士気と鼓舞
ジョーンズ少佐は、ジープの助手席から運転手に向かって
「急げ、急げ! パーティーに遅れちまう!」
と激を飛ばし続けていた。
高機動車はクラクションを立て続けに鳴らし、他の車両に道を空けさせながら工場地区を駆け抜けた。
新港地区に入っても少佐の車は疾走を止めず、地区の見回りを行っていると思しき消防車両に向かってさえも「そのクソッタレの赤いケツを、さっさと退けろ!」と言いたい放題に怒鳴りつけている。
いきなり米軍将校に叱責され、暴れ馬のように走り去ってゆく高機動車を見送った消防士は、多少腹に据えかねる処もあって
「こちら消防車第4号。現在、高機動車1両が、外周道路を大急ぎで北上して行きましたが、緊急事態ですか?」
と直接司令部に問い合わせを行った。
御蔵島が軍の要地だとしても、新港地区は基地区分ではないし、島の安全を守るという点に於いては、消防も軍に等しく重い責務を負っている。
何の説明も無く、頭ごなしに邪魔者扱いされる謂れは無い。
担当の通信士辺りから、某かの説明があるか、と考えていた消防隊員は
『こちら、司令部の奥村だ。』と将校が直接無線に出た事に驚いた。
『あー、ちょっとした緊急事態なのだ。気を悪くしたのなら、私が詫びる。済まなかった。』
「いえ、少佐殿。緊急事態なら、納得です。消防車4号、高機動車に追従しますか?」
『いや、それには及ばない。あの車両は、高田馬場に向かう堀部安兵衛みたいなモノだから、好きにさせてやってくれ。』
問い合わせを終えた消防士は、不得要領なままに、同僚に向かって
「あの米軍将校な、奥村少佐は『高田馬場の堀部安兵衛』って言うんだよ。」と首を傾げた。
同僚は驚いた顔で「何だ、それ? 押っ取り刀で、仇討ちの助っ人にでも急いでいるのか?」と、ジープが走り去った方向を見遣った。
消防士は「どうも、そんなに緊迫した状況ではないみたいなんだ。」と溜息を吐き
「おおかた、酒でも飲んで寝坊したって処じゃないかなァ。……さぁ、火の用心に戻ろうか。」と、同僚の肩を叩いた。
レイノルズ伍長はM3軽戦車の車長席で、ヘッドホン越しにウィンゲート少尉が戦闘時における注意事項を各車長に通達するのに耳を傾けていた。
戦闘直前だというのに、少尉の口調からは緊張や興奮といったものが、微塵も感じられない。
『いいか、くどいと感じるかも知れないが、もう一度確認だ。敵の上陸が始まったら、まず私がスピーカーで敵に投降を呼びかける。』
レイノルズは少尉の事を「工科大学卒の技術馬鹿」かと思っていたが、この落ち着き振りは、どうしてどうして戦闘指揮官として堂に入ったもので、士官学校卒のヒヨっ子よりも風格が有る。
『敵が投降に応じれば良いが、およそそれは望めないだろう。……敵は攻撃を仕掛けてくる。』
そりゃ、そうだ。待てと言われて、脚を止める泥棒がいないのと一緒だ。
『中国人は、毒矢を使うから、ハッチは全て閉めておくように。車長も頭を出さないことだ。』
まさか、毒矢を使う敵なんかと戦闘になるとは、思ってもみなかったぜ、とレイノルズは思う。
「毒矢」という言葉の持つ陰気な響きには、人を生理的にブルーにさせるものがある。
しかし、ドイツ兵の機関銃と比べて、どちらがより怖いかと考えれば、機関銃の方が怖いだろう。
『敵の攻撃を受けたら、反撃開始だ。エンジンを始動し、前照灯で照らせ。同軸機銃と前方機銃も射撃開始だ。……このタイミングで、山の監視哨から、照明弾が上がる。直視は、するなよ。』
