パラ30 岸峰さんから部屋に洗濯物を干すのを許可してもらう件
冷水シャワーを浴びた後、僕は運動衣袴の上下に草履という、ラフな格好になって洗濯を終え、洗い上げた服を来客室に干していた。
洗濯室から出た時には、石田さんたちと連れ立って、貰い風呂に出掛けた岸峰さんが、帰って来ている時分かとも思っていたのだが、部屋は無人のままだった。
パソコンはテーブルの上に置きっぱなしにしていたのだが、誰も触った気配は無い。
また入り口の扉には、かつて胸躍らせて読んだ事のあるスパイ小説に倣って、髪の毛を一本だけ唾で貼り付けておくという小細工も弄していたのだけれど、異常ナシ。
(この小細工に気付かないままドアを開けると、髪の毛が床に落ちてしまうというトラップだ。)
まあ、皆さん忙しそうな様子だし、僕らに構っているヒマは無いのだと考えていいだろう。
アニメの主題歌を鼻歌で唄いながら、学生服とワイシャツをハンガーに吊るし、下着と靴下を手に持った処で、ドアが開く気配がしたので、岸峰さんがお風呂から戻って来たのだろうと振り向くと、短髪の婦人部隊の女性が立っていた。
僕は急いで、持っていた物を背中に隠す。
これは別に、岸峰さんになら下着を見られても恥ずかしくない、という訳ではなくて、彼女とはルームメイトになる以上は、ある程度は恥ずかしいモノ(あるいは事)を見られるのも覚悟しなければならないと、先ほど腹をくくったからだ。
「何、慌てているのよ?」
??? 女性の口から出たのは、岸峰さんの声だ。
…………えええ! 彼女、髪、切っちゃたのか!
「頭、どうしたんだよ! いきなり。」
「ああ、これ?」と彼女は、ボブというより尼削ぎかオカッパみたいに短くなった髪に手をやって
「だって、ドライヤーが無いんだよ? 長かったら、乾かすのが大変なんだよ。」
と平然としている。「石田さんに頼んだら、『良いのですか?』って驚かれたけれど、結局切ってくれたんだ。」
「スミス准尉に頼んだら、ドライヤー、何とかなったかも知れないじゃないか。」
「うーん。アメリカ軍は持ってるかも知れないけれど、我が儘ばっかり言うのも、どうかと思って。」
まあ髪なんてモノは、切っちゃってもまた伸びて来るのだから、大勢に影響はないと言ってしまえば、その通りだし、要らぬ借りは作りたくないというのも、いかにも岸峰さんらしい。
「どう? 似合わないかな?」
「美人は、髪型に関わり無く美人だ、と言う事は良く分かった。」
僕は小市民的な口調にならないよう注意しながら、力強く断言する。
洗濯物を部屋に干しても文句を言われないためには、つまらない軋轢を起こさない方が断然いい。
基本的に、女性は容姿を褒められて、悪い気分はしない(はずだ)。
彼女は少しだけ照れたような表情を見せたが
「その割には、私を見てオドロイてたみたいだけどね。……知らない人だと、思ったんでしょう?」
と追及の手を止めない。
―――図星デアル。いまだに、特殊メイクした知り合いと会話しているような気分だ。
まあ美人だと言った感想に、ウソ・イツワリは無いのだが。
けれども肩甲骨の下端くらいまであったポニーテールは、彼女のトレードマークだったから、違和感は半端ない。
思えば、入学して生物部で初めて顔を合わせた時以来、僕は長い髪をした彼女しか知らないのだ。
「服まで婦人部隊のに着替えているじゃないか。こっちの人だと思っても仕方ないだろ? ……けれど、あれだ。髪を短くすると、美少女っていうよりも、むしろ美少年っぽいかな。」
美少年っぽい、という形容には、若干の照れ隠しが含まれている。
だいたい僕は、異性に対して「キレイだ。」とか「美しい。」とか歯の浮くようなセリフを使うのは苦手で、今まで頭の中で考えた事は有るけれども、口にしたことは無い。
いや、もしかしたら幼稚園生時代には、平然と使っていたのかもしれないから、断言してしまうと幼少期の友人から虚言癖を指摘されてしまうかも判らないが、少なくとも小学校高学年以降には「一切、記憶にございません。」
