敵上陸部隊前進ス
北東方面監視哨からの『敵船団、行動開始』の報告に、作戦室は色めき立った。
「いよいよ、ですな。……それでは、各方面に連絡を。」
奥村少佐がハミルトン少佐とジョーンズ少佐に要請するが、米軍部隊の責任者ジョーンズはヘルメットを手にすると
「迎撃主体はオーストラリア部隊だから、ここからはハミルトン少佐に統合指揮をお願いしましょう。命令の出所は一本化した方が良い。」と主張した。
至極真っ当な意見なので、ハミルトンと奥村が頷くと、ジョーンズは
「俺は、前線に出ます。なに、前線と言っても矢玉が飛んで来る場所ではなく、増設分隊の所までですよ。急造の部隊だから、事故の無いよう装備の確認をするだけです。」
と、制止される暇を与えないよう、いそいそと作戦室を飛び出して行った。
「あれは、貨車山砲を撃ちに行く心算でしょうな。」ハミルトンが溜息を吐く。
「間違いありませんね。」と奥村も溜息。しかし、直ぐに表情を引き締めると「それでは少佐、各部隊に指示をお願いします。自分は中佐に報告を入れて、直ぐに戻ります。」
臨時戦車中隊指揮官のミラー中尉は、「西の松原」と「陣の松原」との中間地点に開設した中隊指揮所で『敵船団、行動開始』の情報を受けた。
中隊指揮所とは言っても、通信機と50口径を積んだ2台のジープだけの簡素極まりない編成に過ぎない。
ミラーは、外周道路が磯場の上を通る比較的見晴らしの良い場所に指揮所を設けていたから、連絡が来るのとはほぼ同時に敵船団の動きを掴んでいた。
「了解。自分の位置からも、確認しています。両小隊に、兵を戦車に入れるよう、指示を出します。」
古賀真紀子は来客室で石田フミの帰りを待っていたが、直ぐに戻ると言って出掛けた彼女がなかなか戻って来ないので、テーブルの上に置いてあった明の歴史についての覚書を読んでいた。
この書類は、未来人の片山修一氏と岸峰純子女史が短時間でまとめた物だが、明朝黎明期から末期にかけての歴史が、日本や西欧での出来事と並記されており、時代背景を理解する一助には成る。
取り上げられている項目の中には、真紀子が学校で教わっていない事項についての記載もある。
当の未来人の二人は、額を突き合わせるようにして、巻脚絆を装着する練習をしている。
手際良くコツを掴んだ岸峰女史に比べると、片山氏の手際は真紀子の目から見ても不器用で、女史から剣突を食いながら指導されている。
そんなにキツく叱り付けなくとも良かろうに、と真紀子は感じるけれど、氏はそのような物言いをされても、女史に対してそれほど不興を覚えてもいないようで、これが未来の男女間の「ありかた」なのかも知れない。
女史が再び、内務班の班長が新兵を叱責する時の様に氏をどやしつけた処で、真紀子は助け舟を出す事にした。
「片山さん、明が滅亡して順が滅んだ頃の中国って、どのような状況だったのでしょうか? 講談や歌舞伎では、国姓爺なる英傑が、明の復興を目指して清の大軍を相手に奮戦したってされていますけれど。」
氏はホッとした表情で、渡りに船と立ち上がり「あ、鄭成功の事ですね。」と積み上げている書籍の一冊に手を伸ばした。氏の脚からは、上手く巻けていない脚絆がグズグズと垂れ下がる。
「えーっと、ですねェ。国姓爺こと鄭成功は1624年生まれですね。生まれたのは長崎県の平戸です。父は貿易商人と言いますか後期倭寇の大物である『鄭芝龍』です。フィクションではなく実在の人物ですね。鄭芝龍と鄭成功の親子は、唐王『朱聿鍵』なる人物を担いで『隆武帝』として即位させ、清に対するレジスタンスを継続しています。」
氏は書籍を参考にしながら、国姓爺の解説をしてくれる。けれど書いてある事を読み上げるだけならば、ここを読めと本を貸してくれれば、それで済むのに、と真紀子は思う。
けれど、それを口に出すと、更に氏の面目を潰す事になりそうで、「へぇ、長崎県人なのですか。」と合の手を入れておく。
「はぁ。そのようですね。鄭芝龍は平戸藩主の松浦隆信に気に入られて、田川マツという女性と結婚し鄭成功を授かっています。子供の頃の名前は福松だそうですよ。」
氏は何故か自分に対しては、ほんの少しだけ余所余所しい言葉遣いをする、と真紀子は思う。
「それじゃ、鄭成功ってハーフなわけ?」少しの間静かにしていた岸峰女史が、会話に割り込んでくる。
ほんのちょっと前まで、氏を頭ごなしに叱り付けていた事は、忘れたようだ。
「そのようだね。……ほう。生年の近い有名人には徳川光圀がいるなぁ。」
