット矢だと知って、即座に明代の人間だと看破したんだってな。」
「ええ……まあ、受験控えた学生ですから。」
「貴様の世界の高等学校では、常識なのか?」
正確に言うと、そうではない。けれど
「火薬・活版・羅針盤は、ルネサンス期の三大発明だが、全て中国由来だと教わります。中国の四大発明と言う場合には、それに紙が加わりますが。西欧のルネサンス期は、中国では明代に当たります。……でも、これは大尉殿が学生だった時分でも、同じ事を習っていると思いますよ?」
大尉殿はムニャムニャと「いや、自分が学生の時には、航空機の操縦訓練で忙しかったからな……」と言葉を濁した。
この時、岸峰さんがドアから顔だけをのぞかせて「準備、完了ですよ。」と僕たちを招き入れる。
大尉も調子を取り戻して「少年、美女のお招きだ。行くぞ!」と僕の肩を叩いておいてから彼女の顔を確認し「どうしたんだ、岸峰君! ……その頭!」と騒々しく驚いている。
「片山クンが私を捨てて、石田さんに乗り換えると言うんで、切っちゃいました。」
「おい片山! それは一体、どういう了見だ!」
「大尉殿、騙されちゃあ、いけません。彼女、長い髪を乾かすのが面倒で、切っちゃったんですよ。彼女のモノグサが原因で、僕は無関係です。」
「それは、本当なのか?」大尉は、岸峰さんと僕の顔を繰り返し眺めていたが、ついには笑い出して
「女性が髪を切るというのは、何だかもっと強い動機が有るものかと思っていたが、未来では気楽なモノなのだな。」
岸峰さんはチェシャ猫みたいな笑顔になって
「大尉殿、女性は未来に限らずいつの時代でも、そんなモノです。……あまり、夢を見過ぎられませんように。」
僕たち三人は、テーブルを囲んで座った。
物干し綱にチラリと目をやると、下着類はセーラー服と婦人部隊の制服とで上手く隠してある。
「変わった寝間着だな。」大尉には岸峰さんの着ているジャージが、妙な服装に思えるらしく「モンペとも違うし、作務衣でもない。」と感想を述べる。「まあ、しなやかで滑らかそうな生地だし、機能性は高そうだが。」
岸峰さんは「これはですね。えーっと……運動衣袴? です。普段は綿のパジャマを着て寝るのですが、持って来ていないもので。」
「そうか。運動衣袴は、その様に進化するのか。」
今度は岸峰さんが「基地の女性は、どんな服に着替えるのです?」と質問する。
質問内容を不思議に思った僕が「キミ、石田さんたちと一緒に、お風呂に行っただろ?」と質すと
「うん。でも彼女も古賀さんも、お風呂上ったら、また制服に戻っちゃった。今夜は、もしかしたら何か有るかも知れないからって。」
なるほど。
そして、やはり「何か」有ったんだ。
大尉は、海賊が攻めて来た、と言っていたけれど、なぜ御蔵島が目を付けられたんだろうか?
「石田君たちは普段、浴衣を寝間着にしているぞ。婦人部隊員や看護婦など女性陣は大体そうだろう。少尉候補生やなんか現場勤務の者の中には、男子と同じくシャツと袴下姿で寝ている猛者もいると聞くが。」
少尉候補生は准士官か上級下士官の扱いだから、通常の男性将兵と同じく非常呼集に備えての対応だろう。
「大尉殿、お詳しいですね。」と岸峰さん。
「まさかとは思いますが、覗きに行ったりとか?」と僕。これは、さっきの仕返しだ。
大尉は「人聞きの悪い事を言うな!」と苦い顔になったが、すぐにニヤリとして「先ほどの意趣返しか。……石田君は、あれでも中々オッカナイ所が有るからな。岸峰君みたいに目潰しだけで済ませてくれるとは、思えん。女子棟の寝室を覗いた罪で、軍法会議にでもなったら、これはもう切腹ものだ。」
冗談めかして話す大尉だが、話し終えると同時に、表情が引き締まる。
「軍法会議や覗きの件は一旦脇に置いておいて、大尉殿は何かお話が有って来られたのだと推察しますが、そろそろ本題に。」
僕の提案に、大尉は「そうだな。」と頷いて
「先ほど片山君には少しだけ話しをしたのだが、海賊が来寇して来た。」
「もしかしたら、照明弾が上がった時ですか?」
岸峰さんの問い掛けを「勘が良いな。」と大尉が受ける。
「大型船3隻に中型船15隻という兵力で、強襲して来た。あちらさんにとっては、奇襲上陸の心算だったんだろう。兵数的には500から1,000。正確には判らんが。」
僕は「船ごと沈めたのですか?」と訊いてみる。
御蔵島の兵器は太平洋戦争直前レベルの物が揃っているのだから、ロクな搭載砲を持たない明代末の帆船なら、楽勝でアウトレンジ出来るだろう。
「否、一旦はワザと上陸させた。」
「どうしてですか?」岸峰さんが不思議そうな声を出す。「上陸して来るのが海賊って分かっているのでしょう?」
大尉は彼女の質問には直接答えずに、僕の目を見て
「片山君、明末の海賊、それも中国沿岸を荒らしている海賊って、何だ?」
「後期倭寇ですね。前期倭寇とは違って、中国人、えーっと明国人が殆どを占めています。中国沿岸と限らなければ、私掠船の時代ですから明国人とは限りませんが。後期倭寇は海賊で略奪者なのですが、貿易商人であるという側面も持っています。種子島に鉄砲を伝えたポルトガル人が乗船していたのも、倭寇の船だと言う説もあるみたいです。」
……そうか。僕は後期倭寇の解説をしながら、大尉が頭を悩ませているのが何なのか、分かった気がした。
先方から攻撃を受けるまでは、相手が海賊として襲って来るのか、貿易商人として平和裏に振る舞う心算なのかが判断出来ないって事なんだ。
こちらが航空偵察で海賊船の動向を察知しても、無闇に沈めてしまったら、御蔵島は貿易を行えなくなる。
御蔵島単独での生産活動には限界があるから、これは厄介な問題だった。