だから、清水の舞台からメアリー・ポピンズよろしく傘一本で飛び降りるか、無理やり歳末大バーゲンの売り子バイトに動員された心算の意気込みで、落語の「牛ほめ」みたいに称賛の言葉を用いたのだけれど、岸峰さん相手だと、何の苦も無く不自然さも無く、まるで用意していたセリフのように話す事が出来た。
自分でも事の成り行きの意外さに、ちょっとだけ戸惑っている。
「『少年』かぁ。自分でも男顔なのを気付いてはいるんだけどね。……まあ、だから髪を長くして『少女』アピールしてたんだけど。」
彼女は意図的にか無意識なのか、「美少年」「美少女」の「美」を省略してモノを言う。
ここで僕が黙ってしまえば、彼女の心には小波が立つに違いない。
毒を食らわば皿まで。ここはもう一発、駄目を押さねばならない場面だ。
論語には「巧言令色鮮シ仁」という件があるが、僕は儒教徒じゃないし。
「中性的というのは、究極の美の一つだと言うよ。岸峰さんが今以上を望むのは、不遜っていうヤツじゃないのかな?」
オオ! 言ってしまったぜぃ! 何だコレは? 僕は何時からイタリア人かフランス人に宗旨替えしてしまったのだろうか? いや、イタリア人やフランス人なら、こんな事を平気で口にするのかどうかは脇に置いて、イメージですよ、イメージ。イタリア・フランスの皆さん、申し訳ない。ゴメンナサイ。
彼女は能面みたいに無表情になってから
「後ろに隠しているのは、パンツや何かなんでしょ? 早く干したら良いじゃない。……私も干すから。」
などとトンデモナイ事を言い出し、畳んで持っていたジャージの間から洗った下着類を取り出すと、洗濯綱に止め始めた!
ジーザス!! 今度の感想あるいは感慨は、アメリカ人的に執り行う事とする。
何と言うか、日本語の「ああ!」や「なんてこった!」では間に合わない気がするのだ。
上下ともに装飾の少ないスポーツタイプの「それ」は、岸峰さんのイメージ通りにシンプルだが可愛らしかった。
頭の中で、花火が打ち上げられたような音がする。
……違う。今のは空想の産物ではなく、本物だ。
「始まった?」岸峰さんも、天井方向に目を向ける。
音が聞こえたのは海が見える窓からなのだが、照明弾発射が行われているのは窓とは反対の、山側のはずだからだ。
「間違いないね。」僕はようやく呪縛から解き放たれて、動く事が可能になったので、手に持っていた何やかやを干し終える事が出来た。「外に出て、空を眺めてみるかい?」
また一発、どぉんという音がする。
石田さんは「遠雷みたいな」と形容していたけれど、遠くの花火大会みたいな音と言う方が、より近い感じかな? もしかしたら石田さんも、これまでに音を聞いた事は無かったのかも。
「そうだねぇ……。でも、やっぱり部屋に居た方が良いんじゃないかな。石田さんから『出歩かないで下さいね。』って念を押されたよ? 昼間に何だか捕虜を捕まえたとかで、捕虜の人も基地に連れて来ているんだって。」
更に一発。
「どうしたんだろう? 立て続けにだよ。あっちこっち方向を変えて撃ってみているのかなぁ。よく分からないけど、岸峰さんの言う通り、部屋で待機している方が良いみたいだね。」
僕は彼女に同意してから、先ほどからの疑問を口にした。「それはそうと、キミ、何時の間に洗濯済ませたのさ。」
彼女は事も無げに「お風呂場で。」と答える。「みんな、やってたよ?」
スーパー銭湯とか温泉なんかに行くと『流し場で下着を洗濯するのは止めて下さい』みたいな注意書きが貼ってあったりするものなのだが、怒られないんだろうか?
僕の問い掛けに彼女は
「そんな注意書きが必要なくらい、洗濯しちゃう人が多いって事でしょ? それに、女子には男子と違って、ぬるま湯を使わないと落ち難い洗濯物が有るんだよ。だから、女子棟だけ黙認なのかも知れないね。」
と、母親が子供に世の中の決まり事を言って聞かせる時のような顔をした。
また、『どぉん』と照明弾を撃つ音がする。