氏も何事も無かったかのように、女史に答えを返す。
徳川光圀の名前を耳にして、真紀子は少しばかり早口になり
「それでは、福松と黄門様が、出会ったりした事は有ったのでしょうか?」と質問をしてみる。
片や異国の大忠臣で、片や人望厚い天下の副将軍。どちらも講談の人気者だ。
遠い昔の話だから、正解など出せないだろうとは思いながらも、二人が友情を結んでいたらと空想すると、大江戸浪漫を感じる設定ではないか、と思ったからだ。
けれど片山氏は、忙しく書籍の頁を繰りながら
「二人の間に接点は無さそうですね。鄭成功が平戸に居たのは7歳になる1631年までで、その後は福建省の厦門に住居を移してますし、水戸光圀は1628年生まれですが、4歳になる1632年には水戸城に入城しています。出会う余地が無い。」
と、身も蓋も無い見解を述べた。
そうですか、と真紀子はガッカリしたが、岸峰女史は
「でも『ここ』は今、明朝末期じゃない? 役者は二人とも、既に地上のどこかに揃っているんだよ。しかも御蔵島には、大型輸送船が有る。探せば二人とも見つかるかもよ?」と燥いでみせた。
片山氏は「あー、歴史を改変するのか。確かに行動を起こせば、可能性はゼロじゃないね。若いころの光圀は暴れ者だったと言うし。」と女史の言葉に同意を示し
「それに芝龍・成功親子は、江戸幕府に対して『日本乞師』っていう援軍要請をしているくらいだから。キッシのキツは乞うという字で要請を意味し、シは師団のシで軍隊の意味だよ。でも結局、江戸幕府はその要請に応じなかったのだけれどね。……ただ、紀州徳川家の徳川頼宣は、乗り気だったっていう説も有るみたいだ。」
真紀子が片山氏に、なぜ江戸幕府が国姓爺の日本乞師を断ったのか、その理由を質問してみようと思った時、戻って来た石田フミがドアを開けた。
「片山さん、岸峰さん。先ほどの掲示板の件ですが、司令部は乗り気です。けれど、夜間の輸送で事故など起きては元も子もないから、実行は明日にという事に決まりました。」
それを聞いた片山氏は、特に失望した様子は見せずに
「いや、一分一秒を争うというものでもないですから、それで行きましょう。」と簡単に納得した。
次いでフミは「岸峰さん、女子棟は今夜もお風呂を沸かしてますので、良ければいらっしゃいませんか? ……片山さんは、お誘いする事が出来ませんけれど。」と二人に告げた。
女史が「行きます、行きます。……片山クン、私だけ悪いね!」と喜んで見せ、氏に向かってウインクする。
真紀子は少し可哀想に思えて
「片山さん、洗濯室の奥にシャワーなら有りますよ。」と、落胆しているらしい片山氏に教えてあげた。
しかし、フミが「燃料節約のためにボイラーを止めているので、シャワーは今日、冷水しか出ないのです。井戸水だから、凍えるほど冷たいと言う事はないでしょうが、給湯室で沸かしたお湯をシャワー室に運び、行水するのが良いかも知れません。」と付け加える。
真紀子は、ああそうだった、と思いだしたが、忘れていましたと付け加えるのも恥ずかしかったので、ただ愛想笑いをするに止めた。
片山氏は「仕方ありません。冷水で我慢します。……ついでに洗濯もやっておく事にします。まあ、真冬でなくて良かった。」と哀しそうな顔をした。
『ウィンゲート、敵が動き出した。上陸地点が何処に成るかは、まだ分からん。』
「陣の浜」で待機していたウィンゲート少尉は、「少尉、ミラー中尉からです。」という戦車兵からの呼びかけに応じて無線に出た。
中尉からは、早口で敵船団が行動を開始した旨の連絡が伝えられる。
ウインゲートは「了解。こちらから確認出来るのは、今の処、篝火の数が減った事だけです。」と答えを返す。ウインゲートの位置からは、海面に近い高度に居るせいか、それ以上の事は判らない。
夜になって、気温と海水温の温度差が逆転したから、海面に近い篝火は空気レンズを通してチラついて見える。風でもあれば簡単に吹き散らされる空気レンズ効果だが、生憎のベタ凪だ。
『松明を持った小型船が先導して、奇襲もしくは強襲上陸する計画のようだ。教導船が複数いるから、もしかしたら陣の浜と西の浜の両方に兵を上げる心算なのかもしれん。敵は毒矢を装備している可能性が有るから、兵は車両の中に入れておけ。戦闘が始まったら、車長も中に引っ込んで、ハッチは閉めておけよ。』
「了解。兵を戦車の中に入れます。」
『動きに変化があるか、敵の目標がハッキリしたら、また直ぐに連絡を入れる。今の処は、以上だ。』