頭を引っ込めているから、照明弾を目視する事は無いと思うが、もしあの眩い光を見てしまったら、しばらくは暗がりでは目が効かなくなる。注意するに越した事は無い。
『どうしても見てしまいそうな時には、片眼は瞑っておくことだ。そうしておけば、片眼が効かなくなっても、もう一方の目で敵を視認する事が出来る。』
片目じゃ、距離感が掴みにくくなるんだが、両目一緒に見えなくなるよりはマシか。
『敵が正面に上陸した車両は、そのまま松林の中から射撃を続ける。砲撃する時には榴弾を使用する。機関銃の弾倉は1パック50発だから、弾倉交換のタイミングを間違えるな。……敵正面から逸れた車両は、松林から出て攻撃に参加する。仮に砂地でスタックしたら、その場で射撃を継続だ。流れ弾や毒矢に当たりたくなかったら、慌てて戦車から飛び出すな。』
敵歩兵がウヨウヨしている浜辺で、M3の外に出るのは、頼まれても断るな。
『随伴歩兵がいないから、心細く感じるかも知れないが、敵は対戦車肉薄攻撃の訓練など受けていないし、その装備も無い。敵に囲まれても危険は無い。落ち着いて蹂躙しろ。』
それどころか、海賊どもは戦車を見た事すら無い。
腰を抜かして、総崩れになる。―――いや、そうなって欲しいもんだ。
『戦闘が長引いたら、アメリカ軍のトラック部隊と、西の浜の友軍戦車が駆けつけて来る。その時の同士討ちには気を付けろ。……敵には車両は無い。内燃機関で動く物は全部、友軍だ。』
敵は一個大隊規模だと言う話だ。援軍には急いで到着してもらいたいものだ。
……でないと、徹底抗戦されたらタマ切れになっちまう。
『敵がここに攻めて来ずに、西の浜など他所に上がった場合には、ここには私とレイノルズの2両が残って警戒を続ける。軍曹は残り5両を率いて、戦闘地域に急行だ。ミラー中尉の指揮下に入れ。……以上だ。』
特務曹長は、北東方面監視哨に詰めた面々の緊張が、次第に高まってゆくのを感じていた。
「お前ら、もうちょっと肩の力を抜け。ここに弾は飛んで来ない。……間違っても、まだ撃発するんじゃないぞ。オレが『一番、撃て。』の命令を出すまで、何もするな。」
こんな時には、声を落ち着かせて語り掛け、内容は何でも良い、新米の孤独感と焦燥感を和らげてやるに限る。
「一番砲が発射しても、二番は『二番、撃て。』の命令が出るまで、鼻でもホジッてろ。なんなら、尻を掻いていてもいい。92式の照明弾は20秒は輝いているから、消えそうになるまで次弾発射は待つんだ。こんな時の20秒は、結構長く感じるぞ。一番は、発射後直ぐに排莢して、次弾装填だ。次に発射するまでの時間には余裕が有るから、慌てずにやれ。」
「特務曹長、どうやら敵は『陣の浜』に上陸地点を定めたようです。」
少尉候補生が、緊張を感じさせない声で話しかけてくる。
及第点だ。70点と言ったところか。
将校、特に新米将校が、必要以上に興奮したり緊張したりしていれば、兵はすぐさまそれを察知して、隊全体に悪影響を及ぼす。
指揮官が信頼に値しないとなったら、それは兵一人一人の命運に関わって来るからだ。
特務曹長も少尉候補生にならって、双眼鏡で敵情を観察する。
松明を掲げた教導船が5艘先頭に立ち、残りの船団が追従している。
60m級大型船は、船尾灯に当たる部分にだけ小さく火を灯し、船団後部に付いている。
遮る物の無い海上で松明を点けると、隠密行動がブチ壊しになるが、無線の無い時代なのだから、仕方が無いという事か。
あるいはこの時代なら、日の出と共に起き日没には寝るのが普通なのだろうから、夜間に海上を監視している人間など居ないと高を括っているのかも知れない。
少尉候補生は司令部に『敵、上陸目標は陣の浜。』を報告すると、特務曹長に向かって
「分散上陸を試みるのか、と思いましたが、全軍一丸です。上陸地点で会敵する可能性を感じているのでしょうか?」
と質問してきた。
「それは何とも言えませんが、無線で連絡を取り合う事が出来ないから、統一行動を採っているのでしょう。攻めるも逃げるも、全軍一緒でなければ、敵中で孤立してしまいます。無線・有線の電話は、それの普及以前と以後とで、戦争を全く別のモノにしてしまったのです。もし武田信玄が通信機を持っていれば、川中島合戦は全く違う様相を見せたでしょうね。」
特務曹長は少尉候補生の質問に見解を述べると、隊の全員に向かって
「よし! お前ら、良い事を教えてやる。あと十数分は余裕が有るぞ。小便が漏れそうなヤツは、今の内に済ませておけ。始まってから我慢出来なくなったら、漏らすしかないぞ!」
と、お道化た声でアドバイスした。
これを聞いて、戦闘初心者の集団は少しだけ緊張が解れたようで、何人かがイソイソと立ち上がった。
けれど、少尉候補生が「特務曹長、私もよろしいですか?」と手を上げたので
「ヤロウども! 初っ端は、少尉殿だ。少尉殿が戻られるまでに、砲身を10度右に振るぞ! 我慢が限界な者は、その場で用を足しても構わん。」と隊員に命令を下した。
兵が砲に取り付いて、何やら賑やかに向きを変更するのを監視しながら、特務曹長は暗がりに駆け足で去って行く少尉候補生を見遣った。
少尉殿、上手い事、皆の緊張を解したな。
立花比佐江少尉候補生、85点だ。……まだうら若き乙女とはいえ、なかなか、やる。
オキモト少尉は、アメリカ軍車両部隊の「東回り隊」最先端で待機していた。
彼の指揮下にある増設貨車山砲分隊は、貨車山砲×1・弾薬運搬用自動貨車×1の計2両から成っている。
他の「東回り隊」は、オキモトが待機している地点まで到達すると、踵を返して出撃地点にトンボ返りするのだが、彼らの隊だけは戦いの火蓋が切られたら、戦闘地域にいち早く到着するために、外周道路の外灯が点いたままの一番先の場所で、一見暇を持て余しているような風情で戦闘開始を待っている。
いや、暇を持て余している風なのはオキモト一人で、他の隊員は95式山砲の固定状態を再確認したり、砲弾のチェックを行ったりと、派手な動きこそ見えないものの、抜け目無く職務を全うしている処だ。
実は先ほど、司令部に「貨車山砲分隊、目標地点に移動完了。」の連絡を行ったら、ジョーンズ少佐ではなくオーストラリア軍のハミルトン少佐が無線に出て
『司令部、了解。……あー、オキモト少尉、ハミルトンだ。』
と、少し疲れたような声で語り掛けてきた。
「? 少佐殿、ウチのボスが、何かやらかしましたか?」
『いや、別に問題が起きた訳ではないのだが。……キミのボスが、キミの隊を直接閲兵するらしくて、そっちに向かっている。一言、伝えておいた方が良いかと思ってね。』
「……少佐殿、ご配慮に感謝いたします。」
『……まあ、色々と、ガンバってくれたまえ。以上だ。』
このように、オキモトにとっては微妙に頭痛の種であるジョーンズ少佐だが、兵にはその明快さが好感を持たれる部分でもあるらしく
「おい皆、ボスが直々に貨車山砲の視察にお見えになる。」と告げたところ
「親父さんが見に来るってよ! 恰好悪い所は見せられないぜ!」
と、隊の士気は見る見るうちに上がって行ったのだった。




